エッセイ

2017年1月23日 (月)

19年ぶりに日本人横綱?

実現すれば19歳の人にとって、生まれて初めての日本人横綱になる。相撲が「国技」だといわれても土俵入りをするのは外国人。これまで、「なんで?」という感じだっただろう。

 

外国人力士が現れたのは1967年、ハワイ生まれの米国人・高見山の十両入りに始まる。もう50年もたったのかという気がするが、国際化は最近の相撲人気をむしろ高めている。

 

高見山が優勝した際は、大統領から祝電が届いた。明るい性格で日本人からも愛されがトランプさんのように高い税金などかけなかった。アメリカ人はいなくなったものの、横綱を独占するモンゴルをはじめ、エジプト、ロシア、ジョージア、ブルガリア、メキシコなどにぎやかだ。

 

その中で幕内下位にいた蒼国来は、内蒙古出身といっても中国に入る。今場所星をかさねて前頭筆頭まで上がりそうだ。いずれは、中国場所復活が話題になるような活躍を期待したい。

 

今回優勝した稀勢の里は、いい意味でも悪い意味でも日本人らしいところが人気のもとであったかもしれない。稀勢の里が尊敬する力士は、と問われて朝青龍と答えた。いやがらずに稽古の相手をしてくれたからだという。

 

その朝青龍。かつて同じ質問に対し魁皇と答えた。理由は、けんか相手の力士と仲直りをするよう風呂の中でこんこんと諭されたこと、だとか。いずれにしても力士の間には国境はない。

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2017年1月13日 (金)

パソコン、苦戦

 新パソコンに思った以上の苦労をしています。

 便利になったのでしょうが、新機能が理解できない。私にとっては古く慣れた方が便利なので、新しい方に慣れるまで古い方を処分せず、当分は両刀使いで行きます。

 テーマを探す苦労の方が楽でした。トホホo(;△;)o

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2017年1月 6日 (金)

准高齢者

 どういう人の集まりか知らないが「日本老年学会」というのがあって、この度、高齢人口の増加に伴い、その肉体的・精神的能力を見直す必要から、高齢者を3段階に区別する提言をしたのだそうだ。

 それは、65歳から74歳までを「准老齢」、75歳から89歳を「老齢」、100歳以上を「超高齢」とするものだ。

 「後期高齢者」という言葉を当局が決めた時も、さんざん非難を浴びたものだが、今回提案した用語は、より無知・無感性というしかない。

 いつからそうなったのかわからないが、正看護士に対して准看護士、助教授は准教授になった。最初に聞いた時なんとなく耳障りな言葉だと思った。

 「准」とは「なぞらえる」というような意味で、「本当は資格がないのにそれに準じた扱いを認める」というとらえ方だ。昔の漢和辞典をひくと単語は「准后」があるだけだった。

 准后は、皇后以外の女性が皇子を生むと母親は「准后」と呼ばれた。どう見ても「正式ではない」という意味が込められており、呼ばれる方もなんとなく嬉しくないだろう。

 「超高齢者」もひどい。老齢者人口の1%ぐらいらしいが、高齢者のレベルを飛び超えた特別な存在で、「高齢者の枠外」にあると言われているような気がする。

 そういう分類は必要かも知れないが、呼ばれる人たちの気持ちもよく考えて名づけてほしい。パート・ワン、パート・スリーなどとした方がよほど気が利いていると思う。

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2016年12月26日 (月)

校正

 仕事として「校正」をしたのは60年以上前にさかのぼる。発行部数1000部程の新聞だが、いくつかの寄稿以外の執筆、編集、活版印刷の割り付け・整理、そして校正までを一人でやっていた。当然校正は3稿までやる。

 「校正(後世)恐るべし」という格言は、この頃知ったと思うが、若かったせいかあまり大きなミスは覚えがない。その後、単行本、会社・団体史なども手掛けたが、校正漏れが一つもなかったという例はなさそうだ。

 単行本などは、出版社で校正の専門家がいてこれに当たるが、そこでさえすり抜けてしまう。重要な校正漏れを発見するのは、校正作業中ではなく、なぜか発行後リラックスしながら読み下しているような時の方が多い。

 ブログも同様である。原稿段階で読み返すものの、印刷物と違い、アップした後でも簡単に訂正できるということから、どうしても安直になる。その反面、印刷でいう「誤植」はワープロ作業のため比較にならないほど多い。

 最近のワープロソフトは、単語で変換するより熟語で入力・変換する方が正しい文字になることが多いようだが、それでも信用は禁物だ。前段に使った「校正洩れ」は、何度やっても「公正漏れ」しかでてこない。

 相当後になって気が付いた例として、昨日、「最後」が「最期」になっていたのを発見した。なにか見かけは似ているようで意味する所は全く違う。

 「校正(後世)恐るべし」である。

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2016年10月27日 (木)

誰のための労組

 最大手広告代理店「電通」の新入女子社員が苛酷な長時間残業から来たと思われる自殺を遂げ、労災と認められた。また過去、支社を含め複数回労働基準監督署から是正勧告を受けていたことなど、続々と報道された。

 15日のエントリー「新潟県知事選&労働組合」は、民進党が知事選について連合の反原発反対の意を受けて自主投票に逃げこんだことを含め、今どきの日本の「労働組合」に疑問を感じ、電通のような事態をふせぐため、同社には労働組合がなかったのか……と書いたものである。

 塾頭が現役の頃は、労働省の出先「労働基準監督署」が会社の担当部門から鬼のように恐れられていた。なにしろ警察署・消防署と同じ「署」でよばれる強制力を持った役所だからだ。税務所や登記所、あるいは公共職業安定所とはわけが違う。

 同じ労働組合でも、今回の事件について役所側の労働組合のコメントを発見した。毎日新聞10月21日・東京朝刊によるものである。

全国労働組合総連合(全労連)の井上久事務局長は「労働基準監督官の人数が足りない。監督官は相当のオーバーワークで、お昼ご飯を食べる時間もないのが実態だ」と指摘する。厚生労働省によると、企業が時間外・休日労働に関する労使協定を届け出たのは14年度137万7705件で3年前から約18万件増えた。ただ、今年度の全国の監督官は3241人で、3年前から43人しか増えていない。

 「お昼ご飯を食べる時間もない……」。エッ?!、これでは取り締まる警官がコソ泥をしているようなものではないか。中央省庁再編で労働省が厚生省と合体し、さぞかし行政効率が上がりスリム化しているのだと思ったら、逆に監督官は増えているようだ。

 電通がこれほど何度も指摘を受けながら、旧態然としてお上を恐れぬしたい放題。疑いたくないが「接待」という2文字がどうしても浮かんでくる。役所の労働組合も業務の簡素化より、仕事量と身内にしか目を向けない官僚意識が先に立っている発言だ。

 塾頭……、ただただ「長嘆息」が結論です。

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2016年10月23日 (日)

続・差別語「土人」

 沖縄で基地反対運動をしている人に対し、規制にあたっている機動隊員が投げかけたこの言葉、塾頭が最初にこれを取り上げたのが19日の早朝だった。「琉球新報」の電子版からひいたものである。

 その後中央紙やTVも取り上げ、今日のニュースショーでも、先週のできごととして、論評も加え報じていた。塾頭は記事の中で 『「土人……」(どじん)、いや、懐かしい言葉を聞くものだ』と書いた。若い隊員がこんな言葉をなぜ知っているのかが不思議だった。

 これについて、戦中までは実際に本土の人間が沖縄の人に使っていた差別語だったとか、現在でもネットウヨが「シナ人」とともによく使うとか、政府・官僚が上からの目線で対応することが差別を誘発したなどという解説もあった。

 塾頭は、ネットウヨ言論は一時ほどではないのかと思っていたら、小林よしのりがブログにこんなことを書いている。

辻元(清美)氏は政治家として年季が入って来て、国会質問の追及も腰が据わっている。
言葉が重くなってきたので稲田朋美への追及のときは、とうとう稲田が震えだし、泣いてしまった。
これを稲田萌えのネトウヨおっさんどもは、「憂国の涙」なんて庇ってるのだから、馬鹿もど外れている。

わしのAKB萌えは意識して自分を馬鹿に見せてやっているが、稲田萌えは無自覚に馬鹿をさらけ出しているから脳髄まで馬鹿が浸透している。

 「馬鹿」と言うやつが「馬鹿」という。4回も繰り返す小林もどうかと思うが、アメリカのトランプ現象もネットにあふれる乱暴な言論が影響しているという。また、中国でさえ、ネットにあふれる対外過激言論が慎重論をおさえる役割を果たしているそうだ。

 世界総ネットウヨ時代――想像もしたくない世紀末的現象だ。これを止める大文豪がそのうちに出てくるだろう。それを期待したい。

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2016年10月19日 (水)

差別語「土人」

 「琉球新報」(10/19電子版)によると、沖縄のヘリパッド建設現場でフェンスにつかまり抗議している市民に対し、規制にあたっている機動隊員が、「どこつかんどんじゃ、ぼけ。土人が」と発言、これを市民が記録していた動画で取材記者が確認した。

Photo  「土人……」(どじん)、いや、懐かしい言葉を聞くものだ。識者らが差別発言と批判しているというが、記者も辞書をひいて確かめたらしい。戦時中は、主に腰みのひとつで暮らす南洋諸島の原住民をさしていった。悪意はなくとも明らかな差別語である。

 当時の人気漫画主人公「冒険だん吉」少年も、腰みのをつけて王冠をかぶり、南洋小島の王さまになる、そしてて住民に愛され親しまれるという筋だ。本土から応援にきたらしい巻き舌ぎみの機動隊員は、まさかそのマンガは見てないだろうが……。

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2016年10月12日 (水)

人口激変時代

 塾頭茅屋周辺は、40~50年前に都郊外住宅地として畑地から戸建てが増えた地域である。建て替えした家もあるが、ほとんどは手をいれても改造・補強にとどまり、昔の姿を残したままだ。住民の当主は老齢化し、子があとを継いでいる家はほとんどない。高齢化率は人口20万人以上の都市では市川が横須賀市に次いで全国2位だそうだ。

 放置されたままの空き家もすくなくない。そういった中で一人所帯が増え、町内会が機能を失いつつある。1年交代の当番組長を辞退する人が増え、回覧板も入院者がでたり、置忘れがあったりで回転が止まることもしばしば。

 しかし、耕作者がいなくなった農地や廃業したテニスコートなどまとまった敷地があると、小型分譲住宅団地となるケースがでてきており、そうなると若者や子供も増えるので、トータルでは近辺の人口減少に歯止めがかかっているようだ。

 その差が極端に二分化し、地域全体としてはまとまりのない異様な雰囲気の中にある。こういった現象はここだけではないと思うが、ブログをやっているとブログ人口の変遷も気になる。正確な統計はわからないが、相当減っているのではないか。

 塾頭が始めた頃は、SNSは一つもなかった。先駆したミクシーやツイッターは早くも下火で、フェイスブックとかラインとか、スマートフォン普及もあって、どうやらブログ向きではない方向に世間は向いているようだ。

 現役の頃、ポケベルが出現したが、どこに居ても拘束を受けるような気がして持たなかった。その伝で携帯もパス。スマホにも縁がない。パソコンは開拓者だった塾頭だが、今や全く過疎地帯の一人暮らしの境遇にいるようだ。

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2016年10月 8日 (土)

廃仏毀釈の危険性

 仏教では、倫理的なふるまいとは十の不徳の行為(十悪)を避けることとされています。この不徳の行為には三種類があります。身体によって行われる行為、言葉によって表現される行為、および意識の中で起こる不道徳な考えです。

 身体が行う悪行は、殺生、盗み、性的過ちの三つです。言葉による悪行は、嘘、口論、攻撃、分別のない物言いの四つです。意識による悪行は、強欲、悪意、間違ったものの見方の三つです。

 これは、ダライ・ラマ14世がアメリカで講演した中の一節です(『世界平和のために』ハルキ文庫)。

 キリスト教徒の多いアメリカ人にどれほど理解されたのでしょうか。自由競争を至徳と考え、悪魔とはたたかう義務があると信ずる人にとって、「精神修養」と言われても、ちょっととっつきにくかったのではないでしょうか。

 今、大乗仏教が生き続けている国は日本ぐらいになりました。熱心な信者でなくても、「精神修養」は仏教伝来以来、日本人の心の隅に多かれ少なかれ根付いている「心」だと思います。世界がキリスト・イスラム二大宗教が実りのない対立を続けるような世界になることを避けるため、この「心」の出番はないのでしょうか。

 日本を「天皇中心の神の国」にしたがっている森・元首相のような人もいますが、「戦勝祈願」にはよくても「精神修養」にはなりません。自民党を中心に、明治150年の記念日を作ってかつての教育勅語的日本の復活を再興しようとしている動きがあります。これが第二の廃仏毀釈にならないよう、くれぐれも注意しなければなりません。

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2016年9月28日 (水)

物・者・もの・もつ

 日本語はむつかしい――の続き。「もの」という場合、人は「者」、それ以外は「物」と相場が決まっていて、使い分けにそう苦労しない。ところがこれを分析してみるとなぞの山だった。

 「あの人はおおものだ」という場合「大物」と書き、なぜか「大者」とは書かない。「あの人は人物だ」というほめことばでも「物」を使う。そういえば「動物」に対し「人物」という。最初から人は「物」なのだ。「物」の範囲は数えきれないほど多い。

 物体だけにかぎらず、できごと(事象)、きもち(心象)にも使う。たとえばこんな具合だ。分類には自信がないが(笑)。

▼心象
ものにこだわる ものかなし ものたりない もののけ ものさびし もののみごと ものわすれ ものごころ
▼事象
ものかき たまもの ものたし ものごと ものがたり かりもの  
▼現象
はれもの できもの さるもの 
 
 食物と進物と貨物は物を(ブツ)と読まず(モツ)と読む。なぜだろう。食物には、干物、煮物があるが焼物とは陶器のことで、焼き芋や焼き魚・焼肉などを焼き物と言わない。こんな区別、外国人には無理だろうな。着物はすでに英語化しているが、反物や指物など日本独特の物はどう訳すのだろう。

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