本当の兵法
パブリック・ディプロマシーという言葉は、ギリシャ・ローマ時代からある古い言葉らしいが、最近は各国の対外文化外交政策用語としてよく使われる。
中国では、紀元前5世紀頃の有名な兵書『孫氏』に、「戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり」とある。
これは、1年前の01/07に「中国の対日世論」と題した本塾記事の書き出しであるが、今日の毎日新聞コラム余禄には、コロナ禍対策として旧日本軍の兵法というべき「作戦要務令」を引用している。
「戦闘を実行するにあたり、所要に充(み)たざる兵力を逐次に使用するは、大なる過失に属す」(作戦要務令)と戒めている。逐次投入は主動の利を失わせ、むだに損害を招き、ついには軍隊の士気を挫折(ざせつ)させると説いているのだ。
ガダルカナル戦などで、強力な米軍に対し兵力を小出しにして次々に撃破された。中途半端な策を小出しにするのは兵法では禁物とされる。敗戦は、これに反する行動に走ったからだ。
孔孟の教えをはじめ、中国では古代戦国時代からこういった儒者の教えを尊び、諸侯は競って儒者を招き入れた。
日本に流入した文化もその線上で発展し、「作戦要務令」に生かされているのではなかろうか。
今回報じられているアメリカの大統領交代の混乱である。トランプ大統領が暴徒を仕掛けて議会に乱入させ、4人の死傷者を出したあげく、同志から離反者続出で敗北宣言をせざるを得なくなった。
やはり兵法を知らない文化で育ったのだ。アメリカ民主主義の底の浅さを暴露してしまった。
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