散策

2018年11月18日 (日)

片隅の花盛り

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2018年10月29日 (月)

気になる塩害

今年は相次いで自然災害が起きた。熊本の地震、岡山・倉敷の水害、大阪の高潮、北海道の地震……。各地で起きた土砂くずれ、離島などのインフラ破壊など数えきれない。そしそそのほとんどが後遺症を残している。

2018_10290005その圏外にあるはずだった千葉県北西部に写真で見るような後遺症がある。今月第1週の週末に近くを通った台風24号。雨風はほんの一時で被害ゼロと思っていた。沿岸部では「電柱から火花が出ている」という目撃情報が相次ぎ、停電被害は回復するのに手間がかかった。

ここは海岸から10キロも離れていて停電もなく、草花に被害がでたと聞いても疑ってかかった。その後、樹木の南側・海の方向だけ葉が褐色になっているのがところどころにあったので、これかな、と思っていた。

しかし、まもなく落葉し、春には新芽に代わると勝手に決めていた。ところが右の写真、常緑樹のカヤである。季節の変化で落葉しない。そうすると、いつ旧に復するのか、あるいはこのままなのか気になったので、一応写真に。

 

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2018年10月28日 (日)

スマホのない散歩

風が心地よい晴天の日曜日。散歩をかねて久しく行っていない徒歩20分ほどの博物館に行ってみようと思った。すぐ近くまできたと思ったら、見慣れた光景が最近完成した外環道路で一変。

不自然な迂回道路や行く手が見えない歩道橋などで人気のない住宅街を右往左往。ここぞ、と思った道を行くとさっき通ったところに戻ってしまったりする始末。

ようやく、犬を連れて散歩するおじさんに出会ったので尋ねるこにした。博物館への道を聞くと複雑になりそうなので、

「ちょっとお尋ねします。最寄りの私鉄の駅へはどう行ったらいいのでしょうか」

「この方向へまっすぐ行くとバス通りに出ます。そこを左に行けばいいんですが遠いですよ。そこから15分はかかります」

「どーもありがとうございました」(ペコリ)

みんながスマホを持ち、位置情報がわかると、こういう人との接触はなくなるのだろうか。20分の散歩予定は、帰宅してみると3時間半かかっていた。おかげで運動不足は完全解消。損をしたような気はしなかった。

 

 

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2018年5月21日 (月)

小満

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  今日は「小満」、うかつながら二十四節季でこの日だけ知らなかった。「しょうまん」と読み植物など、すぺてが勢いを増し麦の穂を見るのも遠くない時期に当たる。小満はあるが「大満」はない。

冬至とか大寒はマスコミで言い立て、春分の日は祝祭日にもなっているのにくらべ、ちょっと不遇。あじさいの花が多くのつぼみを持ち始めたのを見て、「なるほど」なと思った。

つゆも間近なのに、今日もこ寒い。政治ネタ、国際ネタもそんな感じだ。

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2018年5月20日 (日)

♪春がき○

前回に続けて「空」。

今日は寒気団をともなった北からの高気圧に覆われ、当地は最低気温12°C、湿度10%。空にも春の雲。

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昔の腕白小僧は、こんな歌で囃した。

♪春がき 春がき どこにき
  山にき 里にき 野にもき

題して「タヌキの歌」という。今のお利口さんはどうだろう。

【追記】浅丘雪路さんがなくなりました。写真は、昭和37年塾頭が編集に携わった本にいただいた随筆です。

あらためてお礼を申し上げ、哀悼の意を捧げます。

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2018年5月 1日 (火)

風かおる五月

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2018年4月17日 (火)

こんな所に「まごころ」?

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 家の近所には遺跡が多く、市街化調整区域とか風致地区で農地として残されたところが多い。古代からある幹線道路のようだが幅員は2間(約3.6メートルで自動車がすれ違えない)。まわりは住宅街なので車もよく通る。

それで所々ふくらみを設け通行に支障をきたさないようにする。称して「まごころゾーン」という。なぜ「まごころ」なのかもうひとつピッタリこないが、「まごころゾーン」が本当にほしいのは、今の政官界だよね。

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2018年4月 3日 (火)

庭の花

桜は散っても咲いています。2018_03310004_2

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2018年3月14日 (水)

紅白

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2018年3月 4日 (日)

眺望頗る佳なり

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  「田の眺望頗る佳なり」と言ったのは、戦中、東京麻布の自宅を空襲で焼け出され、市川で生涯を終えた永井荷風で、終戦の翌々年、昭和22年4月26日の日記にある。この裏手に当たる下総国分寺を散歩で訪れた際のものだ。

今は「田畴」が無く、民家の屋根と「電柱」ばかりになった。井上ひさしが「ひょっこりひょうたん島」で有名になった頃、ここから100メートルほど北の平屋建て分譲住宅に住んでおり、日頃ここから夕日をめでていた。

写真左端の2棟の超高層のあたりが市川駅である。開業したのは明治38年(1905)1月で日露戦争に勝った年だが、正岡子規は紀行文にこう書いている。(鴻の臺以外は当用漢字使用)

家次第にまばらに野開き木立ところどころに枯れたり。朝晴れの景色心地よく、鴻の臺(塾頭注・日本武尊をコウの鳥が道案内したという伝説に基づく。国府台の別表記)を左に眺めて車は転じ江戸川の鉄橋を渡りて市川に着きぬ。
  村もなし只冬木立まばらなり
  兵営や霜にあれたる国府の台
  冬枯やはるかに見ゆる真間の寺

駅前には『野菊の墓』の著者・伊藤左千夫が経営する牧場があり、若山牧水は明治44年に「下総市川にて」で
  藪雀群がるゝ田なかの停車場にけふも出て汽車を見送る
 と詠む。荷風も散策や読書の場として停車場訪問は好きだった

画面中央から右に続く小高い森は、国府台の南端である。国府が置かれたので、この地に残る伝説は語り継がれ、万葉集にも多く採録されている。中でも「真間の手児奈」が有名でいわれを伝えるものがすくなくない。その森の麓にある亀井院は、真間の井のあった場所とされる。またこの寺には北原白秋が止宿していた。

勝鹿の真間の井見れば 立ち平(なら)し 
水汲ましけむ手児奈し思ほゆ
            高橋虫麻呂

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