庶民の戦争責任9
ややためらいながら始めたこのシリーズも、一気呵成にやらないと中断しそうで、ついに9回を重ねました。終戦記念日や旧盆休みを前に、そろそろここらでケリをつけたいので、また最初の頃のように「です・ます」調に戻します。
「思想」という言葉を知ったのはやはり中学に入ってからです。勉強ができて文学が好きで物静かな男などに「彼は思想をもっている」と言う場合は、決まって悪い意味でした。なにしろ特高(特別高等警察)を「思想警察」といったり、「思想犯」があげられたりするわけですから、アンタッチャブルに越したことないよ、という含みがあります。
母達の井戸端会議にも、そういう「はれ物にさわるような」話題があったようです。警察に1日、2日留置され、嫌疑が晴れても「応召されたら危ない戦地に行かされ、帰ってこれない」なんていう話です。「あいつは思想がない」などというのが、さげすみの意味を持つようになったのは、戦後しばらくたってからです。
特高ができたのは、親たちが生まれた頃までさかのぼります。社会主義者・幸徳秋水らが明治天皇暗殺に関係ありという嫌疑で暗黒裁判にかけられ、死刑にされた1911年からスパイ養成なども任務に加えて活動をはじめました。
悪名高い治安維持法は1925年成立で、「国体ヲ変革シ、及ビ私有財産制度ヲ否認セントスル」結社および運動の禁止・処罰に根拠を与えました。「国体ヲ変革シ」というのは、あの人気の高い明治天皇を殺し、怨敵だったロシアにつながるソ連のような国にする、ということで、庶民にとってはコワい話だったのです。
さらに私有財産制度否認、これは共産主義者そのもののことで、「思想」→「反戦」→「天皇の軍隊否定」→「天皇制否定」→「テロ」→「共産主義者」という連想が庶民にはたらき、手のとどかないところ、手をつっこんではいけないところというという意識が働いていたと思います。
さて、結論を言いましょう。庶民の戦争責任をいうなら祖父母の時代までさかのぼらなければならなりません。だけど「こうしたから」「こうしなかったから」という理由で、さきの戦争責任を特定の世代に問うことはできません。
日本の過去の政治の仕組みから見て、庶民が政治、ことに戦争といった高度な統治行為に責任を果たせるような場面はなかったし、そのための情報も与えられていなかったということではないでしょうか。繰り返しになりますが、現在の常識・価値判断で過去の評価をすることはできない、また、それで責任の所在を拡散させてはいけないということです。
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