エッセイ

2018年12月 2日 (日)

IKIGAI

TUNAMI(津波)KIMONO(着物)など世界にそのまま通用する言葉はいくつかある。ところがIKIGAI(生甲斐)がその仲間に入っていることをNHKの「おはよう日本」で今朝知った。

スペイン人のFrancesc Miralles氏とHéctor Garcia氏(2004年より日本在住)が共著し、2016年春に出版された「ikigai」という本がきっかけとなっている。

BBCが紹介したことなどで、欧州をはじめとし表紙に日本語表記まで入れた各国版の発行があって急速に普及した。今やWiki(英語版)にも載っている。

ということは、外国語の適訳がなかったということだ。日常何気なく使うこの言葉が外国人には珍しかったのか。品物や災害などでなく「哲学」「人生観」を含む日本文化の新語輸出は珍しい。

トランプでもまさか反対することはできないだろう。

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2018年11月24日 (土)

暖房文化

 東京も寒さが身に染みるようになった。だけど器具の種類が雑多で使いこなせていない。まずヒートポンプ式エアコン。これも数年前新調したものから30年以上使っているものまで4台あり、消費電力の差は格段に違うはずだ。

 子供のころから大好きでもぐりこんでは叱られたこたつ。天板電熱式のやぐらこたつが1台あるが使っていない。石油コンロは、ファンヒーター3台と芯上下式1台がある。かつて、北国に普及したポット式石油ストーブを開発メーカーから提供されて使ったが、この暖房感がペチカのようでよかった。

改築の時、エアコンに切り替えたら大工さんが作業場で使うので払い下げてくださいといわれ、無償提供して大変喜ばれた。そのほか、トイレ用パネルヒーター、床敷カーペットが大小2枚、扇風機型赤外線というのもある。

新型の大型エアコンを主に使っているが、加湿機能がないので洗濯物の部屋干しにも使う。重宝しているのが台所に置いた芯上下式ストーブだ。薬缶をかけ、いつもでお湯が使えるようにしている。灯油を燃やすということはそれ以上の水分が放出されるわけで、一挙両得。

ただ、暖房文化からはほど遠い我が家である。

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2018年11月17日 (土)

USBとは??

桜田オリンピック大臣は、隣の選挙区選出だが名前も知らなかった。それが、政府のサイバーセキュリティー戦略本部の担当大臣も兼ねていて、このほど世界的に有名になった。

国会質疑で出た「パソコンのUSBをご存知か」という質問に、生来パソコンは打ったことがないという答えである。海外のマスコミが一斉に取り上げたが「それこそ最高のセキュリティー対策」と皮肉る記事もあった。

では、10数年もブログを書き続けている塾頭はどうか、はたと困った。桜田大臣と同様「パソコンについているちいさな穴」程度の答えぐらいしか出てこない。そこでこっそり調べてみたが、単純明快に即答するのは困難だとわかった。

USBインターフェース、USBフラッシュ・ドライブ、メモリー、ケーブル……はそれぞれ違うものをさす言葉。「本体と別の機器・データをつなぐコネクターの規格」とでもいうのが一番いいのか。桜田大臣にエールをおくりたくなった。

塾頭がパソコンに触り始めてから、外付け記録装置は、磁気テープ・フロッピーディスク各種からDVDまで、そして新鋭機はディスクデッキそのものをなくしてしまった。古い記録をフロッピーで保管している塾頭はこれでは困る。

技術革新が最近では夢でなく悩みにかわりそうだ。

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2018年10月25日 (木)

自動ならすべていいか

台湾で日本の技術輸出で建設された新幹線がカーブを猛スピードで走り、折り重なるように脱線転覆するという大事故があった。原因の調査はまだ続いているが運転士がATS(自動運転制御装置)のスイッチを切ったままにして入れ忘れていたことが分かっている。

どうして切ったかについては、スピードをあげたくても装置のブレーキが働いてしまうので邪魔になったということらしい。

AIの発展は目覚ましい。パソコンを操作していてもソフトが勝手に更新されたり、関係のない動作を強制されたり、使い慣れた方法が通用しなくなったりする。これを発展と称してもいいのかどうか、疑問を感ずる日々だ。

中でも話題になっているのが自動車の自動運転技術だ。昔、「自働車」と書いた時代があったが、その通り全て自分で働いてしまうのだ。これを当局が認めるようになると、今より交通事故は減るかもしれない。

しかし、それには自動のスイッチを切れないようにしたり、ハンドルもアクセルも人が操作できないようなものにしなければならないだろう。現在最も人気のある車種はスポーツタイプの車だそうだ。自動化はドライブの楽しみを人間から奪ってしまう。

塾頭には、制限速度以内でのろのろ走っては用心深く止まり、場合によっては人をいらいらさせたるような車ばかりの時代、教習所がいらなくなるような時代がやがて来るとは到底思えないのだが。

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2018年10月18日 (木)

「幼稚」はやめました

毎回々々バックナンバーから題材を拾ってくるので気が引ける。今回またしかり。

前回の題が「トップの幼児度競争」である。題だけ見ても今月に入ってから「幼児度」「稚気」「幼児性」「幼稚園並」などが続いている。

こうなると「ヘイトスピーチ化」したといわれても仕方がない。猛省 think。幼児さんにも失礼なことをした。

そこですこし掘り下げを。

この世界的現象を端的に表現すると「右傾化」であり、共産主義などの指標を失った左翼思想の空白を埋める現象だ。その担い手はいわゆる「大衆」である。大衆の望むところは個人の利益・権利で義務は敬遠する。

そして理念より感情が優先し、複雑さより単純さを好み、わかりやすく目に見えることを選ぶ。いわゆるポピュリズムで、これを利用するのは右翼だけでなく左翼も同じだ。

ただ左翼の基本は、感情でなく理念が優先されるので、発言に組織としての責任を伴う。右翼にとっての制約は選挙結果だけだ。

右翼指導者が論理より感情を優先し、複雑さでなく単純化した言葉で選挙民の心をつかめばそれが正義となる。そしてさらに言えば、左翼は歴史の教訓を論理の柱とするが右翼は、都合の悪い部分とか反省などに触れることをタブーとする。

以上、右傾化が右派政治家にとって有利という現象が目立つが、大衆は右左を選ばない。もちろん大衆による左傾化もある。

明治維新・王政復古では、開国や四民平等という保守とは無縁の改革が実現した。もちろん大衆の目にはつかない怒涛のような支持が背景にあったことを忘れてはならない。

 

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2018年10月11日 (木)

厄介な日本語「首長」

新聞を読んでいたら「福島県の高校生が首長」ここで行が変わった。一瞬、「町長か市長になったのか?」と思ったら、続けて、竜「フタバスズキリュウ」の化石を発見して50年……となっている。

せめて「くびながりゅう」とルビがあればまちがえない。テレビで市町村長を言うときは「首長」を「しゅちょう」とは言わず、主張や市長と聞き間違えないよう「くびちょう」と重箱読みにする。

本来、「首」は胴体と頭をつなぐ「くび」れた部分を言う言葉だ。

首相や首脳陣の「首」は胴体の上全部を頭部として言う。くびを切るという表現は頭だけでなく、そこから身体全体をなくしてしまうことを意味する。首には3種類の解釈があるのだ。

話が横道にそれたが、件の高校生は、学術上画期的な功績を世界に残したということの記事で、どこかの首長や首相では遠く及ばないということを改めて感じてしまった。

 

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2018年9月12日 (水)

イルカ・ショウを謝る卑屈

  9日に「迷惑をおかけして」という組織としての陳謝を取り上げた。最近は、不本意だが誤ってさえ置けば、という安易な謝罪がはやっている。このところ特にスポーツ関連に多く見られる。

 下記は毎日新聞(09/12、東京・朝刊)である。

国際連盟 イルカショー批判 実行委平謝り

2020年東京五輪に向けた最初のテスト大会となったセーリングのワールドカップ(W杯)江の島大会で、開会式で披露されたイルカショーを巡ってトラブルが起きた。大会実行委員会は江の島名物で歓迎の意を示したつもりだったが、国際セーリング連盟は海洋生物保護の観点から「落胆した」と批判した。実行委は平謝りで、文化や考え方が異なる海外の人々を大勢受け入れる五輪・パラリンピック運営の難しさを浮き彫りにした。

 イルカショーが披露されたのは神奈川県藤沢市の新江ノ島水族館で9日夜に開催された開会式。選手や大会関係者の前で、同水族館で人気のあるイルカのパフォーマンスがあった。これを見た12年ロンドン五輪男子470級銀メダルのルーク・ペイシェンス(英国)がツイッターで「ショックを受けた」と投稿するなど、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)などで選手らから当惑の声が広がった。

 欧米ではイルカは知的で親しみのある生き物との考え方が強く、ショーを行わせることへ抵抗感がある。(以下略)

 もともと日本人は土地が狭く、古来海産物を食用に供してきた。クジラやイルカに対する欧米人のヒステリックな抗議に「謝罪」する必要はない。「謝罪」を安易に考える、これも欧米人からすると、異様な姿だ。

 このところ、魚は寿司などを通じ日本の食文化として欧米人など外国人に賞味されるようになった。

 哺乳類は別、というが、明治時代にランプ燃料の鯨油を求め太平洋のクジラを乱獲し、絶滅の危機にさらしたのは欧米人だ。イワシなどを追って湾内に入ってきたイルカを資源保護のため捕獲し、水族館に送ったことを非難する資格などない。

 来客に不愉快な思いをさせるのなら、大会のアトラクションから除外するのは結構だ。陳謝は、むしろ欧米人に誤って理解される。

 そもそもイルカ自身はショウを苦しんでいるだろうか、むしろ楽しみにしているかもしれない。やせ馬に人が乗り、鞭で乱打して走らせる競馬の本場・英国人がこれを禁止しない理由はいったい何故か。

 日本人の悪い癖は、言うべきことをきちんと言わないことだ。

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2018年9月 6日 (木)

桃と災難

台風が過ぎたと思ったら今度は北海道で地震。よくもまあ自然災害が続くものだ。これは黄泉の国にいる穢れた神々の仕業に違いない。この神を祓うには「桃の子」を投げつけるのが有効(『古事記』)。

 この際、岡山生まれの伝説、桃太郎が出てきて災害の神(鬼)も退治してほしいものだ。桃太郎は「気は優しくて力持ち」である。

 暑気払いには、桃やビワの実がからだを冷やすので有効とされる。桃はこのように日本人の災難と切っても切れない縁がある。

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2018年8月21日 (火)

「天運循環」

「月日は百代の過客にして、行き交ふ年も又旅人なり」は芭蕉の『奥の細道』の書き出し。「天運循環。無往不復。宋徳隆盛。治教休明。」は朱子の『大学』の序にある。

いずれも長い歴史のなかで疑うことのない真理として扱われてきた。

それが世界的異常気象、地球温暖化やトランプ・安倍政権の奇妙な長続きで、つい疑わしい気分になってしまう。

「そうではない」ことを証明する賢人の出現が待ち遠しい昨今である。

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2018年8月13日 (月)

森友と人情裁判

 司法試験を目ざすある若者が、映画「男はつらいよ」の1場面にある主演の寅さんの台詞遠山の金さんについて、「遠山さんといいますとどこの?」と質問された。雑誌『世界』に載っていた原田國男慶応大教授の話である。

 教授は「裁判官の一番欠けたところは、世情と人情に疎いことだろう。しかし、これが一番大事なことかもしれない」と書きだす。そして、遠山の金さんを知らない裁判官がいるとは思わないが……そもそも寅さんに関心をもたない裁判官も多いであろうと続ける。

 森友学園問題で財務省幹部が公文書改ざんを指揮したことがはっきりしている。地検はこれを不起訴にしたが、検察審査会でひっくり返し送検しても無罪判決をする可能性が高いという。

 裁判が後送りされればされるほど、新聞はおろかテレビドラマすら見ない若者がふえ、寅さんも遠山の金さんも大岡越前も知らない裁判官の判断で裁かれるようになる――老爺心でなければいいが、歴史も人情も世論も無視し放題そんな将来をおそれている。

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