歴史

2017年5月21日 (日)

南からきた日本人の先祖

 2017_05210001 沖縄県立埋蔵文化財センターが19日に発表したところによると、石垣島の白保竿根田原(しらほさおねたばる)洞穴遺跡から、旧石器時代の人骨を1000点超、少なくとも19人分が確認された。

 

 人骨の年代は2万7000~1万8000年前で全身そろった個体もあるという。『周辺国に向き合う日本人の歴史』という既著を持つ塾頭としては、日本人のルーツにも触れていることから見過ごせないニュースだ。

 

 日本人の先祖である縄文人は、陸続きだった間宮海峡、朝鮮海峡経由のアルタイ語系北方民族、琉球方面からの南方ポリネシア系民族ではないかと推定していた。

 

 その道の専門家ではないので確証とまではいえないが、「ジャブジャブ」とか「ソロソロ」といった重ね語はポリネシア系言語の特徴とされている。今回の発見遺骨は、はじめてDNA鑑定された。その結果、中国大陸南部や東南アジアなどが起源のパターンと判明した。

 

日本語は、中国語と文法が違うので、旧石器時代の縄文人が中国から来たとしても中原ではなく南端だろう。その後、山口県土井ヶ浜で発見された人骨が縄文人と違うタイプで中国・山東半島あたりの骨格と似ており、除福伝説の先駆をなす周の時代で弥生人の先祖とされている。

 

 石垣島で発見された人の子孫が島づたいに北上し、鹿児島あたりに上陸、南九州縄文人になったとすれば、最古の日本人遺骨となる。この縄文人は、喜界島の火山大爆発で全滅したといわれるが、ゼロになったとは思えない。後の薩摩隼人などに受け継がれたと想像したい。

 

 明治時代以降が日本人の住む日本であると信じている人は、これを機により永劫の昔に思いをはせた方がよさそうだ。

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2017年5月13日 (土)

『日本之禍機』4

 新聞の切り抜きを入れた箱がぱんぱんになったので、少し整理しようと中身をあたったところ、国会図書館所蔵の朝河貫一著『日本之禍機』をコピーしたものが出てきた。

 

 明治40年代初頭に書かれたものだが、日露戦争が終わって数年、そのさき日本や世界がどうかわるのか、誰にも分からない。帝国主義の植民地争奪競争が続く中、韓国李朝は自立性が疑われて崩壊寸前となり、同43年には、今の共謀罪によく擬せられる大逆事件検挙が始まる。

 

朝河は、世界の激動を予感し、次に来る危機を警告した。その部分を鉛筆でマークしてある。一読すると、安倍政権下の現状とそっくりなのだ。

 

もしかしてブログに掲載したものではないかと思って調べたらやはりあった。2008年1月10日付けで福田首相時代に書いている。ゴミ箱に捨てるのはちょっと惜しい。手抜きの最たるものであるが、そのまま再掲する。

『日本之禍機』で検索を入れると、「国会図書館……」「朝河貫一」に続いて当塾記事が日本之禍機2、3と続く。それならばこれは、これを4と言うことにしておこう。

 

 (前略)今や世人が日本国運の隆盛を謳歌せるに当たり、余竊におもへらく、日本は一の危機を通過して他の危機に迫りたりと。只今日は日本国民が殆ど前身全力を振ひ驚くべき伎倆を以て戦役の危機を通過して後日浅きが故に、既に早く別種の危機の眼前に来たりたることを未だ意識せざるも無理ならず。

 且つ第二の危機は第一の危機と性質甚だ相異れり。戦争は壮烈にして一国の人心を鼓舞振作する力ありしも、今日の問題は頗る抽象的なり、甚だ複雑なり、一見する所平凡にして人を衝動するの力を欠く。之が解決に要する所は超然たる高明の先見と、未曾有の堅硬なる自制力とにありて、かの単純直接の戦闘及び犠牲のみの能く処理し得べき所にあらず。

 

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2017年4月 7日 (金)

戦争関係公文書廃棄

10日付本塾記事は、明治初頭に陸軍教導団(後の士官学校)時代から使っていたレンガ造建築物が市川市に残っていることを書いた。建築史上からも富岡製糸工場に匹敵する貴重な物件だが、現在は、県所有の遊休物件となっており、これを保存したり活かそうとする気が県に全くない。

 

知事選では、保守系で元タレントの現職、森田健作がダントツで当選し、唯一この問題を取り上げていた候補もほとんど争点化せず、3位で惨敗してしまった。都心と海岸で隣接する千葉・神奈川両県は戦前から陸海軍施設と縁が深いが、保守系首長時代が続き、系統的な歴史保存や発掘には消極的のように思える。

 

そういった中で、関連する公文書を千葉県が大量に廃棄していることが分かった。

 千葉県が作成・保存する公文書を収集する県文書館が昨年、戦没者名簿や遺族台帳など第二次世界大戦の関係文書約500冊を廃棄していたことが学術団体などの調べで分かった。県は「『不要』と言い切れないものもあった」と落ち度を認めている。

1952年度までに作成・取得した公文書を「歴史公文書」として文書館で保管するよう定める県の内規にも違反する運用だったという。

県文書館は2016年3月までの1年間に所蔵公文書1万177冊を廃棄した。歴史的文書や記録の保存・活用などについて研究する「日本アーカイブズ学会」などが県に確認したところ、この中には戦没者遺族台帳、復員者名簿、県内から旧満州(現中国東北部)への移民団名簿などが含まれていた。

同館によると、それまでは収集すべき文書の具体的な判断基準がないまま保存期間「長期」(永年保管)の文書を一括して収集・保存してきた。中には「歴史公文書とはいえないもの」(県文書館)もあり、県は14年に行政文書管理規則を改正。保存期間の上限を「30年」に改め、15年度からは30年超の文書について、元の所管課の意見を踏まえ、「歴史公文書」に該当しないと判断した資料の廃棄を進めた。要不要の判断も、ほとんどは中身の確認をせずに文書の表題が記載されたリストのみで行ったという。

ニュースサイトで読む: https://mainichi.jp/articles/20170407/ddm/041/010/104000c#csidx0597ebb7909413ca26070c8863ac39a                              
Copyright
毎日新聞 

 

このところ、公文書廃棄問題が、東京都築地市場移転問題、森友学園関連の、財務省を中心とする内閣とその出先などに蔓延、諸悪の根元となっている。そこへ「共謀罪法案」が重なればどういうことになるか。国民が本気で考えなくてはならない時期に来ている。

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2017年3月29日 (水)

なだれ被害は人災

鈴木牧之『北越雪譜』からの引用である。三月は「気をつけろ」と繰り返し警告し、里人はよく知っているので、被害者は少ないといっている。出版されたのが天保8年、今から180年も前になる。江戸中の貸本屋でこの本を置かないと客がつかないというほど評判の高かった本であった。(引用は野島出版刊同名書より、ルビ略)

 

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山より雪の崩頽を里言になだれといふ、(中略)字書に頽は暴風ともあればよく叶へるにや。さて雪頽は雪吹に双て雪国の難義とす。高山の雪は里よりも深く凍るも又里より甚し。我国東南の山々里にちかきも雪一丈四五尺なるは浅しとす。

 

 此雪こほりて岩のごとくなるもの、二月(旧暦、今なら3月・塾頭注)のころに至れば陽気地中より蒸て解んとする時地気と天気との為に破て響をなす。一片破て片々破る、そのひゞき大木を折がごとし。

 

これ雪頽んとするの萌也。山の地勢と日の照すとによりて、なだるゝ処となだれざる処あり。なだるゝはかならず二月にあり、里人はその時をしり、処をしり、萌しを知るゆゑに、撃死するもの稀也。

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【追記】

地元・栃木県那須町の高久勝町長は29日、定例記者会見で「(現場は)スキー場の境界から約400メートル離れた国有林内で、雪崩が発生しやすいため専門家でも入らないところ。素人から見ても、そこでのラッセル訓練はあまりにも無謀ではなかったのか」と指摘(毎日新聞3/30東京・朝刊より)

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2017年3月28日 (火)

『老』

 人口(じんこう)に膾炙(かいしゃ)する――、もっとも難しい日本語のひとつだが、誰もが口にし、聞かない日はない、といった意味だ。その代表格に「少子高齢化」がある。

 

老人施設、老老介護。『老』の字がこれほど肩身の狭くなったことは、かつてなかっただろう。「老害」、こんな言葉までできたのはつい最近だ。辞書にも載っていない。

 

政治史関連の本を読むと、貴族政治の時代は、老人が政治権力を把握し、公正と安定が保たれたなどと書いてある。元老院といった制度の寄与もあったのだろう。

 

江戸時代を貴族政治とは言わないが、家老、老中、老公が存在し、体験を生かしながら老成・老練・老巧な手腕を発揮した。殿の独裁、独断は巧みにコントロールされていた。アメリカの原住民にもその伝統があったという。

 

近代は、そういった老人勢力のなくなったところへ独裁者が出現する。ヒトラーやスターリンはすでにないが、すぐ近くに、実兄まで暗殺するような若い独裁者がいる。

 

ひるがえって日本はどうか。かつて、老人とされたような年代にさしかかってはいるが、一人勝ちの宰相に「老成」「老練」といった昔の『老』の影は見あたらない。

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2017年3月10日 (金)

千葉県知事選の争点に

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市川市国府台はかつて軍都であった。現在は写真の赤れんが造の武器庫の跡と、あとを引き継いで建て直された近代的な国立病院ぐらいで、その他はほとんど痕跡をとどめない。

 

現存する建物および周辺は、県の所有で今は全く利用されていない。建設された時期は明治初頭にさかのぼり、陸軍教導団時代のものとされる。れんがは明治はじめに盛行したフランス積み工法で、その後の発展段階と比較できる貴重なレガシーである。その価値は、まさに富岡の製糸工場跡に匹敵する。

 

武士に限られていた仕事を、明治維新によって国民皆兵の名のもと、農・工・商も加えることにした。そのため、下級士官の養成が急務となり、教導団がまず設けられることになったのだ。

 

後に士官学校が新設され廃止されるが、その出身者が日清・日露などの戦役で中心的役割を担ったことは、想像にかたくない。その後この一帯は、砲兵連隊などとともに広大な練兵場が設けられた。

 

病院は、教導団時代すでにできていたが、塾頭の知る限り、精神科のある唯一の陸軍病院で、今アメリカのイラク帰還兵などで問題になっている深刻なPTSD(心的外傷後ストレス障害)患者や、思想犯的兵士の「入ったら出られない」代用監獄的存在としておそれられていた。

 

軍都だった唯一の史跡を残そういう市民運動が起きたが、本年1月、県や国の支援が受けられず、市川市長が赤レンガ保存のための「用地取得を断念した」と表明、運動の後退により放置か破壊が懸念される。

 

県知事は、タレント出身の森田健作で右より政治家としても知られる。これを戦争遺跡と見たのだろう。最初からあまり乗り気ではなかったようだ。そうではなく、明治に始まった帝国陸軍遺跡なのだ。

 

近所にある禅寺には、教導団時代の名を刻んだ墓石が残る。出身地は、長門・美作・薩摩などが目立つ。安倍首相なら真っ先に歴史遺産に指定すべき存在だと思うのだが、なぜかこういうことにはにぶい。

 

市民団体は、今月25日に《「赤レンガ保存」をめぐる緊急リレー・トーク》

を下記により開く。折しも翌26日には県知事選が行われる。候補者はすべて無所属で、3期目をねらう森田が自公の支援を受け、市民団体や民進をのぞく各野党が支援する元・教員、それに元・浦安市長、元・不動産・建設業の4人が争う。

 

この保存問題を提起しているのは、元教員だけで、塾頭の投票先はもう決まったようなものだ。

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《「赤レンガ保存」をめぐる緊急リレー・トーク》

日時:325() 1630193

1630~ 中高生ワークショップの映像記録の鑑賞
 
 1700~ 成果発表会
 
 1800~ 緊急リレートーク
 
 1900~ 閉会

会場:山崎製パン総合クリエイションセミナールーム
 
 (市川市市川3-23-27 京成国府台駅より徒歩10分 JR市川駅・松戸駅間にクリエイションセンター前バス停あり)

資料代:500

主催:赤レンガをいかす会 Tel・FAx=047-369-7522

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2017年2月 9日 (木)

「人間天皇」否定論

 天皇退位を一代限りの特別法にしようというのが政府や保守陣営で有力になっている。その理由がどうもわからないし説明も納得できるものでない。皇室典範改正について、天皇の意思を受けてというのでは、今後天皇の政治関与に道をつける、といったことのようだ。

 

 また、退位の条件を規定し、様々な(例えば、退位後の呼称とかお住まいなど)制度の変更に時間がかかるというようなことをいう。それならば、一代限りでも同じではないか。

 

 大日本帝国憲法は明治14年にできた。「欽定憲法」といって、明治天皇の命令で起草されたことになっている(前文にあたる「上諭」に記載)。その第一章第三条に「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」とある。

 

 自ら自分を「神」としてしまった。戦後まで「現人神(あらひとがみ)」という言葉が活きていた。それでも子供は、「朕がプット屁をふれば、爾ら臣民くさかろう」とはやし立てていたので「神」でないことは誰でも知っていた。これをどうしても「神」にしたかったのは、政治指導者や神社である。

 

 戦後になっても、それを捨てきれない人のために、終戦翌年の正月元旦、天皇は詔勅(今でいえば「おことば」)を発表、神ではないと自ら宣言した。

 朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神(あまつかみ)トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延(ひい)テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ

 今上天皇は、この時13歳と8日である。「人間宣言」と呼ばれるこの詔勅は、皇太子である彼の将来がどうなるかがわからない中で、大きな自信と希望(生きがい)を抱いたはずだ。

 

 戦後レジームの脱却を唱える安倍首相は、これもGHQの指しがねだというだろう。誰が天皇を神にしたのか。神武以来、天皇は神に祈る立場で、自身は神ではない。最古の古典、記紀を読んでも神として描かれることはあまりなく、人間味あふれる存在の方が多い。

 

 明治憲法に触れたが、その元を作ったのは『神皇正統記』(じんのうしょうとうき)を書いた北畠親房であろう。南北朝時代に天皇が2派に分裂しその一方を正当とするためいろいろな理屈をつけた。

 

 その影響が水戸学などに引き継がれ、維新を正当化するのに使われた。「国学」ともいわれるが、江戸時代幕府からも尊重された中国伝来の儒学を基礎にしている。

 

血統・徳政・忠孝を強調する「春秋」「孟子」「周易」などが土台となっており、日本古来のものとは、言い難い。天皇神格視の始まりで、皇室典範のバックボーンになっている。

 

安倍応援団による一代限りの主張は、多分ここから来ており、日本古来の伝統や歴史とは縁もゆかりもない。明治憲法の再現ねらいと言われても仕方がないだろう。

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2017年1月25日 (水)

明治と軍歌

117日付の、官営「150年祭」、同20日付の「変な歴史認識」に続く安倍内閣の底流にある明治回帰をさぐる3回目の投稿である。自民党改憲案、天皇退位問題、中韓への対立意識など日本会議の思想的背景にもつながるように思える。

 

 以下は、維新にはじまり、明治から昭和にかけて普及した軍歌2題である。兵卒が整列行進する際に斉唱し、塾頭も小学生のころ陣取り合戦などの遊びでよく歌ったものだ。だから歌詞は今でもそらんじている。

 

戦争に駆り立て鼓舞することを目的とした歌詞である。そこに共通しているのが善悪二元論、戦争の正当性(正義)、権威づけ、そして必勝を信じ込ませる楽観視である。

 

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 戊辰戦争で官軍が使った。明治天皇はまだ幼少で政治的・軍事的判断を下したわけではない。薩長土を主体とする東征が朝命であると権威づけたもの。「宮さん」は有栖川宮熾仁親王で東征大総督をいう。

 

宮さん宮さん お馬の前に
ひらひらするのは何じゃいな
トコトンヤレトンヤレナ
あれは朝敵征伐せよとの
錦の御旗じゃ知らないか
トコトンヤレトンヤレナ

 

 作詞されたのは日清・日露戦争より前だが、後世、日露戦争を想起して歌われることが多かった。特に第2次大戦で、放送などで日本の不利な情勢をかくす役割が大きかったとみられる。

 

敵は幾万ありとても 
すべて烏合(うごう)の勢なるぞ 
烏合の勢にあらずとも 
味方に正しき道理あり 
邪(じゃ)はそれ正に勝ちがたく 
直(ちょく)は曲(きょく)にぞ勝栗の 
堅き心の一徹は 
石に矢の立つためしあり 
石に立つ矢のためしあり  
などて恐るる事やある 
などてたゆとう事やある
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 国会答弁のペーパに「云々」と書いてあるのを「でんでん」と読み違えてしまう首相にとって、この歌詞はちょっと難しいかもしれない。

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2017年1月20日 (金)

変な歴史認識

前回の「明治150年」批判に続く。

来年が明治元年から起算して150年になることはその通りだ。この年に改元されたというだけで明治維新のスタートではない。維新がいつ始まっていつ終わるのかの定説はないのだ。だいたい当時の文献をあたっても、維新という言葉はあまりでてこない。

 

幕府の大政奉還、江戸城あけ渡し、戊辰戦争、東京遷都、それら一連の変革を、大衆は「ご一新」といっていたようだ。それが漢籍からとった「維新」に置き換えられたものだろう。

 

「明治150年をきっかけとして、明治以降の歩みを次世代に遺すことや、明治の精神に学び、日本の強みを再認識することは、大変重要なこと」とする政府の施策案は、改元にことさらこだわったもので、根拠薄弱意味不明の政策だ。

「明治の精神」というのも何を指すのかわからない。明治時代の指導者は多彩にわたり、目指すところも文明開化、富国強兵、自由民権、有司専制、藩閥政治、殖産興業などと百花繚乱で活力に満ちていたことだけは想像できる。

 

それらが、時期を追って変化し続け大正・昭和につながるのだが、自民・政府が言いたいのはどうやら教育勅語の「精神」に尽きるのだろう。まさに安倍路線そのもの。衣の下が見えるような気がしてならない。

 

もう一つは、前回書いた明治維新の勤王志士をお国自慢に祭り上げることだ。吉田松陰・高杉晋作・坂本龍馬などである。かつての歴史教育は善玉、悪玉がはっきりしており、塾頭自身もそれを疑わなかった。

 

出世頭の豊臣秀吉は善玉、宮中法度を作り鎖国に閉じこもった徳川幕府は悪玉だから、尊王攘夷は正義の発露ということになる。二元論にこだわる人は、徳川傘下で開国を志向し、蘭学から科学技術の向上を急務と考える人材が残した事績が、維新後に生かされていることを知らない。

 

佐久間象山、勝海舟、緒方洪庵、榎本武揚その他、志士たちが師事し、その影響をこうむっているのだ。最後の将軍、徳川慶喜も悪者どころか維新に果たした功績は並のものではないと考える。

 

軍国主義を作り出した、教育勅語や、薩長を中心とした政治や軍部の主導が明治の精神だと思うのは、とんでもない偏った「変な歴史認識」だ。

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2017年1月17日 (火)

官営「明治150年祭」

 「明治150年」関連施策各府省庁連絡会議というのが内閣官房「明治150年」関連施策推進室にできる。

 

 平成30年(2018年)は、明治元年(1868年)から起算して満150年の年に当たります。
 明治150年をきっかけとして、明治以降の歩みを次世代に遺すことや、明治の精神に学び、日本の強みを再認識することは、大変重要なことです。
 このため、「明治150年」に向けた関連施策を推進することとなりました。

 

 だとさ。まあ、年を区切って歴史を考え研究する、大いに結構なことだ。だけどお役所がしようとしていることは、記念事業として箱ものづくりとかイベントとかを通じた選挙活動のようなことをしようとするたくらみだろう。

 

 大いにくさしてやろうと思ったが、「明治100年」に際し、歴史学者・色川大吉が自著『明治の精神』の中で、すでに講演でのべたことを書いている。まずそれを紹介しておこう。

 

私は明治維新をまず考えます場合に、のっぺらぼうに百年が連続したという考え方、これは歴史的なものではないと思います。先ごろ佐藤首相が自分の選挙地盤である山口県に遊説にまいりましたときに、選挙民に対して、

 「自分は明治百年の記念の準備をやっている責任者である。わが山口県、長州は偉大な明治の指導者を生み出し、日本の近代史の成功のために非常な恩恵をもたらした郷土である。たとえば高杉晋作は多くの明治の指導者を鍛えたではないか。しかし昔は昔、今は今、昔晋作、今栄作()、栄作の世代が晋作の世代をたたえるときがきた。土地をあげて喜ぶべきではないか」

 「今晋三」にしてもこんな程度だろう。色川は経済の発展や近代化を祝いことほぐ前に、維新は戊辰戦争をはじめ西南戦争で日本人同士が殺し殺される中で生まれ、アジアを舞台に日清・日露・第一次大戦・満州事変・支那事変・太平洋戦争と悲惨な戦争の歴史を繰り返してきた歴史がなかったような扱いにしてしまうお祭り騒ぎを嘆いているのだ。

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