安保

2009年8月21日 (金)

集団的自衛権

 今度の選挙で、日本の安全にとって非常に重要な問題なのに、キチンと議論がされていない問題が、「集団的自衛権」です。「日本に権利としての集団的自衛権はあるが、憲法の規定上その行使は制限される」というのがこれまでの政府の考えでした。

 「集団的自衛権」とは簡単にいうと、アメリカは日本を守る、かわりにアメリカが攻撃されたら日本が加勢する、という関係をいいます。この言葉はもともと国連憲章にでてくる言葉です。だからどうしても国連憲章から調べてみる必要があります。

 国連憲章は、“戦争”一切禁止です。この点は、日本国憲法9条と同じ趣旨で、昭和3年、日、米、英、仏など15カ国が結んだパリ不戦条約が元になっています。それでも「自衛」戦争ならいいという解釈で、第2次大戦なども防げませんでした。

 したがってその反省でできた国連憲章は、「戦争」という言葉を一切避け「武力行使」という表現にしています。最初に大原則をかかげ、第1章第2条で、加盟国はいかなる国の領土や政治的独立を侵す武力による威嚇または武力の行使を慎まなければならない、としています。

 そして、ずーとあとの方、第51条になってはじめて[自衛権]という条がでてきます。それは、加盟国が武力攻撃を受けた場合、国連安保理が必要な措置をとるまでの間、緊急措置として自衛のための行動はとれるが、それはすぐ国連に報告しなければならないということです。

 ここに「固有又は集団的自衛の固有の権利」という言葉が出てくるのです。この文言は最初の案にはなかった概念ですが、中南米、ラテンアメリカの国々が、大国の安保理における拒否権のため固有の権利が発揮できないので複数の国が共同して自衛をしたい、というところから出たようです。 

 これに乗ったのが、当時米大陸の盟主を任じていたアメリカ合衆国です。憲章全体の原則があいまいになるという反対意見も出ましたが、結局アメリカの強硬意見と他の有力国とのかけひきの中で決定をみました。したがって日米同盟のような2国間、あるいはかつての「攻守同盟」のようなものを意識していたとは思えません。 

 日米安保条約は1960年に締結され、一度も改正されていません。当時は冷戦さなかで、日米間の経済的・軍事的格差もとても対等な間柄とは言えませんでした。したがって当時の環境に従った内容で、日本が守る範囲は日本の領域内、アメリカが行動する範囲も「極東」という狭い範囲にしています。

 また、条文の中で双方の憲法の規定を尊重することも書かれています。安保条約の見直しというと「反米的」にとられかねない雰囲気がありますが、アメリカにとっても古くさいものになっているのです。両国間が現在どうあれば最も前向きな関係になれるか、また平和に貢献できるか、国内でももっと議論しあい、日米新時代を築く時代に来ているのではないでしょうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年8月20日 (木)

選挙用安保政策の古さ

 選挙戦のさなかでも、世界情勢は刻々と変化をしています。去年の考えそのままの人はもう時代遅れです。とてもそんな人に国政をまかせられません。選挙記事にかくれて小さな扱いですが今日の新聞、ラジオから拾って見ましょう。

(アジア)
 北朝鮮 米ニューメキシコ州のリチャードソン知事が19日、北朝鮮国連代表部の外交官2人と会談し、知事は米朝関係が修復に向かいつつあるとの見方を示した。知事は北朝鮮との接点を持つ。ミャンマー ウェッブ米上院議員のミャンマー訪問で、同国国営3紙は「訪問が両国関係改善の第一歩となる」と指摘した。

(中近東)
 イラク 19日、バグダッドの官庁街で連続爆破テロが発生し75人が死亡、米軍撤退後最大規模となった。アフガン 今日、大統領選挙が行われるが19日にもカブールでタリバンによる銃撃戦で選挙妨害が行われ犯人の3人が死亡。この1週間の死傷者は同市だけで100数十人にのぼる。以下関連事項の引用。

 何世紀にもわたり外国の侵略を排除してきたアフガンの人々は、超大国の米国でさえタリバンに「勝てない」ことを納得して見ている。対話への期待は、いずれ去っていく外国人と違い、タリバンとの共存を模索せざるをえない現実を見据え始めたからだ。

 「米国型民主主義の押しつけである大統領選は認めない」
 タリバン最高指導者のオマル師の肉声テープが6月、影の州政府として同師が指名した全国34州の「タリバン知事」に届いた(以下略)。(毎日新聞・カブール・栗田慎一)

 アメリカのABCテレビとワシントンポストが、全米の1000人を対象に行った世論調査によると、オバマ大統領のアフガニスタン問題全般をめぐる対応について、アメリカ国民の6割が支持しているものの、アフガニスタンで続くテロに対する戦いについては、「価値がない」と考えている人が、5か月前より10ポイント増えて51%と半数を超え、「価値がある」と答えた人は、47%にとどまった。

 また、大統領選挙によって、アフガニスタンに統治能力のある政権が生まれると感じていない人が64%に上り、アメリカ国民の3分の2が、新政権の統治能力に懐疑的であることがわかった。駐留兵力増強の軍事作戦を続けることに、アメリカ国民の視線が日増しに厳しくなっていることを示している。(以上NHKラジオ正午ニュース要旨)

 ほかにも、オバマ大統領の演説を受けて、イスラム圏の人々から「イスラムを最も理解する人」として一気に人気が高まり、イスラエルとの仲介工作がかえってやりにくくなって困っているとか、ロシアのチェチェンに隣接するイングーシ共和国で爆弾テロがあり、100数十人が死傷するというニュースが飛び込んだりしています。

 これらを見ていると、冷戦時代の発想から抜けきれない国防政策がいかに古くさいかがわかります。日本の安全保障、強みは憲法9条です。今だからこそものをいいます。外国に行って武力行使をしないから世界に対して発言力があると思いませんか。それとも核武装した方がいいと思いますか。 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年4月11日 (土)

安保条約まで戻れ

 在沖縄海兵隊8000人のグアム移転に日本側が上限で28億ドルを負担する在沖縄米海兵隊グアム移転協定の承認案が10日、衆院外務委員会で採決され、与党の賛成多数で可決された。民主党など野党は反対した。14日の衆院本会議で可決され、参院に送付される。野党多数の参院では否決される見通しだが、条約の国会承認は憲法の規定で衆院の議決が優先され、遅くとも参院送付から30日後には承認される見込みだ。(4/11毎日新聞)

 イラク政府は、米軍撤退とともに多額の資金を受け取った。日本は逆にべらぼうな移転費用なる内訳不明な金額をむしりとられる。もちろんイラクとは事情が違うが、なぜ「どこか変だ」と思わないのだろう。日米安保条約を見てみよう。(赤字は当ブログ)

 旧安保(吉田安保)
第一条 平和条約及びこの条約の効力発生と同時に、アメリカ合衆国の陸軍、空軍及び海軍を日本国内及びその付近に配備する権利を、日本国は、許与し、アメリカ合衆国はこれを受諾する。この軍隊は、極東における国際の平和と安全の維持に寄与し、並びに、一又は二以上の外部の国による教唆又は干渉によって引き起こされた日本国における大規模な内乱及び騒じょうを鎮圧するため日本国政府の明示の要請に応じて与えられる援助を含めて、外部からの武力攻撃に対する日本国の安全に寄与するために使用することができる。

 新安保(岸安保)
第六条 日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため、アメリカ合衆国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国内において施設及び区域を使用するこちを許される。前記の施設及び区域の使用並びに日本国における合衆国軍隊の地位は、千九百五十二年二月二十八日に東京で署名された日本国とアメリカ合衆国の安全保障条約第三条に基ずく行政協定(改正を含む。)に代わる別個の協定及び合意される他の取極により規律される。

 赤字で示されているように、米軍の駐留は、主権国家である日本国の許しを得てはじめて可能なのである。日本占領直後や冷戦の強い圧力があった当時でさえ、それが常識だった。「出ていってやるから金をだせ」といった、まるで居直り強盗のような言い分がどうして通るのか。移転はアメリカ側の都合でもある。

 これでは、「真の友好国」と言えるわけがない。それは長い間自民党政権が続く中で、「日本を守ってください、核の傘にいれてください(…聞こえないように…その方が楽だから)」と言い続けてきたつけを払わされているのだ。

 条約そのものは変わっていない。なのに知らぬ間にここまで押し込まれたのは、冷戦終了後も安逸をむさぼっていたすきにアメリカに先手を打たれたのだ。それが当ブログのカテゴリ「安保」で指摘したように、新ガイドラインを押しつけられた「橋本安保」、米軍のロードマップに従った「小泉安保」の時代へと変貌したからだ。

 ここまでは、一部の国粋主義的右翼の主張と完全に一致する。だから、「集団的自衛権を解禁し、憲法改正をして軍事大国になろう」というのと、当塾の主張である「日本憲法の原点に帰り、すくなくとも安保条約本体(岸安保)の線まで立ち返って、対等かつ真の友好条約のあり方を追求し直そうというところで違いがある。果たしてアメリカはどちらを望むのか。

 こうなったことには、与党と同じで安逸をむさぼっていた野党にも責任がある。野党の場合、ガイドライン等に沿った法案を政府が提出しても、法案審議という枠内でテクニック論に終始し、安保・外交の基本的戦略・理念を追求し得なかったということはないのか。

 そう考えると、現状に変化を求め日米新時代を目指すためには、政権交代しかないのかも知れない。しかもそれは、自民党の負の遺産をひきずるようなものであってはならない。相手のあることなのですべて急に変える事ができないにしても、せめてオバマ並にしっかりビジョンをうち立てて総選挙に臨んでもらいたい。

 

 

| | コメント (4) | トラックバック (5)

2009年3月 2日 (月)

「小沢安保」を示せ

 民主党・小沢代表の安全保障発言が波紋を呼んでいる。それはこれまでの国連中心主義とは違う表現で、アメリカと協力しながらも言いなりになるのではなく、独自の防衛能力を持つべきだとうということである。

 部分的に当塾の考えと符合する点はあるが、茶飲み話のようで詳細や真意はわからない。自民党の若手が、暴論だとか無知だといっているが、議員になって40年、自民党幹事長を務めてから20年、単なる思いつきではないだろう。

 それより、いまだに反共安保から抜け出せない自称「保守政治家」の方が、よほど頑迷固陋といえそうだが、それを指摘した上、より明確な民主党政権としての安保政策を明示すべきだ。その要点は、文末に書いたとおり、やはり憲法と海外派兵の問題だろう。さらに平和構築外交の進め方も知りたい。
 
 当塾では、カテゴリ「安保」を設け、過去12回にわたるシリーズで論じてきた。その中で戦後の安保体制を次のように段階をつけて分類した。その中でブッシュと歩調を合わせた「小泉安保」がいまだに尾をひいたままで総括されていない。自民党と政権を争うなら「小沢安保」をまず国民の前に明らかにすべきだろう。

【安保の変遷】------------
1.吉田安保(旧安保条約)
  講和後の軍事的空白を埋めるため米軍基地を維持することが、日本の共産化をくいとめる日米共通の利益であった。そのため行政協定などは一方的、従属的内容で期限の定めもなかった。

2.岸安保(新安保条約)
 冷戦はエスカレートし、核競争や地域の代理戦争も激化。岸首相は、軍事色を薄め経済条項を加えた条約案を、日米対等という体裁にして締結した。有効期限10年であとは自動更新となる。日本の安全と極東の平和という適用範囲と、憲法手続きに従う旨を明記している。中曽根元首相のいう「浮沈空母」の時代。

3.橋本安保
 ソ連崩壊という事態で安保に対する環境がかわったにもかかわらず、条約はそのまま。アメリカの世界一極支配を目指して軍事同盟を維持する、というナイ・リポートを踏まえたガイド・ラインで、「周辺事態法」など特例法・特措法で条約の性格を変える。

4.小泉安保
 9.11同時多発テロ後のブッシュ路線で橋本安保にはずみをつけ、米軍再編計画(ロード・マップ)の一環として米軍との一体化を進める。国民保護法や防衛省設置など軍創設のための足場を整え、安倍内閣で改憲への道筋をつける。なお、この時代から「日米安保」ということばが消え、「日米同盟」が一般化した。
-----------------
 
 さて、オバマ政権と話し合う「小沢安保」の要点は何になるだろうか。思いつくまま上げてみた。

1.安保条約破棄は過激すぎる。せめて、憲法解釈でからみあった糸をほぐすため、橋本安保、岸安保の線まで戻すか。
2.憲法改正問題にどう対処するか。9条厳守、専守防衛を保証できるか。
3.自衛隊海外派遣にどういう条件・制約をかけるか。
4.日米協力のありかた。(集団的自衛権・基地・共同研究・核・武器輸出など)
5.軍縮・平和外交・アジア共同体方針など。

| | コメント (0) | トラックバック (3)

2008年8月25日 (月)

漂流する安保12

 このシリーズの締めくくりを、と思って書き始め、前回で現在の福田政権にまで到達したが、やはり不十分な点があるので書き足したい。前々回、日米安保条約には、①吉田安保、②岸安保、③橋本安保、④小泉安保の4種類があり、吉田安保をのぞき②、③、④は同じ条文ながら中味が、日米合意文書などですっかりすり替えられている、ということを言った。

 橋本安保は小泉安保の準備期間という面がなきにしもあらずだが、トンビがタカを生んだような変化があったといわざるを得ない。いつの頃からか「日米同盟」という言葉がさかんに使われだした。かつては、左派陣営が「安保は憲法違反の軍事同盟である」と攻撃する際にその言葉を使い、政府は事実上タブー扱いにしてきた。

 現に、鈴木善幸元首相が不用意に「同盟」と言う言葉を使って、弁明に大わらわになったこともある。同じ疑問を漫画家・小林よしのり氏も指摘しており、安保条約と諸協定、合意文書その他をひっくるめたものという解釈があるようだが、国民の理解から遠いところにあってフェアーではない。どうやら私が感じているように、小泉首相時代から意図的に使われだしたようだ。

 そして、前々回指摘した「アメリカ依存(従属)体制こそ正常であり、それにそぐわない憲法が存在することが異常である」という発想が、このころから一人歩きしはじめた。その中心にいるのが右派系政治家、それをとりまく旧外交官、学者、評論家などのブレーンである。

 また、国が国防を中心に公権力強化の方針を掲げてきたため、現場の自衛官や警察官などの中に、この逆転の発想をそのまま受け入れてしまう人がでてきた。そのこと自体が公務員の遵法義務に反する憲法違反なのだが、国政の向かう方向に従っただけで、憲法を否定する彼らに何の痛痒もない。

 そこに、社会的風潮としての中国・朝鮮に対する激しい反感・嫌悪が加わった。アジア諸国に対する度重なる公式謝罪の繰り返しへのいらだち、自虐史観の追求、教科書問題や日教組攻撃などは、それ以前から右傾化傾向として根付いていた。そこへ、在日外国人による一家殺人事件、麻薬や偽造通貨の使用、新手を使った空き巣の増大などが報じられ、さらに隣邦の印象悪化に輪をかけた。

 また、消費財や食品の多くが中国で生産され、商品への不信感と産業空洞化を招いたことも潜在的な脅威となった。拉致問題、ミサイル・核実験、領土問題をはしめ靖国参拝問題、反日デモといったことが、一般国民や若者を巻き込んで対立主義をあおる結果となったのは当然の成り行きである。

 これが日米同盟強化の促進剤的役割を演じたことは、否定しがたい。政府の志向がこれに一致する証拠がもう一つある。それは小泉安保の最後の段階で安倍元首相や麻生元外相が盛んに発言した「(アメリカなどと)価値観を共有する」と言う言葉だ。

 これは明らかに中国や北朝鮮を区別した言葉としてとられ、骨董的反共右翼を元気づけた。このところグルジア情勢をめぐって「冷戦の復活か」という声もちらほらするが、ロシアなどむしろアメリカと価値観がそっくりになり過ぎて国際共産主義など成り立つ余地がなく、中国も独自の道を歩んでいる。

 価値観は、民主主義とか法の支配だというだろう。しかしそのいずれもそれぞれの長い民族の歴史や国民の総意に基づいて各国各様の文化や態様があるのだ。日本とアメリカの間でも決して同一の価値観が存在するわけではない。

 それを押しつけようとするアメリカの勝手はわかるが、それで世界の各国から嫌われ始めているのが現状だ。それをあえて強調してみせるのは、日米同盟を一体化したものにする、つまりそこから見た新たな「排外主義」「ナショナリズム」を構築しようとするものである。米英の2国間のことならともかく、平和を志向する世界の共感を得られるものではない。

 「過ぎたるは及ばざるがごとし」、アメリカや世界に東アジアの緊張など望んでいない。周辺国敵視は、むしろあらぬ野望さえ疑われるというおまけまでつき、ジャパン・パッシングを警戒して北朝鮮の制裁解除延期をお願いしなければならないというチグハグな結果を生んだ。

 こうして、安倍首相に引き継がれた小泉安保の幕切れは、まことに他愛のないものになってしまった。しかし、一旦しみついた隣邦との対立主義・排外主義は簡単に解消するものではない。北京オリンピック閉幕にあたりその評価は真っ二つに分かれている。対立主義の火を燃え立たそうとする国内の動きは依然として活発だ。これに水をかけるのは、良識ある市民の善隣友好の意思表示と行動でマスコミを引き込むことである。

 粘り強く長い時間をかけて相互理解を深める運動を続けるとともに、かりに隣国の政権がこれに反し、偏狭なナショナリズムを利用して自らの地位を強化するような動きがあれば、いたずらに対抗意識を燃やすのではなく、理をもって冷静に説得することが真の安全保障への道である。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2008年8月23日 (土)

漂流する安保11

 前回、ソ連崩壊により全く背景が変わったにもかかわらず、冷戦の落とし子である岸安保の条文をそのままにして、アメリカ主導のナイ・リポートの線で「新・ガイドライン」に安保体制をすりかえてしまった橋本安保の話をした。

 もちろん、そのままでは自衛隊や海上保安庁の行動が憲法違反になりかねない。また、法の不備で実際の安保活動に支障をきたすおそれがある。そこで、苦し紛れの「特例法」や「特措法」を続発させることになった。周辺事態法などというのがそれである。

 リチャード・アーミテージ米国防副長官といえば、イラク開戦の際にパキスタンに「協力しないと石器時代にもどす」とか、日本に「ショウ・ザ・フラッグ」と言ったとか言わなかったかとか問題にされた元軍人であるが、果たせるかな2000年に「アーミテージ・レポート」を作成、日本の有事法制の整備を要求してきている。

 そういった中、「日本は天皇中心の神の国」という問題発言などで人気のなかった森首相のあとを小泉内閣が継いだ。小泉安保橋本安保の延長線上にあるが、明らかな違いがある。それは、アメリカの9.11同時多発テロの発生により、ブッシュ大統領のテロとの戦争にいち早く加担、海外派兵に筋道をつけたことと、改革開放と郵政民営化を旗印に衆院解散を行い、劇場型選挙で3分の2の与党勢力を確保し強力な地歩を手にいれたことである。

 その中で、アメリカの世界戦略である米軍再編計画に基づき、日米共同作戦実現を目指す基地再編計画(ロードマップ)に合意、自衛隊との一体化をより進めることになった。国民保護法など懸案事項の有事法制もそれまでに日の目を見た。

 安倍内閣はさらに最後の仕上げに取りかかろうとした。「美しい国へ」という教育改革を含む復古路線である。長らく違憲とされてきた「集団的自衛権行使」の解禁も画策したが、功を急ぎたかったのか07年参院選の争点に改憲をかかげ、国民投票法案も成立させた。

 ところが、参院選は生活重視を掲げた民主党に惨敗し、与党議席は過半数を割った。さらに閣僚などの不祥事や自身の健康問題で2か月後には辞任に追い込まれた。後を受けたのが福田内閣である。参院のねじれ現象を前に、小泉・安倍路線の見直しを進めたものの、これまでのような強行突破はできなくなった。

 また、外交でもアジア重視で小泉首相時代の靖国参拝による中国との軋轢はほとんど解消するに至った。就任以来1年を経過し、本来なら福田色を鮮明にしなければならない時期である。しかし支持率のあがらないまま、おそくとも来年には衆院を解散しなければならない。

 小泉安保は安倍退陣でブレーキがかかったようには見えるが、「福田安保」といわれるような政策転換ができるだろうか。内閣改造では安倍を支えた麻生を幹事長に起用し、これまで何度も外相を経験して安保の手あかがついた高村を留任させるなど、政局優先の人事しかできない基盤の弱さからほぼ絶望的と言ってもいい。このうえは、憲法9条保持を明言している「小沢安保」に期待をかけざるを得なくなるかも知れない。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2008年8月22日 (金)

漂流する安保10

 シリーズとして続けた「漂流する安保」は6月16日まで続け、中断したままになっている。どう締めくくるか知恵が浮かばす放置しておいた感じだ。そこで前回は、以前カテゴリ「データ・年表」で作成しかかった「日米同盟年表」に手を入れながら考えてみた。

 前回記述したように、敗戦後の占領以来63年もの長期にわたり基地を提供し続け、講和後も安保という2国間条約のもと、独立国の憲法さえ侵害しかねない状況で放置されているというのは、世界的に見ても極めて異常なことである。

 最近では、日米安保体制というよりアメリカ依存(従属)体制こそ正常であり、それにそぐわない憲法が存在することが異常である、とい発想が右派政治家や自衛隊員などの中に多いことを知った。まことにうかつといえばうかつだが、そういった人たちに、ただ論理で護憲を訴えても徒労に終わる可能性が強いのである。

 このような変化がどのような経過から生まれてきたか、年表を見ると理解しやすい。仮に時の首相の名をつけて次のような時代区分を試みた。
 1期 吉田安保=1951年から10年(旧安保時代)
 2期 岸安保=1960年から36年(冷戦安保時代) 
 3期 橋本安保=1996年から6年(過渡期移行時代)
 4期 小泉安保=2001年から6年(向米改憲指向時代)

 吉田安保を改正した岸安保は、改定を経ず今もそのまま続いている。ところが実際の運用は、外箱をそのままにして中味そっくり入れ替え、国民生活や国民の利益に関することは、少しづつ目立たないように外堀を埋めてきているのだ。

 その最初のきっかけを作った時代が橋本安保の時代である。それは、冷戦終了により岸安保の役割が終結したことによる。ソ連を「潜在的脅威」とする記述が『防衛白書』から消えたのは、1990年の海部内閣時代であり、以後、宮沢細川村山内閣と続いたが、安保再構築への日本の動きはにぶいままだった。

 これを破ったのが、1995年米国防次官によるいわゆるナイ・リポートで、その要点は、「日本は、日本国憲法の制約に従いながら、もっぱら領土防衛とシーレーン1000海里防衛に当たり、他方アメリカは戦力投入と核抑止の責任を担ってきた。ただし、もっと重要な点は、この分担が地域全体の安全保障に貢献していることにある。日米同盟は、国際共同体すべての平和と安定の維持という広範な利益をもたらしているのである」となってている。

 1996年4月の橋本-クリントン首脳会談で合意した「日米安保共同宣言-21世紀に向けての同盟」は、これを受けたもので、翌年9月に「日米防衛協力のための指針」、いわゆる「新・ガイドライン」の合意を見、日米安保の性格を全く違うものにすることに成功したのである。

 しかし、これを機能させるためには国内法の整備が必要で、周辺事態法などが北朝鮮のテポドン打ち上げや、不審船追跡事件などの緊張を背景に小渕首相時代に特例法として整備を始めた。しかし、この段階ではまだアフガン、イランの問題は起きていない。

 橋本安保で中味がすり変えられた意義と、その後の影響は、極めて大きい。しかし、まだ歯止めとしての平和憲法の存在を軽視するようなことはなかった。この意味から次の小泉安保へのシフトは、それまでの傾向を継承したとしても大きな違いがあり「過渡期移行時代」と位置づけた。

 以下次回。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2008年6月16日 (月)

漂流する安保 9

 1858年(安政5)、大老・井伊直弼は勅許のないまま、米英仏露蘭の5カ国と修好通商条約を結んだ。関税自主権がないほか、条約国民が犯罪を犯しても日本に裁判権がなく、いわゆる「治外法権」を認めた不平等条約である。

 明治政府は独立国としての威信を確保するためこの撤廃をめざして尽力、1894年(明治27)、日清戦争直前に妥結した「日英通商航海条約」調印により、36年ぶりの念願を果たした。米駐留軍の治外法権的特権は、戦後の占領時、旧安保の日米行政協定、新安保の地位協定と続いて、今年ですでに63年、政府はまだまだ続けるつもりである。

 アメリカがイラクとこの夏に締結を目指している安全保障協定(日米安保に相当)に関し、イラクのマリキ首相は、アメリカ側が米兵だけでなく米軍と契約する民間会社の社員にも刑事免責を要求、さらに△米軍のイラク人逮捕権△イラク政府の許可を必要としない軍事行動△領空、水資源の支配権などの要求があることに対し、断固拒絶すると言明しいてる(毎日新聞6/15)。

 アメリカ側が、交渉テクニックとしてふっかけている点もうかがえるが、「主権侵害」や「長期駐留」に対するイラク国民の反感を全く意に介さない提案だ。駐留軍の特権を維持しないと「士気」にかかわるといい、他国との契約上のバランスを主張する。

 「士気」とは何だろう。躊躇なく人を殺せる気概か、特権で優越感を持たせるための他国民蔑視政策か、そのようにしないと、志願兵を集められないということなのか。そんな「世界の警察官」などにいてほしい国はない。一方、ブッシュ大統領は、イランがウラン濃縮停止の見返りを拒否したことについて、「イラン国民は国際社会から一層孤立する」と次の標的に警告する。

 しかしイランは、イラクの現政権と連携する動きがあったり、日本人人質解放で、民俗・宗教上の対立が深かったパキスタン政権と水面下で協力しあったり、同様に革命以来疎遠だったサウジなど湾岸諸国と交流するなど、以前のような対立を前面に出す政策はとっていない。

 パレスチナでも、過激派ハマスと穏健派ファタ派の和解を進めようとする国際的な動きの中で、イスラエルに影響力を行使し得ないアメリカの方にむしろ孤立感がただよう。西欧各国をはじめ、アメリカ国民でさえイラク派兵に疑念を抱き距離を置くようになったことに、ブッシュはどれほど気づいているのだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (4)

2008年6月10日 (火)

漂流する「安保」8

 遅々として進まないこのシリーズではあるが、その理由はある。半世紀前の諸条件下で締結した骨董品条約なのに、見直されたことがない。旧安保から引き継いでいる、憲法9条との相性の悪さ、米軍基地存在による負担の問題、さらに国権を侵害されかねない地位協定や行動範囲の不安を内在させたままで、アメリカの方針に盲従せざるを得ない日本の国際感覚の貧弱さである。

 さらに、それを複雑にし増幅させているのがアメリカ外交の二面性、プラグマチズム、あるいは変わり身の早さと、逆にアメリカの価値観、自由主義や宗教、原理・原則に固執し、妥協を拒む頑固さを共有させていることである。

 したがって、条約の中味、場合によっては双方で交わした交換公文でさえ意味を為さないような部分があるからだ。文書の解釈は、最終的に力関係で決まる。持たざるものは、それなりに知恵と努力でそれを補おうとする。アメリカに追随することだけが力の源泉だと信ずる政権が最近まで存在したことは、日本にとってまことに不幸なことだった。

 改めて安保条約を見てみよう。「国際連合」「国際連合憲章」「個別的又は集団的自衛」あるいは、それらを包括する意味での「国際」と言う言葉が、前文で4回、第1条で6回、第2条で2回、第3条で1回、第4条で1回、第5条で3回、第6条で1回、第7条で2回、第10条で1回、都合21回もでてくる。まるで国連憲章の付属文書のようだ。

 アメリカが国連をどうとらえるかは、国連がアメリカの支配下にある(U.N.under U.S.)と、国連とアメリカが敵対関係にある(U.S.versus U.N.)両方があり、それは時と場合により「それぞれに正しい」(最上敏樹『国連とアメリカ』)ということである。

 しかし、最初からそうだったわけではない。西崎文子『アメリカ外交とは何か』によると、国連憲章の書き出し部分「われら連合国の人民は(We the peoples of the United Nathions)」の「Nathions」を「States」と書き換えれば、そのままアメリカ憲法と同じになるというほどの入れ込みようで、「アメリカ社会が国連に寄せた夢と自信とを物語っていた」という。

 それから15年、東西の対立は決定的になり、冷戦たけなわの時代になって日米安保改定交渉が始まった。アメリカは国連での正統な地位を確保するため、日本が中立的立場に立つことを極力防がなければならなかった。そのため、日本の要求を最低限くみ取る努力をし、条文で国連憲章をフル活用させることになったのだろう。
 
 ブッシュ政権下では、国連をしばしば無視して事務局長を嘆かせ、また敵対関係なったことも多かった。アメリカは国連がなくても、集団的自衛権で同調してくれる国があれば何でもできると思っていたのだ。その反面、同盟国のために、米軍を同盟国の指揮下に入れるようなことは、アメリカの理念に背くこととして頑迷にこれを避けている。

 アメリカはそれが国連であっても、アメリカの支配下になければ拘束されずに行動するという、つまりunderであると同時にversusである関係が常態化している。この点、小沢民主党代表の「国連決議があれば海外派兵に道を」というのは、時代錯誤かご都合主義としか見えないのである。

 アメリカの外交は歴代「単独主義」と「孤立主義」の繰り返しである。これから展開される大統領選の結果、従来路線の大幅変更がないとはいえない、というより大きな転換がはかられると見た方がいいだろう。日本はこういったアメリカの大きく変わる点と変わらない点を見極め、安保をどうこの先どう導くか、遅れをとらないで主導権を得るための剣が峰にさしかかっている。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2008年6月 6日 (金)

漂流する「安保」7

 ようやく今回で現行安保条約の中味に入る。旧安保との違いや、その本質をさぐってみたい。まず、名前が変わった。前は、日本国とアメリカ合衆国との間の「安全保障条約」、今度は「相互協力及び安全保障条約」である。

 これはスンナリ決まったが、アメリカ側は頭の片隅に軍事を置き「決して片務条約ではないよ」という国内向けのアナウンスがあり、日本側は、軍事というより経済も含めた幅広い条約、として国内の反対運動の過熱を抑えたい思惑があったようにもとれる。

 その経済条項は第2条にあるが、問題となるのは第3条である。
     第3条 締結国は、個別的に及び相互に協
        力して、継続的かつ効果的な自助及び相互
        援助により、武力攻撃に抵抗するそれぞれの
        能力を、憲法上の規定に従うことを条件とし
        て、維持し発展させる。

 これはうっかり読みすごしてしまいそうだが、アメリカの上院がおこなったいわゆるバンデンバーグ決議(1948)を下敷きにしている。その意味は、条約を結ぶ国は自ら国を守る能力を養成し、その上で協力・援助しながら双方の防衛力を高めるのでなければ、その条約は無効であるとする、という決議である。

 したがって、NATO条約、米韓条約など同種の相互防衛条約にもこの条文が入っている。最後に「憲法上の規定に従うことを条件として」という文言があるが、前文に「個別自衛権」「集団的自衛権」という国連憲章にある権利を認め合っていることから見ると、明らかに日本国憲法9条との間に矛盾がある。

 日本にその能力も意思もないと判断を下すのは、アメリカの上院である。そうなれば、そのあとの条項にある防衛義務、協力義務なども無効ということになる。このような決議がなされたのが、冷戦まさにたけなわになろうとしていた時期であることを思い起こせば理解できるだろう。アメリカは無条件で日本を守ってくれるわけではない。

 第5条は日本の領域に対する攻撃に双方が共同して対処することを宣言している。旧安保では米軍の駐留を認めただけで防衛義務までうたっていなかった。日本国内の「内乱鎮圧」と「外部からの武力攻撃」に寄与するために駐留軍を使用することができる、という範囲にとどまっていた。

 旧安保もそうだが、新安保も問題は駐留米軍配備の目的である。いずれも日本領域の安全以外に「極東における国際の平和及び安全の維持に寄与する」とあり、日本と関係のないことにも使う権利があることを忘れてはならない。ベトナムであろうが中東であろうが、日本の基地から作戦行動を起こせるということである。

 これには、条約とは別の「事前協議」の取りきめもあるが、核兵器搭載艦の日本立ち寄りなどを見てもわかるとおり、軍事機密や両国の力関係でしばしば空文化されていることは周知の通りである。以上のほか、基地問題の根底に横たわる旧安保の「行政協定」、新安保の「地位協定」による特権付与、あるいは、対象地域の「極東」をさらに拡大していく過程があるが、これらについては項を改めることにしたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年5月28日 (水)

漂流する「安保」6

 60年安保をどう評価するかはたしかにむつかしい。現在、安保に肯定的な陣営も否定的な陣営も、締結当時の姿勢そのままで思考停止の状態にある。すなわち、同様な同盟関係にあるヨーロッパ各国は、対米関係で比較的フリーハンドを持つように見えるのに対し、日本は全く硬直的である。

 ヨーロッパは、ベルリンの壁崩壊という身近な体験から東西対立を過去のものとし、EUやNATOなどを構成する多くの国の中の1国という立場でアメリカに対応している。また、38度線という厳しい対立を背負ってきた韓国も決して平板ではなく、独自の位置づけをしている。

 これに対して日本は、東西対立といっても想像の範囲を超えるものではなく、アメリカ従属で安逸をむさぼってきた。これは左翼陣営とて同然である。また、北朝鮮の拉致問題に対する国民感情というのも、こういったことから国際的な理解を得ることを困難にしている。

 アメリカの大統領選の行方は不透明ながら、「9.11シンドローム」そしてパックス・アメリカーナ(米国独占支配)の終焉は間もないだろう。半世紀の間にこういった3段階の変化を迎えようとしているとき、いまだに東西対立の夢から抜け出せない、特に最も先駆的であるべき若い世代に少なくないのが問題だ。

 アメリカは日本が共産化することを恐れた。現安保はその「あかし」の意味であり、どんな場合でも自らの犠牲をいとわず、日本を守る「お友達の義理」などはない。それを自覚している政治家・国民はどれほどいるだろうか。

 太平洋をはさんだ隣国であるアメリカとは、当然仲良くしなければならない。孤立するアメリカは決して日本にとって利益ではないし、日米同盟を解消する理由もない。しかし、自衛隊活動の違憲状態を解消するために、今というか、これから為すべきことは、日米対等の立場に立った思い切った戦略目標見直しをすることである。そうすることで、ようやく60年安保の評価が定まってくる。

 その交渉のパワーを得るためには、岸首相がかつてそうしたように東南アジアへの影響力拡大、これからは、日中韓の緊密な連携を確保し、世界で軍縮、環境などに主導的役割を果たすことである。もはや札びらをふりまわす経済力の時代は終わった。そして最後まで残されている利器が、9条を持つ「日本国憲法」であることを忘れないことである。

| | コメント (5) | トラックバック (2)

2008年5月15日 (木)

漂流する「安保」5

 60年安保の頃と現在の保守系政治家の間では、外交感覚に大きな違いがあるように見える。私は当時、安保そのものはともかく、岸首相が強引な国会運営を指揮し、戦後国民が手にした民主主義を破壊するという危機感からデモの後尾についた口であった。

 国会の混乱は、衆参ねじれ現象で3度も再議決をくりかえす今の方がひどいかも知れない。しかし、岸首相があえて強行突破をはかったのは、困難な日米交渉をのりこえ、今こそ妥結させる潮どき、とみたからではないか。昨今の国会混乱は、外国でもない国民でもない、全く政治家のみの責任である。

 ソ連崩壊で、保守陣営にとっては「結果オーライ」になったが、岸としては日本の国際的地位向上と国益確保のため渾身の力を振るったにちがいない。外交交渉の現場は見ることができない。しかし、アメリカ外交は長い歴史の中で、いつも国益を最優先させ、時には強硬に、時には柔軟に対処してきたことが知られている。

 岸には戦前からのキャリアがある。日本の国益とアメリカの国益が一致しないことは当然わきまえている。しかし、対等であることを前面にだして、主張すべきことは主張するのが外交であるという信念もあっただろう。前回は、条約に有効期限を設ける主張をしたことを例に挙げ、「無期占領ではない」という意思を示したことを言った。

 政治家の日米関係のありかたが大きくかわったのは、なぜかソ連崩壊後である。2強時代が終わってアメリカ一極支配の時代が来たので、世界の帝王にひれ伏すのが国益と考えたのだろうか。特に小泉政権以降それが顕著になった。

 日米安保の軍事同盟的色彩をぼやかすのが政府の方針だった。だから「日米同盟」という言葉は反対派の方で使っていたのだ。それを逆に「日米同盟」を強調、マスコミまでそれに乗ってこっちの方が一般に通用するようになった。北朝鮮の脅威まで持ち出す情報操作のこわさがある。

 それから、関岡英之氏の『拒否できない日本』を引くまでもなく、アメリカから日本政府あて「年次改革要望書」などという指図がましいレポートのあることもわかった。そして、安倍内閣に至るまで「アメリカと共通の価値観」などと、あたかも両国の国益が完全に一致するような姿勢さえ示すようになった。

 憲法改正に執念を燃やした安倍前首相は、祖父の遺志を継ぐつもりだったかも知れないが、根っこの部分の違いをどれほど認識していたか、はなはだ心許ないと言わざるを得ない。アメリカの一極支配構造はすでにかげりを見せている。これを先取りするような政治家を期待するのは、果たして無理なのだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2008年5月10日 (土)

漂流する「安保」4

 このシリーズの3を書いてから半月近く間をあけてしまった。続けて書いた方が見ていただけるような気がするのだが、現・安保条約へのステップには非常に奥深い物があり、無手勝流の当ブログで簡単に要約するには手に余る問題だ。

 現在、安保を肯定する側も否定的に考える側も、単純に「日米同盟」と言うだけで、生まれる前から(祖父である岸総理の前で「安保、ハンタイ、安保、ハンタイ」とはしゃいだ幼児がこの前まで総理大臣だった)存在する与件、つまり、その出発点として議論の余地のないものという扱いを受けているように思える。

 岸が、駐留の事前協議を含め改定の3大要点とした中に、「条約の有効期限を定める」と言う1項があった。旧安保には期限が定めてない。つまり、国連がアメリカに変わって安全措置をとるまで、条約は無期限に有効ということになる。岸は、占領を無期限に続けるという印象になることを恐れていたのだ。

 米側は、これですらオーストラリアその他の各国との条約もそのようになっていることや、議会対策の困難などの理由をあげて当初は応じなかった。しかし、結果として10年の有効期間と、その後は1年の予告期間を置いて条約終了ができる旨変更された。

 岸は、旧安保を改定する理由に国連加盟と日本の国力アップをあげた。現在、その頃にくらべても比較にならないほど国際環境が変化しており日本の地位も高まっている。1970年を過ぎているので、38年前からいつでも安保の改定や終了通告ができるのだ。この点、岸の遺志が全然生かされていないことを、草葉の陰でどう思っているだろう。

 岸は、占領の継続とさして変わらない旧安保を、アメリカと対等な立場に立つ独立国にふさわしいものに改めるということに執念を燃やし、アメリカ国内の改定不要論に真正面から立ち向かって、現在の形のものにこぎつけたという功績者である。しかし、日本では歴史的ともいえる猛烈な締結阻止運動を受け、条約発効と同時に議会混乱の責任をとって岸内閣は総辞職せざるを得なかった。

 岸の戦後レジーム脱却(安倍のそれとは違う)の願いは、愛国的動機だったかも知れない。しかし、東西対立の中でアメリカが戦争をすれば、ただちに巻き込まれるという国民の恐怖心があったことと、岸が「いずれ自前の憲法を持ち、再軍備しなければ真の独立を達成できない」という考えの持ち主であり、開戦を決めた東条内閣の閣僚をつとめ、A級戦犯でもあったことから、「戦前回帰を目指すもの」として反対運動の火に油を注ぐことになったことも否めない。

 アメリカ側もそうだが、岸は当初議会承認に手間取る条約改正より、旧安保に付属させる協定を変更して条約改定と同じ効果を得ようと考えたことがあるようだ。つまり、官僚による手抜きである。しかし岸はあえて困難な途を選んだ。

 たしかに条約改定にはいろいろな困難が伴うことは事実である。そこで改定を棚上げしたまま、協定、共同宣言、指針、ガイドラインなどいろいろな形で安保を変容させ、自衛隊の憲法違反状況を作ってきたのだ。これも、岸の望んでいたこととかけはなれているように思えるのだが。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2008年4月26日 (土)

漂流する「安保」3

 短命の石橋政権ですでに副総理・外相の地位を得ていた岸信介が、病気で総辞職した石橋のあとを受け、1957年2月に首相の地位についた。彼はかねての懸案である占領下の延長線上にある安保条約の不平等性を改善するため、それまでの政治折衝の経過にはずみをつける意図を持って渡米、同年6月19日に始まる日米首脳会談にのぞんだ。

 その第1回会談でアイゼンハワー大統領に対し、安保改訂問題を次のように切り出す。(原彬久『日米関係の構図』NHKブックス)

 当時在米日本大使館参事官として岸訪米準備に当たっていた安川壮によれば、岸はアイゼンハワー大統領に向かって、「安保条約はあくまで維持する」として、議論の前提を確認したあと、次のようにのべている。
 「しかし情勢は変化している。その変化とは、第一に日本の自衛隊が安保締結当時に比べてある程度の力をつけたこと、第二に日本が国連に加盟したことである。この情勢変化に鑑みて安保条約を再検討したい。在日米軍基地の使用についてアメリカは日本と事前協議をすること、および条約の無期限になんらかの期限をつけることを中心に条約の再検討をしたい」(安川インタビュー)。

 これに対するアイゼンハワーの応答はきわめて簡潔であった。彼は具体的なことには一切ふれず、ただ一言次のように答える。「安保条約を再検討することに異論はない」(同インタービュー)。岸の安保改訂提案は、ここにアメリカ側から原則的な同意を得ることになるのである。

 岸の提案にこれまで否定的な態度に終始してきたダレス国務長官の意向にもかかわらず、アメリカ側に改訂の機運が根ざしてきたのは、マッカーサー駐日大使(GHQ最高司令官マッカーサー元帥の甥)の、日本人の中立化指向(東西対立に対する)が強く、岸首相をその方向に追いやることのないよう配慮する必要がある、というレポートの存在がある。

 また、岸自身もそういったことを十分意識しながら、交渉力の裏付けとして利用したことは想像にかたくない。現在、情勢の変化は岸の頃とは比較にならないほど大きい。また世界は急速な変化を遂げようとしている。その中で「日本が対等の立場に立つ」という岸の理念は、今やむしろ後退しているといっても過言ではないだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2008年4月21日 (月)

漂流する「安保」2

 前回は、昭和26年9月、講和条約締結と同時に(旧)日米安保が締結されたことを述べた。その前文と第一条を掲載しておいたが、①武装解除をした日本には安全保障上の空白が生ずるため、米軍が占領軍に変わってその役割になう。②それは、米軍基地の存続とともに、日本側の希望によるものである。という前置きで始まる。

 その一方で、まだ日本が加盟していない国連憲章を引き合いにだして、個別自衛権と集団的自衛権の存在をうたいあげ、日本に「攻撃的な脅威」とならず、かつ「国際連合憲章の目的及び原則に従って平和と安全を増進する」ことに寄与可能な軍備を漸増させることを、「要望」という形でうたっている。

 そして第一条で米軍基地の設置を認めるのである。その最大の問題点は、米軍基地の使用目的が「極東の平和と安全」ということで、日本に直接関係のないことにも使えること、さらに「外部からの武力攻撃に対する日本国の安全に寄与するために使用することができる」とあるように義務化されていないことである。

 また、内乱や騒じょうの鎮圧など内政への関与まで準備されていることは、ますます激化する冷戦の中で日本を含む極東アジアの赤化を防ぐということが日米安保の最大の眼目であったことを示す。そしてアメリカは条約締結後日本の軍備漸増を強圧的に迫り、昭和27年から29年にかけて警察予備隊→保安隊→自衛隊と肥大していく。

 自前の防衛力を高めたい、その一方でアメリカの軍事力依存を維持しておきたいと、いう日本の保守政治家の願望があったことは否めない。一方、それを巧みに利用しながら防衛予算増額への圧力を高め、折にふれ憲法や基地問題に対していらだちを見せるアメリカ――。それでいて、核武装やアメリカに匹敵するような他国攻撃能力を持つことには警戒心を持つ。

 この日米安保の構図、体質は60年(昭和35)に改訂された新安保を経て現在でも何ら変化していない。違う点はただひとつ、当時、吉田首相をはじめ岸首相に至るまで、この不平等な条件を改善し、国にとってより有利な結論を得るために外交上のつばぜり合いを繰り返していたということである。

 冷戦は終わった。共産主義の脅威はすでにない。革命の輸出もありえない。日本の経済力は世界第2位といわれるほどの域に達し、防衛費支出は世界で4~5位、突出したアメリカに次ぐ第2のグループに属し、第1級の防衛装備も保持するようになった。

 それなのにどうして旧安保の頃の政治家のように、アメリカと対等の立場に立とうとする意欲が見られないのだろうか。たしかに当時はアメリカが世界唯一の軍事大国ではなかった。日本も共産主義の脅威を逆手にとってものがいえた。 

ソ連崩壊を受けてアメリカは遂に世界を一極支配する軍事大国になった。国連すらも時により無視する行動をとった。日本は全面服従だけしか残された道がなかったのだろうか。アフガンやイラクの混乱の長期化、中東政策の手詰まりなどで、アメリカの単独行動主義は明らかに限界を見せ始めている。

 日本はアメリカとの同盟を解消する理由はないし、そのメリットもない。しかし現時点で、旧安保以来半世紀以上も続いている日米安保の構図と体質、いわゆる「安保体制」を見直し、新たに構築し直すことがあっていいのではないか。それは必ずしもアメリカが望まないことかどうか、友人としての日本のでかたひとつにかかっているはずだ。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2008年4月19日 (土)

漂流する「安保」1

 空自のイラクにおける活動に、名古屋高裁が違憲の判断を示した。これに保守政治家が危機感を抱き、自衛隊海外派遣に恒久法という煙幕で憲法を覆い隠したり、一旦遠のいたように見える安倍改憲路線を、政界再編をてこにもう一度新規巻き直しをはかろうとする動きが出てくるであろう。

 私は基本的に、現行憲法に手をつけるな、という考えは持っていない。しかし問題なのは、極右が目論む戦前路線復帰や、世界平和実現への先行的な指標でありかつわが国の財産でもある9条を、改変、後退させようとする分子によって目論まれることである。

 このブログでは、以前から「改憲」や「解釈改憲」を推し進める前に、現行日米安全保障条約の見直し再点検を先行させるべきだと主張してきた。それは、占領下→冷戦の進行→旧安保→新安保→高度成長→冷戦終結→地域紛争続発といった半世紀以上にわたる客観情勢の変化にかかわらず、米軍駐留権優先などのいわゆる「安保体制」を規定の事実のように憲法の上に置くのはおかしい、ということである。

 そこで、最初に旧安保の前文と第一条を復習してみることにする。この条約がサンフランシスコで締結されたのは、朝鮮戦争が休戦となって2カ月もたたない1951年9月8日であることを念頭においてほしい。前年の6月には北朝鮮軍が韓国になだれ込み、韓国政府は釜山まで後退、北九州に警戒警報が発令されるなど「また戦争か」とおそれおののいたものである。

日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約(旧安保)

 日本国は、本日連合国との平和条約に署名した。日本国は、武装を解除されているので、平和条約の効力発生の時において固有の自衛権を行使する有効な手段をもたない。

 無責任な軍国主義がまだ世界から駆逐されていないので、前記の状態にある日本国には危険がある。よって、日本国は、平和条約が日本国とアメリカ合衆国の間に効力を生ずるのと同時に効力を生ずべきアメリカ合衆国との安全保障条約を希望する。

 平和条約は、日本国が主権国として集団的安全保障取極を締結する権利を有することを承認し、さらに、国際連合憲章は、すべての国が個別的及び集団的自衛の固有の権利を有することを承認している。

 これらの権利の行使として、日本国はその防衛のための暫定措置として、日本国に対する武力攻撃を阻止するため日本国内及びその附近にアメリカ合衆国がその軍隊を維持することを希望する。

 アメリカ合衆国は、平和と安全のために、現在、若干の自国軍隊を日本国内及びその付近に維持する意思がある。但し、アメリカ合衆国は、日本国が、攻撃的な脅威となり又は国際連合憲章の目的及び原則に従って平和と安全を増進すること以外に用いられうべき軍備をもつことを常に避けつつ、直接及び間接の侵略に対する自国の防衛のため漸増的に自ら責任を負うことを期待する。

 よって、両国は、次のとおり協定した。

第一条 平和条約及びこの条約の効力発生と同時に、アメリカ合衆国の陸軍、空軍及び海軍を日本国内及びその付近に配備する権利を、日本国は、許与し、アメリカ合衆国は、これを受諾する。この軍隊は、極東における国際の平和と安全に寄与し、並びに、一又は二以上の外部の国による教唆又は干渉によって引き起された日本国における大規模の内乱及び騒じょうを鎮圧するため日本国政府の明示の要請に応じて与えられた援助を含めて、外部からの武力攻撃に対する日本国の安全に寄与するために使用することができる。
(以下略)

| | コメント (0) | トラックバック (1)