戦争責任

2016年12月 8日 (木)

オバマ、トランプ、真珠湾

 75年前の今日、日本は宣戦布告通知が米側に届かないままハワイ真珠湾の海軍基地を急襲した。これに関し、オバマ大統領と次期大統領になるトランプ氏は、それぞれ声明を発表した。(12/8毎日新聞・東京・夕刊)

 オバマ氏は「攻撃で2400人を超える米国の愛国者が命を失った」とし、犠牲者を追憶し、遺族らをたたえると表明した。

 そのうえで「(当時の)敵国が最も緊密な同盟国に変わった証左として、今月下旬に安倍晋三首相と戦艦アリゾナ記念館を訪れるのを楽しみにしている」と言及。「この歴史的な訪問は、和解の力と、75年前には想像できなかった同盟関係で結ばれた日米両国が、より安定した世界のために手を携えて働いていくことの証しとなる」と強調した。

 一方、トランプ氏は「(犠牲となった人たちが)分かち合った犠牲は、我々が享受している自由を守るために先人たちが支払った大きな代償を思い出させる」と指摘。「米国にとっての敵国は過去75年間で変わってきたが、レーガン大統領がかつて言った『平和を追求するには、勝利に代わるものはない』という事実は変わらない」と述べた。

 最後のトランプ氏の、レーガン大統領発言を引用した部分、戦争はいつも自国が正義で必ず勝つと思い込んでいるアメリカ――。塾頭の最も嫌いな面である。戦時中の日本そのまま、低レベルの俗論が支配して反省するところがない。

 今なお絶えることない戦火。アメリカがかかわっていないケースがどれだけあるだろうか。世界の警察官気取りはやめたのではなかったのか?。danger

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2016年8月15日 (月)

象徴天皇③

 8日に、天皇個人の思いという形で「おことば」が発表された。その核心は「既に80を越え、幸いに健康であるとは申せ、次第に進む身体の衰えを考慮する時、これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています」ということにつきる。

 ほかに、摂政制度の採用を疑問視したり葬送行事などの煩雑さに触れた部分があるが本筋からはずれた話だ。やはり、象徴天皇のありかたを追求し、信ずるところを完遂しなければならないという点に比重がかかっているように思う。

 マスコミは一斉に「天皇退位の意向がにじんでいる」と報じ、手早く「退位に賛成か、反対か」などというアンケートを実施し85%が賛成などという結果を示している。塾頭は、おことばの中で退位には一切触れていないことから、勝手に「日本国民の総意」などと解釈されるのではないかと、はなはだ危険を感じている。

 簡単に退位というが、それが法的、とくに憲法がらみで実現できそうにもないということは、天皇が一番よく知っているはずだ。それを承知の上で何故?という疑問がわく。ネット論壇の中で、参院選の結果などから安倍右傾化路線まっしぐらという状況に、天皇があえて一矢報いるハードルを設けたのではないかとする説がある。

 にわかに賛成しかねる憶測だが、今日の終戦記念日の戦没者慰霊式の安倍首相の式辞と、天皇のおことばには、大きな差があった。この差はもう2年連続のことだとされるが、安倍首相の戦争責任の回避へのこだわりが大きく国益を損じていることに、全国民は早く気が付いてほしい。

天皇:過去を顧み、深い反省とともに……
首相:歴史と謙虚に向き合い……

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2015年10月 1日 (木)

買ってしまった『正論』

 先月29日の記事「アメリカ石油生産トップに返り咲き」で、日本の「敗戦の原因は、原爆やソ連参戦ではなく、精神論だけで科学的判断が下せなかったを軍部の責任である。開戦の段階で充分予測できたことなのに、見通しもなく突っ込んでしまったからだ」と、石油輸入ゼロのもとでの無謀な戦争だつたことを書いた。

 そしたら、今朝の新聞の広告欄で、雑誌『正論』――大東亜戦争は無謀ではなかった、とあるのを見つけた。「おもしろそう!」。ほかにも保守系雑誌御常連”西”トリオ(中西輝政・西尾幹二・西部邁)そろい踏みで、安倍首相談話の内幕をつく記事もある。

 塾頭の本棚には中西、西部の2~30年前の単行本があるが、たしか「歴史修正主義」などという言葉がはやり出したころ買ったものだ。その後はとんと御無沙汰しており、ご高説は拝聴していなかった。それもあって、つい駅の本屋まで行って780円を払う破目になった。

 早速、「無謀ではなかった」論の石油関連部分を紹介する。まず、題字脇にはゴシックでこう書いてある。

 開戦決定は、合理的な計算と判断に基づいていた――。
 戦後に消し去られた「真実」を解き明かす

 その内容は、開戦直前の昭和16年11月15日に大本営政府連絡会議で決定された「対米英蘭蒋戦争終結に関する腹案」に依っており、著者である林千勝氏は「科学的で合理的な戦争戦略」と形容している。

 研究リーダーは秋丸次朗陸軍中佐で、秋丸機関とも呼ばれ、石油に関する部分は、同機関の報告書「独逸経済交戦力調査」から抜粋している。以下それを引用する。

「(前略)持たざる国が最後の勝利を得る為には(中略)不足する生産力素材の確保を目指す」こと、「軍事行動によって占領した敵国領土の生産力をも利用し得る」こと、そして「長期化されれば、同盟国、友邦、更には占領地を打って一丸とする広域経済圏の確立も次第に可能となり、この広域経済圏の生産力が対長期戦の経済抗戦力として利用され得る」ことを明示します。日本にとり広域経済圏は大東亜共栄圏です。

 実際、蘭領東印度の獲得で石油は当初計画をはるかに上回る量を数年に亘り確保できました。だから連合艦隊は大海原を大いに動けたのです。以上は秋丸機関の報告書「独逸経済交戦力調査」(昭和十六年七月)に明記されています。

 戦争が起きた後のことを、起きる前の報告書に明記されている、というのはナンセンスで編集上の手違いかも知れない。事実は、翌年度が10,524千bℓが南方から送られ予想を上回ったが、19年度は半減、20年度はゼロになった。

 連合艦隊が大いに動けなくなり、輸送路の制海権・制空権が奪われ、船の多くが撃沈されたためだ。つまり、上記の報告自体、タラ、レバの多い希望的観測で、科学的でも合理的でもないお粗末な図上作戦であったことが、史実で証明されている。「消し去られた真実」とは、有力学者も参加していたということらしいが、本質的な問題ではない。

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2015年8月15日 (土)

「安倍談話」

 人間というのは、ここまで心にもない事を言えるものかと、思わず首相の顔を見つめてしまった。戦後70年の首相談話、こんなものは出さないでおくのが一番良かったのではないかというのが塾頭の結論である。

 この内容をほかの人が言ったら、自虐史観、東京裁判史観、反日、ブサヨなどと、幼稚な安倍首相信者からあらん限りの悪態をつかれただろう。立場上そこまで踏み込めない応援団の産経新聞や櫻井よしこ氏などは、評価し支持する立場だ。

 安保法案に反対するマスコミは概して批判的なトーン。しかし賛否いずれも用語がどうの、主語がどうの、村山談話と比較してどうのという枝葉末節の話ばかりで全体としては、庶民に判断のしようがないものだ。

 困っているのは中国・韓国も同様、公式の反応を示すのに時間がかかっているようだ。喜んでいる人がいるとすれば公明党の山口さんぐらいだろう。両方に顔を立て、党や創価学会内部の離反を避けられそうになったからだ。

 当塾で安倍路線について「潮目がかわりつつある」と書いたのは6月11日だが、安倍首相の談話にそれを押し戻す意図があったとすれば半ば成功かもしれない。その一方で、談話が「戦後レジームの脱却」の方針を放棄した宣言ともとれるのだ。

 憲法学者の大部分が集団的自衛権行使の憲法違反を指摘した事実は重い。これを公明党や野党がどう処理するか、凋落を続ける内閣支持率がどう動くか。そう大きな変化はない、と見るが、国民の戦いの正念場は8月15日が終わってからだ。

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2014年8月27日 (水)

「性奴隷」伝説

 縄文時代に見る豊富な女性土偶、天皇の始祖になる伝説の天照大神、魏書にしるされた倭国の女王・卑弥呼などなど。紫式部も和泉式部もどうしてどうして。まさに「女ならでは夜の明けぬ国」、「原始、女性は太陽だった」日本の国だ。

 女性の地位が低くなったのは中国、朝鮮伝来の儒教による影響が大。それでも、夜明け前の日本に来てその文化や言語を研究したヘボンなどは、日本の女性が軽視されていると思うのは偏見、と喝破した。

 その下地は明治以降も脈々と続いていたが、女性参政権が認められたのは戦後になってから。しかし、その少し前まで男性も一定額以上の納税がなければ、選挙権もなかった。人権保護も考慮に入れた公娼制度が廃止されたのも戦後しばらくたってからだ。それでも韓国で妓生(キーセン)外交などといわれた時期よりは早かった。それが、歴史だ。

 「性奴隷」などあるはずがない。あったとすれば、日本の法秩序の及ばない、軍隊がすべてを支配する最前線。そこは殺人を日常とする狂気の世界だ。自由も人の尊厳もすべて禁止。何があっても不思議ではない。つまり「戦争犯罪」の巣だったのだ。

 先の戦争による戦争犯罪は、アメリカにもソ連にもある。また、被害者は日本人、朝鮮人、中国人、東南アジア等すべての戦地に及ぶ。関係した犯罪者として、軍事裁判で裁かれ刑に服したのは、証拠を突きつけられた敗戦国の日本人だけである。負ける戦争を始め、やけくその戦争犯罪に走ったのは誰か。

 その戦争犯罪者を、靖国神社は神に祀って顕彰した。そこへ総理大臣が公式参拝をする。それはやはり、まずいんじゃないか。非業の死を遂げた日本人被害者の遺族としても許せない。天皇も参拝したくないというのは道理にかなう。

 朝鮮人を怒らせて戦争に支障をきたすことのないようにするのが当時の政策だ。それに反した慰安婦強制連行の新証拠がでることは、多分ないだろう。河野談話の「総じて本人の意思に反し」というのが当たらずといえども遠からずの表現だ。

 詫びなくてはならないのは、朝鮮人に大きな傷を残した戦争犯罪だ。そういった区別やけじめを、右も左もリベラル、そしてマスコミもあいまいにしたまま。 「河野談話は変えない」。菅官房長官……さすがは苦労人。「河野談話にかわる新談話を」。高市早苗……やけぼっくりに火をつける女国賊。この問題、そろそろお開きにしませんか?――。

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2014年7月12日 (土)

潮目の第一次大戦

 歴史の流れが変わる、世の中ががらっと変る、それを革命というか維新というか、言いかたはどうあろうと、明治維新、戦争そして敗戦、これが日本の近現代史において大きな画期であることを疑う者はいない。

 今年は第一次世界大戦勃発から100年目にあたる。ヨーロッパではこれを大きな節目として扱っているようだが、日本やアメリカではこれにスポットを当てているような動きはあまりない。ことに日本が参戦国であるにもかかわらず、日清・日露戦争以上に扱われることはまずない。今放映中の朝ドラ「花子とアン」でも触れずじまいのようだ。

 中国や韓国がいう「歴史認識」の歴史はいつからのことを指すのであろうか。中国は東シナ海や南シナ海に清や明といった国民国家成立以前の話を持ち出して自国だけに通用するルールを押し付けようとしている。

 国際関係をそれで律しようというのは、どこの国から相手にされない空論だと思われても仕方がないだろう。これがイスラエルやパレスチナの話になれば、全く解決のつけようのないものになってしまい世界は大混乱におちいる。力だけがそれを解決する手立てだと考えるのは、残念ながら為政者だけでなく、それぞれの国民もそれを支える力になっている。

 中国のことだけではない。安倍首相のいう抑止力も、中国の圧力も本質は同じで、超大国をはじめテロリストにまである。そこで、どこかで折り合いをつけなければならなくなり、それが歴史認識の共有という作業につながる。

 前置きが長くなったが、歴史認識は国際紛争の原因となった直近のことを当事国双方で深化させなくてはならないということで、遠い昔にまでさかのぼってあら探しをすることではない。そして、A国がB国に対してということでもない。

 自国だけを「美しい国」とするナショナリズムも、戦後レジュームの脱却などという逃げもそういった作業の邪魔をし、人類の永遠の平和に水を差すものでしかない。もちろん、戦争責任を雲散霧消させようなどという、歴史修正主義があってはならない。

 塾頭は、この歴史認識について、第一次世界大戦後を対象にすべきだと思っている。これは、当塾で下記に示すようにたびたび触れてきたが断片的でまとまりを欠き、またそういった論文をものする能力もないので、第一次世界大戦年表を計画してみた。

 その前に、このような区切りをつけることの、理由とその意義を述べておきたい。それは、世界的には帝国主義的植民地主義が抑制される方向がはっきりしてきたのに、第一次世界大戦以降、出遅れた日本がその逆の方向をたどったことである。

 日本は、大日本帝国憲法が発布された時、またそれをさかのぼる征韓論や、砲艦外交で韓国の開国を迫った日韓修好条規をもって、帝国主義的植民地拡大時代に入ったとするのがこれまでの定説で、塾頭もかつてはそう思っていたし、本塾への懇切なご指摘もいただいた。

 しかし、いくつかの日韓関係史や個人の伝記、日記、外交史などを断片的にあたると、日本は幕末、アヘン戦争の結末に驚き、欧米列強やロシアからの攻撃や侵略をいかにかわすかに腐心していたことが想像される。

 そのための最大課題が「富国強兵」であり、「文明開化」、「自由民権」の確立、「国際法」遵守を国策とし、植民地化は防がなければならないもの、東亜をそこから守る必要があると感じても、列強の尻馬に乗るということは考えていなかったと思う。

 もちろんこれに反した国粋主義は、すでに吉田松陰の頃からあり、明治期にも福沢諭吉の脱亜論など、「東亜の盟主たらん」とする言論の存在は否定できない。しかし他国と戦って勝つ自信はまだなく、冒険主義への加担はすくなかった。

 もうひとつの理由は既に述べたとおり、いたずらに歴史を過去にさかのぼらせ、最近見られるように元寇や倭寇の頃まで議論しだすことなど、自由研究ならともかく、不毛の民族対抗意識を増幅させるだけで何の益もない愚行と言わざるを得ない。

 以後、次回の「第一次大戦年表」に移行する。

【関連する過去記事】
2014年1月 2日 (木)
「戦争責任」はいつから①
http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2014/01/post-c3d2.html
2014年1月 5日 (日)
「戦争責任」はいつから②
http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2014/01/post-551a.html
2013年12月30日 (月)
日清戦争と日韓併合
http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/post-2bec.html
2013年10月29日 (火)
「日本外交は野暮で間抜け?」
http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2013/10/post-2ac7.html
2014年2月 3日 (月)
明治から大正へ
http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/post-ff3f.html

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2014年1月24日 (金)

2世紀前の事をいうのはやめよう

 はじめにこれを見ていただきたい。(jijiドットコム

島根県は1日、日本と韓国が領有権を争う竹島を日本領と初めて記載したとみられる日本地図2枚を発見したと発表した。いずれも江戸時代中期の1760年代作成で、県は「歴史的にもわが国の領土という主張を補強するものだ」としている。

 中国は、尖閣について、台湾と同じ色で塗られた林子平の地図があるとか、明の時代に島名を期した文書があると主張している。竹島は現在あるそれを指しているという証明はなく、幕末には幕府が朝鮮領と記した文書があるなど、この時代の実効支配を示すものは何もない。

 まだ、国民国家が成立しておらず、国境の概念もない時代だ。互いにそんなことを競い、遠い過去にさかのぼって抗争の種にしても、得るものは何もない。不毛なレイシズムや幼稚なナショナリズムを掻き立てるだけだ。

 今年は第一次世界大戦開始100年目である。安倍首相もダボス会議の演説で、日中の現状をふまえ、大戦前の英独関係にふれた。やや的外れのきらいはあるが、近代史をよく勉強するのはいいことだ。

 100年前(大正3年)に世界で何が起き、どう変化したのか。ゆっくりした変化なのでありまともに取り上げられたことがない。日本も参戦したが、なぜ、どこで、誰とどう戦っていたのか。その結果どうなったのか、ほとんど知られていない。

 塾頭は、その翌年の対華12カ条要求をもって、日本の大陸侵略の第一歩とすべきだという主張を持っていた。それを、第一次大戦開始に改めたい。この問題は、かねて鋭いコメントを戴いていた「ちどりさま」との議論で、日清・日露戦争および富国強兵を目標とした明治政権が、”帝国主義的侵略”の意図を持っていたかどうかなどを記事にした。

2014年1月 5日 (日)
「戦争責任」はいつから②
http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2014/01/post-551a.html

2014年1月 2日 (木)
「戦争責任」はいつから①
http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2014/01/post-c3d2.html

2013年12月30日 (月)
日清戦争と日韓併合
http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/post-2bec.html

 塾頭の意見は、明治維新がアヘン戦争やアメリカをはじめ西欧列強の東亜進出・侵略に危機感を抱いたことから始まり、日清戦争は、不安定な朝鮮半島情勢を解消させたいということで始められ、すくなくとも東洋平和を願っても、侵略とか併合とかの目的はなかったということだ。

 「ちどりさま」から、日露戦争について質問され、改めて勉強し直してみた。その結果、外交、安全保障面では、依然としてロシアの南進、満州・朝鮮への野望には露骨なものがあり、気長な交渉で回避できた可能性はあるが、朝鮮内部も固まっておらず「自衛」の面が少なからずあった。

 しかし、日本政府、マスコミ、国民世論の中に、両戦争で多くの犠牲者を出しながら勝利したことや、依然として列強の利権・領土への野望が続いていることなどから、帝国主義的侵略への抵抗感が次第に麻痺し、列強に仲間入りする資格要件のような発想が巾を利かしはじめたのも事実だ。

 第一次大戦は、日英同盟の、それこそ「集団的自衛権」による英・艦船の保護という要請で始まった。日本は、清国が局外中立を宣言しており、英国が参戦要請を撤回したにもかかわらず山東半島に上陸、青島などドイツ租借地や利権の及ぶ範囲を占領する。

 駐英国大使出身で大隈重信内閣の外務大臣となった加藤孝明や長老の井上馨など、明らかに大陸進出の好機ととらえていたことが、諸史料に残っている。21カ条要求はこの線からでてきたことが明らかだ。

 戦争は4年後に終わり、パリ講和会議開催、国際連盟設立決定、ベルサイユ講和条約調印と続く。この間、西欧列強は国民を巻き込んだ戦争被害の大きさに愕然とし、植民地侵略競争への反省機運が高まる。

 軍縮、不戦への模索は昭和になっても続くが、日本は全く逆の方向へ走った。このあたりを後にA級戦犯として刑死した松岡洋介が、若き日の外交官として感じ取ったことは何だったのか。その発言は過去たびたび取り上げているが、そのひとつを改めて紹介しておきたい。

 
2013年10月29日 (火)「日本外交は野暮で間抜け?」
http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2013/10/post-2ac7.html

 日本はこの頃から道を誤まったのだ。そのことを無視して「美しい日本」とか「取り戻そう」などという権力者がのさばっている。この点の歴史認識は中国・韓国の言い分が正しい。また日本の中にでもそういった修正主義を批判する勢力が多かった。

 これが今危機的状況に陥っているのは、それぞれの国家権力に100%の責任がある。お互いに2世紀以上も前のことをほじくり合うことをやめ、「善隣国宝」の実をあげる為政者を、民衆の力で実現させようではないか。

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2014年1月 5日 (日)

「戦争責任」はいつから②

 前回、明治時代が文明開化、自由民権、富国強兵などバラエティーに富んだ国論の中で、隣の朝鮮情勢の緊迫を受け日清戦争がはじまったということを書きました。この戦争が帝国主義的な侵略戦争であるかどうかがまず問題になりました。

 そういった目的で開始した戦争ではないという点では、ちどり さまと意見の一致を見ました。ただ、ちどり さまは、明治政府に「その気がなかったとはいいきれないだろう」といいます。これにも賛成します。

 折から国会で激しい攻撃にさらされていた政府は、開戦により国民の耳目を集めることで、これを乗り切ろうとしたようにも見えます。また、仕掛けたのは日本、という清国・朝鮮側の主張に無視できない点が多々あるでしょう。

 日清戦争開戦時にはなかった朝鮮植民地化の発想が、どうしてに日韓合併という結果になったのでしょうか。また、ちどり さまからは「日清戦争はともかく日露戦争は帝国主義戦争ではないか」というご指摘もあります。

 帝国主義が「後進国を軍事的圧力で支配し、鉱業権、鉄道敷設権、市場独占、植民、治外法権などで相手国の主権を侵害し利益をえよう」という意味なら、日露戦争はむしろそれを排除しようという自衛的な意味の方が強かったと思います。

 日本が明治時代列強と肩を並べたい、と思っていたにしろ、帝国主義国として他国を蹂躙支配したいと思っていたとは考えられません。台湾奪取がその第一歩と考えられなくもありませんが、当初からの目的ではなく、賠償という結果論でしょう。

 天皇を隠れ蓑として大陸から南方に至る国々を版図に入れようとする粗暴な野心を抱く人が、当時いなかったとは言えませんが、それが表面にでてくるのは、中国への12カ条要求以後のことと考えています。

 もう一度話をもとに戻しましょう。現在「戦争責任」問題で軋轢を呼んでいるのは中国・韓国が主です。彼らは日清戦争に言及しても日露戦争を問題にしていません。香港はアヘン戦争で1842年に清国がイギリスに割譲し、返還が実現したのは100年以上もたった最近のことです。

 1900年には、義和団鎮圧のため英仏露米伊日等連合8国の軍隊が北京に攻め込みました。その後各国軍は協定に基づき撤退するのですが、ロシアは満州を占領したり旅順に砲台を設けるなど、露骨な南下政策を隠すことなく、日露戦争の一因になりました。

 
 こういったことが、今になって責任を問われるなどということはありません。日露戦争後、韓国宮廷の行動に不安を持った日本政府は、外交権や財政運営などの移譲を盛り込んだ協定を強引に結ばせ、実質的に属国化しました。宮廷側は1907年のハーグ万国平和会議で、日本に抗議するために派遣した密使が門前払いになります。この地域の安定確保のためには、日本がとった方針もやむを得ないという共通認識が各国にあったようです。

 このころまで、日本は比較的行儀のいい国と見なされていたようです(朝鮮の閔妃暗殺への関与など例外もありますが)。当時朝鮮の統監になっていた伊藤博文元首相がハルビンで安重根に射殺されたのは1909年10月26日で、その後1年もたたない翌年8月22日に日韓併合が決まりました。

 その間、朝鮮は大韓帝国と国名を変えましたが、併合に至る過程で韓国側が原因を作ったようなことがないのか、併合後独立復帰の可能性なかったのかなど検討してみる価値はあると思います。日韓で議論すれば大きな差が生ずると思いますが、それは両論併記すればいいので追及とか謝罪を云々する性格のものではないと思います。

 また、尖閣諸島の問題は日清戦争後に「日本盗み取った」という中国がわの主張になっています。これも侵略の一環かどうか双方の史料で検証すべきでしょう。日本が侵略国家として変貌するのは、1914年(大正3)の第2次世界大戦後というのが塾頭の主張ですが不当でしょうか。

 帝国主義戦争が大きく反省期に向かう中で、日本は他国もやっていたことだからといって逆の方向に進み始めました。次のようなさまざまな社会現象が、国民の意識に微妙な影響を与えたことも否めません。

 ①日清、特に日露戦争における日本兵の甚大な犠牲に見合う代償が必要と考えた。
 ②三国干渉、海軍軍縮、人種差別など列強の横暴は続いていくとみた。
 ③ロシア革命や中国辛亥革命の影響と不安定化。
 ④大逆事件、大正デモクラシー、治安維持法制定などが与えた影響。
 ⑤米騒動、関東大震災、恐慌など不安の連鎖。

 そういった中で対華21カ条要求は1915年(大正4)にだされ、中国政府は一旦受入れたものの、かつてのロシア以上に過酷な条件となり、その他の国でも例を見ない理不尽なものでした。そのため、国民はそれを国恥記念日とし激しい反発を示します。1923年には中国全土で排日運動が激化し、21か条条約廃棄を通告するに至りました。

 このあとの関東軍による謀略、国際連盟脱退、満州事変から支那事変などの戦線拡大、そして連合国との大戦突入などご存知のとおりです。安倍首相の「侵略の定義は定まっていない」発言など、どこを押せばそんな言葉がでてくるのでしょうか。

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2013年5月14日 (火)

橋下発言効果

  日本維新の会の橋下徹共同代表が、13日午前、午後の2回にわたって記者団に語った歴史認識が大きく報道されている。投げかけられた質問は、村山談話と慰安婦問題で、発言要旨を比較的くわしい朝日の記事から拾って見る。

【村山談話関連】

.敗戦の結果として侵略だということはしっかりと受け止めないといけない。実際に多大な苦痛と損害を周辺諸国に与えたことも間違いない。反省とおわびはしなければいけない。

 侵略の定義がない、という安倍首相の発言を意識してか、侵略のあるなしは「勝てば官軍だろ」と正面衝突をさけた言い方だが、NHKでの高市早苗発言を後退させようという政府方針の援護射撃とも言えそうだ。しかし波紋を広げているのは慰安婦問題の方である。

【慰安婦問題】

日本は「レイプ国家」だと、国をあげて強制的に慰安婦を拉致し、職業に就かせたと世界は非難している。その点についてはやっぱり、違うところは違うと言わないといけない。意に反して慰安婦になってしまった方は、戦争の悲劇の結果でもある。戦争の責任は日本国にもある。心情をしっかりと理解して、優しく配慮していくことが必要だ。

 この部分については、塾頭は全く賛成なのである。その他の軍の制度としてこういった施設の存在を肯定する部分は、全く日本の恥の上塗りで、諸外国の反発を高めるだけでなく、橋下の評価をさげ、選挙で維新の会の女性票を多く逃がすことなるだろう。

 現在、国内に「姓奴隷」云々の言葉を含む市民団体があるようだが、これは、日本人・朝鮮人を問わず慰安婦であった多くの人の人権や尊厳を無視し軽蔑する言い方だ。花柳界の娼婦は、賤業と言われる反面、花魁高尾太夫ではないが非常にプライドが高いという観点が抜けている。

 戦時中の小説の中で、出典は忘れたが、「わたし、こんなところでのうのうとお茶をひいているくらいなら、お国のために戦っている兵隊さんのように志願して戦地へ行こうかしら……」というセリフがあったように記憶している。

 韓国でも、キーセン(妓生)と呼ばれる官女が存在し、日本よりはるかに古い伝統があった。従って日本以上にプライドの高い職業だったと思う。朴正煕大統領(現大統領の父)時代と記憶しているが、塾頭は韓国の経済紙の記者と懇談する機会があった。

 韓国は、外貨獲得にこのキーセンを最大限に活用し、キーセン外交とかキーセン観光といわれるほどになっているが、ほかに経済発展の妙手はないのか、という質問に対し、彼は困ったような顔で「計画はあるがまず国内の政治を安定させるのが第一」と答えたような気がする。

 日本の方が一歩先に売春禁止法を制定していたが、制度そのものは両国とも一種の文化だったのである。しかしそれが詐欺まがいの勧誘や強制連行で集めたものなら、当然犯罪であり、戦時中の朝鮮にそれがあったのなら、関与した業者や官憲は処罰される。

 塾頭は真相を知る由がない。当時小学生だった塾頭は、同級生にも多い朝鮮人に対し、差別や蔑視の言動をしてはいけないということを先生から強く指導されていた。戦争の緊迫により人的資源(いやな言葉だ)として、それまでなかった朝鮮人の徴兵・徴用を活発化するためだろう。

 そういった状況で、朝鮮人の反感を買う強制連行などが、国の政策として存在したとは考えられないのである。前述したとおり、塾頭は見たわけではない。この問題を「謝れば済む」と考えるのは浅薄で、いつまであっても「あった、なかった」で一致点はないだろう。

 橋下市長が言うように、そういった戦争犠牲者の存在は証拠がなくても否定はできない。日本人の中に、前にもまして戦争責任を否定する動きのが出てきたことは、靖国問題同様、外国に対してではなく国内で決着をつけなければならない問題だ。そんな議論の引き金になったとすれば、橋下氏の思惑とは違っても、最大の橋下発言効果だろう。

 最後に毎日新聞に載った識者の声で、現代史家秦郁彦さんの考えが塾頭にもっとも近いと思われるので引用しておく。

朝鮮戦争で韓国軍が慰安所を管理していたことは韓国陸軍の戦史にも書かれている。ベトナム戦争でも米軍が慰安所を利用しており、発言の事実関係はだいたいその通り。慰安所は兵士の性犯罪を防ぐ意味があった」と話した。その上で「こういう発言は専門家からよほど問題点を聞いた上で、きちんと説明しなければ誤解を招きかねない」と疑問も投げかけた

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2013年3月14日 (木)

小沢秘書裁判&天皇の出番

 今日のニュースとして、小沢一郎の秘書だった石川智裕など3人の高裁による有罪判決がある。小沢氏は昔から政策よりは政局、破壊力と離合集散、政治はカネといった体質がつきまとい好きになれなかった。

 しかし、結果として彼を追い落とす働きをした検察・マスコミなどに妥協することなく、「小沢氏には戦ってほしい」という記事を書いたのは3年以上前である。今回の判決批判は、ほかで多く取り上げられると思うので、結論だけいっておく。

 石川氏に西松建設が5000万円渡したという前提の判決だが、小沢裁判でも取り上げられず、陸山会政治資金不実記載共謀では無罪判決となった。全く逆の結果である。仮に前述のような事実があったとすれば、贈収賄事件として徹底追及すべきだった。

 今判決でいうように、それほど被告が「悪質」ならば執行猶予付き判決などあり得ない。議員を続けるなどとんでもない話になる。事件はますます国民の常識からはずれた方向に迷走を続けることになりそうだ。

 ここでさらに「小沢氏には戦ってほしい」というには、氏か現在おかれている立場があまりにも厳しく、彼の政治力は今まで以上の打撃を受けることになろう。

 今日考えていたテーマは、「主権回復の日」を画策する政権与党の歴史感覚のずれを攻撃する前エントリー「安倍首相の自虐史観」、「ばかげた記念行事」に続く第3弾である。それは、「独立」を祝う日でなく、昭和天皇がさきの戦争への責任をとって退位する最後のチャンスだったということである。

 天皇自身が戦争責任をとって退位を考えていたことは、ポツダム宣言受諾、新憲法施行、東京裁判終結時などいろいろあったと思われる。これは、マッカーサーとの最初の会談で自らの責任を認め、マッカーサーをいたく感激させたという話以外に戦後何度かあった話だ。

 田原総一郎なども天皇退位論に賛成していたが、たしか「講和を機に」といっていたような覚えがある。そうならなかったのは、保守政治家、宮内庁、それにアメリカの強い反対が続いていて機をのがしたということだろう。

 当時の皇太子・今上天皇は19歳、退位すれば後を継ぐことになり、無関心であったはずはない。また戦後の一連の天皇の立場や高松宮など皇室内のさまざまな議論も知っているはずだ。

 昭和天皇も20歳で摂政の地位についている。講和発効から皇室典範の改定整備、即位の礼、大嘗祭などを考えれば、その時点で退位の意向を発表、皇太子20歳もひとつのタイミングだったと思える。

 今上天皇は、これまでも自らの発言の中で、憲法尊重の意志をはっきりさせている。本人の意向にはかかわりなく、今回の「主権回復の日」への参列をことわることはできないだろう。昭和天皇は新憲法成立後も、わりあい政治的発言をタブー視していなかった。公的発言ではないが靖国神社のA級戦犯合祀に批判的で、天皇参拝がストップしている。

 今上天皇も、今度の行事でお言葉を求められたら、是非戦後から講和発効まで特に講和発効について、忌憚ない人間天皇として「歴史に残るおことば」を賜りたいものだ。

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