戦争とは

2016年12月28日 (水)

安倍の珍妙なハワイ詣

 何のためにハワイへ行くのだろう。なにか子供じみていてほとんど底が割れているのに、マスコミをはじめ、大人げない論評は避けられている現実が解せない。

 「慰霊」?、本来慰霊とはあくまでも個人の心の中にあるものを発露する自然の行為である。あらかじめ米大統領に予告したり、外相・防衛相などにぎにぎしくお供に連れ、「首相として」などとおおげさにひけらかすものではない。

 日本の総理は、過去吉田、岸、野田などがこの国立墓地を訪れているが、こんな鳴物入りの慰霊は聞いたことがない。天皇・皇后の慰霊の旅とはあまりにも違う。

 「開戦75年にあたり改めて不戦の誓いを新たにする」?、ということは、これまでしてこなかった、つまり新憲法は頭から無視していたということになる。「任期中に改憲」したいという人が言っても、白々しいばかりだ。

 しかもその「不戦」は、日米間限定で他の国は含まれない。中国が「こっちへ来るのが先じゃないの?」というのはもっともだ。70年敵対したことのなく、アメリカのポチと言われる国が、もったいつけて「不戦」を誓い、「歴史的」などと言えば、世界中の人は最初は首をかしげ、そして笑っちゃうだろう。

 「和解」?、誰と誰が和解するのだろう。個人対個人なら和解するしないは個人の自由だ。国と国なら講和条約締結でとっくに済んでいる。済んでいないというのは、「あの戦争は正しかった」とか、「東京裁判は勝者の裁判であり戦犯処刑は不当」と考えるのならわかる。

 両国間の長年のトゲ、わだかまりを――、などという表現もある。そんなものは一向に感じないが何を言うのだろう。朝鮮・中国ならわかる気もするが、そうなったのは戦後相当たってからである。奇襲攻撃を受けたアメリカ人がそう思っているかは知らない。

 また、原爆犠牲者などの日本の遺族がその「トゲ」を抱いているだろうか。塾頭の親族に悲惨な死を遂げた戦死者もいるがトゲなど持っていない。前にも書いているが 原爆は日本が先に発明していたら早速使っただろう。

 広島の慰霊碑に「過ちは繰り返しませぬ」とあって、主語がないとよく言われるが、日本人でもアメリカ人でもなく「人類として」し解釈している。無差別の大量破壊兵器、宣戦布告なしの奇襲攻撃、いずれも国際法違反だ。

 戦争は、武士や騎士がたたかうものでなくなったのが近現代戦だ。総力戦という概念は第一次大戦から始まった。生産力を破壊し兵力の供給を閉ざし、そして恐怖心をあおって戦意喪失させるためには、非戦闘員の大量殺戮がどうしても必要だ。

 日本も国家総動員法や国民皆兵で、女性や子供まで竹槍で戦うよう訓練を受けた。「非戦闘員」という意識はない。従って敵に殺されたからといって、それを根に持つようなことはない。それが戦争である、こういった常識がこのところ薄れているように思う。

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2016年11月16日 (水)

かけつけ警護、やっと社説に

 昨日の閣議決定が終わってからやっと朝・毎・読の3大紙に社説が載った。読売だけが政府に賛成、日経・産経にはなく、東京は扱っているがいずれも批判的論調だ。当塾は、先月から前回まで4回(下記)取り上げその違憲性や、南スーダーンの実態や、戦争を知らない人の空論を指摘してきた。

安倍から逃げるなら、今
続・安倍から逃げるなら、今
安倍安保、空中分解寸前
安倍から逃げられない公明党

 今日の毎日新聞は、1面コラムの「余禄」でも取り上げているが、戦争に関する聖書ともいうべきクラウゼビッツの「戦争論」をひいて、戦場の不確実性を説いている。つまりナポレオン時代から戦場に出た人なら誰でも知っている常識なのだ。

 その常識すら無視する「一億平和ぼけ状況」が今、日本を覆っている。

13年前の映画「フォッグ・オブ・ウォー」はベトナム戦争当時の米国防長官マクナマラの足跡を当人の告白でたどる記録映像だった。「どんな賢明な指導者も戦争になれば『霧』の中に投げ込まれたように混乱する」はそこでの彼の言葉だ▲題名の「戦争の霧」はプロイセンの軍人クラウゼビッツが「戦争論」で戦場の不確実性を表すのに用いた表現だった。乏しい情報にもとづく軍事行動は霧の中にいるようなもので、次々に予想外の事態に見舞われるという▲戦闘一般がそうであるうえ、武装勢力やテロリストも入り乱れる現代の紛争である。先行きに「霧」のたちこめる紛争は絶えないが、部族間抗争によって国連報告書で「カオス(混沌(こんとん))」と評された南スーダン情勢である▲政府は南スーダンで国連平和維持活動(PKO)に参加する自衛隊に安全保障関連法にもとづく「駆け付け警護」の任務を新たに与える計画を決めた。国連職員などが暴徒に襲われた場合に自衛隊が救援できるようになるが、実施は現地の部隊長の判断に委ねられる▲「カオス」の真意について日本政府は国連から「放置すればという意味で、現状ではない」との回答を得たという。また自衛隊の活動地の首都は安定しているとも説明する。だが戦闘を衝突と言い換え、いまだ内戦状態でないという認識で紛争の霧に対処できるのか(以下略)

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2016年10月30日 (日)

続・安倍から逃げるなら、今

 自衛隊の海外派遣に関連して、25、26日に連続して取り上げた。国連のPKO(平和維持機構)の一環として陸上自衛隊が派遣されているのは、南ソマリアだけで、それを新安保法適用第一号にしようというのが安倍のねらい。国会で議論されているがどこか弱い。

 その2回目は「安倍から逃げるなら、今」と言う題にしたが、そんな緊迫感はどこにもない。大部分の国民は、自衛隊が戦争に巻き込まれると思っていない。実は塾頭もそうだ。しかし、「可能性は?」ということになると、過去の戦争の発端を調べればわかるが、ゼロというよりは「まさか」の方が多いくらいだ。以下はその関連ニュース(10/29、毎日朝刊)である。

政府は25日、南スーダンのPKOへの部隊派遣を来年3月末まで5カ月延長することを閣議決定したが、現地情勢や部隊の訓練状況を見極めるため、新任務の付与は先送りした。

 「新任務」というのは、攻撃を受けている勢力から頼まれれば、武器を持ってその相手と交戦するということだ。それは「殺さなければ殺される」という現場である。そしてさらにこう続く。

 稲田氏(防衛相)は8日に南スーダンの首都ジュバを訪問し、23日には岩手県で交代部隊の訓練を視察した。柴山昌彦首相補佐官も31日からジュバに入る予定で、新任務付与の準備を進めている。柴山氏は28日、「安倍晋三首相から現地の状況をしっかり見てきてほしいと指示された。今回の訪問は一つの判断材料になる」と記者団に語った。

 稲田氏だけでは、やはり心許ないのか。しかし誰が行っても同じ。安倍首相は解散総選挙で圧勝を予定し、自衛隊の名を防衛軍と変えて憲法上戦争のできる国にしようとしているのだ。9条第1項に「戦争放棄」があっても平気、「自衛のため」と言ってしまえばそれまでなので、アメリカなどと同じことが可能になると踏んでいる。さらに報道は続ける。

 野党は今国会で、南スーダンの治安悪化や、任務拡大に伴い自衛隊員のリスクが高まる可能性などについて政府を追及している。このため政府は、自衛隊が駆け付け警護を行うケースを、国連関係者らから緊急の要請があり、現地の治安当局やPKO歩兵部隊より速やかに対応できる場合などに限定する方針だ。

 野党の追及も、全く迫力ない。つまり、大多数の国民に訴えるものが無いのだ。「自衛隊員のリスク」に矮小化され、多くの市民が犠牲になる戦争になるとは思っていない。警察でも消防でも死と隣り合わせのリスクをともなう。リスクを避けてどうして国を守る大任が果せようか。そんな自衛隊であってほしくない。

 やはりニュース解説ではだめだ。かりにA軍とB軍が対立する内戦状態の国だったとしよう。自衛隊はそのいずれにも加担しない立場で、道路・橋などのインフラ整備や、住民の食糧援助の任務補遂行しているつもりだ。

 ところが、そのエリアがA軍の支配区域であればA軍はそのための負担が減り、またそれを活用することもできる。B軍から見れば自衛隊は敵を利する行為をしているわけで、立派な攻撃目標である。かけつけ警護で戦端が開かれれは、あとにひけない果てしない戦争の当事者になるのだ。

 政府が、かけつけ警護ができるケースに、ああいった場合、こういった場合などいろいろ複雑な条件をつけて限定しようとしている。公明党を納得させるためかも知れないが、現場で、PKO派遣5原則に適合し、新たな制限どおりかどうか、そんなことを斟酌しているうちにことが進んでしまい、下手をすると先手をうたれて、自衛隊員に犠牲者が出るかもしれない。

 逆に出先が政府の定めた制限を守らず、独断専行したとする。本来なら処罰されなくてはならないことだが、結果が良ければ不問に付されることが多い。また、処罰は士気に影響するというだけでなく、国民から支持されていることから、手柄にさえしてしまう。

 こんなことが、戦前満州や中国大陸で繰り返されたことは、歴史を調べればすぐわかる。さらに恐ろしいのは、諜報機関や軍部などが意図的に戦争を作り出す陰謀や仕掛けを作り出すことである。 

 民主主義国家であっても、このような事態は防げない。なぜならば多くは「特定秘密の保護に関する法律」などの軍事機密に隠れてしまう。アメリカのイラク戦争開始が「ニセ情報」による、とされているが、ブッシュ大統領が最初からそれを知っていたかどうかもうやむやだ。

 自衛隊員に犠牲者が出たとしよう。当然大ニュースとなり、国民世論は「相手のA国・軍に壊滅的な損害を与え、勝利するまで戦え」ということになる。イラク戦争は、第2次大戦よりはるかに長い15年を経ても、アメリカが勝ったと言えない混とんのさ中にある。今になって厭戦気分が起きてももう遅いのである。

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2016年9月 4日 (日)

靖国神社のないアメリカ

 イラクで従軍、戦死した息子を追憶する中で、父親・フェルナンドさんは政府の虚偽に満ちた戦争装置の仕掛けがわかり、自ら反戦運動の先頭に立つようになった。『赤旗』にあるレポート記事を要約し、日米の差を考える。

 フェルナンドさんは妻や家族から、「息子を侮辱している」と反感を抱かれ、遂に離婚・一家離散の憂き目にあっているという。戦死したのは20歳の海兵隊員、ヘススさんである。すでに結婚、残された1歳4カ月の息子は、フェルナンドさんにとっての初孫だ。

 フェルナンドさんは、息子の終焉の地をたしかめるためイラクを訪れた。そこで、薬の不足で病院で亡くなる子どもたち、破壊された学校や家々など、先が見えないイラク市民も目にすることになった。

 大量破壊兵器を隠し持っているというニセ情報を根拠に、独裁者フセインを追放するためという口実で始めた戦争だが、アメリカを憎んでいる市民はいても歓迎する市民の姿はない。フェルナンドさんは息子がここで一兵士として命を絶ったことを告げると、「兵士は憎まない。国や死の商人に得るものがあっても市民には、戦争から得るものは何もない」という反応が戻ってきた。

 ヘススさんは、出征前に息子に手渡したサルサソースの小瓶を偶然発見し、名前が書いてあったので彼が戦死した場所を知ることができた。そしてここで、彼が何故命を落としたかも知った。

 公式の通知には、ヘススさんは、前日の交戦中に頭を撃たれて死亡したと明記されていた。しかしそうではなく、米軍がばらまいたクラスター爆弾によるものだと、米メディアの現地特派員が知らせてくれた。

 米政府の死因のごまかしがフェルナンドさんに突きつけられ、軍・政府に不信感を募らせる大きなきっかけとなった。ヘススさんが高校在学中に受けた兵員募集官からの勧誘は、今は戦争がなく危険もない。除隊後は麻薬取締官の訓練が無償で受けられ、就職先は保障されている、というものだった。

 それでは、一家離散となった原因は何だろう。

 「国のために尊い命を捧げた英霊に尊崇の念を捧げる――」、これしかないだろう。遺族は、政府にだまされて犬死した――のではない、と感じるのが当然だ。フェルナンドさんの奥さんは、こう思う以外に心を慰める術を知らなかったに違いない。夫の証言の方が嘘に聞こえた。

 塾頭の叔父は乳幼児を含む3人の子をあとに、終戦の前年出征した。戦後半年以上たった頃戦死の公報があった。その死は誰からも確認されていない。フィリピン戦線でジャングルを逃げ惑う中、多分餓死したのだろう、という推測で、もちろん遺骨などない。

 近所のおばさんが来て言った。「遺骨はなくとも、靖国神社へ行きなさった。天皇陛下がおいでになって、ちゃんとお参りになる。あきらめんばねえ」。天皇陛下は昔から「国」の象徴であった。総理大臣や防衛相などでは、代役にならない。今の政治家は勘違いしているようだ。

 戦中から、配給物資横流しなど軍部横暴の噂は聞いていたが、塾頭が政府や軍部への信頼を決定的に損じたのは、東条英機元首相、陸相の拳銃自殺失敗である。

 「生きて虜囚のはずかしめを受けることなかれ」という戦陣訓を作り、多くの兵士を死に追いやった張本人が戦犯容疑者としてGHQに逮捕される寸前、不可解な自殺失敗を演ずる。そういったA級戦犯を合祀したことで天皇の参拝はなくなった。靖国神社が兵士を駆り立て、戦死者と遺族を納得させる仕掛けであることに国民が気付き始めたからである。

 アメリカには、靖国神社も敗戦の経験もない。当然、戦死者遺族に価値判断の差が出てくる。日本では、こういった離婚騒ぎの話を聞いたことがない。アメリカはよくも悪くも「自己責任」なのであろう。

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2016年8月 5日 (金)

大きなことは言えない

 明日は広島原爆の日、例年のようにメディアがにぎわうのは結構なことだ。これまでと違うのは、やはりオバマ大統領の広島訪問と、そのメッセージの影響だろう。今日の新聞で、「胎内被爆者」という立場の方が、被爆地ガイドとして活躍されているという記事を見た。

 大統領から「謝罪」の言葉がなかったことが残念だとされているようだ。塾頭は被爆者ではないが、当時の子どもとして戦争がどういうものかは知っている。「マッチ箱一つで都市が全滅する新兵器」つまり原爆が研究途上にあることも知っていた。

 本土決戦が迫った頃、日本が先にそれを発明し、アメリカ本土を攻撃すれば戦況が逆転するのにな、と子供心ながら願っていたことは以前にも書いた。大量虐殺は無惨・違法だからやらない、けれど戦争には負けた――などの選択をする国や民族などあり得ない。

 昔の戦争は、武士や騎士の仕事だった。それぞれには守るべき道徳があった。しかし第一次大戦以後は、総力戦になり国民に多くの犠牲者を出した方が負けになる。塾頭は声を大きくして言いたい。「それが現代の戦争なのだ!」。

 オバマ大統領が謝罪の意を表するのは正しい。しかし、それをした、しない――そんな言論の高まりは、次の戦争の種になっても、世界の恒久平和に何の役にも立たない。広島の慰霊碑「過ちは 繰返しませぬから」に主語がないといわれるが、このことを言っているのだ。

 これも以前書いたことなので繰り返しになるが、テーマが「大きなことは言えない」なので、別件についてもう一度触れたい。日本の海洋進出はアホウドリの羽毛採取などで民間主導だったが、第一次大戦後は次第に政府や軍部が活発に動くようになった。

 今、中国の進出・制覇で問題になっている南シナ海であるが、西沙諸島・南沙諸島などへの進出も同じ経過をたどっている。これらの諸島は、中華民国、ベトナムを植民地としていたフランスなどがそれぞれ領有権を主張しあっていた。

 日本海軍が、南シナ海諸島を全域を軍事支配したのは1939年、太平洋戦争の前年である。そして当時日本領であった台湾高雄州に所属させた。南方の油田確保とその輸送のため必要があると見たのであろう。

 滑走路やビルまで作らなかったけれど、中国の9段線に対して「大きなことは言えない」のである。これからも日本の経験をもとに、静かな説得を続けるしかない。

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2016年6月13日 (月)

戦争仕掛人③

 この回は、戦争仕掛人として最も警戒すべき対象が「民主主義」であり、ヒトラーをあげて、それをどう克服するかを考えたかったのですが、午後から都議会の知事追及の集中審議があるためそれをウオッチし、7年前に書いた「ヒトラーと民主主義」の一部を再録してこれに変えたいと思います。
――――
「議会制民主主義」や「政党政治」などは、現在なお日本ではキャッチフレーズとして健在だが、ヨーロッパでは第一次大戦前、すでに日本も憲法で手本にしていた立憲君主制度の中で確立していたのだ。ヴィーンで職探しをしていた若きヒトラーがそれらをどう見ていたか。まず、マルクシズムについては『わが闘争』でこう書いている。

 マルクシズムというユダヤ教的学説は、自然の貴族主義的原理を拒否し、力と強さという永遠の優先権のかわりに、大衆の数とかれらの空虚な重さとをもってくる。マルクシズムはそのように人間における個人の価値を否定し、民族と人種の意義に異論をとなえ、それとともに人間性からその存立と文化の前提を奪いとってしまう。マルクシズムは宇宙の原理として人間が考えうるすへての秩序を終局に導く。

 マルクシズムとユダヤを並列に置いた発想は論理性に欠けた粗雑なものだが、個よりインターナショナルな連帯性に固執する点を共通項として見たのだろう。その前に、欧州人が伝統的に持つユダヤ人に対する嫌悪感も隠そうとはしていない。そうして、民主主義や議会についてはこう見ている。

 民主主義のこの発明は、最近になって真の恥辱にまで発展した特性、すなわちわれわれのいわゆる「指導者たち」の大部分の卑怯な特性に、最もぴったりと応ずるのだ。いくつかの重要なことをすべて実際に決定するばあいに、いわゆる大多数というスカートの影にかくれることができるのは、なんと幸福なことだろう。(中略)

 実際、一つだけ決して忘れてはならないことがある。すなわち多数は、このばあい、決して一人の人間の代理ができない、ということである。多数はいつも愚鈍の代表であるばかりでなく、卑怯の代表でもある。百人のバカものからは一人の賢人も生まれないが、同様に百人の卑怯ものからは、一つの豪胆な決断もでてこない。

 ここまで見てくると、日本の現在の万年野党とか、総理大臣を言っているのではないかと錯覚しかねない。おまけに、民主主義は無駄な時間を費やし手続きが厄介で、決してカッコよくない。たしかにヒトラーは真相の一面をついているのだ。

 それでも、それでもなお民主主義がいい理由は何なんだろうか。今こそじっくりと考えてみたいことだ。 

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2016年6月12日 (日)

戦争仕掛人②

 太平洋戦争突入直前、日本はなぜかドイツ・イタリアというファシズムの国と三国同盟を結んだ。戦後はファシズムこそ悲惨な戦争をもたらした元凶であるかのように言われた。前回はそのファシズムの定義を書いた。

 定義は「合理的な思想体系を持たず、もっぱら感情に訴えて国粋的思想を宣伝する。」でしめくくられている。なんのことはない。アメリカのトランプ現象、日本の安倍一強体制、中国の新覇権主義などと違わないではないか、ということになる。

 最後のとりでが「議会制民主主義」か、と思ったが、ファシズムを生んだ西欧史をひも解くと、議会も民主主義も古代ギリシャにその端を発している。その後ヨーロッパはキリスト教勢力に覆われるが、めまぐるしい宗教戦争にさらされ安定した国家が現れない。

 政体も、17世紀には帝国・王国・公国・共和国などさまざまで、議会があって王様を追放した、などの話もある。18世紀後半に入ると、フランスの哲学者ジャン=ジャック·ルソーは『社会契約論』で民主的投票で支配力を手にするのは多数意見を支持した者に限られ、反対した少数者は自由を失う、と喝破した。

 しかし、18世紀後半には、政体の如何を問わず「民主主義」の概念はヨーロッパに定着する。明治維新前夜に「西洋では入り札(投票)でものごとを決する」という日本人の観察がある。20世紀になって『現代議会主義の精神的状況』(樋口陽一訳)はこういう。

 民主主義的に組織化されたさまざまの国民あるいは社会的、経済的集団はは、抽象的にのみ、同じく「国民」とよばれる。具体的には、大衆は、社会学的および心理学的に異質である。民主主義は、軍国主義的でも、平和主義的でもありうるし、進歩的でも反動的でも、絶対主義的でも自由主義的でも、集権的でも分権的でもありうる。そうしてさらに、すべてはさまざまらの時期ごとにさまざまであり、だからといって民主主義であることをやめるわけではない。

 シュミットは、ナチスに迎合するようになるが、日本国憲法が参考にしたといわれるワイマール憲法のもとて、なぜヒトラーが権力を握ったか、そして壊滅の運命をたどったか、麻生さんではないが、深く研究をするべき材料だ。

 上述のように、シュミットは、「国民」と「大衆」を分けている。大衆は「安保法制化」に反対しているが「国民」は賛成している。日本国憲法には「国民」という言葉はあるが、「人民」または「大衆」という言葉はない。

 そのような詭弁がこれから使われないとは限らない。「自由」は多数決で奪うものではない。民主主義とは少数意見を尊重することから支持されている。ことに「基本的人権」は、3分の2の多数をもっても奪われてはならない。

 さきの戦争で自由を奪われ、多数の犠牲者を生んで獲得した憲法を活かすためには何が必要か。まず、参院選で安倍自民を大衆の手で敗退させることが第一である。

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2016年6月 9日 (木)

戦争仕掛人①

 労働者・農民が権力を握れば戦争が無くなる――、マルキシズム全盛時代には、左翼からそう信じられていた。しかし崩壊したソ連を見るまでもなく、それは幻想だった。

 一方、戦争の元凶が独占資本家・産軍共同体などとする考えは、今でも相当根強く残っている。これも教条化していて、それを証明したり阻止したりすることは事実上困難である。

 大戦後すでに70年を経過した。この間、内戦・地域紛争・介入・テロといった、疑似戦争は絶え間なく続いている。その中で、もはや第3次世界大戦はあり得ない、と断言できる証拠は全く見当たらない。

 第1次大戦後の日本の大陸侵犯、これについては独善的な歴史修正主義がいまだにまかり通っているが、歴史の検証、掘り起こしは相当程度進んでおり、開戦に至った分析も精密になっている。

 しかし、太平洋戦争突入が日独伊三国同盟に大きくかかわる点で、議会制民主主義が先行していたヨーロッパから、どうしてファシズムに移行したのか、それに日本が協調するようになったのか、塾頭にとってわからない点が多い。

 そこで手始めに「ファシズム」を広辞苑で引いてみた(部分)。

広義では、イタリア-ファシズムと共通の本質をもつ傾向・運動・支配体制。第1次大戦後多くの資本主義国に出現(イタリア・ドイツ・日本・スペイン・南米諸国・東欧諸国など)。全体主義的或いは権威主義的で議会主義の否認、一党独裁、市民的・政治的自由の抑圧、対外的には侵略政策をとることを特色とし、合理的な思想体系を持たず、もっぱら感情に訴えて国粋的思想を宣伝する。

 当時の日本を区別して「天皇制ファシズム」と呼ぶことがある。上記で見られるように、議会や政党をなくして個人が独裁したわけでもない。そして形の上では、国民的支持を受けているのである。

 どうだろう。アメリカのトランプ現象、日本の安倍一強体制、中国の新覇権主義などに隙間風を感じてしまうのは、塾頭の杞憂にすぎないといっていいのだろうか。

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2016年5月28日 (土)

伊勢志摩サミット評価

 安倍首相にプラスのポイントをつけるのは、当塾開設以来初めてのことである。それは2点ある。

 ひとつは、主要国の首脳を伊勢神宮に案内したことである。塾頭は、当初「国家神道」へのテコ入れか、と警戒したが、テレビカメラで見る限り各国首脳は、古代遺跡を見物に来たようなリラックスした表情だった。

 日本の神社は靖国しかない、というような印象を持つ外国人は少なくない。日本の原点が、2000年の前から質素、清楚で五穀豊穣・平和共存を祈る場であったことを、知ってもらうことは意義深い。

 もうひとつは、オバマ米大統領の広島訪問を先導したことである。今月13日付のエントリに「ヒロシマ訪問を喜んでいないのは多分日本政府らしいですよ」とのコメントがあったが、たしかに現地での大統領、首相の発言は、核兵器廃絶の具体的提案がなく、がっかりさせるものだった。

【大統領発言・部分】我が国のように核兵器を持っている国は恐怖の論理から自由になり、核兵器のない世界を目指す勇気を持たなくてはなりません。私が生きているうちに、この目標を達成できる事はできないかも知れませんが、たゆまない努力が破滅の可能性をすくなくすることはできます。

【首相発言・部分】核兵器のない世界を必ず実現する。その道のりがいかに長く、いかに困難なものであろうとも、絶え間なく努力を積み重ねていくことが今を生きる私たちの責任であります。

 それでも大統領の主語は「I」なのに首相は「We」であった。ここに、両国の立場が端的に表現されている。しかし、米大統領の広島訪問は世界から大きく注目を浴び、71年目に原爆を見直す機会を作ったことは大きい。またオバマの予想以上の長い演説が、原爆より「反戦」に向けられていることに塾頭は途中で気が付き、その点では意を強くした。

 中国の「日本に免罪符を与えるものでない。日本は南京に来て首相が謝罪しろ」とか、「オバマは、広島にある韓国出身犠牲者の碑も慰霊し、謝罪・補償をするべきだ」などという韓国内の声とは全く次元が異なることを、どれだけの人が読み取っただろう。

 オバマは、そういった水準にある一部の米国内世論にも、ここから訴えかけているのだ。

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2016年4月23日 (土)

国際法違反、天皇は承知

 本塾では、かねてより「帝国主義的侵略は第1次大戦以降」という解釈をしている。これに対して、明治の「富国強兵」を軍国主義とみなす反対論者から抗議されたこともある。

 帝国主義的侵略主義を公言したのは、死の直前に撤回したとはいえ、古くは吉田松陰、明治になって途中で転向宣言をした福沢諭吉などであり、そういった雰囲気が当時からあったことは否定できない。

 拙著に、榎本武揚が五稜郭を明け渡す際に、肌身離さず持っていた『海律全書』、つまり国際法全集を、「新政府で役に立ててほしい」と黒田清隆に届させ、清隆を感激させたことを書いている。

 文明開化は、鎖国を解いて文明国の仲間入りすることだった。従って、外国に認められないことは決してしないという信念が、政治家を支配していた。日清戦争から第一次大戦までまでは、帝国主義ではあっても、国際法に則ってということなのだ。

 つまり、戦争そのものが国際法による行為であり、文明国のあかしともとられていた。そのことを、松本健一『明治天皇という人』という本で改めて確信するようになった。その本に日清・日露の開戦の詔勅が載っている。

 そこでは、いずれも交戦権行使は国際法に基ずくものであることを強調している。以後の戦争開始の詔勅は、どうなっているかチェックしてみた。問題は、現行憲法9条1項のよりどころとなっている昭和3年の不戦条約締結以後、さきの戦争の詔勅だ。

 日清戦争以来続いていた、モットーが、見事に抜け落ちている。以下に各詔勅を列記するが、先の戦争を除いては該当部分、太平洋戦争は、ないことの証明にするため、全文にした。

 今、アメリカもロシアも国際法違反のような軍事行動を繰り返している。しかし、自衛とか集団的自衛権のような口実は使うが、帝国主義的侵略ととられかねないようなことは、巧みに避けている。

 先の戦争開戦の詔勅にも「自衛」という言葉はあるが、3回続いてきた「国際法」とか「国際条規」という文言はどこにも見当たらない。そのことは、昭和天皇も知っていたのだ。

清国に対する宣戦の詔
苟(いやしく)モ国際法ニ戻(もと)ラサル限リ各々機能ニ応シテ一切ノ手段ヲ尽スニ於テ必ス遺漏(いろう)ナカランコトヲ期セヨ

露国に対する宣戦の詔
凡(およ)ソ国際条規ノ範囲ニ於テ一切ノ手段ヲ尽シ遺算ナカランコトヲ期セヨ

独逸国に対する宣戦の詔書
凡ソ国際条規ノ範囲ニ於テ一切ノ手段ヲ尽シ必ス遺算ナカランコトヲ期セヨ

米英両国に対する宣戦の詔書
天佑ヲ保有シ萬世一系ノ皇祚ヲ踐(ふ)メル大日本帝國天皇ハ昭ニ忠誠勇武ナル汝有衆ニ示ス

朕茲(ここ)ニ米國及英國ニ対シテ戰ヲ宣ス朕カ陸海將兵ハ全力ヲ奮テ交戰ニ從事シ朕カ百僚有司ハ

勵精職務ヲ奉行シ朕カ衆庶ハ各々其ノ本分ヲ盡シ億兆一心國家ノ總力ヲ擧ケテ征戰ノ目的ヲ

達成スルニ遺算ナカラムコトヲ期セヨ抑々東亞ノ安定ヲ確保シ以テ世界ノ平和ニ寄與スルハ丕顕(ひけん)ナル

皇祖考丕承(ひしょう)ナル皇考ノ作述セル遠猷(えんゆ)ニシテ朕カ拳々措(けんけんお)カサル所而シテ列國トノ交誼ヲ篤クシ萬邦共榮ノ

樂ヲ偕(とも)ニスルハ之亦帝國カ常ニ國交ノ要義ト爲ス所ナリ今ヤ不幸ニシテ米英両國ト釁端(きんたん)ヲ開クニ至ル

洵(まこと)ニ已ムヲ得サルモノアリ豈(あに)朕カ志ナラムヤ中華民國政府曩(さき)ニ帝國ノ眞意ヲ解セス濫ニ事ヲ構ヘテ

東亞ノ平和ヲ攪亂シ遂ニ帝國ヲシテ干戈ヲ執ルニ至ラシメ茲ニ四年有餘ヲ經タリ幸ニ國民政府更新スルアリ

帝國ハ之ト善隣ノ誼ヲ結ヒ相提携スルニ至レルモ重慶ニ殘存スル政權ハ米英ノ庇蔭ヲ恃ミテ兄弟尚未タ牆ニ

相鬩(あいせめ)クヲ悛(あらた)メス米英両國ハ殘存政權ヲ支援シテ東亞ノ禍亂ヲ助長シ平和ノ美名ニ匿(かく)レテ東洋制覇ノ非望ヲ

逞(たくま)ウセムトス剰(あまつ)ヘ與國ヲ誘ヒ帝國ノ周邊ニ於テ武備ヲ增強シテ我ニ挑戰シ更ニ帝國ノ平和的通商ニ有ラユル

妨害ヲ與ヘ遂ニ經濟斷交ヲ敢テシ帝國ノ生存ニ重大ナル脅威ヲ加フ朕ハ政府ヲシテ事態ヲ平和ノ裡ニ囘復

セシメムトシ隠忍久シキニ彌(わた)リタルモ彼ハ毫(いささか)モ交讓ノ精神ナク徒ニ時局ノ解決ヲ遷延セシメテ此ノ間却ツテ

益々經濟上軍事上ノ脅威ヲ增大シ以テ我ヲ屈從セシメムトス斯ノ如クニシテ推移セムカ東亞安定ニ關スル

帝國積年ノ努力ハ悉ク水泡ニ帰シ帝國ノ存立亦正ニ危殆ニ瀕セリ事既ニ此ニ至ル帝國ハ今ヤ自存自衞ノ爲

蹶然(けつぜん)起ツテ一切ノ障礙(しょうがい)ヲ破碎スルノ外ナキナリ皇祖皇宗ノ神靈上ニ在リ朕ハ汝有衆ノ忠誠勇武ニ信倚(しんき)シ祖宗ノ

遺業ヲ恢弘(かいこう)シ速ニ禍根ヲ芟除(せんじょ)シテ東亞永遠ノ平和ヲ確立シ以テ帝國ノ光榮ヲ保全セムコトヲ期ス

  御 名 御 璽

昭和十六年十二月八日

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