歴史

2020年2月11日 (火)

建国記念の日

 ――ということで、今日は学校も官庁も国民の祝日だからお休み。「建国記念日」ではなく記念の日と「の」が入っているのはなぜか調べた。

 敗戦の年まで「紀元節」で、昭和15年は「紀元2600年」とされて、戦意高揚に最大限利用されたが、戦後はGHQの批判や、神話の時代で日取りも不確かだという反対論があり「の」を入れてごまかしたのが真相のようだ。

 祝うにしては根拠薄弱、学校ではどう教えているのだろう。ちなみに、各国の建国記念日も調べてみた。ほとんどの国は「独立記念日」とか「革命記念日」としており、紀元前にその日取りをあてているのは、日本と韓国だけである。韓国は日本のポツダム宣言受諾を受け、815日も「光復節」という独立記念日にしている。

 日本が根拠としている『日本書紀』はどう書いているか。(岩波文庫版準拠)

辛酉年の春正月の庚辰の朔(ついたちのひ)に、天皇、橿原宮に即帝位(あまつひつぎしろしめ)す。

 その目的については、

夫れ大人制(ひじりのり)を立てて義必ず時に随ふ。苟も民に利有らば、何ぞ聖の造(わざ)に妨(たが)はむ。且当(まさ)に山林を披(ひら)き払ひ、宮室を経営(をさめつく)りて、恭みて宝位(たかみくら)に臨みて、元元(おほみたから)を鎮むぺし。

(中略)然して後に、六合(くにのうち)を兼ねて都を開き、八紘(あめのした)を俺(おほ)ひて宇(いへ)にせむこと、亦可(よ)からずや。

 即位の年月は、暦のない時代のことで後世になって旧暦をあてはめた。伝承があったにしても証明はできない。

 国という表現はあるが、大和の国すら統一できていない時代のことである。「六合(くにのうち)」は大和のくにで、現在の国家と一緒にしては本当の歴史が成り立たなくなる。

 ところが、明治になってから強引に新暦の2月11日を建国記念日にしてしまった。

 だから、明治復古調の日本にこだわる人以外には、とても祝う気にはなれない日なのだ。

 今朝の朝刊を見ても、「建国の日」に触れた活字はいっさい見あたらなかった。ただ一カ所あつたのが、題字下の「本日の夕刊を休みます」だけだった。

 国民の祝日は、すべて見直して、新規・再編成を考えてもいい時期にきている。

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2020年1月31日 (金)

日英条約が意味するところ

 前回、日英条約など、イギリスとの関連が維新以後の一つの時代の区切りになっていることを示したため、その意味について詳述することにした。

 条約改正は明治政府長年の宿題であった。安政条約は二つの点で日本を劣等国とするまったく不平等な条約である。

 第一に自主関税、第二に居留外国人の裁判権がないことである。

 この改定に明治13(1880)井上薫外務大臣は失敗して辞任。26(1893)に陸奥宗光がイギリスと交渉を開始した。

 ロシアのシベリア鉄道が進捗している中で、極東の力関係にも大きな変化がおころうとしており、日本を積極的にだきこむほうが有利ではないかとイギリスは考えるようになったからだ。

 国内では、外国人の内地雑居が自由となることなどから依然として国粋派からの反対が盛んであった。一方、イギリスは、朝鮮をめぐる日本・清国の駆け引きの中清国の実力に疑問を持ち、日清戦争直前に日英条約改正に調印する。

 これをきっかけに、イギリス以外の国々との交渉も改正に成功し、日本も欧米諸国とまつたく対等な関係に立つことになったのである。

 安政開国以来、日本に在住する外国人は、東京・神戸・横浜・長崎などに設けられた居留地以外で、居住することも、商売をすることも、自由に旅行することも認められていなかった。

 これらは、一挙に撤廃されることになったのである。

 日本の石油業界に深い関心を寄せていた大隈重信は、日本の法人格を取得した国際資本のスタンダードが、⓵大製油所をつくって、国産原油を高値で買い占める。このため小製油所は操業不能となる。②油送鉄管をいたるところに張り巡らし、運賃の競争で同業者を倒す。⓷製品の価格競争で得意先を奪う。⓸国内業者を絶体絶命の境遇にしておいて、その後削井事業に着手する。などとして、対応できる国内企業の合同を強く呼びかけた。

 これに対して日本石油(ENEOSの前身)社長の内藤久寛はこうのべた。

「世人が今にも外人のために、石油業界を蹂躙せらるるが如く言いはやすはすこぶる面白し。しかし石油会社はみな一山百文のもののみとは限らず。中には永遠の計をなして堂々事に当たるの余力あるものなきにあらず。(中略)外人とて鬼神にはあらず、つまり同等の人間にしてそれほど畏怖するを要せず。(中略)今やわが日本帝国は内地雑居を許して外資輸入を望むの日なり。(後略)」

 ほかには、清国人労働者が大挙流入することを恐れた神戸の沖仲仕組合の心配があったが、いずれも杞憂に終わったといっていい。

 しかし、これを機に朝鮮や中国・満州に日本の資本進出を活発化し、この資本を守るという口実で軍隊を派遣したことが、後々の道を誤るきっかけとなったと言えるだろう。(参考文献、『日本の歴史』、『日本石油百年史』ほか)

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2020年1月30日 (木)

日本の美と英国

 今日は、1902年に日英同盟を締結した日にあたる。

 これは、ロシアの南下政策や欧州各国が中国や朝鮮での利権競争に対処する目的を持った軍事同盟である。

 その前、1894年の日清戦争直前に日英通商航海条約を調印している。これを機に、治外法権などの対外不平等条約がなくなり、いい意味でも悪い意味でも明治維新に一つの区切りをつける結果をもたらした。

 この先、大正・昭和初期は、イギリスとの関係が好悪を交えた波乱に満ちた展開をたどるが、その重みは終始消滅していない。

 今日、芝・増上寺を訪ねて、思いがけない知識を得た。同寺大殿地下1階の「宝物展示室」を見学した結果である。戦災で失われた、台徳院殿霊廟の本殿の精密な模型が展示されていたのである。

 模型は1910(明治43)年、ロンドンでの日英博覧会に展示するため、日本から渡り、その後に行方不明となっていたものである。

 その一部を英王室直属のロイヤル・コレクション・トラストの倉庫で発見、完全修復したものが「貸与」という形で帰国し、増上寺の宝物展示室に飾られているのである。

 この模型の美しさは、アメリカに渡った美女の浮世絵に決して劣らない日本工芸の誇りとすべきものだと思った。

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2020年1月28日 (火)

麒麟と時代

 NHK大河ドラマ「麒麟がくる」に明智光秀が取り上げられている。戦時中、少年に人気のあったのは、同時代の豊臣秀吉である。学校教育、少年雑誌、紙芝居などで大活躍する。

 校庭に必ず設置されていた銅像の二宮金次郎は、親孝行の農民がモデル。しかし戦時末期には軍需用金属として撤去・供出の憂き目を見る。

 同じ貧民の出ながら、豊臣秀吉の奇跡的な出世談から天下人となる物語にはかなわない。

 秀吉はよく徳川家康と比較される。「鳴かぬなら殺してしまえほととぎす」が織田信長、「鳴かぬなら鳴かしてみようほととぎす」が秀吉、「鳴かぬなら鳴くまで待とうほととぎす」が家康とよく比喩される。

 いずれも戦国時代末期の武将で戦争に明け暮れしていたわけだが、秀吉が追随する大名たちに分与するため新領地を朝鮮・中国に求めて出兵したり、官位を欲しがり、征夷大将軍の名乗りを求め、源氏・平氏に限られるという理由で断られるや、それに代わる関白・太政大臣という最高位を求めて実現させるなど、熟慮黙考型ではない。

 出世物語と、戦争で天下を切り開き対外侵略に手出しした秀吉に対し、熟慮黙考型の家康をくらべて、家康は、悪がしこい「狸おやじ」といった評価で、天皇制約を意図した公卿法度を作るなど、「不忠者」に位置付けられていた。

 戦時教育と限りなくマッチしていたのである。

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2020年1月23日 (木)

あいまいな天皇論

 去年から今年、令和という代替わりに当たって、様々な立場から様々な「天皇論」が出、また皇室一家の動静についての報道もあふれた。

 1990年に発刊された司馬遼太郎『手掘り日本史』文春文庫がある。その中にこういう一文がある。

日本の天皇さんというのは、これは私の持論なんですが、大神主なんですね。日本人の精神的秩序の中心であって、地上の皇帝ではないわけです。中国の、あるいはヨーロッパの皇帝のようなものではない。

 ここまでは、塾頭も同じ考えである。しかし、その先は、明治維新を神道復活と見る安倍首相を取り巻く保守系政治家に、共通する史観になっていると思われるので、続けて転載する。

それを強引に皇帝にすることによって、水戸学はその尊王攘夷史観を打ち立てる。そしてこの場合、夷というのは幕府になる。(中略)明治維新という変革、私は維新を、一応革命だと思っているんですが、そのとき、日本を統一国家にするのに、天皇さまを皇帝にすればいい、京都の御所の中で、その垣一重のなかでは日常神事をやっておられる人を、ここで皇帝にもってくればいい、ということになるわけです。

 この考えは、前回書いた伊藤博文らが起草にたずさわった大日本帝国憲法の「立憲主義」と、あきらかに相反する発想であることを、もう一度はっきりさせておく必要がある。

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2020年1月10日 (金)

古墳の差別廃止の時期

 塾頭は、高校を卒業するまで物理班の班長だった。文系は、年代と人名を暗記するのが苦手で、特に歴史は敬遠の対象だった。

 それが現在は、ブログに「歴史」というカテゴリを設けているほどだ。

 今日の毎日新聞に、最古の巨大古墳「箸墓」の内部を「ミューオン」を使って透視する研究を進める、という記事があった。

 ミューオンは、宇宙線、素粒子に関連する言葉らしいが、ネットの解説で見ても、塾頭にとっては難解きわまる新・物理用語である。

 箸墓は日本古代の原点として存在する貴重な存在で、本塾も度々取り上げている。近辺の発掘調査も進み、箸墓を魏志倭人伝に登場する「卑弥呼」の墓ではないかという仮説が勢いを増している。

 『日本書紀』では、第7代孝霊天皇皇女の倭迹迹日百襲姫命の墓、としているが、巫女として祈る力や預言能力から天皇を超える政治力のあったことが記録されている。

 宮内庁は、考古学的に証明できない古墳でも、明治以降皇族の陵墓として指定した古墳については、「皇室の尊厳を犯す」という理由で内部の学術調査を禁止している。

 どうやら、人の立ち入りは禁止するが、ミューオンならかまわないということらしい。

 出てくる学術的成果に、そんな区別はない。「令和」の時代だ。皇族陵墓を特定する差別など一切廃止する時期に来ているのではないか。

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2019年12月13日 (金)

寺田寅彦85年前の慧眼

 文化が進むに従って個人が社会を作り、職業の分化が起こって来ると事情は未開時代と全然変わって来る。(中略)

 村の貯水池や共同水車小屋が破壊されれば、多数の村民は同時にその損害の余響を受けるであろう。(中略)

 各種の動力を運ぶ電線やパイプが縦横に交差し、いろいろな交通網がすきまもなく張り渡されているありさまは高等動物の神経や血管と同様である。その神経や血管の一か所に故障が起こればその影響はたちまち全体に波及するであろう。

 今度の暴風で畿内地方の電信が不通になったために、どれだけの不都合が全国に波及したかを考えてみればこのことは了解されるであろう。

 これほどだいじな神経や血管であるから天然の設計に成る動物体内ではこれらの器官が実に巧妙な仕掛けで注意深く保護されているのであるが、一国の神経であり血管である送電線は野天に吹き曝しで風や雪がちょっとばかりつよく触れればすぐに切断するのである。市民の栄養を供給する水道はちょっとした地震で断絶するのである。

 もっとも、送電線にしても工学者の計算によって相当な風圧を考慮し若干の安全係数をかけて設計してあるはずであるが、変化の激しい風圧を静力学的に考え、しかもロビンソン風速計で測った平均風速だけを目安にして勘定したりするようなアカデミックな方法によっって作ったものでは、弛張のはげしい風の息の偽週期的衝撃に堪えないのはむしろ当然のことであろう。(中略)

 それがいっこうにできていないのはどういうわけであるか。(中略)我が国の地震学者や気象学者は従来かかる国難を予想してしばしば当局と国民とに警告を与えたはずであるが、当局は目前の政務に追われ、国民はその日の生活にせわしくて、そうした忠言に耳をかす暇がなかっったように見える。誠に遺憾なことである。

 要所以外は省略したが、それでも非常に長い引用になってしまった。

 ここまで、読んでいただけた方は、今年またはここ数年のことだと思うだろう。

 なんと85年も前、昭和9(1934)に『寺田寅彦全集』などで発表されたものだ。それを再構成したものが『天災と国防』と題した講談社学術文庫、にあり、そこから引用した。

 電力会社、政府、地方自治体等の無為無策は、そんな昔から、すでに見透かされていたことを知らなかった。

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2019年11月28日 (木)

にせもの神武天皇陵

 天皇、皇后両陛下は27日、即位の礼や重要祭祀「大嘗祭」の終了を報告するため、初代天皇とされる神武天皇の陵(奈良県橿原市)を参拝した。

 一連の皇室行事をこんなに長々とテレビ放映し続けることは、上皇陛下即位の時はなかった。

 しかし、神武天皇陵はまずい。本物の墓でないことがはっきりしているからだ。

 そもそも、神武天皇陵重視は、天智天皇の跡継ぎをねらっていた弟の天武が、天智の子供誕生でクーデターに成功してからだ。

 皇統に疑義を生じさせないように打った念入りの施策のひとつである。

 しかし、陵の存在そのものがあいまいで、中世にはどこかわからなくなっていた。江戸時代になって水戸光圀の大日本史編纂にあたり「これではいけない」となり、歴代天皇陵を特定させる作業が始まった。

 考古学的裏付けなしで記紀などの表現で推定しているので、仁徳稜などは被葬者に疑義がある。

 伊勢神宮、橿原神宮など、先祖と言われる神が祭られているという信仰施設は、墓とは違う。

 神武天皇陵がひどいのは、所在地が何度も変更されたり、現在のものも円墳のような形はしているが、陵墓にふさわしい埋蔵物は何もない。

 歴史学に造詣が深いとされる今上天皇が、そんなことをご存じないはずはない。

 明治以来の宮内庁官僚が「前例に基づき」として準備した一連の祭祀。「まっ、仕方ないか」と従われることになったとするなら、ご同情申し上げるはかない。

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2019年11月21日 (木)

奈良県最古の水田跡

 奈良県立橿原考古学研究所(橿考研)は20日、弥生時代前期(2500~2400年前)の水田跡が見つかっていた奈良県御所(ごせ)市の中西遺跡と周辺で、確認された水田跡が約4・3ヘクタールに上ったと発表した。同時期の水田の広さとしては全国最大規模で、10ヘクタールを超えた可能性も考えられるという。稲作が日本に伝わって間もない頃に既に大規模水田があったことが示された。(毎日新聞・11/21、後略)

 この記事を見て、「日本神話は史実だった。神武天皇の橿原即位を祝った大戦前年の国家行事、皇紀2600年の証拠になる」などという人が出てくるのではないかと思った。

 考古学と歴史はそんなに簡単に結びつかないが、こんな昔に大規模の水耕稲作が奈良県の山間部にあったとすれば、やはり驚きである。

 これまで水田跡といえば、静岡県の登呂遺跡、奈良県の唐子鍵遺跡、佐賀県の菜畑遺跡などが有名だが古さでは、2950年ほど前とされる菜畠が、今回発見の遺跡より数百年ほどさかのぼる。

 水田は、畑作と違って場所を選ばず栽培することはできない。安定的な水源を確保し、そこから区切られた多くの田へ安定的に水を供給するという大工事が必要で、それを集約する「権威」を持つ、「くに」が構成されていなければならない。

 それを、現・皇族の先祖とするのは、ほかに科学的根拠がなく、飛躍しすぎているので採用されることはないだろう。

 考古学と歴史が比較検討できるのは、傍証豊富になる古墳時代以降である。

 今回発見された場所は、飛鳥時代まで権勢を誇った蘇我氏の本拠・葛城に近く、渡来系氏族に関係があるかも知れない。

 これを見て反日種族主義者が喜んではいけない。渡来者は倭人か漢民族か扶余族か定かではない。水耕田を作る技術と組織力が備わった人が縄文末期にここにいた、ということだけである。

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2019年10月10日 (木)

日本版ビーナス誕生

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 奈良の唐子遺跡といえば、弥生時代最大の環濠遺跡として名高い。これまでも軒先にぜんまい型の飾りをつけた高床式建物絵画の描かれた土器が発掘され、遺跡を象徴するビジュアルとされてきた。

 写真は、同遺跡から発掘された土器片に描かれた新たな人物像として、今日の毎日、朝日などに紹介されている。

 弥生中期(紀元前1世紀)頃のものとされ、胸の乳房や広げた腕の下にひれ状の飾りをつけた「鳥装」があることなどから、女性シャーマンの絵とする学者の説を加えている。

 女性シャーマンなら、文献に現れる最初が卑弥呼で、これより3世紀ほど前の絵ということななる。

 この絵が、古事記、日本書紀の神話、「あまてらす」の存在を暗示することになるかどうか。

 古代史マニュアにとっては、小泉信次郎ではないが「セクシー」な発見である。土器片にある彼女は、日本版ビーナスになりそうだ。

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