エッセイ

2020年7月28日 (火)

日本語の迷走

 「恩を仇でかえす」と書こうと思っても、「恩」は常用漢字にあっても「仇」はない。「恩をアダでかえす」とか「アダ討ち」では、さっぱり気分が出ない。『記者ハンドブック』というのがあって、新聞記者の手引きになっているが、塾頭手持ちのものはやや古い。

 常用漢字は内閣告示で決まるが、「鯨」があっても「鮭」はないとか「桜」があっても「梨」がないなど、それに準拠しなければならない職業人の苦労や疑念は、想像に余りある。

 塾頭にはそんな義務はないので、変換で「あだ討ち」と出ても「仇討」に書きなおす。戦前の書物は、大衆にも読めるよう簡単な文字でもルビが振ってあった。それで読みを知り、漢字が持つ意味にも理解が及ぶことができた。

 GHQの指導のもとこうなったのかも知れない。しかし憲法とは違う。金がかかるだけで文字文化を退歩させるばかりの、現行制度は即刻やめた方がいい。

 ただ、日々増える英文略語など、新たな負担もある。試験問題などへの採用には、日本語のあるべき姿を求めた上、別の配慮が必要となるだろう。

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2020年7月26日 (日)

谷町をころがしたコロナ

 コロナで八方ふさがりの中、変則的ながら相撲中継が見られるのは楽しい。塾頭のひいきは「御嶽海」である。

 御岳爆発のあったころ、木曽とは反対側・信濃の出身で、忽然と上位に上がってきた力士がいた。大型ではないが土俵に吸い付いたようなすり寄りの力強さから「もしかして横綱候補」と思ったのである。

 定位置・関脇が続き優勝もあったが三役陥落も経験し、久しぶりに関脇で6連勝、昨日勝てば今日勝ち越しに王手がかかる、と楽しみにしていた。

 ところが突然字幕に、「不戦勝」と出た。あれあれ、相手の阿炎は怪我でもしたのかな、と思ったら、錣山親方が「お客様と会食に出たため」に出場を禁止したという。

 1日だけでは済まず、阿炎処遇への影響は大きい。全勝を続けてきた御嶽海も「勝ち星」を得たとはいえ、心理的に支えを外されたような気がするのではないか。

 大相撲は明治末までに現在のような興行形態が定着した。有力後援者・ひいき筋は「谷町」と呼ばれる。大阪谷町筋の相撲好きの外科医が相撲取りからは治療代を取らなかったことから来ているという。

 食事は、谷町から声がかかったのだろう。力士には欠かせない化粧まわし、会場をとりまく旗指物など、谷町なしでは成り立たない。谷町の誘いを断るなど、どんなに勇気のいることか。

 誘ったのは数人の谷町だったという。とんでもないところへコロナの猛威が及んだものだ。

 

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2020年7月24日 (金)

若者ことば

 テレビを見ていて男女を問わず、場所を選ばす頻発される言葉が「ヤバい」である。聞いていて気持ちのいいものではない。

 それに次ぐのが「マジ」で「ほんとう―」もある。この二つは相手を疑ってかかる口調になるので、本来なら「ウザイ」言葉だ。

 最近は聞かれなったが「ダサイ」は、隣県を見下す差別語。「キモイ」もその類だ。それぞれ語源に諸説があるが、いずれも信頼に値しない。

 「ヤバい」は、語源が江戸ことばの「厄場い」から来ているという解説があった。

 「厄場い」は、仕置き場・獄卒を指しているということで、その筋だけに通用する言葉だったとする。

 そうすると、ヤバいは古語を復活する筋の通った言葉になるが、一般の人には通じないヤクザ言葉を採用したとすれば、やはり感心できない。

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2020年7月 8日 (水)

最先端の方言

 07/07の毎日夕刊のコラム「憂楽帳」より西川拓氏の「最先端の方言」という題名をお借りし、その一部を引用する。

(前略)私も昨年春から福島で勤務しているが、半沢康・福島大教授(日本語学)によると、福島の方言は単語の中のどの音を高く、どの音を低く発声するかに決まりがない「無アクセント」が特徴だ。雨と飴(あめ)、橋と箸など、同じ人でもその時々で抑揚が変わるというから面白い。宮崎県なども無アクセント地帯だそうだ。

 「日本語では同音異義語をアクセントで区別する例は多くなく、アクセントはさほど重要ではない。支障がないなら単純化していくというのが、言語の変化の大原則」と半沢さん。無アクセントは言語の進化の最先端ということか。(後略)

 また、62年前の本だが柴田武『日本の方言』岩波新書、には、その例として次の例をあげている。

たとえば、もとの委任統治の南洋の島々では、そこへ移住した人がすべて無アクセント地域の出身者ではないのに、無アクセントの日本語が話されていた。ちがうアクセント体系の人が寄り集まったために、新しく無アクセント方言が生まれたのだと思う。

日本語からアクセントがなくなる、その日がいつかはやってくるのだろうか。

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2020年6月30日 (火)

大覚寺の滝

【百人一首 五五】

           大納言公任   

  滝の音は 絶えて久しくなりぬれど

  名こそ流れて なほ聞えけれ

 勝俣久作『百人一首要解』有精堂、では、一首ごとに【鑑賞】や[参考事項]などを付した解説がついている。

 この歌は、花鳥風月や季節とか恋が歌いこまれていない珍しい例であるが、上掲書でも「規則正しい順韻」すなわち上の句に滝、絶えなどタの音を配し、下の句に名、流れとナの音を持ってくる順韻律の例で、ほかに3首ほど例があるという。そして、「想」としてはつまらぬ歌、と酷評する。

 塾頭は最初、なかなか奥行きのある秀歌だな、とこれを見た。

 「絶えて久しく」を、滝から川筋を下ってその音が聞こえなくなるほど遠くへ来ても、と読んだのだ。

 前掲書の解説によると、嵯峨天皇が大覚寺を造営したが公任の頃には滝の水が涸れて、音がしなくなってひさしい、の意味だとする。

 詩歌、俳句に順位をつけたり、注釈・解説をつけるTV番組があるが、あまり好んで見る気はしない。

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2020年6月 8日 (月)

使えないアベノマスク

 先週、アベノマスクが届いた。そろそろ開封を……と思ったが、考えてみると世界でその名も知られた貴重なマスクである。今日も国会で議論の的になっていた。

 開封して使って、いずれ捨ててしまうのでは、もったいない気がする。

 (家にはないが) 神棚にでも飾って、家宝にしておけば、いずれ珍品としてねうちが付く。博物館あたりから寄付の申し出が来るかもしれない。

 コロナ禍は国難として歴史に残さなければならない。それをウイルスの実物で展示するわけにはいかない。

 物で見せる格好なものとしては、アベノマスクの右に出るものがないだろう。本当に!😃



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2020年6月 2日 (火)

国粋

 アメリカの人種差別暴動や、香港関連の中国の実態を見ると、日本は、世界で最も治安対策が進んでいる国の部類に入るように見えるが、果たしてそうだろうか。

 コロナ騒ぎに乗じた交付金受取人を装った詐欺で、京都府警に2名逮捕されたという報道があった。

 コロナ自体の逮捕も相当先延ばしになりそうだ。振り込め詐欺の根絶もできていない。

 その前に、法務省とか内閣といった国の中枢で、賭博・買収・偽証など低次元の犯罪が横行。くすぶったままだ。

 富士山や日の丸が泣いている。

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2020年5月27日 (水)

常識と法とモヤモヤ

 人が道路を歩くときは右側、車は左側通行である。これは日本の常識であり、法律もその通りになっている。

 親しい人に会えば握手もするしお店で食事もする。これは常識であって、不法行為ではない。だけど、公序良俗に反するといった「もやもや」がこれからも続く。

 検察官は、悪人を取り調べたり起訴する強い権限を持つ。しかし法務大臣のもとで行政権を行使する公務員でもあるという点、「司法の独立」という常識と、任免権その他関連する「法」の間に「もやもや」があって、どうもよくわからない。

 国際問題にもある。

 過去の法律に基づいてなされた行為を、その後できた法で罰することはできない、という法・不遡及に反する慰安婦問題。最高裁による国家間の条約に反した徴用工問題判決。そういった常識を、人権回復で正当化しようとする日韓間のモヤモヤ。

 トランプと習近平の間にたって、日本、どっちつかずのモヤモヤ。

 そこに梅雨入り直前の、モヤモヤ空模様が加わる。これは法と常識に関係ない。

 

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2020年5月14日 (木)

一喜一憂の自由

「感染者数増減に一喜一憂するな」という。

 日々のニュースはどこを見てもコロナ一色。ほかに一喜一憂するような材料は、身の回りから奪い去られているのだ。

 わが千葉県では、14日、県・市の統計で3月30日以来45日ぶりに新感染者ゼロを記録したとマスコミが伝えた。

 統計によっては3月14日以来というのもある。たしかに、不確実な統計で一喜一憂する(科学的)根拠にはならない。

 ただ、どんな統計であろうと、ニュースを見聞して一喜一憂するのは、個人の自由だ。快哉を叫ぶ自由を奪う権限はどこにもない。

 今夜は、気分良く眠れる。

 

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2020年5月10日 (日)

コロナと人口問題

 『日本と世界の今がわかる現代史』朝日新聞出版、という本をパラパラとめくっていたら、次のような表が目についた。コロナで侵された脳みそは「感染者数や発生率の推移……?」と反応してしまった。

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 よく見ると、「なぜ、日本は少子化がこんなにこんなに進んでしまったのか?」というタイトルのページである。去年の2月に出版された本だからコロナが出ているはずがない。

 見方によれば、人口問題はコロナより深刻な問題ともいえる。そこでは、コロナで取り上げられた「実効再生産数」と似た数値が示されていた。

(前略)日本が人口を維持していくためには、合計特殊出生率(以下・出生率)2.07以上であることが目安とされています。出生率は1973年には2.14でしたが、75年には2を切って1.91を記録し、2005年にはついに1.26にまで落ち込みました。ただしその後はやや持ち直し、近年は1.4台前半が続いています。とはいえ出産が可能な女性の人口が減っているため、生まれてくる子どもの数は増えていません。17年の出生数は、国の調査開始以来最少の約946000人となりました。

そのため日本は、すでに08年をピークに人口減少社会に突入しています。(以下略)

 さらに、働く女性が増えている国は出生率も増えている統計を示し、対策のひとつとして掲げているが、戦時中の「産めよ増やせよ」のキャッチフレーズにはならないよう、注意が必要だ。

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