歴史

2019年5月15日 (水)

なぜ世界遺産?

 昨日は、本塾のアくセス数が普段の倍を超えた。昨日書いたのは「閑地の花」という、それこそ閑ネタなので不審に思い、解析のページを開いた。

 原因は、2011年5月の「前方後円墳のなぞ」に対する検索によるものらしい。なるほど。百舌鳥・古市古墳群の世界遺産指定申請に関する報道の過熱ぶりが影響したと見える。8年前の記事、変なことは書いてないだろうな、と思ってページを繰って見たが、心配することはなかった。

 それより、今回の申請は、世界基準に無理に合わせようとして日本の古墳文化全体から見ると不自然で誤解を生む要素が多い。

 古墳マニヤの塾頭は、九州から東北・北限に至る各地の前方後円墳をいくつも見ているが、百舌鳥・古市だけはまだ行っていない。ついでがないことが大きいが、行っても自由に登れないことや、周辺の環境が造営当時と激変していることと、創成期の纏向古墳群や終末期の関東各地などの、歴史と文化の転換というロマンに乏しく、中間的存在として関心が薄いのが理由だ。

 宮内庁が「静安と尊厳を保つため」という理由で専門家の科学的調査を拒否し、今後も方針を変えないとしているが、仁徳陵の造営時期が想定より大きく後にずれ込んでいることが学会の定説となった。

 歴史書は、天皇名を除き「大山(だいせん)古墳」とすることが多くなり、教科書でも採用されている。ところが、今回は敢えて「仁徳陵」名で申請、「静安と尊厳を保つ」はずの政府方針が逆効果を生む可能性が出てきた。

 塾頭の悪い癖で、今回の申請自体その真意がわからず、政治的効果を狙っているように思えてならない。

 

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2019年5月 4日 (土)

平成元年には何が

 10連休もあと2日。令和フィーバーが続く中、さして書くこともないので、平成元年略年表を。

1・昭和天皇死去、皇太子昭仁が即位「平成」と改元 2・大喪の礼 3・竹下首相のパーティー券のリクルート社購入発覚 4・消費税実施(3%) 6・宇野内閣成立 中国天安門で民主化運動への弾圧事件 7・参院選で社会躍進、与野党逆転 8・第一次海部内閣成立 11・総評解散、連合と全労連結成 ベルリンの壁事実上撤廃 12・土地差本法成立 失脚したルーマニア大統領夫妻射殺

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2019年5月 1日 (水)

沖縄差別の歴史変造

 令和最初の日、沖縄の県紙2社の社説は、他マスコミ同様に歓迎ムードだった。ところが2日前のに琉球新報ではこうある。

 沖縄に関する限り昭和天皇には「戦争責任」と「戦後責任」がある。それらをあいまいにはできない。二度と同じ悲劇を繰り返してはならないからだ。昭和天皇が米軍による沖縄の長期占領を望むと米側に伝えた47年9月の「天皇メッセージ」も、沖縄の米統治に影響を与えた可能性がある。新憲法下での政治的行為だった。

 そうすると、先代、先々代の天皇の間に断層があることになるが、この書き方は、昭和史を歴史として扱う上で昭和天皇を誤解させる恐れがある。

 占領中のマッカーサー総司令官と昭和天皇は、直接の面会を通じて深い信頼関係があったことは、前回書いているが、昭和史としても通説化している。

 だが、引用中の「47年9月の天皇メッセージ」という表現が大きな誤解を与えるもとになっている。「メッセージ」は、「伝言」という軽い意味もあるが、アメリカの大統領教書のような重みのある伝達にも使われる。

 この場合のメッセージは、日常天皇の非公式発言や気持ちを察することのできる位置にいる寺崎宮内庁御用掛が、シーボルト連合国最高司令官政治顧問に伝えられた天皇の見解とされている(『寺崎英成御用掛日記』)。そのメモが、米国国立公文書館から公開されて、動かぬ証拠のように扱われるようになった。

 しかし、日米講和条約調印の4年前のことである。この年の5月6日、マッカーサーと昭和天皇が会見しており、ここで天皇は「もしアメリカが日本より撤退したら、誰が日本を保護するのか」と問うたとされる(前掲書)。

 ここからわかることは、昭和天皇が「メッセージ」で、沖縄を差別し復帰を遅らせたという解釈にはならないということだ。この年はすでに新憲法下にある。天皇の政治的発言はできないことになっていることは、双方承知しているはずで、本土と沖縄は同列に置かれていた。

 この年は6月に片山哲社会党首班内閣が成立し、7月に沖縄人民党が結成された。かりに、天皇発言がなかったとしても、本土にしても沖縄にしても革新勢力の進出で外国の干渉を受け、国内が混乱状態になることを内心恐れていたことは、十分にあり得る。

 それを、現在の辺野古基地に対する本土の差別意思などに関連させる思考があるとすれば、それこそ歴史の変造になる。

 諸資料から見て、昭和天皇は、全く逆の観点から差別なく国民の安寧を願っていたことがうかがえる。メディアも学者もこの変造を一刻も早く是正する任務がある。

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2019年4月19日 (金)

ええじゃないか

 天皇陛下伊勢神宮参拝で盛んにTVニュースの映像が流れる。それで思い出したのが、幕末の「ええじゃないか」大衆運動勃発である。皇大神宮のお札が空から降ってきたといううわさが発端である。

♪ええじゃないか ええじゃないか

臭いものに紙を張れ 破れたらまたはれ

ええじゃないか ええじゃないか

 こうはやし立てて、阿波踊りのように踊り狂う集団が、中部地方から全国各地にひろがっていく。そのまま、伊勢に向かう一団も出る。歌詞は世を狭くするタブーの否定で、歌詞は卑猥なものも含めてまちまち、神の世の再来で何をしても自由という願望が背景にある。京都では反幕の志士が活躍している頃だが、これとは関係がない。

 同時に「世直し一揆」という農民運動や、不満のはけ口として「打ちこわし」にも火がつく。このような大衆のエネルギーが大政奉還や討幕に大きく影響した。

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2019年4月 8日 (月)

県議選に行きました

 当地の最初の統一地方選は、県会議員で始まった。全国的には各地まちまちでコメントのしようがなく、塾頭の投票行動を示しておくことにする。

 久しぶりに共産党の新人候補に投票した。結果は落選。この地区における党の議席はなくなった。投票の理由は、本塾がこれまで数回取り上げている、本邦最古の陸軍教導團(後の士官学校)の赤れんが造倉庫を、かつての軍都を象徴する記念物として保存するということを、唯一公約として公報に掲げていたからだ。

 去年、任期満了による市長選で立民党から出馬、当選した現市長は、保存の意向を示しているが、広大な敷地と他の建物とともに、現在県の所有となっており、「県との調整が必要」として具体案を示していない。県を説得する立場の県議が生まれればプラスになるとの思いがあった。

 立民からは、女性新人候補がトップ当選した。全体を見ても議席を増やしている党は立民だけであるが、中央同様自公の厚い壁には歯が立たない。

 タレント出身の県知事・森田健作は「金のかかることはしたくない」だけで動こうとはしない。このまま放置すれば旧陸軍の歴史を綴る記念物としてだけでなく、東京駅や富岡製糸工場跡に匹敵する建築物遺産が消えてしまう。

 保存運動は、国からか地方からか。やはり地方からだろう。

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2019年3月29日 (金)

ロシア気質

 その日のニュースに食いつきたくなるような題材があればそれを採用するが、ない場合は、本棚を見渡して、その中からタイトルを見ながら、今日につながるような内容がありそうな本を、パラパラとめくって見る。

 今回手にしたのは、司馬遼太郎『ロシアについて』文芸春秋、である。『坂の上の雲』という代表作のある著者が、舞台となる日露戦争の対戦国をどう理解するかについて調べたことが書いてある。

 1986年、ソ連崩壊5年前の本だが、北方領土問題で一向に焦点が合わない相手を知る上で、なかなか有益な内容がある。最初は興亡する遊牧民族、支配者の興亡、異民族侵攻、帝政ロシアによる統一、ソ連の興廃などの記載を整理してみようと思ったが、マーキング・ぺーパーで山盛りになり、とても手に負えそうにもない。

 そこで、手抜きをして肝心なところだけを抜粋・引用する安易な方法で逃げることにする。

8ページ・北方領土について

日本国政府がこれを非とする――私も非とします――以上、政府はこれについての解釈と要請を何年かに一度、事務レベルでもってソ連の政府機関に通知し続ける――ことでいいわけで、あくまでも事は外交上の法的課題に属します。これをもって国内世論という炉の中をかきまわす火掻き棒に仕立てる必要はなく、そういうことは、無用のことというより、ひょっとすると有害なことになるかもしれません。

29ページ・ロシア王朝を引退したウィッテ伯爵(18491915)の回想録

ロシアは全国民の三五パーセントも異民族をかかえている。ロシアの今日までの最善の政体は絶対君主制だと確信している。

 なにがロシア帝国ををつくったか。それはむろん無制限の独裁政治であった。無制限の独裁であったればこそ大ロシア帝国は存在したのだ。

 

と書いているのは、かつての――あるいはその後の――ロシア的本質を考える上で、深刻な問題をふくんでいると思います。

 ソ連になってからも、毎年、メーデーの日に、赤い広場で、おそろしいばかりの威力を持つ兵器が、兵たちとともに行進します。私はむかしから、あれは外国に対する示威よりも、連邦内の諸共和国に対し、

 ――モスクワはこんなに凄い兵器をもっているのだ。むほん気をおこすのはむだだぞ。

と言っているいるのだと思っていましたし、いまも思っています。そのすごい兵器群に対し、たった一つの命令ボタンを押す権力のみが、ソ連を束ねているのだと思っています。

 北朝鮮や中国の党独裁と違う政体を持つロシアだが、長い歴史の中ではぐくまれた気質はそう簡単に変わらないものらしい。

 

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2019年3月28日 (木)

内地雑居

 政府の思惑通り盛り上がらなかった去年の「明治改元」から150年。その後間もなく開始された幕藩体制から立憲議会制への転換、鎖国から文明開化への変身は、たしかに日本史上画期をなす出来事だった。攘夷が消えて外交が始まったことも大きい。

 ただ、曲がりなりにも「開国」といえるようになるのは、最恵国待遇を認め合う1899年の日英通商航海条約締結からである。

 今年が120年目に当たる。それまではアメリカなど4か国との条約同様、在日外国人の治外法権が認められるかわりに、国内旅行の制限、居留地以外の居住や不動産取得は認められなかった。

 この時、攘夷の流れを捨てきれない国粋主義派が、条約に反対する国民運動を起こそうとして唱えたのが「内地雑居」である。ほかにも、巨大資本をバックに日本の国産石油の採掘権を脅かすとか、神戸の沖仲仕に大量の外国人労働者がやってきて日本人の職を奪うなどの反対論も出た。

 現在世界中で起きている「トランプによるメキシコ国境の壁」「イギリスのEU脱退」問題などと、どことなく似ているが、日清戦争勝利がもたらした一流国の仲間入りという雰囲気の中で「内地雑居」の声はかき消された。

 この問題、日本は120年前に卒業済といいきれるかどうか、怪しいものだ。

 

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2019年3月26日 (火)

「象徴天皇」の混乱

 今上天皇の退位が近づくにしたがって「象徴天皇」の議論も多くなった。その中で今上天皇が繰り返し言及される「象徴天皇のあり方を追い求める」という姿勢に関連して、「象徴天皇は古来から続いている美風」という、一種の世論操作があるように思う。 


19年も前に発行された本なので書評ではないが、今谷昭『象徴天皇の発見』文春新書、という本を取り上げてみよう。その帯に「それはGHQの発案によって戦後いきなり現れたのではない。実は歴史の中に源流があるのだ。」とある。


 今上天皇発言は、現憲法の第一章 第一条「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、その地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」を指していることは明らかである。つまり、父君がその前半を担った、旧憲法「神聖ニシテ侵スへカラス」や「統治権ヲ総攬」する天皇ではない「象徴天皇」の追及を終始追い求めた初代の天皇といっていい。 


 前掲書の著者は、歴史を専攻する学者であり大学教授でもあるので、本の中身を精読してもそのようには取れない。文中、清和天皇がわずか9歳で践祚したことについて、



(前略)天皇には、日本国の時間(暦)と空間(国図)を支配しているという象徴として”鎮座”ましましているだけでよいというのが議政局面々の認識であったろう。こうして、名実共に、清和の即位は象徴天皇の登場をつげるものであった。(92ページ)



としている。


 そして、巻末の“むすびにかえて”で最後に小見出し「象徴天皇制は日本に適合したシステム」でこういう。



私は考える。日本人は、古代以来、天皇執政と不執政の間を揺れ動き、試行錯誤をくり返してきたが、最後に見出される結論は、象徴天皇制こそこの国土・民族に最も適合してきたシステムであろうという点である。(後略)



 中味は「執政」と「不執政」を論じたもので、今上天皇の真意とは無関係の「象徴天皇」なのだ。しかし、こういった図書の刊行で、日本史の上で「象徴」とか「万世一系」などで、誤解を広める恐れがある。特に、本の扉や見出しには、編集者の手が入ることが多い。若い人に誤った史観を定着させないように注意が肝要だ。

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2019年3月16日 (土)

続・イギリスの我がまま

EU脱退について書き始めた3回前の題だが、銃乱射で49人もの人が死ぬという大変な事件がニュージーランドで起きたので、昨日を含めて連続3回この題を生かすことにした。

ただ、容疑者の先祖または本人が、イギリス出身であるかどうかはわからない。70ページ以上もある犯行声明文が押収されており、それには、「白人のオーストラリア人で28歳、反移民が動機」としている。

ニュージーランドもオーストラリアも国旗の肩にユニオンジャックを配し、国語も英語なのでそういうことにしておく。

反移民――、よくいうよ。18世紀末、4万年も前から住み続けている原住民の中へ流刑者などを押し込んで植民地化したイギリス、これこそ典型的な「移民」政策だ。

容疑者本人の無教養が露呈したのか、あるいは国全体がそんなことに無関心なのか、いずれにしても「わがまま」な話だ。

 

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2019年2月26日 (火)

二・二六事件

二・二六事件は83年前の今日起きた。マスメディアを見渡したがこれに触れている所は見当たらない。さきの戦争の原点ともいえる事件である。本塾では必須科目になる。以下、『日本近現代史小辞典』角川書店、を引用しながら復習する。

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1936年(昭和11)に起こった皇道派青年将校によるクーデター。軍ファシストによるクーデター計画の最後の事件となる。彼らは右翼・北一輝の影響を受け、武力による国内改造を企画、第一師団の満州派遣が発表されて蜂起を決意、26日早朝歩兵第一・第三、近衛歩兵第三各連隊から1400人余の部隊を出動させ「昭和維新」「尊王討奸」などを叫び斎藤実内大臣、高橋是清蔵相渡辺錠太郎教育総監らを殺害し(岡田啓介首相も当初即死と伝えられたが隠れて存命していた)、鈴木貫太郎侍従長に重傷を負わせ、陸軍省・参謀本部・国会・首相官邸など一帯を占領、陸軍上層部に国家改造の断行を要請した。

陸軍当局は戒厳令を敷いたものの、一致した収拾策を作り上げることができず、海軍・政財界の支援が得られないと見られることから弾圧に転じた。

天皇は、「朕が最も信頼せる老臣を悉く倒すは真綿にて朕が首を絞むるに等しい行為である。朕自らが近衛師団を率ゐて鎮定に当たらん」(『日本の歴史24』、中公文庫→、『本庄繁手記』)と鎮圧を繰り返し促していた。

陸軍当局は、29日の地方部隊上京を機に、蜂起部隊を反乱軍と規定し勅令をたてに帰順を呼びかけた。

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全ての歴史がそうであるように、この事件においても、当事者の意図とは全く異なった結果がそこから生まれ、それが独り歩きをはじめる。そしてその中で、戦争への道が着実に切り拓かれていったのであった。(前掲書)

 

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