戦争とは

2009年11月26日 (木)

ハロー・ディア・エネミー

 右帯にある「お勧めバックナンバー」でも紹介しているが、当ブログで年間を通じコンスタントに検索検索を受け、多く閲覧される記事は「子どものための戦争の本」である。あいにく、その方に造詣が深いわけではなく、単に受け売りで紹介しているに過ぎないが、今回も以下の新聞記事を紹介し、上記エントリーに要旨を追記することにする。

---------(毎日新聞2009/11/25)
 平和と寛容をテーマにした国際絵本展「ハロー・ディア・エネミー!80作品展」(日本国際児童図書評議会=JBBY主催)の巡回展が、全国各地で開かれている。戦争や平和、差別や人権などについて親子で考える機会になりそうだ。【木村葉子】

 「ハロー・ディア・エネミー!」は「こんにちは、敵さん」という意味で、「平和な社会を築くためには、他人を理解し認め合う寛容な心が必要」という訴えが込められている。80作品は、ドイツのミュンヘン国際青少年図書館が選書したもので、欧米だけでなくカメルーンやコートジボワールなどの絵本もある。

 日本からは、「絵で読む 広島の原爆」(那須正幹文、西村繁男絵、福音館書店)や「サニーのおねがい 地雷ではなく花をください」(柳瀬房子文、葉祥明絵、自由国民社)、「二度と」(紙芝居、松井エイコ脚本・絵、童心社)など7作品が選ばれた。また「伸ちゃんのさんりんしゃ」(米国)、「かわいそうなぞう」(カナダ)のように日本原作で海外で出版された本や、広島で被爆した少女サダコの物語を伝えるインド、オーストラリアの作品もある。

 展示では80作品を網羅。38作品は国内で出版翻訳されている。会場によっては読み聞かせもしている。作品展実行委員で翻訳家の野坂悦子さんは「同じテーマでも絵や表現などそれぞれのお国柄が出ていて、読み比べると興味深い」と話す。

 巡回展は30日まで岐阜県で開催中。12月以降は長崎、兵庫、熊本、千葉、宮城の各県で開く予定。問い合わせはJBBY事務局(電話03・5228・0051、メールinfo@jbby.org)。
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2009年7月19日 (日)

子供のための戦争の本

 これは昨年8月にエントリーしたタイトルです。ここへヒットする検索が年間を通じて非常に多く、特に夏休みになるとそれが多くなるようです。“塾”にしては、不完全なものですが、毎日新聞記事などを参考に、前回分に加えてご紹介します。

①「日本児童文学者協会には「新しい戦争児童文学委員会」があって、さまざまな角度から、小学生・子供向けの戦争に関連する作品をとりまとめています。

 「おはなしのピースウオーク」は、公募作品と、あさのあつこさん・那須正幹さん・川北亮司さんら作家による短編や詩など40編6巻として08年1月に完結しました。また、女優の中嶋朋子さんらが朗読した8作品のCD(3枚組み)もあります。

 また、自治体によっては「こども図書館」などにそういった「特設コーナー」を設けているところがあると思いますので、照会されるといいと思います。

 本とCDの申し込み・問い合わせ先
  日本児童文学者協会電話番号
    03-3268-0691

②「子供の本・9条の会は昨春に設立され、▽「ちいさいモモちゃん」などで知られる作家の松谷みよ子さん▽「くまの子ウーフ」の神沢利子さん▽「おしいれのぼうけん」の古田足日さんらが代表をつとめています。

 このたび(09/7/15)、同会が企画した「9ゾウくん げんきかるた」¥1260が発売されました。読み札は大勢から寄せられたものの中から選び、絵札も絵本作家45に依頼しました。絵本のように楽しめるそうです。

かるたの問い合わせ
 ポプラ社
電話番号 03-3357-2212

コメントをいただいた方のご推薦です。
Kさんから――
こんにちは。私が子供のための反戦の本で思いつくのは、「かわいそうなぞう」です。
http://www.ehonnavi.net/ehon00.asp?no=140

小2の時、小学館の「小学2年生」の読み物として、「ぞうのトンキー」というタイトルで、上野動物園で起こった実話が掲載されていたのですが、初めて読んで、涙が止まりませんでした。
「かわいそうなぞう」として単行本が出たのは、もう少し大きくなってからですが、思い出しても泣けてくるので、もう一度読めといわれても読めないかもしれませんが・・・。
でも、一度は親子で読んでほしい本です。

Tさんから――
私が子供の頃読んで感動したのは、
「ゼロ戦~坂井中尉の記録」という本でした。
勇敢に戦った日本の将兵の真実を子供に
教えることは非常に重要だと思います。

是非、「新しい戦争児童文学委員会」には
この本を加えて欲しいものです。

トラックバックをいただいた方からのご推薦です。
世界一美しいぼくの村 [虹色オリハルコン]

私達日本人は、アフガニスタンというと、どんなイメージを持つでしょうか。荒涼としたほこりっぽい茶色の大地。武装した兵士たち。テレビで見るアフガンは、そんな負のイメージしか、わきません。しかし、もともと、アフガニスタンは緑も多く作物もたくさん採れた豊かな国だったのです。度重なるクーデターや、旧ソ連の進攻などによって、国土は荒廃し、食糧事情も悪化。内戦は全土に広がっていました。 せかいいち うつくしい ぼくの村 この絵本は、息子が幼いころいっしょに読んだ本です。作者の小林豊さんは、戦火... [続きを読む]

ロバート・ウェストールの本3冊[虹色オリハルコン]

「猫の帰還」「海辺の王国」「弟の戦争」http://blog.goo.ne.jp/hanamiduki87/e/07a742d3bd6ae2cf0227edb7ee5944e6」 この3冊は上のリンクで飛んでいただくと本の内容、解説、表紙の写真などがご覧になれます。

国際的選書・ハロー・ディア・エネミー作品

 「ハロー・ディア・エネミー」は「こんにちは、敵さん」という意味で、ドイツのミュンヘン国際青少年図書館が選書した80作品です。

日本の作品
・「絵で読む 広島の原爆」(那須正幹文、西村繁男絵、福音館書店)
・「サニーのおねがい 地雷ではなく花をください」(柳瀬房子文、葉祥明絵、自由国民社)
・「二度と」(紙芝居、松井エイコ脚本・絵、童心社)など7作品

日本原作で海外で出版されたもの
・「伸ちゃんのさんりんしゃ」(米国)
・「かわいそうなぞう」(カナダ)

広島で被爆した少女サダコの物語(インド、オーストラリア)

海外の作品
・「ハロー・ディア・エネミー!」(インゲ・シュタイネケ絵、グードルン・パウゼバンク文、桑田冨三子訳、くもん出版)☆川をはさんで青軍と赤軍がにらみあっていた。軍服を脱いだ両軍の兵士が川で出会うと、誰が敵か分からない。

・バスラの図書館員(ジャネット・ウィンター絵・文、長田弘訳、晶文社)☆イラクの図書館員は戦火から本を守ろうと、3万冊を友人の家やレストランなどにこっそり移動させた。

・ちいさなへいたい(パウル・ヴェルレプト絵と文、野坂悦子訳、朔北社)☆ある日、戦争は始まり、ぼくは軍隊にかりだされた。仲間は次々に死に、ぼくは恐ろしい出来事をたくさん見た。

・ゆらゆらばしのうえで(はたこうしろう絵、きむらゆういち文、福音館書店)☆ウサギを追うキツネ。2匹ともシーソーのように揺れる橋に乗ってしまう。揺れる橋の上で2匹は力を合わせる。

巡回作品展については、次のページをご覧下さい。
http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-1fab.html

お問い合わせ先
JBBY(日本国際児童図書評議会)事務局
(電話03・5228・0051、メールinfo@jbby.org

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2009年5月20日 (水)

入門編・戦争とは(番外)

 本ブログとしては初めてのことですが、投稿者moritaさまにおことわりして、いただいたコメント内容全文を掲載し、そのお答えを合わせてエントリーしたいと思います。その理由は、該当する記事が1年以上前のものであることと、moritaさまの投げかけられた疑問にお答えすることが本「塾」の本旨にかなうものと思ったからです。

 moritaさまのコメント

はじめまして、安全保障について調べていたら、ついこのページを見つけてしまいました。私はどちらかと言えば保守の人なので、
コメント書いてよいか考えましたが、
迷惑であれば削除お願いします。

まだ反戦塾の入門4までしか読んでないのですが、左派や護憲といわれる人が、安全保障について、どのようなお考えをもっているのだろう?そういう疑問にいつも突き当たるのです。

右派の論評はどちらかというとリアリズムを前提に論じています(おかしな論者も多いですけどね)。左派の論評は理想主義的価値観が強いと思うのです。

私は世界全体がそのように向かう事と、現実問題としての準備は別に考える必要があると考えます。

1についてですが、
戦争におけるメカニズムは 小説などの説はドラマ的要素が大きすぎて不適切なだと感じます。

2についてですが、
国際連合はともかく国際連盟は平和の為に作られたといえるでしょうか?

3についてですが、
歴史認識の違いは左派と右派では どうも違いすぎて、書ききれません。
ただ私が思うのは
・左派は現在を支点とし そこから過去と未来をみます。
・右派は過去を支点とし、その流れの中の現在であり未来を見ます。

4については
「希望は戦争」を私は読んでませんし、アメリカ非難は妥当だとは思いますので、特にありません。

一応、簡単ですが、感想です。

私は左派…護憲派の理想、つまり将来向かうべき指標として、それを掲げる事はすばらしいと思うのですが、現実問題部分の段階がいくつも飛び越えているように見えます。

左派の人たちが、右派の人の論理を抱合(説明)したものを構築できるのなら、私は左派になれると思うのです。

長文失礼しました。

 逐条のお答えを先にします。指摘されているエントリーを見なくてもわかるように、書き連ねることにします。まず1の「小説などの説」をとって「戦争とはこうだ」と説くのは不適切、ということです。このシリーズでは「小説」を利用した記憶が一度もありません。

 「戦争論」というジャンルの学問があり、最も古いものとして、19世紀はじめのプロシャの軍人カール・フォン・クラウゼヴィッツの書いたものが有名です。難解であることもさることながら、あまりにも古すぎて現在には当てはまりません。

 新しいものとしては、岩波新書の多木浩二著『戦争論』などがあります。また世界大戦の実態・実情については、各国に多くの公的レポートがあり、それで十分だと思います。そういった物から得た知識が記事のベースになっています。

 小説としては、トルストイの『戦争と平和』などがありますね。たしかに小説=歴史としてしまうのは誤りです。しかし、公的な文書が唯一正しいとするのも公正を欠きます。マスコミも時としてあてになりません。何が真相に近いのかを探るとき、小説、詩、日記、ことにはやり歌、川柳などが大きな役割を果たすことがあります。

 2番目についてです。国際連盟は、ご承知のように第1次世界大戦後の平和確立を目的に設立されました。第2次世界大戦が起きてしまったので、結果としては失敗したわけです。ただ、それまでの帝国主義的植民地争奪競争が否定され、その後に成立した「不戦条約」(現行憲法9条1項と同趣旨)など、初めて戦争を不法なものとした意義は大きいと思います。失敗の理由は「自衛」の場合は例外、としたことにあります。 

 3は、歴史に対する姿勢と解釈の仕方ですね。最近もあるコメントで書いたような気がしますが、歴史を書くときは、その時代に自分がタイムスリップし、あるいはその立場にいるという気持ちにならないと書けないものです(エントリーの中でもいくつか歴史を書きました)。

 すなわち、その前の歴史の連続の結果として今がある、そしてこれからどうなるのか、という疑似体験が必要だということです。それには1時点、1項目、1史料だけではなく幅広い総合的なデータが助けになります。
 
 したがって、一部の右派論客に見られるような「こういった史料が発見された」、「どこの誰それがこう言っている」などで、1、2の史料だけで歴史がひっくり返るように言うのは、「そうですか」というだけで答えようがありません。また「過去の連続」といっても、途中の「戦後レジューム」を抹消するような説では連続になりませんしね。

 ややお説教調になって、<m(__)m>←塾頭。

 このブログは、最近保守系や右派の来訪者が多いような気がします。お前はどうだ?、と問われればどちらでもない、などと中途半端なことは言いません。左派です(^^)。しかし、記事の中には自民党の一部の人を支持したり、核兵器の研究はすべきだなどと言ったりするので、その分左派の来訪者が減っているかも知れません。

 左派が左派同志で作るサロン(同好会)では、当塾設立の趣旨に合いません。その点政治的立場は「反戦」以外全くフリーです。そういったことで、moritaさま、どうぞまたのお越しをお待ちします。

  

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2009年2月13日 (金)

新・マルサス「人口論」

 「マルサス」、その名を知ったのは、高校生の頃かもっと後だったか忘れた。関連のある著書を読んだ覚えもなく、きっと先生から聞いた話なのだろう。なんとなく、こんなことだ。

 戦時中、特高警察がある大学生の自宅に踏み込んだ。書棚にあったマルサスの『人口論』を見て、マルクスの『資本論』と勘違い、共産党員の証拠物件として得々として押収したという話。もうひとつは、そのマルクスはマルサスが大嫌いで、『人口論』はマルキシズムにより完全に論破されたという話だ。

 あとの話をもうすこしつけ加えよう。マルサスの人口論は、「子孫を多く残したいという人間の欲望から等比級数的に人口が増えて限りがない。これに対して確保しなければならない食糧を生産する土地は有限で、等差級数的にしか増やせない、そこで人類は、奪い合うための戦争や飢餓・暴動が避けられない」というものだ。

 これに対してマルクスは、「革命で労働者・農民・インテリゲンチアが権力を握れば、すべての生産や消費が人民の計画に基ずくものとなり、自然を改造することで人類は発展する」といったかどうかわからないが、19世紀、20世紀中はマルサス理論が立証されるようなこともなく、スッカリすたれたものだと思っていた。

 ところが、ここに不気味な「新・マルサス論」が再び頭をもたげてきた。ポーランド人ジェノサイド学者、グナル・ハインゾーンの『自爆する若者たち』(猪股和夫・訳、新潮選書、2008/12)がそれだ。豊富な国・地域別、年齢別統計と、大小の戦争、虐殺、飢饉、暴動、移住などを結びつけて例示しているのを見てぞーっとしない人はいないだろう。

 ことに、現在進行形のパレスチナ・ユダヤ問題、イラク・アフガン問題などは、オバマ流の「スマート・パワー」的発想に対し、非情なまでに水をかける論調である。マルサスとの最大の違いは、人口増は食糧問題とは関係なく、15歳から29歳までを戦闘能力を有する「軍備人口」としている点だ。

 それを「ユース・バルジ」と命名しており、パキスタン、アフガニスタン、イラク、サウジアラビア、ソマリア、パレスチナなどイスラム圏各国におけるその比率が、これからも世界で最高のレベルを維持すると説いており、「軍備人口」が猛威をふるうとしている。

 ちなみに、同書では、最近5年間の15歳未満の人口が30%を超える国を「ユース・バルジ国」としており、上記イスラム圏各国はすべて40%を超えている。同書の全体を通じた分析やそこから出した結論は、ハード・パワーそのもので、リーズナブルなものとはいえない。やはり「新・マルサス論」をでるものではない、と言っておこう。

 以下、日本と関係しそうな周辺各国の同書による「ユース・バルジ度」を参考までにかかげる。太字はユース・バルジ国、細字は戦闘敗退国あるいは人口失敗国として、ユース・バルジ国の移民や労働力を受け入れるべきい国だとしている。

 また、中国と北朝鮮を日本最大の脅威と見なす諸兄姉にご安心いただけるよう、最後に参考文を引用しておいた。

■インド=33% 中国=24% インドネシア=31%
パキスタン=40% 米国=21% ブラジル=28%
バングラデシュ=34% フィリピン=37%

ヴェトナム=32% ロシア=16% イラン=32%
日本=14.5% 朝鮮(南・北)=22% タイ=24%
ビルマ=29% マレーシア=34% 
カンボジア=41% 台湾=21% モンゴル=32%

(以下引用文)
 中国の2003年の15歳未満の男子は、1億6500万強であるが(女子は1億5000万弱)、そこにはユース・バルジは存在しない。年少人口の総人口に占める割合が24パーセントにすぎず、30パーセントに満たないからだ。
 
 中国における就業者と年金生活者の割合は、1995年の10対1から2050年には3対1に下がるという(WorldBank1997)。そのとき、老齢者の生活を支える年金を稼いでくれる人がどこから現れるのかは、誰も知らない。第一世界以外の15歳未満の男子9億人の中に目下のユース・バルジ事例を探っていくとき、中国はむしろ除外されるのだ。

 そのことは、アメリカの戦略家が中国が敵となるかパートナーとなるかを評価するにあたって、ユース・バルジの破壊力に較べれば、脅威となる懸念は小さいとする見方が支配的であることの根拠となっている。 
 

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2008年3月 2日 (日)

入門編・戦争とは13

 「人間はなぜ戦争をするのでしょう」は、「差別」「経済」「拡張」「ナショナリズム」と続き、最後は、サ・ケ・カ・ナ・シのシ、「宗教」です。宗教はこれまでの話とすこし違います。というのは、昔からよく「宗教戦争」という言葉をつかいますが、どうも定義がはっきりしないからです。

 『広辞苑』には、「宗教上の衝突に起因する戦争。特にヨーロッパにおいて宗教改革後、旧教徒と新教徒との間に行われ、政治的・経済的利害ともからんだ激しい戦争」とあります。それ以前のイスラム教徒による北アフリカ、イベリア半島への進攻や十字軍の遠征も宗教が前面に出た戦争だと思います。

 こういった中世までの例を見ても、宗教上の違いが直接原因なのか、これまでお話ししてきた「差別」「経済」「拡張」などから生ずるトラブルを、宗教の名で戦争にしたのか、突っ込むとわからなくなります。現在でも、パレスチナ、スリランカ、ボスニア、キプロスなどでは厳しい宗教対立があり、紛争の火種になっています。

 中国のチベット、ロシアのチェチェンなどにも宗教問題があります。しかしそういった摩擦が直ちに戦争に結びつくとは限りません。異宗教の人が混在して長いあいた平和に暮らしている例はいくらでもあります。紛争が起きるのは、他の複雑な要素がからんでお互いの憎しみに転化するからでしょう。

 現在は、古典的な宗教の違いというより、「宗教的情熱」に基づく攻撃意欲の昂進といった動機に注目すべきです。「神は偉大なり」と叫んで目標に突っこむ自爆テロも、「天皇陛下万歳」の特攻精神も、宗教的情熱には違いありません。

 宗教を思想、信条という面まで広げると、尊皇攘夷、フランス革命しかり、共産主義、自由主義、民主主義であっても「宗教的情熱」あるいは、偏狭な「原理主義」が入り込むことで、現代の「宗教戦争」となるということを心得ておくべきです。

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2008年2月20日 (水)

入門編・戦争とは12

 「人間はなぜ戦争をするのでしょうか」も5回目になりました。これまで「差別」「経済」「拡張」と話を進めてきましたが、サ・ケ・カ・ナ・シの次はナ、ナショナリズムです。最後にシの宗教が残りますがほとんどここまでで言いつくされると思います。

 ナショナリズムを『広辞苑』でひくと、こうあります。
     民族国家の統一・独立・発展を推し進め
        ることを協調する思想または運動。民族主
        義・国家主義・国民主義・国粋主義などと
        訳され、種々ニュアンスが異なる。

 これからすると、アメリカ国民には多くの民族が含まれていて「ナショナリズム」があてはまらないようですが、それであるからこそ、かえって国家の統一・独立・発展を国民の共通目標として協調しなければならないという面があります。

 独立時の13州をすじ(条)、現在の50州を星で表す国旗・星条旗は、まさにアメリカの多様性と統一の象徴でもあります。ブッシュ大統領がアフガン、イラクへの進攻にあたり、盛んに「正義」「邪悪」「敵につくか味方につくか」といった言葉を乱発し、戦意高揚をはかったのはナショナリズムそのものといえましょう。

 戦争をするには、どうしても国民の強い支持がなければなりません。反戦与論や厭戦気分のもとではとても勝利を望めません。それでは、このナショナリズムをかき立てるため、誰がなにをするのでしょう。戦前の日本では、軍部と右翼が互いに利用しあい、最後は政治家、マスコミまでこの勢いに乗って、「天皇制ファシズム」のような体制をつくりだしてしまいました。

 すこし言葉がむつかしくなりましたが、だれにも反対が言いだせないような社会、協力しないものは「非国民」としてつまはじきされる社会です。ドイツのヒトラーは若い頃から野心家でした。ユダヤ人を憎くしむことで国民の不満をそらし、戦争の体勢をきずくことに全力をあげました。

 今の日本でも、中国の軍事的脅威や北朝鮮のミサイルなどをあげて日米同盟強化とか、核の傘が必要という議論をする人がいます。そして台湾海峡こそ次の主戦場と考えます。台湾領で中国大陸からわずか2㎞のところに金門島という島があるのをご存じでしょうか。

 ここには、かつて10万人の台湾兵が守備隊として駐留していましたが、今は5000人しかいません。そして「小三通」といって、本土と島の間の交通、通商、通信制限を大幅に緩和しています。それで大いに双方の利益が増し、今後台湾本島にも中国からの投資を増大することが課題となっています。

 一方台湾の陳水扁総統は、国連加盟の国民投票を計画するなど台湾独立派として知られています。ところが、立法員選挙では野党が勝利し、現在苦境に立たされています。その陳総統も、戦争の危険をおかしてまで本気で独立を考えているわけではない、と思います。

 民族にしろ言語にしろ人種にしろ台湾と中国は、ほとんど共通しています。陳総統のねらったのは「国家」というナショナリズムで与党民進党に有利な情勢を作ろうとしたのではないでしょうか。台湾の人々は決して戦争がはじまるとは思っていないしそれを望んでもいないでしょう。

 では、なぜ島に敵が攻めてくるのを前提とした日米共同訓練をしたり、アメリカと共同でミサイル迎撃実験をしたりしているのでしょうか。アメリカ軍の中枢でも、そんなことが実際に起きるとは思っていません。ただ、軍隊というものはそういうものなのです。

 必要以上に危機感をあおり、予算増額と存在の誇示をしたがるものです。これは各国とも同様です。こういったことの片棒をかつぐ政治家、軍需産業、それに乗ったマスコミや学者・評論家などがいることにも注意しておかなければならないでしょう。

 ただ、国を自らの手で守る気概、そなえが必要なことはいうまでもありません。それは、他国と戦争をする、他国へ出かけていって戦うということとはまったく意味がちがうということを理解しなければなりません。

 最後に国民に対する宣伝について、ヒトラーが自著『わが闘争』で告白している部分を紹介しておきましょう(「反戦老年委員会より」)。
     宣伝はすべて大衆的であるべきであり、
     その知的水準は、宣伝が目ざすべきも
     のの中で最低級のものがわかる程度に
     調整すべきである。(中略)宣伝の学術
     的な余計なものが少なければ少ないほ
     ど、そしてそれがもっぱら大衆の感情を
     いっそう考慮すればするほど、効果はま
     すます的確になる。しかしこれが、宣伝
     の正しいか誤りであるかの最良の証左
     であり、若干の学者や美学青年を満足
     させたどうかではない。宣伝の技術は
     まさしく、それが大衆の感情的観念界
     をつかんで、心理的に正しい形式で大
     衆の注意をひき、さらにその心の中に
     入り込むことにある。これを、われわれ
     の知ったかぶりが理解できないという
     のは、ただかれらの愚鈍さとうぬぼれ
     の証拠である。宣伝になにか学術的
     教授の多様性を与えようとすることは、
     誤りである。大衆の受容能力は非常
     に限られており、理解力は小さいが、
     そのかわりに忘却力は大きい。この
     事実からすべて効果的な宣伝は、重
     点をうんと制限して、これをスローガ
     ンのように利用し、そのことばによっ
     て、目的としたものが最後の一人ま
     で思いうかべることができるように継
     続的に行わなければならない。人々
     がこの原則を犠牲にして、あれもこれ
     もとりいれようとするやいなや、効果
     は散漫になる。

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2008年2月12日 (火)

入門編・戦争とは11

 「人間はなぜ戦争をするのでしょうか」の4回目です。サ・ケ・カ・ナ・シの順で「差別」、「経済」を話し、前回「カ」の「拡張」まできたのですが、その「拡張」は意味が広く、まず「領土拡張」について述べました。

 今回は「軍備拡張」です。現代の軍備拡張は、領土拡張のため、あるいは領土侵略をふせぐため軍備を固めておく、つまり明治維新のあとの政策「富国強兵」とはすこし違うようです。仮想敵国を頭にえがき、相手がこういった軍備をもっているなら、こっちはそれ以上の軍備を持たなければ危ない、というバランス感覚で議論されます。

 ソ連崩壊以後、世界の警察官を自認し、一国最強になってしまったアメリカはすこし違うかも知れません。世界経済や国内軍需産業との関連をあげる人もいますが、「テロとの戦い」という、今までにない戦争のかたちになっているため単純に判断できません。

 それはさておき、各国が軍備にどれだけお金を使うか、兵隊をどれだけ準備するか、またどんな新兵器を開発するかなどは、お互いの競争になります。また自国だけでは不十分と見れば、なかまの国を作って軍事同盟を結びます。「軍人に兵器を持たせるとどうしも使ってみたくにるものだ」ということは、軍人自身が証言しています。また、「相手の軍備が整わないうちにたたいてしまおう」という発想、「先制攻撃」への誘惑にもかられがちです。

 こういった方向へのエスカレートも「拡張」といえるでしょう。この間、パキスタンでブット元首相が狙撃され、死亡しました。第一次世界大戦もオーストリア皇太子の暗殺から始まっています。オーストリアと同盟関係にあるドイツが、犯人をだしたと見られるセルビアに宣戦布告しました。

 これを助けようとロシアが動き、また同盟関係にあったイギリス、フランスなども参戦してとうとう世界規模の戦争になってしまったのです。遠く離れた日本は関係ないのですが、日英同盟がありました。イギリスから同国の商船がドイツ海軍にねらわれているので守って欲しいという要請です。

 日本は、「しめた」とばかり、中国の山東省に利権を持つドイツの租借地を奪い取ることにしました。ドイツはこれを察して、中国に返還してしまおうと考えます。イギリスも、そこまでは頼んでいないのであわてて依頼を取り消しにかかりました。

 中国も中立を宣言していたのにもう間に合いません。火事場泥棒のような戦争に日本が手を出したのも、軍事同盟が後ろ盾としてあったからです。そういった例は戦時体制の中では珍しくありません。このあと、日本は軍部独走がめだつようになります。日本国憲法では、第六十六条で「文民支配」の原則をかかげていますが、こういったエスカレートがないようにチェックする目的があります。 

 軍備拡張競争をはじめると、際限がありません。相手より絶対優位に立てば、あらゆる交渉ごとが有利に進むと信じられている面もあります。しかしこれは刃物をつきつけて相手を脅すのと同じです。限界をこえれば戦争になってしまいます。

 そこで、「ミリタリーバランス」などということがよく言われます。対敵している国の軍備がバランスしている間は戦争にならない、不均衡こそ危険だという考えです。こういった思想のもと、第一次大戦以後「軍縮会議」が開かれ、かつては、軍艦、米ソの間ではミサイルなどの数量を制限してきました。

 しかし現在は、核拡散防止条約が公正・公平の原則からはずれているとしてうまく機能せず、ミサイルの本数などもアメリカのミサイル防衛システムの一方的配備で、この先の実効性に疑問を持たれています。このように、世界は混沌とした状況から抜け切れていません。

 

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2008年2月 9日 (土)

入門編・戦争とは10

 「人間はなぜ戦争をするのでしょうか」の3回目です。これまで「差別」と「経済」について書きました。サ・ケ・カ・ナ・シの順でいくと、今度は「カ」、「拡張」です。このあとの「ナショナリズム」や「宗教」も含め、全部がからみあって戦争が起きます。

 「拡張」ということばも、あまり範囲が広すぎて一口では言いあらわせません。これまでで一番多く戦争の原因となったのは、①領土の拡張でしょう。そのほかでは、②軍備の拡張があります。また、宗教や思想の拡張などは別に考えることにします。

 ①領土の拡張
 国の支配地域をふやすことです。他国の土地を奪い取って直接領土とすること以外に、植民地をふやす、属国や傀儡(かいらい)政権をつくる、植民地や周辺国にまたがる利益線とか生命線という線引きをして、その範囲内での利権や防衛権を主張することなども含みます。

 独立戦争は、領土の変更をともなう点でここに入れてもよさそうですが、話が複雑になるので保留しておきましょう。領土の拡張は戦争の結果であり、原因ではない、とおっしゃる方もあると思います。 たしかにそうですが、19世紀までは「帝国主義」という列強の激しい競争がありました。

 特にヨーロッパの覇権競争は、規模の大きさや期間の長さから歴史そのものといっていいほどでした。東洋がその影響を受け始めたのは、日本の江戸時代からです。中国のアヘン戦争、日本の開国、すべて西欧帝国主義のさなかのことです。

 特に中国は、フランス、イギリス、ドイツ、ロシア、そして遅れて日本などが中国内に特殊の利権地帯を設け、ズタズタにされました。アメリカも公平な貿易を熱心に求めてきました。しかし、ロシア革命、第一次世界大戦、パリ平和条約などを経て、露骨な帝国主義が反省されるようになってきました。

 日本だけが中国に嫌われるのは、各国の利権が後退する中、満州国を独立させ、中国に無理な要求をつきつけて軍隊を居座らせたからです。満州事変にしろ日支事変にしろ戦争のきっかけはいろいろ言われていますが、中国国内に日本の正規軍が常駐していたことだけは、たしかなのです。

 他国軍が駐留していて、政治に口をだし、武器を持って住民ににらみを利かしていたら国民はどう思うでしょう。たとえ、復興支援だとか治安維持だとかといっても、とてもいい気持ちではいられません。外国に軍隊をだすというのは、大変危険ことなのです。まして長期にわたることは許されません。

 湾岸戦争の時、イラクはクエートに侵入しました。イラクには、原油価格の協定破りや国境沿いの油田乱掘被害など、いろいろな紛争の口実がありました。しかしかりにその言い分が正しくとも、外国に正規軍を入れたことでど、こからも支持を得られません。

 こうして国連決議が通り、多国籍軍が協力してイラク軍を撃退しました。悪いのは軍を入れたイラクの方だ、という共通認識が持てたからです。今、自爆テロが続発している国は、外国軍隊が駐留している国か、それに関係のある国であることは理由のあることです。

 外国軍がいるというだけで、それで得をする勢力と被害を受ける勢力ができて、内戦のようになってしまう例はいくらでもあります。また、いないと治安維持ができないというケースもあるでしょう。しかし、片方に武器を供給するなど、国内で自主的に解決する機会をなくしてしまうようなことだけは、すべきではないと思います。

 いずれにしても、軍隊はうむをいわさず人をおさえつけることのできる暴力装置です。他国に居座る限り真の平和は訪れません。自衛隊が海外派遣される場合は、憲法9条の趣旨からすると、暴力装置ではない文官として出向くべきでしょう。

 長くなったので、②軍備の拡張は次回にまわします。また、「戦争とは」シリーズのバックナンバーは、左らんのカテゴリをクリックしてください。

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2008年2月 4日 (月)

入門編・戦争とは9

 「人間はなぜ戦争をするのでしょうか」の2回目です。前回は「差別」について書きました。サ・ケ・カ・ナ・シの順でいくと、今度はケ、「経済」です。「差別」と「経済」、そのあとの「拡張」や「宗教」もそれぞれお互いにからみあっています。

 資本主義と共産主義、貿易摩擦、開発利権、そういったものも当然「経済」といえますが、ここでは単純化して貧困だけを考えてみましょう。中東と並んで最近はコソボの独立をめぐるバルカンの動きが注目されています。アフリカではケニアも内戦の危機にあります。

 こういったところでは、貧困や高い失業率などから、宗教や民族の違いで格差を生み、それに政治権力がからんで、武装闘争に発展することが多くあります。難民が発生し、周辺国や利害関係のある国が背後から干渉するようになると、解決が遠のき本格的な戦争に発展することもあります。

 日清戦争は、東学党の乱という朝鮮農民の貧困から起きた暴動を鎮圧するという口実で、日清両国軍が衝突をしたのが始まりです。ただし、これは戦争のきっかけであり直接原因ではありません。昭和になって、中国の東北部に満州国という日本のかいらい政権を作り、ここを植民地としたことは、まぎれもない事実です。

 第一次世界大戦の好景気が過ぎると関東大震災が起き、日本も世界恐慌のあおりを受けて昭和大恐慌に見舞われました。エロ、グロ、ナンセンス、「大学はでたけれど」などのことばがはやり、欠食児童20万人といわれた時代です。

 私たちは、「日本は国土が狭く、東洋ではジャワ島の次に人口密度が高いので食糧が不足する。満州、中国は国土が広いのに技術が低く、まだまだ食糧を増産できるし、鉱物資源も使われていないので、日本人がいってみんなを幸せにしてあげられる」と教えられました。

 これも戦争の直接原因ではありませんが、国内の「貧困」が、次にのべる「拡張」を招いたかげの原因であることは疑いないと思います。したがって、世界から戦争を無くするためには、貧困を追放することがどうしても必要になってきます。

 日本は、今貧困どころか世界有数の豊かな国です。ところが、日本国内でまかなえる食糧はたったの4割、この点では、昭和のはじめよりはるかに貧しくなったのかも知れません。かりに戦争になって「経済封鎖」されたらどうなるでしょう。

 減反政策、農漁業の衰退、それを急に回復することなどできません。どんなに基地や軍備をふやしても役に立ちません。「腹がへってはいくさはできぬ」ということわざどおりになります。中国産の輸入ぎょうざの問題がきっかけで、「食糧安保」を「日米安保」におとらない重要な課題にしてほしいものです。

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2008年1月30日 (水)

入門編・戦争とは8

 人間はなぜ戦争をするのでしょうか。「人間も犬、猫のようにお互いに闘争心という本能があるから」なんていう人がかつていました。いや、今でもいます。動物でも植物でも種の保存本能というのはあります。まして、万物の霊長である人間が知恵のない闘争を続けるわけがありません。今やそのような発想は時代遅れになりました。

 これまでも、不戦条約や国連憲章で各国が知恵をだしあった話をしました。それが無駄であったと思われていないことは、国連加盟国が設立当時の51カ国から192カ国に増えていることを見てもわかります。ただ「なぜ戦争がおこるのか」というのはとてもむつかしく、「入門編」とはいったものの、卒業のない課題だと考えておいた方がよさそうです。だからお話として聞いてください。

 私は、戦争の原因は「差別」「経済」「拡張」「ナショナリズム」「宗教」の5つだと思います。その頭の1字をとると、サ・ケ・カ・ナ・シとなります。ま、そんなことはどうでもいいんですが、それがいくつかからみ合って「敵」と「味方」をきわだたせ、あおりたてて戦火を交えることになります。

 まず「差別」について考えて見ましょう。今、中東で起きている戦争と混乱、大きく見るとイスラム教徒対キリスト教・ユダヤ教徒、アラブ・アジア民族対アングロサクソンといった、これまで否定されてきた「文明の衝突」といった色合いが強くなりつつあると見ています。

 そうすると「宗教」ということになりますが、エルサレムの聖地帰属問題をのぞいて宗教中心の戦争ではありません。西欧とイスラムの文化の違い、その違いをお互いに蔑視していること、ことに、西欧側から見た「遅れたイスラム教」という差別意識を抜きにしては、考えられないことが多くあります。

 これは、ユダヤ教やキリスト教より新しい信仰であるイスラム教徒にとってたえられないことです。 中国・朝鮮と日本の間にも蔑視という差別意識がありました。すくなくとも江戸時代まで中国・朝鮮の文化は、日本人の尊敬の的でした。それが、明治の改革で急速に西欧文明を取り入れ、近代化に成功すると、「日本の親切心がわからずさかうらみをする」後進民族という差別意識に変わりました。

 それは、日清戦争後にではじめ、第1次世界大戦後から露骨になった現象だと思います。そういった見当違いの差別意識が、別の形で現在残っているというか、生まれてきていることは大変残念なことだと思います。媚中派だとか反日を叫ぶ心ない自損行為は、今年あたりでそろそろ卒業してほしいものです。

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