エッセイ

2018年8月13日 (月)

森友と人情裁判

 司法試験を目ざすある若者が、映画「男はつらいよ」の1場面にある主演の寅さんの台詞遠山の金さんについて、「遠山さんといいますとどこの?」と質問された。雑誌『世界』に載っていた原田國男慶応大教授の話である。

 教授は「裁判官の一番欠けたところは、世情と人情に疎いことだろう。しかし、これが一番大事なことかもしれない」と書きだす。そして、遠山の金さんを知らない裁判官がいるとは思わないが……そもそも寅さんに関心をもたない裁判官も多いであろうと続ける。

 森友学園問題で財務省幹部が公文書改ざんを指揮したことがはっきりしている。地検はこれを不起訴にしたが、検察審査会でひっくり返し送検しても無罪判決をする可能性が高いという。

 裁判が後送りされればされるほど、新聞はおろかテレビドラマすら見ない若者がふえ、寅さんも遠山の金さんも大岡越前も知らない裁判官の判断で裁かれるようになる――老爺心でなければいいが、歴史も人情も世論も無視し放題そんな将来をおそれている。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2018年8月 9日 (木)

泥田の霜柱

今日の東京の表通りは勿論上野の広小路浅草の駒形通りを始めとして到処西洋まがいの建築物とペンキ塗りの看板痩せ衰えた並樹さては処嫌わず無遠慮に突立っている電信柱とまた目まぐるしい電線の編目のために、いうまでもなく静寂の美を保っていた江戸市街の整頓を失い、しかもなおいまだ音律的なる活動の美を有する西洋市街の列に加わる事も出来ない。(『荷風随筆集(上)』岩波文庫、日和下駄より)

 小池都政で、日本橋の上にかかった首都高を付け替えたり、電線の地中化を進める計画だという。それより、都心全体が無秩序な高層化で、泥田の霜柱のようになってしまったことが問題だ。

こんな景観にどんな予算をつぎ込んでも元へ戻すことは不可能である。もはや「廃都」にするしかない。

 都心には、8階建てという高度制限があった。浅草の十二階が、関東大震災で八階以上が崩れたとか、皇居を見下ろすような高さはだめ、というのは俗説かも知れない。しかし、最低限の景観はこれで保たれた。

 この制限をはずしたのは、経済活性化という政治的理由からである。そして、東京一極集中と地価の高騰という副産物も生んでいる。

 『日和下駄』は大正三年(1914)から約1年あまりの間に書かれた。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2018年8月 4日 (土)

ハグ流行

今朝、TVの連ドラを見ていたら集団でハグする場面が出てきた。今なら高校野球で優勝決定を喜ぶチームメートの姿だ。

しかし、昭和初期の結婚式披露宴の席でというのは、当時の風習から見てどうかな……、という気がした。

冷戦の頃、共産圏の首脳同士が「同志」と呼び合い、ハグする場面が映像でよく流された。それ以外の国の国際交流は握手が主流であった。今はトランプ・金正恩間でも交わされる。

アメリカなどでは、初対面の民間同士でも使われるようになり、日本もそれにならっている。たしかに、「抱き合って喜ぶ」という言葉は昔からある。しかし、旧知の間柄同志が共感する喜びを最大限に示す場合に使われた。

高温多湿の日本では、握手という風習もなかった。共産圏の人たちのハグは、寒冷地だからかな、と思ったりした。

接吻やハグは、中国伝来の「礼」を基本とする挨拶から見ると、たしかに異質である。この先どこまではやるのだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年7月30日 (月)

「不快指数」

前回、最近あまり聞かなくなった言葉として「公僕」をあげた。今日は「不快指数」だ。異常気象続きで、広い範囲で通用しなくなったためかも知れない。一応、気象協会では一定の計算式に基づき数値を公表しているが、最近の気象は「不快」では間に合わなくなった。

ちなみに現在の当地、湿度94%、気温28℃、ほぼ無風、曇り。机のマウスは滑るが腕の方は滑らない。

政治の「不快指数」?――それは言わない。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2018年7月29日 (日)

「公僕」

このところの官僚による不祥事は際限がない。そこで「公僕」という言葉を思い出したのだが、あまり使われていないようだ。試みに検索をしてみたら「差別語だ」という書き込みがあった。

これは驚いた。昭和3、40年頃までは他の権力に対する公務員の自尊の精神として公務員自身が盛んに使っていたはずだ。それが卑屈に聞こえるとすれば、言葉も世につれ人につれ変化していくものだと感じた。

僕、君の一人称・二人称は差別語だ、などといわれるようになるのだろうか。だからIとYouにしろ、なんていう時代はまっぴらだ。

「忖度」も本来の使われ方とは全く逆の意味づけがされてしまった。共通して言えることはぎすぎすした感じになったことだ。

ことばの美しさをたしなむ時代は、遠くへ行ってしまった。美しい日本語を守る最低限の基本は「ウソ」をつかないことにつきる。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2018年7月23日 (月)

国旗の由来

暑い暑いの毎日だ。予報では最高気温35度なっているが、ネットで調べると現在当地は34度、体感温度39度、風速4m、湿度35%となっている。大雨被害地をはじめ、もっと過酷な気象条件の所があるので愚痴はいえない。

サウジ滞在の長い友人に聞くと、砂漠に住む遊牧民族は、焼け付くような暑さで時には人を死に至らしむ太陽を憎み、月と星を愛する。さらに、オアシスの水と緑、石油は神からの贈り物と信じているという。

イスラム圏では、国際赤十字はキリスト教のシンボル十字架のようでそのまま使えない。そこで愛する三日月をシンボルとした「新月社」として活動しているのかと思った。国旗も三日月と星を配したデザインが圧倒している。

ところがやや違うようだ。イスラム教では伝統的に独特の太陰暦を使う。新月を観測し、次の新月が観測されるまでが1ヶ月となる。したがってラダマーン(断食月)もその基準で決められる。新月は「聖なるシンボル」なのだ。

とはいっても「偶像崇拝」は禁じられている。国旗が日本の日の丸崇拝のような極端な国家主義にはならない。ISのように、アラブ語で書かれたコーランの部分を黒字で書いて旗印にするしかないのかも知れない。

ついでにいうと、国旗はヨーロッパに多い十字架由来の旗、フランスのような、国是を色で表現した3色旗、民族や州など多様性をまとめるような星条旗的パターンの旗でほとんどが占められる。

その中で特異なのがIS旗と韓国の太極旗であろう。太極旗中央の丸は陰陽を示す道教由来の記号になっている。4隅にある棒のような符号は、「当たるも八卦当たらぬも八卦」の易教で使われた。どっちにしても中国太古の思想に準拠しており、現在の中国では通用しない。

日韓併合前の李氏朝鮮時代に使われたもので、韓国民もできれば変えたいと思っているのではないか。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年7月16日 (月)

台湾の蘭嶼島と日本

 

2018_07160002

2018_07160003

  写真上と下のカラー印刷部分は、今日付け毎日新聞の付録で、台湾の観光案内を特集したもの。下のモノクロ部分は、「96・9日曜クラブ付録」と塾頭のメモ書きがある同紙切り抜きである。

 いずれも、ゴマ粒程度の台湾の小島蘭嶼(らんゆ)島を扱っており、カラーの地図では右下の茶色の矢印形に見える所だ

 なぜこれを題材にしたかというと、ここに住む少数民族の名(タオ族)は、「われわれ」のことを「タオ」と言い表し、そこからきたという説がある。日本の「倭(わ)」の呼称も、吾、我、私の「わ」聞いた中国人などがつけたのではないかという推測を、拙著に書いていた。そんなわけで、なんとなく他人のような気がしないのだ。

 下の記事「押し付けにノー」は、日本支配時に「ヤミ族」と改称を強いられていたのを「タオ族」に復活させたいということと、漢民族からは、核廃棄物貯蔵施設設置場所を押し付けられたことで、民族意識が高まり、青森県六ヶ所村との交流もあるという内容だ。

 しかし、観光案内の方は台湾観光局の企画のようで、そんなことは書いてない。「先住民族であるタオ族が、農業と漁業を中心に暮らす豊かな島です。海岸から望む夕日の美しさ、道を渡るヤギの素朴な景観……」。

 海外もいいが、何も知らずに遊びほうけるだけにならないよう、願いたいものだ

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2018年7月 5日 (木)

スマホ文化

世はあげてスマホ時代だが、塾頭は持っていない。理由はあとで述べるが、10代の頃、普通の家庭には電話がなかった。近所の商店や持っているお宅にお願いして「呼び出し電話」という名称で、緊急時の連絡を受ける仕組みがあった。

学校へ欠席の連絡をするような場合は、公衆電話を使う。30台、家を持つ頃には電話を引くのが当たり前になってきた。

40台、ボケベルという、外出時に無線で呼び出し音だけ発する機械が出始めた。セールスマンなどは仕事にどうしても必要、ということで持たされることになった。塾頭も申請すれば持てたが、外の空気を味わっているときぐらい仕事から解放されていたい、という理由から敬遠した。

それがガラ携に発展したわけだが、便利さはわかる。しかし積極的にそれを持つ必要性を感じたことがない。家庭や職場、それに公衆電話があれば事足りる、という神経だ。

ブログを始めて13年余、PCでネットが使えれば事足りる。そんな訳で、スマホ文化からは完全に取り残された。

この先、お世話になることがあるかも知れないが、正直、しんどい。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2018年6月15日 (金)

見なくなった昆虫

「蚊帳の外」、流行語としてランク・アップされるかどうか。我が家で蚊帳を吊らなくなって多分40年は経つだろう。多かったのは庭の手入れをしていると刺されるヒトスジシマダラカなどのヤブ蚊。屋内は蚊取り線香かスプレーなどでいなくなった。

蚊帳を知っている人は多分内閣支持率同様、だんだん減っていくだろう。ハエも同様、ハエトリ紙、ハエ叩きなどは民族資料館へ行かないと見れなくなる。家の中で健在なのはゴキブリや家グモ。ダニは見えないが小さなアリは多い。

だが、砂糖壺をめがけて行列を作るような姿は見えない。なぜだろう。シロアリ対策をしっかりやったのでそのせいか。童謡で歌われた赤とんぼや蛍、殿様蛙などが外で見られなくなったのはさびしい。小動物が少なくなった一因に農薬などが考えられるが、野良猫の激増は関係がないか。

ナメクジ。特に増えていないが、我が家のナメクジは新聞受けポストの中に進入する。新聞の所々に小さな穴があるので、インクのにおいが好きなのかもしれない。早く活字離れしてほしいのはナメクジ。

戦後、女生徒を悩ましたケジラミ。進駐軍が提供したDDTで見る見るうちに姿を消した。ネット、スマホ、AI、政治に限らず、世の中は激しく変化する。

 

 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2018年5月19日 (土)

『空』と書くと、ほとんどの人は「大空」「青空」「星空」などを想像すると思います。読みはソラで、ほかにカラ(威張り)、アキ(巣)、クウ(論)、ムナ(しい)、スキ(腹)などの読みがあります。ソラ以外はあまりいいイメージの言葉になりません。

ソラも、「空似」とか「そらぞらしい」と使えば、やはり「大空」「青空」とは縁遠い意味になってしまいます。

仏教で「空」といえば般若心経「色即是空 空即是色」、漢字読みでクウですが、悟りの境地に「空」を置いています。広々とした無限の空間を想像しますが、すきま風の通る狭いところでも「空間」といいます。

ほかに、空砲・空爆・空論・空転などがあり、日本語の難しさに外国人は苦労するだろうな、と勝手に「空想」するのです。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧