エッセイ

2019年4月15日 (月)

「新」の寿命

新月=半日

新聞=1

新年=1カ月

新米=半年

新卒=1

新名所=23

新自由主義=そろそろ終わり

新幹線=永久?

 

 

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2019年3月 8日 (金)

食文化

 サボイキャベツ・アレッタ・プチヴェール、カリフローレ、アイスプラント、何のことかわかりますか。最初がキャベツとあるように、全部が野菜の名で、昨日の新聞に出ていました。甘味があるとか、栄養価が高いとかいろいろな特徴点をもった、品種改良新野菜です。

 テレビを見ていると、どこを回しても料理をおいしそうに食べている時間帯が多くなりました。日本食ブームとかいうが、逆の現象もあります。サラダの隆盛です。前述の野菜もサラダに使うものが多く、名が売れると競争相手もないのでもうけが多いそうです。

 そういえば、サラダの材料は、細切りにした大根・人参などを除くと全部と言っていいほど外来種でカタカナになります。

日本で野菜と言えば数十年前まで煮て食べるか漬けて食べるもので、菜はほうれん草のおひたし、野沢菜の漬物となり、生野菜は揚げ物に大根おろし、刺身の大根千切りと同様、サラダは、カツレツにつくキャベツやキュウリ、トマトを同じ皿に盛りつける程度の存在でした。

40年ほど前、家庭菜園でブロッコリーを作っているのを農協につとめる義姉が見て、「こういったものを作るよう農家に勧めているけど関心がなくて」と嘆いていました。

これからも塾頭の知らない食材があふれ、食文化もまだまだ変わっていくでしょう。戦時中の、イモ・かぼちゃ・蔗糖・キビ類の炭水化物、イナゴ、食用ガエル、雷魚などのたんぱく源確保の経験も思い出します。

 

 

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2019年3月 5日 (火)

三寒四温

1月ごろ、毎日抜けるような青空が続き、窓から見える広大なキャベツ畑、植えたばかりなのに育つのかなあ、というような記事を書いた。3月に入って今日は続いた雨がやみ、久々の青空。暖房のフル稼働もなくなった。

「三寒四温」、なるほど「言えているなあ」、と思った。日本で春先を示す季語であると信じ、調べて見た。ところが違う。朝鮮・中国東北部にある冬季の現象をさす言葉だという。

昨今の政治情勢ではないが、似ているようでもセンスは合わない。「我々の文化を盗んだ!」というような声が聞こえてきそうな気がする。

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2019年2月14日 (木)

今年はキガイの年

今年がイノシシ年ということは幼児でも知っている。これを干支で漢字で書くと「」であるが、読める人はほとんどいないのではないか。訓読みで「つちのとい」、音読みでは「きがい」となる。

甲子園を読めない人はいない。施設が「きのえね」の年にできた由来がある。歴史に残る戊辰戦争(明治革命)、辛亥革命(清国滅亡)、乙巳(いっし)の変(大化の改新)も勉強した人なら読める。

今年は改元のある年である。日本の元号は、乙巳の変のクーデターで中大兄皇子らが作った「大化」が最初で、それ以前はなかった。西暦や太陽歴がない時代は、大事件を60年に一度回ってくる干支で記憶した(「還暦」の発想もそこから発している)。

今でも年賀状に干支を書く人がいるが、大正時代頃まではよく使われたようだ。終戦前まで、徴兵検査の成績は甲種合格が最高で「日本男児の本懐」とされたが、徴兵令状(「赤紙」と呼ばれた)が真っ先に来るので、できれば丙種の方がいいと内心思っていた人が多かった。

また、学校の成績も通知表も甲・乙・丙(こう、おつ、へい)の干支の順に当たるゴム印が押されており、後にそれが優・良・可に変わる。

前回の己亥の年は、安倍首相の祖父・岸信介が首相である。東京地裁の砂川事件で外国軍隊の駐留は違憲という判決(後に最高裁が破棄・差戻し)があった。そして、安保改定阻止のデモ隊が国会構内に突入し、翌1960年に安保改定による混乱の責任をとって岸は退陣した。

60年安保」と通称されるが「己亥(きがい)」が気概になるか危害になるか。気になる干支である。

 

 

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2019年2月 8日 (金)

区別・差別・軽蔑

日々のニュースで親縁者殺人というのが目立つが、国際問題を含めて差別問題が定番になっている。人種差別、性に関する差別などだ。今日も、グッチのセーターに黒人差別とSNS上で批判 グッチは「深く謝罪」し製品を撤去、というアメリカ発のニュースをNHKで流していた。

これで思い出したのが、1960年(昭和35年)頃流行した「だっこちゃん」である。ビニール製の空気で膨らませる黒人幼児の人形で、女性がファッションのように腕につけて銀座を闊歩したりした。

これは、日本メーカーの発案・発売で海外にも伝播した。この時も人種差別という声は出たが、謝罪とか発売停止に発展したという記憶はない。

塾頭は、むしろ人種差別の隔壁をなくするほほえましい光景に見えた。人種差別として騒ぎ立てる方が差別を増長しているという気がする。

そこで題にあげたのが、3つの日本語である。差別・区別は語尾が「べつ」でも「蔑」つまりヘイトではない。人種でも性別でも、「差」や「区分け」があるのは当然である。最近は「それがいけない」といっているように聞こえることがある。

「別」は、人類の芸術、文化、道徳、習慣など色々な発展の原動力になってきた。「蔑」との「区別」がしっかりとれるようになるというのは、それほど凄いことなのだろうか。

 

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2019年2月 6日 (水)

「じ、ぢ」「ず、づ」の区別

塾頭はキー入力の訓練を受けたことがないので、いまだにかな変換の世話になっている。変換ミスで多いのが表題に書いた文字の入れ違いである。学習能力ではなかなか追いつかない。そこで共同通信社刊の『記者ハンドブック』を見た。そこには、こう書いてある。

「ぢ」「づ」は、原則として使わないで、「じ」「ず」で書き表す。

ただし、二語の連合によって「ち」「つ」が濁る場合と、同音の連呼の場合だけは、「ぢ」「づ」を使う。

<「じ、ず」の場合>()

<二語連合の場合>

(注)二語の連合とは「にい(新)」と「つま(妻)」とが連合して「にいづま(新妻)」となるような場合をいう。主として前と後の二つの部分に分けられるような意識(分析的意識)があるときである。これに対し「稲妻」は、「いな(稲)」と「つま(妻)」の二語の連合とはみられず、分析的意識がない一語と解されるので「いなずま」となる。(個々の用例については、「ぢ、づ」と「じ、ず」の使い分け用例集参照)

頭脳明晰な記者さんも、これだけでは理解できなかったのだろう。用例集は続けて6ページにもわたる。どうやら、かな文字変換族に救いはないようだ。

 

 

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2019年1月26日 (土)

大坂なおみでよかった

大坂なおみが全豪オープンに優勝し、女子テニスの世界第一位にランクされることになった。久々の快挙・誇らしい話だ。肌の色がもっと白く両親とも大和民族だともっとよかったと思う人がいる。所属先の日清食品やその他に大勢いるだろう。

塾頭は、だからこそ「誇らしい」と思うのだ。日本も世界の水準にやっと近づいたというわけ。

 

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2019年1月16日 (水)

次の日本人横綱

稀勢の里が引退を決めようだ。稀勢の里は初日が大事、とされていた。その初日に堂々金星をあげたのが御嶽海で、引退への流れを作ったといってもいい。次の横綱候補が大関陣に見当たらず、日本人横綱の筆頭候補に御嶽海をあげたい。彼は御嶽大爆発と前後して踊りでた。そのころから素質があるなと観察していた力士だ。

これまで2横綱を破っての全勝、小結、関脇陣から目が離せなくなった今年の角界である。

 

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2019年1月14日 (月)

有終の美

K10011776831_1901131810_190113182_2「勇退の時期を失う」「醜態をさらす」。両方合わせて「有終(勇・醜)の美」は遠のくばかり。稀勢の里のこと?。いいえ違います。

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2019年1月 6日 (日)

「慣れ」

  寒さ慣れしてきたこの時期、「慣れ」について考えた。

使い慣れた道具。大工のかんな、板前の包丁、使い終わったら自分で研ぐ。 

通い慣れたすずかけの道。友情をはぐくむ学び舎の路。

住み慣れた街。顔見知りだけの安心。故郷の原型。

「慣れ」なくして生活は成り立たない。

ところが慣れられると困る企業がたくさんある。「ライフサイクル」といって生活・習慣に変化を求め、それを企業存続の根幹に置く企業である。かつては典型的な産業が「家電」、といわれた。

厳しい競争のもとで、目覚ましい技術革新が進んだ。しかし耐久消費財といわれるように、まったく使えなくなるということはなかった。それが「慣れ」は「罪悪」であるかのような変化が生じてる。

ハードではテープ、ディスクなど記憶装置である。ソフトも頼みもしない「自動更新」が毎日のように入る。パソコンは「使い慣れた道具」には決してなりえない。ユーザーから見ると買い替えを迫られているように見える。事実そうだろう。

これに紛れ、スパムが横行する状況を作っている。今や国境を越えた「慣れ破壊戦争」の時代に入った。

言論の自由、経済の健全発展を守る上からも、何らかの形で政治的コントロールを考えなければならない時期に来ている。だがこれには時間がかかるか、または、できないか。

 

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