歴史

2017年12月23日 (土)

「陸軍」遺跡崩壊

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市川市国府台はかつて軍都であった。現在は写真の赤れんが造の武器庫の跡と、あとを引き継いで建て直された近代的な国立病院ぐらいで、その他はほとんど痕跡をとどめない。

 

現存する建物および周辺は、県の所有で今は全く利用されていない。建設された時期は明治初頭にさかのぼり、陸軍教導団時代のものとされる。れんがは明治はじめに盛行したフランス積み工法で、その後の発展段階と比較できる貴重なレガシーである。その価値は、まさに富岡の製糸工場跡に匹敵する。

 

武士に限られていた仕事を、明治維新によって国民皆兵の名のもと、農・工・商も加えることにした。そのため、下級士官の養成が急務となり、教導団がまず設けられることになったのだ。

 

後に士官学校が新設され廃止されるが、その出身者が日清・日露などの戦役で中心的役割を担ったことは、想像にかたくない。その後この一帯は、砲兵連隊などとともに広大な練兵場が設けられた。

 

病院は、教導団時代すでにできていたが、塾頭の知る限り、精神科のある唯一の陸軍病院で、今アメリカのイラク帰還兵などで問題になっている深刻なPTSD(心的外傷後ストレス障害)患者や、思想犯的兵士の「入ったら出られない」代用監獄的存在としておそれられていた。

 

軍都だった唯一の史跡を残そういう市民運動が起きたが、本年1月、県や国の支援が受けられず、市川市長が赤レンガ保存のための「用地取得を断念した」と表明、運動の後退により放置か破壊が懸念される。

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以上は2017/83/10の「千葉県知事選の争点に」の一部を再録したものでこのほど、ある程度予想はしていたものの、恐るべき展開になった。以下は「赤れんがを守る会」から伝えられた内容である。

今年初めの、市川市長が「旧血清研の跡地の取得を断念」したという報を受けて、管理者の千葉県では、「向こう3年間で処分準備に入る」ということになりました。実際、今年の見学会は、そのために中止を余儀なくされました。このままでは「赤レンガの崩壊の危機」は現実になりそうです。

という訳で、千葉県内外を問わず多くの方の署名をいただいて、千葉県と市川市とへ改めて「保存と活用」を求める要望を提出することにしました。

県知事は、元タレントの森田健作氏である。かれの言動から見てこの県有地をデベロッパーなどに譲渡するに違いない。西側の森林を一部伐採すれば、眼下に江戸川の流れ、東京の下町越しにスカイツリーがそびえ、遠く富士山も望見できる絶好の環境で、公園や学校に囲まれているが、一般人の入れない市内の秘境であった。


 デベロッパーは、目障りな赤れんがを壊し更地にして、分譲するか、マンション群にするか、ホテルを建設するなどのことを考え、投資の回収を図るだろう。

すでに記事にしているが、折りしもやり直し市長選を控えている。守る会では、立候補予定者数人にに本件に関する質問状を送っているが、いずれも市民の意見を尊重する旨の回答を寄せている。

 

民進党や共産党などの野党統一を指向する党の支持を受けるひとり以外は、自民党および保守系候補だ。現・大久保市長は、保守一本化をさかんに提唱しているなど、先行きはなお不透明だ。

 

守る会では、前述のように初回締め切りを1月末として署名運動を始めた。赤れんがを保存して、市内外に散在するかけがえのない史料などを展示公開する資料館にするとか、周辺の観光拠点となるため、演習地あとを利用して操業工場を建てたとされる「山崎パン」にレストランをかねた施設運用を民間委託するとか、アイディアはいくらでも出てくるはずだ。

 

「戦争遺跡」が気になるのなら、防衛省(近代陸軍)遺跡として働きかける価値さえあるのだ。署名は、守る会のホームページからもできるので、是非ご協力願いたい。

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2017年12月 1日 (金)

粛慎人漂着記録

北朝鮮木造船漂着ラッシュである。日本海沿岸に不審な舟がやってくるのは、古代から数多くある現象。有名なのは、粛慎(しゅくしん)人である。もともと中国人が東北地方の種族をさした名称だが、日本のこれまでの定説は、北海道あたりの異民族が海伝いに来たというものである。

この説は不自然な点が多い。蝦夷が住む陸地を避け、海流に逆らって南下したとするより、リマン海流から日本海流に流され、かつ強い季節風で北陸道沿岸に吹き寄せられたと見た方がいい。

日本書紀の岩波文庫、読み下し文から1502年前(欽明天皇5年)の出来事を引用する。

十二月(しわす)に、越国言(もう)さく、「佐渡嶋の北の御名部(みなべ)の碕岸(さき)に、粛慎人(みせはしのひと)有りて、一船舶(ひとふね)に乗りて淹留(とどま)る。春夏捕魚(すなどり)して食に充(あ)つ。彼の嶋の人、人に非ずと言(もう)す。亦鬼魅(おに)なりと言して、敢て近つかず。嶋の東の兎武邑(うむまさと)の人、椎子(しひ)を採拾(ひろ)ひて熟(こな)し喫(は)まむと為欲(おも)ふ。灰の裏(なか)に着(お)きて炮(い)りつ。

其の皮甲(かわ)、二の人に化成(な)りて、火の上に飛び騰がること一尺余許(ばかり)。時を経て相闘ふ。邑の人深く異(あや)しと以為(おも)ひて、庭に取置く。亦前の如く飛びて、相闘ふこと已(や)まず。

人有りて占へて云はく。「是の邑(さと)の人、必ず鬼魅の為に迷惑(まど)はされむ」という。久にあらずして言うことの如く、其に抄掠(かす)めらる。是(ここ)に、粛慎人、瀬波河裏に移り就(ゆ)く。浦の神厳忌(いちはや)し。人敢て近つかず。渇ゑて其の水を飲みて、死ぬるもの半に且(なんなんと)す。骨(かばね)、巖岫(いわおのくさ)に積みたり。俗(ひとびと)、「粛慎隈(みせはしのくま)と呼(い)う」とまうす。

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2017年11月 3日 (金)

明治節&文化の日

文化の日に当たり、毎日新聞は「文化の日の改称運動 復古主義と重なる危うさ」と題した社説を掲げている。

昔の国民の休日は、四方拝、紀元節、天長節、明治節の四大節だけであった。休日といっても、学校では、四方拝の元日以外は朝に式典だけあって、それに出なくてはならなかった。だけど、日曜以外の休みはうれしかった。かつては紅白のまんじゅうが配られたというが、それは知らない。

今日が明治天皇誕生日に当たる明治節で、今上(昭和)天皇誕生日は4月29日の天長節だった。式典は、その意義をたたえる唱歌を歌って終わるので、子供の頃から「今日は何の日?」という“ふざけた”ことにはならなかった。

今、国民の休日は16ある。それぞれもっともらしい理屈はついているが、特別その日でなくてはならないということはない。連休を多くしたいから土日の前後に決めたというのもいくつかある。

それ以外に決まっている日が土日に当たれば、振替休日があり、今年は12もあることを知らなかった。これでは「今日は何の日?」になるのが当たり前。そこで毎日新聞の主張を見てみよう。

(前略)数年前から11月3日を「明治の日」に改称させるための政治活動が目立ち始めた。2011年に結成された明治の日推進協議会には、右派団体「日本会議」系の人びとが数多く名を連ねている。 

 見過ごせないのは、安倍晋三首相と思想・信条が近い政治家が積極的に運動を後押ししていることだ。 

 稲田朋美元防衛相は先週末に開かれた関連のシンポジウムに対し「私も明治の日創設の法律化に向け、同志の皆様と手を携えて全力を尽くします」とのメッセージを寄せた。 

 古屋圭司衆院議運委員長(自民)も主要な応援メンバーだ。昨年は代表して明治の日実現を求める60万筆余りの署名簿を受け取っている。 

 なぜ彼らはこれほどまで明治の日の制定にこだわるのか。 

 推進協議会は、祝日法が文化の日の意義として示している「自由・平和・文化」について「特定の一日とあえて結びつける必要があるのか」と疑問を投げかけている。 

 ただ、それ以上に活動を支えるのは現行憲法に対する拒絶感だ。すなわち憲法は占領軍による「押しつけ」だから、憲法と密接な文化の日も葬り去りたいのではないか。 

 憲法改正による戦後レジームからの脱却を訴えてきた安倍首相らの考え方と根っこは同じであろう。明治時代への漠としたノスタルジーや戦前回帰の感覚がそこに連なる。 

 衆院選で勝利した首相の最終目標が改憲であることは間違いない。しかも、来年は明治維新から150年の節目であるため、首相は「明治の精神」に学ぶ機運と改憲を絡めて盛り上げようとする可能性がある。(後略) 

言わんとしていることは、安倍嫌いの塾頭と同じだが、結論は違う。まず、名称は昔の明治節、紀元節、天長節(=昭和節)のままでいい。それぞれの時代について、「まっとうな」歴史認識を新たする日にすればいい。むしろ、そうすべきだ。

まず、紀元節だ。国家のない時代、国境もない時代について「建国記念の日」はナンセンス。日本語の「くに」の概念であれば、ローカルな話で、まだ「紀元節」の方があたっている。

そんな議論をこの日に大いに戦わすべきだ。それが、偏執右翼のまちがいを正すことになり、歴史研究を正道に乗せることになる。明治節も同じだ。江戸末期、尊王攘夷論が起きてから維新への過程、幕府賊軍説や薩長土肥の志士伝説、さらに四期ほどに分けられる明治時代の分析、それが大正・昭和にどう転化してきたかを、賛成・反対両派が大いに議論すればいい。

明治天皇への研究もタブー視や神格視せず、こういった機会に議論することが大切ではないか。「昭和節」についても同様だ。今の祝祭日制度は、全くその意義・根拠を失った。本旨から乖離した虚偽の制度といってもいい。

そういった「戦後レジュームの脱却」なら、昭和節を含め歴史認識を深化させることになるので賛成だ。

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2017年10月30日 (月)

カタルーニャと宗像大社

昨日と今日のニュースから。

カタルーニャと宗像大社、そこから連想の行った先は韓国・朝鮮である。「風が吹けば桶屋……」の類の話。それを語り始めたら、とてもブログでは収まらない。だからほんのさわりだけ。(^-^)

カタルーニャはスペインの1自治州だが、独立を要求する住民投票の結果をめぐって大騒ぎになっている。ヨーロッパでは同国バスク州、イタリア北部の2州、ベルギーの北半などでもそんな問題がくすぶっており、イギリスのスコットランド独立住民投票も、2回目が先送りされたままだ。

ヨーロッパの特殊事情と見なされがちだが、EUを構成する各国、アメリカをはじめ国連主要国は、基本的に独立に反対している。どの国でも、国家が分裂する事態は、軍を動員しても阻止したいというのが本音だからだ。

中東では、シリア・イラクの国境を越えてエリアを作ろうとしたISを、よってたかってつぶすことに一致し、ほぼ成功しつつある。そのあとは、国のない最大の民族といわれるクルド族国家建設を阻止するため、イラク政府などを背後から支援している。

独立運動は、ヨーロッパ・中東だけではない。アメリカがそもそも独立戦争でできた国であり、韓国・北朝鮮は、それぞれ日本を相手にした独立戦争に勝利した国という建前になっている。

韓国の場合、1919年の3・1独立運動がその始まりとしており、その前年、ウィルソン米大統領が、第一次世界大戦後の平和構築を目指す14か条の平和再建構想を発表、民族自決を尊重し、帝国主義的植民地支配競争をつつしむ方向性を示した。

しかし、英・仏などは既得権放棄に消極的ながら、戦争回避に向けて舵をきりはじめていたのである。韓国の独立運動も、ウィルソン構想に刺激を受けた在日学生などの運動がきっかけであった。

ところが、アメリカがそれを支持したわけではなく、上海にできた李承晩亡命政権を承認する国もなかった。ウィルソンは理想と現実をうまく使い分け、せっかくの平和をぶちこわすようなことはしなかったのだ。

ようやくテーマの韓国にたどり着いた。

もう一つは、宗像大社である。天皇・皇后は昨日、歴代ではじめて同社に参詣された。同社は、素戔嗚尊が祀った記録が日本書紀にある。伊勢神宮の由来より古く、縄文文化の痕跡を残す遺物がある。朝鮮半島と福岡県宗像地方を結ぶ最短コースとして、途中にある小島・沖の島が航海の安全を守る神体として存在し、そこへいろいろな奉納物が納められている。「海の正倉院」として評価され、今年、世界文化遺産に登録された。

大和朝廷が九州から東征したものかどうかは別として、記紀の内容は、先祖の素戔嗚尊と宗像神の関係や韓地(からくに)との往来など、あきらかに朝鮮の存在が意識されたものになっている。

天皇が、靖国神社への参詣を避け、宗像社を参詣するのは、「反日」だからではない。古代から連綿と続く日本の歴史や伝承の中から、韓地との関係を重視されているからである。

 

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2017年10月28日 (土)

日本のふるさと

Dscf3121_5 塾頭散策の範囲内に古墳が3カ所ある。いずれも小型な前方後円墳である。

大和朝廷の誕生・発展・定着を知るためには、どうしても数世紀続いた古墳時代を眺めなければならない。尊皇攘夷、明治維新、教育勅語こそ「日本」だと思うのが日本会議だとすれば、それは間違い。

写真は、市川市里見公園内にある明戸古墳。

手前の露出した2基の石棺が後円部、その先にやや低く延びた部分が前方部である。全長40mで石棺は筑波山産出の黒雲母片麻岩とされる。傍らに流れる江戸川の水運を利用したに違いない。

小さくても前方後円が作れるのは、大和朝廷の縁者か関係のある豪族。被葬者の2人はどういう人たちだろう。周辺から採取した埴輪から6世紀後葉の造営と見られる。

先週エントリーした「立憲民主と聖徳太子」。ちょうどその時代である。

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2017年10月 6日 (金)

古典で見る地震記録

[ストックホルム 5日 ロイター] - スウェーデン・アカデミーは5日、2017年のノーベル文学賞を長崎県生まれの英国人小説家カズオ・イシグロ氏(62)に授与すると発表した。受賞理由で「世界とつながっているという幻想的な感覚にひそむ深淵」を明らかにしたと評価した。

今朝の朝刊ではあまり大きく取り上げていませんが、素晴らしいことだと思います。まだ対象となった本を読んでいません。そのうち日本の古典も、戦争、大規模自然災害がもたらす脅威そして無常観など、世界につながる感覚が、見いだされるのではないでしょうか。

先月メキシコで大地震が起きたばかりですが、太平記、方丈記などには自然災害の記録が克明に記されています。それが、後世への貴重な教訓となり、日本の文化にしみこんできました。

方丈記から元歴地震の記事を引用してみましょう。(『新訂方丈記』岩波文庫より。注記は塾頭)

又同じころかとよ。(注・太平記に類似する記事があり、元歴2/1185年7月9日午の刻とわかる)おびたゝしく大地震(なる)振ること侍りき。そのさま、世の常ならず。山は崩れて河を埋み、海は傾きて陸地をひたせり。

土さけて水わきいで、巌われて谷にまろびいる。渚漕ぐ船は波にたゞよひ、道ゆく馬は足の立ちどをまどわす。都のほとりには、在々所々堂舎塔廟、ひとつとして全からず。或は崩れ或は倒れぬ。

盛りなる煙の如し。地の動き、家の破るゝ音、雷にことならず。家の内にをれば忽ちにひしげなんとす。走り出づれば、地われきく。羽なければ、空をも飛ぶべからず。竜ならばや、雲にも乗らむ。恐れのなかに恐るべかりけるは、只地震なりけりとこそ覚え侍りしか。

そのなごり(注・余震)しばしは絶えず。世の常驚くほどの地震、二三十度振らぬ日はなし。十日廿過ぎにしかば、ようよう間遠になりて、或は四五度、二三度、若しは一日まぜ(注・おき)、二三日に一度など、おおかたそのなごり、三月ばかりや侍りけむ。

四大種(注・地、水、火、風)のなかに水火風は常に害をなせど、大地にいたりてはことなる変をなさず。昔斉衡のころとか(注・斉衡三/856年)、大地震振りて、東大寺の仏の恩頭落ちなど、いみじき事ども侍りけれども、なおこの度にはしからずとぞ。

すなわちは、人みなあじきことなき(注・情けない。はかない。どうにもならない)事を述べて、いさゝか心の濁りもうすらぐと見えしかど、月日重なり、年経にし後は、ことばにかけて言い出づる人だになし。(後略)

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2017年9月22日 (金)

GHQと占領

Th3_3現今は英文字略号の氾濫で、どこの何やらさっぱりわからないことが多い。戦時は敵性語として姿を消していた。戦後いち早く民間で通用したのが、見事な手さばきで交通整理をするMP(ミリタリー・ポリス)とGHQだ。

GHQは、連合国最高司令官総司令部の略で、マッカーサーが1945年8月26日に空路厚木飛行場へ到着、最高司令官として着任した。そして72年前の今日22日、米政府は、ソ連の共同占領の要求を拒否し、事実上の米国軍単独占領の方針を規定している。

つまり、国連軍といっても米軍を指しているといってもいいのだ。そして27日には天皇がはじめてマッカーサーを訪問、面会している。マッカーサーは天皇をどの日本人よりも民主的だ、と評価した。

後世になって、占領を暗黒時代のように言い、憲法はGHQが一方的に押しつけたとする政治家が出てくるとは思わなかった。

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2017年9月 9日 (土)

身体検査

閣僚や党の要職を選任する際、「身体検査が甘かった」などという表現がすっかり定着した。そもそもは、戦前・戦中の言葉だ。

その意味するところは、軍人に適するかどうかを20歳男子の義務として課せられた「徴兵検査」の一環である。

痔や性病があるかないかを、局部露出で軍医が視覚検査をする。俗にM検と称した。学校で身体検査といえば体格や体機能測定のことであるが、持ち物検査をいうこともあった。

『広辞苑』なよると、「検査」は「基準に照らしてしらべあらためること」とある。基準は権力者の一方的判断で、あいまいなところが「こわい」点である。

正しくは「素行調査」というべきだろう。江戸城表御殿では、長唄の稽古に熱心という目付の評価により要職の役替えを棒に振ったというケースがあったようだ。

長唄といえば、色っぽい女師匠がつきもの、時代を越えても出世するのは楽じゃない。今時の目付は「週間文春」。ご用心ご用心。

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2017年8月25日 (金)

歴史に「もしも」はない

これはよく聞く禁句というか警句である。ただ本来の意味はよくわからない。

東南アジアにおいて、日本はそこの人々に対して”侵略”したわけではなく、白人に支配されている状況から解放しようとした。その意味では、白人支配からの解放戦争でもあった。

これは右翼論陣が信奉する渡部昇一上智大名誉教授が、自著『かくて昭和史は甦る』に書いており、未だにそれを権威ある史実と信じている政治家が自民党のなかにも多い。戦中を知る塾頭は、軍部・権力機構の建前はそうであっても、「どこか違うのではないかな」という感触は持っていた。

その感触は、政府が公言する「大東亜共栄圏」を疑う「もしも」である。そして渡部氏は、もし日本が戦争をしなければ、そのまま植民地が継続したという「もしも」である。歴史研究や記述には「もしも」という仮説を立て、それが正しいかどうか証拠づける作業はどうしても必要になる。

最初に気がついたのが、1943年(昭和18年)5月31日の御前会議である。マレー、スマトラ、ジャワ、ボルネオ、セレベスを帝国領土と決定した。今のマレーシア、インドネシアにあたる。

帝国領土とされる地域は、当時からほとんどが産油地であり、アルミの原料となるボーキサイト、ゴムなど戦争継続に欠かせない資源が確保できると聞かされていた。シンガポールは「昭南島」と改名し、地図には日本と同じ赤色が塗ってあったのを覚えている。

植民地解放ではないが、今中国の海洋支配で問題なっている南シナ海の諸島。これらを日本海軍が軍事支配したのは1939年、太平洋戦争開始の前年である。そして当時日本領であった台湾高雄州に所属させた。援蒋ルート遮断のほか、南方の油田確保とその輸送路を支配する目的があったことは明らかである。

日本敗戦後、各地で激しい独立戦争があったことは知られている。渡部教授の「もしも」は史実の下で完全に崩壊しているのだ。右翼は東京裁判を不公正・不当のものという。これも「もし日本が戦争負けていなければ」のお話だ。

もうひとつ、日韓併合がなければ、ロシアが半島を併呑しただろうという「もしも」もある。ロシアの南下政策は維新前から顕著に見られ、朝鮮を日本と折半支配する提案をしたり、朝鮮王宮を抱き込んで露公使館執務させたことがあるなど、そう勘ぐられても仕方がない面がある。

しかし、それは「もしも」であって歴史ではない。歴史は、あくまでも日本の中国・満州侵攻に展開していったことだけが真実である。「もしも」を歴史に取り込むようなことがあれば、その瞬間、学問の地位を失って俗説か論評になる。

歴史認識には、厳密さが要求される。決して「もしも」を野放しにしてはならない。その点中国・韓国の歴史認識にも「もしも」が氾濫しており、史実がゆがめられている。関係改善はここから始めなくてはならない。

 

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2017年8月 9日 (水)

東京都のこれから

  早いもので、小池百合子が自民党候補を破り都知事に就いてから1年と9日が過ぎた。その後の話題はもっぱら築地市場の豊洲移転問題だ。それが下火になると都知事選、これも知事が目論んだ与党の「都民ファースト」が公明党と組んで自民に圧勝した。

 これらと比較にならないが、最近はあまり知らない自民党脱党議員の若狭某などで「日本ファースト」を立ち上げ、小池人気にあやかって国政新党を、という話が出ている。これはすでに先が見えている。

 大阪がベースだった維新とよくいって同じか、とてもそこまで行かないだろう。それより小池知事が出した、築地・豊洲双方活用方針。これは先が見えないが江戸時代は、日本橋の魚河岸があとで2か所に分かれ相争って発展したという故事がある。

 小池さん、国政などに色目を使わず「都民ファースト」がよさそうですよ。

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  錦絵などで有名な日本橋東詰の魚河岸は、江戸前の東京湾はもとより、遠州・上総など外洋に面した漁船まで、川面を埋めつくして蝟集した。遠海ものは塩漬け乾物とし、マグロ・カツオ・サケ・タラ、そして豊富な貝類も店頭に並んだ。

 一七世紀後半になると、特殊注文や増大する需要に応じきれないということで、やや下流に当たる楓川沿いの本材木町に新肴場に問屋を設けた。これも江戸の人気をさらった芝居小屋などとともに大いににぎわった。(『江戸ことば百話』東京美術、ほかより)

 

 

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