散策

2009年11月 3日 (火)

アジアの東

……といっても当塾のオハコ「東アジア共同体」のことではない。(^^)
♪アジアの東 日いずるところ 聖の君の現れまして
旧明治節で歌った歌詞である。

2009_11030024  明治節11月3日は「必ず晴れる」という伝説?があった。事実、太平洋岸は西高東低の快晴、その代わり校庭の土は冷たく(休みではない式典があった)、終わると足踏みをして体を温めたものだ。その明治節は新憲法公布を祝す「文化の日」になった。(写真クリックで富士山が!)

 右翼ブログではそれを国辱的ととらえ、明治節復活を唱えて上記の歌詞を入れているものが多い。ところが、「神」とあるべきところを「紙」とした変換ミスを、そのままコピペしたのではないか、と思えるものがいくつかある。くれぐれもご注意を。

 そしてさらに、今日は「望月」陰暦の十五夜の月。もちづき。そこで朝早く沈む寸前の残月を写真にとった。しかしこれは十四夜かな?。2009_11030001

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2009年10月13日 (火)

ひだまり

2009_10120003  日傘をさし、日陰を選んで散歩したのはつい先頃のように思う。紅葉にはまだ早いが、朝夕は斜めにさす陽のぬくみが快い。「ひだまり」、こんな繊細な感覚を表現する英語はないだろうと思ったら、ありました。「Sanny」、さにいー……。

2009_10120004_5 

2009_10120007_2

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2009年10月 8日 (木)

吉原・大門

 200pxfukusuke_nakamura_iv_as_miur_2

 浅草日本堤から吉原・大門までを衣紋坂という。明治以前の大門は、真っ黒な冠木門(かぶきもん)に、鉄鋲を厳しく打った大門口があった。この門は落語「明烏」でおなじみ、江戸文化を象徴する存在のひとつである。

 清元の北州に、
 「新玉の霞のころも衣紋坂、えもんつくろう初買の……松の位を見返りの柳の仲の町、いつしか花もちりてつとんと……」
など蜀山人が図にのって詠みこんでいる吉原名所も、実地に行って見るよりは、いながらにして空想している方が、ひどく綺麗で風流のようだ。(中略)

 昔の黒い大門は、明治十四年現在の鉄門に改められ、両柱に上に橋のようなものを架して、竜宮の乙姫が玉を捧ぐる悪意匠を凝らし、その玉を電気燈にしてあるなどは、いよいよ以て助からない。(矢田挿雲『江戸から東京へ(二)』中公文庫・写真右下)

2009_10080003   次にある写真は、明治33年12月に発行された『日本之名勝』(史伝編纂所)に掲載されている。柱上がガス燈、柱には福地桜痴による「春夢方濃 満街桜雲 秋信先通 両行燈影」の16文字が刻んであるというから、この間に改造されたのであろう。

2009_10080002

 その後、撤去されて小さな石碑ひとつになったのはいつからだろう。片側がガソリンスタンドになり、なんの変哲もない町はずれの通りになってしまった。

Trd0711041847008p1_3最近地元商店街で復活させたのだそうだが、ご覧の通り、とても往年をよみがえさせるようなものではない。(MSN産経

   

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年9月26日 (土)

遺跡発掘

2009_09260004  高速道建設予定地での遺跡発掘が進む。右側は、瓦・陶器などの登窯、鐘などの鋳物製造場所跡、左下は低地の川筋跡から発見された多数の文字や絵入り土器が発見された場所である。これらにより、8世紀から9世紀にかけて、文献ではほとんど確認されていない下総国府の全体像が浮かび上がってきた。

 2009_09260001 出土した墨書土器などから、国庁の位置とその向き、またそれを中心とした右京・左京の区割り、国分僧寺・尼寺の立地、遊女や博士館などの存在、郡家・曹司の想定などがわかり、平城京を模した古代地方都市の姿を彷彿とさせている。

 国費を浪費してきたダムや大型道路工事が中止されると、こういった副産物をあまり期待でなくなりそうだ。また、発掘にあたる当事者は、国・地方の公務員天下り先でもある財団法人が多いだろう。「ムダの洗い直し」は大いに結構で進めて欲しいが、国、ふるさとの歴史に掘り起こしに蓋をされてしまうとなると、これもまた淋しい。

 民主党の政策に逆らう気は全くないが、文化・文明はかつての王侯・貴族の無駄遣いから多く生まれている。国だからできること、またやらなければならないこと、こういった面も長い目で見ておいてほしいという気がする。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2009年9月20日 (日)

夕暮れ

2009_0919

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2009年9月 5日 (土)

新古今和歌集より

2009_09050001            顕昭法師
萩が花まそでにかけて高圓の
  をのへの宮に領巾ふれるやたれ  

       祐子内親王家紀伊
置く露もしづごころなく秋風に
    みだれて咲ける眞野の萩原

                人麿
秋萩の咲き散る野邊の夕露に
  濡れつつきませ夜は更けぬとも

         前中納言匡房
河水に鹿のしがらみかけてけり
     浮きてながれぬ秋萩のはな

 「あれ?、萩は猪じゃなかったっけ。鹿は紅葉だよ」などと、優雅には縁なき衆生。歩いて10分ほどの公園の崖に、滝のように咲き乱れる萩があったのを思い出し、行ってみたら影も形もない。いつの間にかサツキの植え込みに変わっていた。

 帰りに住宅街を回ってみたが、原色の大きな花が咲く南方系外来種の草木が全盛で、萩など植えている家などない。日本人の生活から秋の七草がなくなるのは時間の問題か。せめて茅屋のか細い萩(写真)だけは守って行くことにしよう。 

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2009年7月30日 (木)

銅葺き四阿

 2009_07300002 市立公園の四阿(あづまや)は三代目である。同じ場所にあった初代は茅葺きで柱の土台は円い天然石だった。その柱が年を経てやや傾き、屋根もくずれかかっていたので「危険・立ち入り禁止」のロープが張られた。

 市はそれを廃棄、取り壊す計画をたてた。ところが市民の反対で柱を補強し、屋根も葺き替えられた。その屋根もわらがばらけだし、再び葺き替えの時期がやってきた。

 足場が組まれブルーシートの養生、取り払われてみると、三代目はなんと金ぴかの銅葺きで、柱はコンクリを張った土台に立っていた。さびを利かした庭師の仕事ではあるまい。

 アカ(銅)は貴重品である。あずまやの屋根にはつりあわない。しかし茅葺きの寿命、葺き替えの人工を考えるとこの方が安いのだろう。「なさけない」とは、このことをいう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年6月14日 (日)

何だ!これは?

 よく見ると、まん中はまるで北朝鮮のテポドン発射だ。
 テッセン?、クレマチス?。
 図鑑を見るが、似たようなものが見つからない。
金木犀さんからコメントで教えてもらいました。「トケイソウ」というんだそうです。いつもお手数かけます。ありがとうございました。flair

2009_0612  近所の民家の塀で咲いていた。金正雲クンの花として贈ったら、デヴィ夫人のように招待状がくるか

も。

2009_03040001  ついでだから、以前掲載して評判がよかった沖縄のコノハチョウも再掲しておこう。

| | コメント (1) | トラックバック (1)

2009年6月12日 (金)

お寺改革

 「真間山弘法寺」、マイナーとはいえこの地では名刹である。開基は平安時代というが、寺運が隆盛に向かったのは、鎌倉時代に日蓮宗に改宗してからであろう。
2009_06120006  右の写真は無縁仏の山、「享保十乙巳十一月」とある。もっと古い石造物もごろごろしているのだが、半跏像が可愛いのでこれにした。アメリカの独立宣言より50年以上前のものである。

2009_06120005  さて、次の写真は祖師堂工事、日蓮宗以外では金堂にあたる寺の中心をなすお堂の改築現場である。看板には「浄財勧募中」とあった。このお寺は、日頃文化講演会や町のイベント起こしその他の活動にも積極的である。

 隣には、すでに改築が終わった鉄筋コンクリートの立派な寺務所が、辺りを払うように建っている。なまじっか国宝や重文でないので、祖師堂も鉄筋コンクリートになるのかも知れない。まあ、これも平成文化なのだから文句をいう筋合いではない。

2009_06120008  さて、この原資はどこから生まれるのだろうか。次の組み写真が物語る積極的なスクラップ・アンド・ビルド。これこそ近代経営に欠かせないモチベーションである。しかし、それだけではスウッと頭に入ってこない。

 やはり、相当高額な喜捨がなくてはならない。そこに、いきなり不逞な連想が飛び込んでしまった。統一教会系の霊感商法の手口である。先祖の供養にといって、庶民なら一生かかっても容易に作れないような貯金を女性からまきあげ、印鑑を買わせたというあの事件である。

2009_06120012  このお寺では、定期的な宗教講話や講座なども以前から続けて、正しい信仰を身につける努力を払っている。したがってそれなりの浄財を集めることができたのだと思う。しかし、縁なき衆生。まだ不思議に思うことがある。

 寺院に限らず、家の近所にあるお地蔵さんが最近どんどん新しいものに代わっていることは、以前書いた覚えがある。どうやら私より若い人の発願らしい。すこし前のことで手元にないが、心霊や死後の世界などの存在について、世代間に差があるという研究結果を新聞で見た。

 私は、その中の「戦争世代」に入るのか「戦後第1世代」に入るのか知らないが、そういったことを真っ向から否定し、科学的であることに最高の価値を見いだす人種である。つまり、「鉄腕アトム」の「科学の子」だ。

 これは、皇国史観、神話教育の反動かも知れない。昭和天皇と同じ「日本は科学でアメリカに負けたんだ」という発想に通ずる。ところが、世代間では、団塊の世代からあと、心霊・来世肯定派がぐんと増えて、その傾向はより若い人まで続くのだそうだ。

 そういえばテレビの番組にそのようなものが増えたり、オウム真理教に高学歴、しかも理系の信者がいることを不思議に思ったりした。宗教と奇跡と心霊、はからずもそういったことに思いをいたす今日の散歩になってしまった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年4月28日 (火)

ゆく春や

2009_04280022  ★スペイン風邪 王様罹患で その名つく
メキシコ風邪?、ブタ風邪?つけられる方も大迷惑。

2009_0428  ★ミツバチが いたぞとカメラが 大騒ぎ
ミツバチ不足で果物農家への影響が深刻。
こちらは女王蜂に感染症?とか。

 

2009_0428_2 ★カルガモは 少子高齢 憂いなく
留鳥のカルガモは鳥インフルの心配当面不要。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2009年4月22日 (水)

雨上がり

 2009_04220001 うなだれし 花も穀雨で 目を覚まし

                反戦塾頭(乞クリック)

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2009年3月27日 (金)

今日の公園

ソメイヨシノは開花したかな?。遠くの赤い桜は満開。 2009_03270004_4   

 その名は……、はてな「《?桜》」でした。2009_03270005画面をクリック、拡大してください。2009_03270003 

 もうずぐお別れ。カメ、カモ。一字違いの仲です。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年1月15日 (木)

神田明神

2009_01150001  正月のTVニュースの初詣ロケに、珍しく神田明神が出た。明治神宮、成田山などの初詣定番社寺を押しのける映像効果があったのだろうか。100年に1度の不況キャンペーンの中で、商売繁盛祈願の参拝客が殺到、拝殿前の広場が満員電車並みのすし詰め状態だった。それから半月、15日の小正月は、このようにチラリホラリ。

 神田明神の祭神は、平将門である。歴史上ただひとり、自ら「新皇」を称した反逆者で、官軍に破れ京都で打ち首となりさらされたが、首が空を飛び関東に戻ったという伝説を持つ。徳川幕府の崇敬を受け、江戸っ子に人気のある神社だった。

 しかし、反天皇では具合が悪い。そこで、全国ブランドの大国主、すくなひこなの二神も祭神にしている。しかしこれとても、大和王朝以前から民衆の支持を受けて地方に根を張るアウトサイダーである。要するに、天孫族から見れば反権力的存在といってもおかしくない。

 明治維新後、将門は朝廷に戈を向けた朝敵であることが問題視され、逆賊であるということから明治7年(1874)に、教部省の指示により神田明神の祭神から外され、別に小祠を作って遷座されてしまう。それが第2次世界大戦後は、朝廷の横暴な支配に敢然と立ち向かい、新皇に即位して新たな時代を切り開いた英雄として扱う風潮に乗って見直された。

 将門の祭神復帰への機運が高まり、昭和59年(1984)になって、平将門神はふたたび本来の神田明神に合祀される。と、いうことになると、靖国神社のA級戦犯合祀とか分祀などという話も、そんな重みのある話ではないことになりそうだ。

 いずれにしても、この反権力の神様が企業人(私は参拝者の多くが都心に本社を置く会社の役職員だとにらんでいる)にもてはやされるという現象は何かを意味するのであろうか。今日、ちょっと行ってみる気になった。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2009年1月 1日 (木)

夜明け前

2008_12270005_3   こういう時代こそ若い方にチャンスがあります。

 写真をクリックしてください。

 明るくなります。今年もがんばりましょう。

          塾頭

| | コメント (2) | トラックバック (5)

2008年12月10日 (水)

リストラ

 2008_12100009_3 今年は公園に飛来する鴨の数が目立って減っている。去年、「野鳥にエサを与えると野鳥の種類がかたより、自然の環境がこわされますのでエサを与えないでください」という市の看板が立てられた。

 多分これだ。休日になるとパンくずを持った親子づれでにぎわったのに、その風景がほとんど見られなくなった。ほかに、鳥インフルエンザ・キャンペーンで公園を敬遠している人がいるのかも知れない。

 急に減ったので、少子化は関係ないだろう。鳥の数にして約3分の2ほどにリストラされた感じだ。環境保護ならほかにまだまだやることがたくさんありそうなもの。野鳥のリストラとは淋しい限りだ。

2008_12100003  ハシブト烏君は、エサを与えなくても新タイプの電柱の上で今日も健在だ。しっかりとくわえたものを落とせないので、「アソー、アホー」とは鳴かないようだ。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2008年11月19日 (水)

小春日和の終焉

2008_11130001
[お詫び]前記事で、反戦・護憲論の行く手シリーズを最終回としましたが、振り返ってみるとNo6が抜けていました。バックナンバーはテキストで下書きしていましたが、一度まちがって消去したことがあります。その中に書きかけの原稿があったのか、タイトルに2・26をつけた別原稿の6を見て、次を7としてしまったのか、どうも記憶がないのです。
 
 妄想(もうぞう=劣化した日本語では「認知症」という)になったのでしょうか。あらためて「反戦・護憲論の行く手6・日米同盟の終焉」をバックナンバーに加えましたので、サイドバーで閲覧願えれば幸いです。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2008年10月28日 (火)

宝篋印塔

2008_10280003  近くの寺にある宝篋印塔(ほうきょういんとう=写真右)は、有名な守護大名千葉常胤の5男の墓という伝承がある。1基は明徳2年(1391)、もう1基が応永5年(1398)のものと判読されている。しかし「墓」というのは正確ではない。そもそもは、中国南部・呉越国から伝わってきたもので、『宝篋印陀羅尼』を納めて先祖をまつり、百病・貧窮から逃れられるという呪文の塔である。

 だから、個人の名をかぶせてもその人の寄進によるものか、供養の目的で建てられたもので「墓」とはすこし違う。しかし誰々の、というと「墓」になってしまう。各地でも宝篋印塔を「昔この地方を治めた誰々の墓」と伝えられているものが少なくない。反面、注目されることもなく墓地の片隅にころがっているようなものもあるだろう。

 2008_10280002 やはり近くの小さい寺に、もっと古い室町時代初期の作ではないかと思われる宝篋印塔を発見したという記録を目にした。しかし現物が確認できないので、市の歴史博物館に問い合わせたら係員から「石造物は担当しているが墓石は所管外なので」という応答が帰ってきた。

 民俗学専攻出身の方かも知れないが、俗人にはそんな専攻の区切りなどない。故事来歴や歴史を知りたいだけなのだ。こういうのをセクショナリズムというのだろう。文化行政に変なところで線を引かないでもらいたいものだ。

 最初に書いた寺にもう一基、堂々とした宝篋印塔(左)があった。この方は元文3年(1738)とある。ずーとくだって8代将軍吉宗の時代である。かつては、ご家人、地頭、守護といった身分ある人しか作れなかった石塔であるが、この頃は地域の有力者が有志連名で建造できたのかも知れない。調べてないのでわからない。

 この塔は、本州の端から端まで存在しており、それぞれの時代や関西型・関東型など地域によるデザインの変化が観察できる。また石材の原産地を調べることで建造にいたる流れを知ることもできる。そんな意味で五輪塔、無縫塔、板碑などと共に文献におとらぬ歴史の証人になることも可能になる。日本の伝統と文化を守るのはこんなところから始めたいものだ。

| | コメント (0) | トラックバック (3)

2008年10月13日 (月)

日常と非日常

 毎日のように株価がストンストンと3桁4桁単位で落ちていく。世界中どこの国も。生まれてこの方経験したことのない不安。2008_10120019

 同じところを歩き、いつもと同じ買い物を。それなのに意味もなく刃物が襲いかかり殺される不安。匿名の悪意が電話や自宅の機械にひそみこむ不安。

 もっとも信頼していた役所、教師、弁護士などが不正確と悪徳の温床という不安。年金も貯金も親も子もあてにならないという不安。

 好き勝手に引っかき回し、責任もとらずに姿を消すアメリカや日本の政治家たちにまかせなければならない不安。不安にあふれた「非日常」の不安。

2008_10120002_3    そんな中に、散歩道の日だまりに金木犀が咲き散る日常。連休に親子・男女連れでにぎわう水族館の日常。日本に戦争のない日常があることしか救いがない。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2008年9月22日 (月)

お彼岸

 陸軍上等兵何某、明治四十何年などという古い墓石を集めてある。お彼岸を迎え、中央の記名碑の前に真新しいお花と卒塔婆1枚、どなたかが供養されている。旧軍の関係者かも知れないが恐らくは遺族であるまい。

2008_09220006  なぜならば、墓石には鹿児島とか因幡国などという遠国の出身地が彫ってある。当地にはかつて陸軍教導団とか野戦砲兵旅団などというのがあった。多分この地で遺体を火葬に処し、故郷へは分骨して帰還させたものと想像される。

 2008_09220008 往時は、遺体を帰還させるとか遺族の到着を待って火葬にするなどのことは困難であったに違いない。従って墓石はどうしても古く遠いものが多いと言うことになるのかも知れない。

 花台と線香立てが真新しい。脇に趣意書と書いた碑文がある。その要旨は、こういうことである。まず「以前は別の場所に陸軍墓地があり「分骨」を埋葬したが、そこが終戦時に農地にされた」とある。

 つまり、急に管理者がいなくなったのだ。軍用品を山分けにするなどという混乱が当時はあったものだが、ここはどうか。「そこでこの禅寺が引き取ったが30年以上もたって環境が劣化したため、有志一同が再整備、供養することにした」と続けている。

 いずれにしても、お彼岸に供えられた一対の菊の花に落ち着いた暖かみを感じる。私がもし戦死者なら、A級戦犯を合祀するなどと騒がしさがなく、総理大臣が参拝にこなくとも、こっちの方を希望するだろう。ついでに近くで見た石塔のかげに咲く彼岸花の写真を添えてみた。

 

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2008年6月 4日 (水)

晴れ間求めて

 首相は、♪おおソーレミオの国へ2008_06040017

2008_06040024

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月30日 (水)

菜の花と小娘

   この題名は、志賀直哉の処女作といわれる作品のものである。書かれ2008_04300007_3 たのは学習院高等科時代らしいが、発表されたのは子供向けの雑誌『金の船』の大正9年1月号で、原稿料は18円だったという。その話のではじめ部分を『日本の文学』志賀直哉・二(中央公論社)から紹介しよう。

 ふと、小娘は誰かに自分が呼ばれたような気がしました。
「ええ?」小娘は思わずそう言って、起ってその辺を見回しましたが、そこには誰の姿も見えませんでした。
「私を呼ぶのは誰?」小娘はもう一度大きい声でこう言ってみましたが、やはり答える者はありませんでした。

 小娘は二三度そんな気がして、初めて気がつくと、それは雑草の中からただ一ト本、わずかに首を差し出している小さい菜の花でした。
 小娘は頭に被っていた手拭いで、顔の汗を拭きながら、
「お前、こんなところで、よく淋しくないのね」と言いました。
「淋しいわ」と菜の花は親しげに答えました。
「そんならなぜ来たのさ」小娘は叱りでもするような調子で言いました。菜の花は、
「雲雀の胸毛に着いて来た種がここで零れたのよ。困るわ」と悲しげに答えました。そして、どうか私をお仲間の多い麓の村へ連れて行って下さいと頼みました。

 その先の筋は、小娘が根っこから菜の花を引き抜いて村の方に歩き始めたが、ほてったあつい手で持たれているため、花の首がうなだれてしまった。小娘は道ばたに流れる清流に花の根をひたし「このまま流れて行くのよ」という。「恐いわ、恐いわ」と必死になる菜の花を励ましながら小走りに追って行く冒険旅行が続く。

 こうして菜の花と小娘の信頼関係、友情がはぐくまれ、土がよく肥えた菜の花畑に移植され元気に育つという物語だ。写真は小娘が見た山里にはほど遠いが、こういったはぐれた菜の花に気づいたり思いをいたす人がはたしてどれほどいることやら。

 桜がおわり、菜の花、芝桜、ポピーなど、見渡す限り敷き詰めたような地方のお花畑観光開発をよく目にする。ゲームなどで家にこもっている(人のことは言えないが(^^)…)よりはましだが、情操豊かで思いやりある子供を育てるためには、やはりより多くの自然に接するしかないのだろうか。むつかしい課題だ。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2008年4月11日 (金)

わが村ところどろころ

 わが村、正確には市であるが……、畏兄主宰『狸便乱亭』からのアイディア盗用である。すぐ実行したかったが、桜を散らす無粋な暴風雨続き。今朝の晴れ間を見てやっとカメラに納めてきた。2008_04110006

 民家の塀をコの字型にへこませた路傍にある。通称「はらきりさま」。伝承は、昔武士がここで腹を切った(いつ、誰が、なぜは一切わからない)。その供養のための碑となっている。

 相当朽ちた竹筒がぶらさげてある。これは、竹筒に酒を入れて供養祈念すると、ぜんそくがたちどろに直るというご霊験の伝説がある。新しい竹筒はないが、復活を目ざして花粉症に効くとしたらどうだろう。

・右側の竹筒掛柱
    昭和四巳年九月吉日

・小石碑
    十七日
 (梵字) 唯心 □(ヨの下に大)
 光明真言      (蓮台模様)
       為菩提  
 五十万遍

とある。

 このあたりで古城といえば、中世、後北条時代になる。その後は武士の住む本場とはいえない。小屋根がかけてあって、字はしっかりと読める。したがって、碑そのものは江戸時代より前にさかのぼらないだろう。どうもあやふやな由緒である。taniさま。ごめんなさい。

| | コメント (1) | トラックバック (1)

2008年4月 4日 (金)

時の流れ

国指定史跡堀之内貝塚遺跡2008_04040008_2

縄文中・後期の貝殻露頭がある山道2008_04040009_2

近くの高速道路建設はここでストップ
貝塚やガソリン税一般財源化は関係ないけど、延長しばらくお預け。2008_04040007

これも……ですな。2008_04040010_2

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2008年3月28日 (金)

近傍名桜図絵

少年野球開幕桜の図2008_03280002

歩道占拠敷石塀破壊老いて盛ん桜の図2008_03280004

唯一屋台の出る名しだれ桜の図2008_03280008

水辺の鴨鑑賞桜の図2008_03280016

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年3月14日 (金)

無惨

4日前のエントリー「鳥害」の続きです。写真からごらんください。

2008_0314 ツグミもこの畑のキャベツが大好きです。いつも集団でやってきます。そのうち一羽がネットに足をからませました。さわいでもはずれません。カラスが2羽やってきてつつきだしはじめました。

 ツグミも数羽上を飛んでいましたがすぐ退散しました。ツグミが動かなくなるとカラスも消えました。最初はカラスが助けにきたようにも見えました。しかし結果はこうです。

2008_03140009  虐殺――カラスを非難する資格が果たして人間にあるでしょうか。
ツグミは渡り鳥です。もうすぐ生まれ故郷のシベリアに帰るはずでした。故郷を再び見ることなく異境の野に散る無念やいかに。

 生態系保護という言葉のむなしさをつくずく感じるひと幕で した。南無 gawk

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2008年3月 3日 (月)

段のある街

 2008_03030001 桃の節句、ひな祭りである。当家伝来の段飾りひな人形は、孫娘宅へ遷座ましました。よって陶器製、白髪の内裏雛が玄関下駄箱の上で相つとめる。

 バリアフリー全盛。街はエスカレーターやエレベーターにあふれ、街の段だんはとって変わられた。テレビを見ていると、このところ階段を利用して何千体かの古ひなを飾るのがはやっているようだ。

 階段のある風景は、長崎ならずとも懐かしく詩情をさそう。そこでひな壇が消えたかわりに、近傍の階段のある風景を撮っておくことにした。

2008_03030008 2008_03030004

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2008年2月21日 (木)

葛飾土産

 ご存じ、永井荷風の小品である。晩年、浅草・向島を遍歴する荷風の住まいは、江戸川東岸の市川にあった。このあたりの都会離れした日本風の自然環境も、また荷風をひきつけてやまないものだった。
 
 「去年の春、わたくしはもの買いに出た道すがら、偶然茅葺き屋根の軒端に梅の花の咲いているのを見て、覚えず立ちどまり、花のみならず枝や幹の形をも眺めやったのである」
 (中略)
 「わたくしは梅花を見る時、林をなした広い眺めよりも、むしろ農家の井戸や垣のほとりに、他の樹木の間から一株二株はなればなれに立っている樹の姿と、その花の点点として咲きかけたのを喜ぶのである。いわゆる竹外の一枝斜めなる姿を喜び見るのである」

 2008_02210001 西高東低の気圧配置がゆるんだ浅春の日差しにさそわれ、そんな梅をさがしに出てみた。荷風のいうように、「近年市街と化した多摩川沿岸、荒川沿岸の光景」とは、まだここは差がある。最近ニュース種となった鉄筋不足の超高層ビルを含む駅前の2棟がいやに目立つぐらいである。

 茅葺き屋根の農家も10数年前は4、5軒見た気がするが殆ど代がかわり、分譲、戸建てなどの敷地となった。たった1軒、老婆が頑として処分を許さないという茅屋があるが、見るも無惨な姿(上)である。もはや鑑賞には絶えられない。

 荷風の見た農家の梅に似た樹は、たまに見かける。しかし今様の洋風白壁と庭いっぱいの駐車スペースでは絵にならない。ようやく校舎以外は荷風の頃と変わっていないはずの小学校校庭に1枝を見た。少子化のせいか、やや小人数の低学年生が1クラス体操をしていた。
2008_02210005

| | コメント (4) | トラックバック (3)

2008年2月 1日 (金)

メリーゴーランド

2008_02010010_2 冬の日を浴びながら、水面でゆっくり回転するメリーゴーランドで遊んでいるのはユリカモメです。実は公園を管理する市が設置した水質浄化の新兵器で、目下実証試験中。

 秋口は、飛来したばかりのヲナガカモなどの幼鳥が、珍しさもあってかお気に入りの遊び場にしていました。最近はあきたのでしょう、遅くきたカモメにその席をにゆずっています。

 さて、話変わって「あおによし」の検索殺到のことですが、Sola さまから、「フジテレビで放映している連続ドラマのせいではないか」というご指摘をいただきました。

 昨日はその放映のある日なので、めずらしく夜10時、TVに向かったのです。しかし主人公の顔が鹿になるとかで、筋がさっぱりわからず(半分以上眠っていたと妻はいいますが)、検索との関連は、わからずじまいでした。

 ところが今朝になってアクセス分析を見ると、すごいことになっているのです。放映のあった10時台1時間だけで通常の1日分のアクセスにはねあがり、検索の93%が「あおによし」関連でした。どうやら連ドラが終わるまでこの傾向が続きそうです。

 Solaさまのご教示に間違いなかったことが、これで証明できたことになります。検索にこられた方が、から振りになってしまうのはやむを得ないことですが、せっかくなのでもうすこし感想をつけたしましょう。

 ドラマの正しい題名は「鹿男あをによし」です。青はAOと発声したのではなく、古代は「を」、つまりAWOだったのですね。そして今でいうブルー、グリーン、グレーみんな青でかたづけました。今でも信号機はグリーンなのに青信号といいます。

 その下の「に」「よ」「し」で詩のまくらことばになるわけですが、辞書で見てわかるように、いろいろな解釈や学説があって、どれがいいのかわかりません。

 「あおによし」がつく詩の全体をよんでみて、作者の気持ちとしては、この解釈がぴってりだなあ、とか、作者としては、読む人がこう感じてくれたらなあ、という詩の心に答えさせるのが一番ではないでしょうか。メリーゴーランド的解釈です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年10月23日 (火)

秋の空

2007_10220002_3

女ごころ?

男ごころ?

10月20日撮影。この日とその翌日の世論調査(毎日新聞)

内閣支持率46%←57%(福田内閣成立直後)
テロ特措法、テロ抑止に役立っている→32%
        そうは思わない     →61%

世論?

来週以降の国会審議でどうなるか。2007_10220001

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年10月12日 (金)

いかなる風か

2007_10110034_3 Dscf0348 畑の先の森は、いわゆる「斜面緑地」で、その下10数メートルには市道が通っている。かつては小綬鶏さえいたが、今でもウグイスやコゲラなどが棲む。だが、このあたりもゆっくりと開発が進み、緑地は確実に減っている。

 右の写真は、大木に覆われた斜面緑地がコンクリート擁壁に変わったところで、たぶん急傾斜地災害予防のための「社会資本整備計画」による公共事業であろう。さすがに大昔からある山岳信仰「仙元宮」の祠だけは残された。

 昨日11日は、「全国都市緑化祭」というイベントがあったらしい。公園かどこかで偉い人が苗木を移植していた。この緑地の破壊と育成は、両方とも国土交通省の仕事である。公明党ご出身の冬柴大臣、この矛盾をどうおさばきになるか。洋上給油とともに悩ましいことではある。

武蔵野や 行けども秋のはてぞなき
        いかなる風か 末に吹くらむ

      新古今和歌集・左衛門督通光 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年9月29日 (土)

もうすこしの我慢!

2007_09300003_5

 

 寒い冬……ではなくて、酷熱の夏をよくのりきったね。もうすぐ北の国から仲間がやってくる。あとちょっとの我慢だよ。
 真ん中で泳いでいるのが渡り鳥のオナガガモ。怪我をしていたのか1羽だけ取り残され夏をここで過ごした。陸にいるのは、留鳥のカルガモ(9/27じゅんさい池)。

*******************************
アムネスティ・インターナショナル日本呼びかけ
僧侶・市民への暴力を止めろ!
ビルマ(ミャンマー) 10.2 緊急院内集会
*******************************

◇日時 10月2日(火) 12:30~13:30

◇場所 参議院議員会館第一会議室
最寄り駅:東京メトロ有楽町線・南北線永田町駅、
千代田線・丸の内線国会議事堂前駅

◇地図  
http://www.shugiin.go.jp/index.nsf/html/index_kokkaimap.htm


◇発言(予定)
超党派国会議員、アムネスティ、市民団体、その他集会参加者から


◇主旨
去る8月以来、ビルマ(ミャンマー)において石油価格の高騰をきっかけに始まった抗議行動は、僧侶らも参加し、民主主義を求める反軍政デモとなって各地に拡大しました。


こうした状況のなかで、9月26日の午後、10万人以上になったデモに対して、軍事政権は催涙弾の発射や警棒での殴打、無差別逮捕などの弾圧を加え、少なくとも数人が死亡しました。そして27日にも、銃の発砲などデモへの弾圧を強め、その中で日本人ジャーナリストが死亡する事態となりました。


現在、僧侶、国民民主連盟(NLD)議員、そして一般市民ら数百人が逮捕されたと伝えられていますが、逮捕者に対する拷問や虐待の危険もきわめて高いと懸念されています。


市民らによる平和的な抗議行動に対する弾圧は許されず、国際社会は直ちに行動を起こさなくてはなりません。とりわけ、中国やASEAN諸国、そして日本など、ビルマに対する政治的影響力を持つ各国の断固とした対応が求められています。


私たちは、軍政の対応を非難し、抗議行動を続ける市民を守るために、また長年に及ぶビルマの人権問題を解決するために日本政府と国際社会が直ちに行動をとることを呼びかけます。


国会議員、そして市民の皆様、急な呼びかけではありますが、ぜひご参加ください。


【主催・お問い合わせ】
社団法人アムネスティ・インターナショナル日本
〒101-0054 東京都千代田区神田錦町2-2 共同(新錦町)ビル4F
TEL. 03-3518-6777  FAX. 03-3518-6778
担当:川上

| | コメント (0) | トラックバック (4)