;歴史・東日本共同体

2019年1月15日 (火)

創氏改名

日本で軍国主義が台頭し、中国侵略から太平洋戦争へと向かう戦時体制下にあって創氏改名、強制連行、そして慰安婦としての戦地への動員など植民地朝鮮の人びとが被った心理的・肉体的犠牲ははなはだしかった。

文京洙氏は『新・韓国現代史』岩波新書、にこう書いた後、

創氏改名は、表向きは、「強制するものではない」とされた。だが、氏の創設は「内鮮一体」として語られた天皇の「大御心」によるものであり、これを拒否するものは「非国民」であるとれて有形無形のさまざまな圧力が朝鮮人に加えられた。

とある。これには、同僚など日本人学者の書を引用したという被害者本人の証言が数件あるというだけで、「これが歴史である」と断ずる危険性は計り知れない。今回は創氏改名について考える。

そういった問題が起きたころ、塾頭は小学生で同じクラスに金君・李君・張君・朴君がいた。その彼らが姓名を変えたとか変えるかも知れないなどという話は一度も聞いたことがない。朝鮮人部落に住んでいたT君やM君も朝鮮人といわれていたが、そんな話が起きる前から同じ日本の姓で通しており誰も不思議に思わなかった。

その後戦時疎開で新潟県に移ったか近くに加茂市があり、もとは「京都」という人が多い。そこの出身で栢森さんという知人がおり、「栢」のいわれは古朝鮮の伽耶(かや)国から来ており代々貴族であったといっていた。

スポーツ界に多い錦織さん、金田さん、張本さんなど、姓氏改名にいやいや応じた人たちだったとは思えない。塾頭は、前掲書にあるそういった状況証拠を1件も知らないのだ。急がばまわれであってほしい。

 

 

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2018年4月29日 (日)

日・朝間の序列争い(遣唐使)

『善隣国宝記』読み下し文=集英社、()は塾頭注

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同(孝謙天皇天平勝宝)六年(754)

正月、遣唐使大伴宿禰古麻呂唐国より至る。奏して曰く。大唐天宝十二載癸卯(前年)、百官諸蕃朝賀す。天子(玄宗皇帝)、蓬莱宮含元殿に於て朝を受く。是の日、我れを以て西畔(班)第二、吐蕃(チベット)の下に次(ついで)し、新羅(朝鮮=統一新羅)使を以て東畔第一、大食国(東カリフ帝国=大イスラム国)の上に次す。

古麻呂論じて曰く、古より今に至るまで、新羅の日本国に朝貢すること久し。而るに今東畔の上に列し、我れ反りて其の下に在り。義得べからず、と。

時に将軍呉懐実、古麻呂の肯ぜざるの色を見知し、即ち新羅を引き、西畔第二、吐蕃の下に次し、日本使を以て、東畔第一、大食国の上に次ず、と。

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