墨子と鳩山
鳩山首相のお祖母さん、つまり元首相・鳩山一郎さんの奥様は薫子(カオルコ)さんといいました。タイトルの墨子と似てますが間違って「スミコ」にしたのではありません。「ボクシ」と読んでください。中国の孔子・孟子と同時代の偉大な思想家をとりあげたかったのです。
それがどうして鳩山さんと関係があるのか、というのは最後にしましょう。孔子より若いとされていますが紀元前4,5百年前、春秋戦国時代の人です。孔孟の教えは「儒教」となり、中国から朝鮮そして日本でも長い間道徳規範として尊重され、文化にも大きな影響を与えました。
しかし、墨子にはそんな知名度がありません。その原因は、孔子がもっぱら王侯貴族を対象とした行政アドバイザーとして権力者の目線で語ることが多く、バイブルとなった儒教は科挙、つまり任官テストに欠かせないものとなったのです。
それに反し墨子は、庶民の感覚・目線で説かれており、権力者に迎合することなく孔子とも鋭く対立していました。孔孟ややはり同時代の孫子のように、書物にとりあげられることもすくなく、どちらかと言えば埋もれた存在だったと言えましょう。
孔子との対立点は、孔子が国家の秩序を保つ上で重視したのが礼法と音楽つまり「礼楽」で、墨子は「礼」のために宮廷の冗費が増え、人民はその負担に苦しんでいると批判しています。これに対し、墨子の思想の中心は「非攻」と「兼愛」の二つです。
「非攻」は、戦争が有害無益であること、そして「兼愛」は自分を愛するように人も愛さなければいけないということで、これを駒田信二著『墨子を読む』では、次のように関連づけています。
墨子はまず幸福な生活の根源は人々が互いにひとしく愛しあうことにあるとした。兼愛の説がそれである。愛の普遍を求めるならば当然平和を求める。そこから、侵略者を非とする非攻が主張された。兼愛の根拠として、墨子は主宰者としての天を認め、神の存在を認めた。そして、万物の主宰者として天があるように万民の主宰者としての君主を認め、天が万物を平等に育成するように君主が万民にひとしく福利をあたえることが、天の意志であり、神の心にそうことであると説いた。
兼愛→博愛→友愛。そっくりというより同じなのですね。鳩山さんは『墨子』を見て言ったわけではありません。祖父一郎さんがオーストリア・ハンガリー帝国の貴族で日本人の血も入っているクーデンホフ・カレルギー伯の著書『自由と人生』を読み、その中の「友愛革命」の精神に感銘したことがもとです。
鳩山首相の「友愛」を、中味のない甘っちょろいお坊ちゃん趣味などとけなす人が、いまだ有力者の中にもいます。残念ながら勉強が足りない人です。カレルギー伯は、第一次大戦、第二次大戦と欧州でもっとも悲惨な戦争を体験してきた人です。
そもそもヨーロッパは何世紀にもわたって戦争の惨禍を繰り返し、どうして戦争を断ち切るかに悩んできたところです。カレルギー伯の提案が現在のEUに発展してきたことは、このブログのカテゴリ「東アジア共同体」でも書いてきました。甘さではなく厳しさからなのです。
墨子も周が滅んでから300年も続いた群雄割拠の戦国時代の人です。甘っちょろくないから到達した信念でしょう。鳩山総理の心の中までのぞけませんが、こういった古典から学べることは少なくありません。中国では魯迅が取り上げた前例がありますが、現在こそ、中国人も日本人も墨子をより深く研究すべきだと思います。
| 固定リンク | コメント (4) | トラックバック (2)



最近のコメント