データ・年表

2020年8月 6日 (木)

江戸川区というお手本

 東京のコロナ感染者数は高止まりしたまま一進一退を繰り返しているが、今日は360人と一進の方に頭を向けた。 

 当地は、江戸川を隔てて東京都江戸川区に隣接している。通勤・買い物には京成電鉄本線とJR総武線が利用され日常の往来も多い。

 また、その両線を利用する利用客は、東京駅・日本橋駅を中心に、千代田区・中央区・港区へ向かう利用客で朝晩は混雑する。

 コロナ情報では、埼玉・神奈川などの一帯に組み入れられ、対策も立てられている。

 テレビを見ていると、新宿・渋谷・練馬など郊外への結節点となるようなところが感染者続発の「夜の街繁華街」として、繰り返しアップされる。

 そこで、当地方面は、ということになるが、東洋経済の調査によれば都の各区別感染者の人口10万人当たりの比率ではやはり新宿区で556.5人。繁華街・六本木やビジネス街・新橋を抱える港区が2番目に多く、若者が集まる渋谷区が3番目、新宿区に隣接している中野区が4番目、繁華街・池袋がある豊島区が5番目と続く。

 最近は家庭内感染が増えているというが、やはり、夜の街関連や会食などを通じた感染が多いことが背景にあると考えられる。

 最少の江戸川区は53.8人で新宿区とは大きな差があるが、この方面から若い人が向かうと考えられる夜の街は銀座・新橋つまり中央区・港区方面だが、この両区はそのバックグランドの広さから見ると少ないといえる。

 江戸川区のサイトを見ると、1日ごとに区内の発生状況の数値を公表しているのに加え、感染者情報を年代、性別、発症日時、勤務地(区内・区外)などが記されている。これらは過去分もすべてチェックできるようになっている。

 たとえば、8月1日は12人の感染者の情報が一覧表でアップされていた。さらに、表外にはそれぞれの患者について、以下のようなチェック事項が記載されている。

 「1番の患者:発症日以降の外出はありません。接触があった方は江戸川保健所が把握しています」

 これらのデータを見れば、区民の関心も高まるだろうし、具体的な感染状況を知ることで冷静な判断材料を得ることができる。

 感染拡大を最小限にとどめたという点では、「検査から療養まで、区が一貫して支援」のスタイルをいち早く構築したことがポイントだ。

 こうした区の姿勢を意気に感じた下町気質の住民たちが協力し、地域が一体となってコロナに立ち向かっている。国や都に依存するのではなく、地域コミュニティの中で行政と住民が手を携えて災禍に立ち向かっていく。江戸川区は、そんなモデルを構築してるからこそ、感染拡大を防ぐことができているのではないだろうか。

 やはり住民には、メリハリの利いた情報提供が一番だと思う。

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2019年12月12日 (木)

南北朝鮮分断の年

 71年前の今日、19481212日は国連総会が韓国政府を朝鮮の唯一の合法政府として承認した日である。

 日本敗戦から3年目、日韓併合後朝鮮半島に正式の国ができた年で、半島にとって画期的年となる。

 まだ各勢力が混とんとしていて、占領中の日本ではわかりづらい時期である。

 この年の朝鮮関連事件を年表から拾ってみよう。

2/7 南朝鮮で単独(北を含まない)選挙反対のゼネスト。200万人参加。

4/3 済州43蜂起

4/19 平壌で南北朝鮮政党・社会団体代表者連席予備会議開催、金九など参加。4/2030 本会議。南朝鮮の単独選挙反対、米ソ両軍撤退、統一政府樹立を要請。

5/10 南朝鮮、国連朝鮮委員会監視(米軍の戒厳令)のもとで単独選挙を強行。

7/17 大韓民国憲法公布。7/20 初代大統領に李承晩選出。

8/15 大韓民国樹立。

9/2~10 北朝鮮で最高人民会議開催、朝鮮民主主朝鮮民主主義共和国義共和国憲法採択、首班に金日成選出、朝鮮民主主義共和国成立を宣言。

11月 済州島に戒厳令、焦土化作戦本格化

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2019年8月22日 (木)

日韓国交回復時の韓国情勢

 日韓の軋轢に解決のめどが立たない。韓国人は一体何を考えているのだろう、という日本の雰囲気だが、徴用工問題などを清算して国交回復に至った1960年当時の韓国は、国の体をなしていないといってもいいほどの混乱状態があった。

 それ以後も韓国の政変には同じような不安定さが繰り返されるが、日韓の合意を国際法で説明しても簡単に受け入れがたい国民感情が存在するのだろう。

 下の年表は、文京洙『新・韓国現代史』を参照して作成した。日本の年号を便宜上併記している。

1910/明43 日韓併合
1919/大8  3・1独立運動:上海で大韓民国臨時政府樹立
1939/昭14 日本、国民徴用令公布施行
1943/昭18 カイロ宣言
1945/昭20 2月ヤルタ会談、8月ソ連参戦、日本敗戦、ソ連軍元山上陸、9月朝鮮人民共和国樹立宣布、米軍仁川に上陸
1947/昭22 9月米、国連に朝鮮独立問題提訴:ソ連、米ソ両軍の朝鮮からの撤退を提案、11月国連総会、南北朝鮮総選挙案可決
1948/昭23 8月大韓民国樹立宣布、韓米軍事安全暫定協定締結、9月朝鮮民主主義共和国樹立、11月済州島に戒厳令、焦土化作戦本格化
1949/昭24 中華人民共和国樹立
1950/昭25 6月朝鮮戦争勃発、9月国連軍(ソ連は安保理欠席:塾頭注)仁川に上陸、10月中国人民志願軍参戦
1953/昭28 板門店で休戦協定調印
1955/昭30 金日成「主体思想」を提起
1960/昭35 4月選挙不正糾弾など10万人群衆デモで李承晩大統領下野宣言、5月軍事クーデター
1961/昭36 韓国最高会議議長に朴正熙、11月金鍾泌(当時朴議長の黒幕的存在で情報局部長を務めていた・塾頭注)・大平メモで請求権問題合意を見た。
1962/昭37 朴正熙大統領に当選
1964/昭39 6月韓日会談反対デモ、首都圏に非常戒厳令(6.3事態)
1965/昭40 6月日韓条約調印(8月、野党がボイコットする中で国会批准:12月批准書交換、正式に国交回復)、同月武装軍人、高麗大に乱入ソウル地区に戒厳令

1979/昭54 10月国会、金泳三首相を除名、釜山・馬山で朴退陣デモ、朴大統領射殺事件、済州島を除く全国に非常戒厳令

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2019年7月26日 (金)

忘れられる軍都の歴史(市川)

 明治初年、市川北西部の江戸川に面した国府台は、一帯が総寧寺の天領で畑作を主とする寒村だった。そこに大学校をつくる計画があり、文部省が買い占めた。この計画は、交通と水利の便が悪く立ち消えとなったため、陸軍省が譲り受けた。

・1882(明治15)軍人勅諭発布

・1883(明治16)陸軍大学校開校

・1885(明治18)全国で初めてとなる下士官養成機関・教導団を国府台に設置

・1889(明治22)大日本帝国憲法発布

・1890(明治23)教育勅語発布

・1894~95および1904~05の日清、日露戦争に教導団出身者が軍の中核として活躍

・1898(明治31)教導団廃止、跡地に野砲兵第16連隊創設。その後、第15、第14連隊・が東京から移駐。同時に野砲兵第3旅団司令部設置

・1899(明治32)教導団におかれた仮病室が陸軍衛戌病院となる。

・1922(大正11)野戦重砲兵第1連隊(以下「野重1」などと略称)が機械化と同時に横須賀から国府台に移駐。同年、機械化された野重7を創設。野砲兵第1連隊、騎砲兵大隊も隷下におさめ、野重第2旅団司令部設置。以下部隊の変遷は省略するが、ノモンハン事件、第2次大戦のガダルカナル、ラバウル、沖縄などに出撃、部隊全滅を含む激戦に参加する。

・1936(昭和11)衛戌病院を陸軍病院と改称。翌37年から敗戦まで全国唯一の戦争神経症などを含む障害者収容病院となる。

・1938(昭和13)~1945(昭和20)約1万3000人の移送患者のうち、8002件の病床日誌(カルテ)が奇跡的に保存され、2006年12月、清水寛編著『日本帝国陸軍と精神障害者兵士』不二出版、として刊行された。

・1945(昭和20)陸軍病院解体とともに国立病院に移管、国立国府台病院として一般患者を受け入れる総合病院となる。軍人患者は退院できぬまま長い間留め置かれ、精神医療など独自の専門性も維持されてきた。

・2015(平成27)4月から国立研究開発法人国立国際医療研究センター国府台病院となる。

(以上の多くは、パンフレット『「赤レンガをいかす会」設立シンポジウム』を参照した。同会は、教導団時代敷地に建造された赤レンガ建物が、歴史遺産建造物として文化財指定されるべきだとして市民運動をしている。また、同地周辺には、病院のほか、当時使われた幹部用料亭、飲食店、記念碑、墓標なども現存する。

 

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2019年2月 2日 (土)

改元の年に起きたこと

1月、インフルエンザが猛威をふるう。

・消費税新設、国民に重荷が。

・文部次官など政官界に収賄容疑などの起訴相次ぐ。

・4月、内閣支持率7%に急落。

・7月、参院選で与野党逆転。

・8月、連続幼女誘拐事件に端を発しホラービデオの規制が問題化。

・流行語、セクシャル・ハラスメント「セクハラ」

・11月、海上自衛隊航海日誌改ざん発覚

 これは、今年のことではありません。30年前、天皇が変わって改元のあった年のことです。この年は自民党の首相が3人も交代しました。

 世界では、天安門事件とベルリンの壁崩壊がありました。それに匹敵するような変化の年になっても不思議ないのが今年です。

 

 

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2019年1月25日 (金)

略号の氾濫

本塾のカテゴリーにINDEXがあり、その中にスター・ウォーズと題したサイトがある。そこでは、英文略号で示される50以上の言葉を簡易辞書として収録した。ところが今日の新聞で見た「FCLP」は覚えがない。「空母艦載機陸上離着陸訓練」のことで、日米共用の硫黄島基地を種子島沖合の無人島・馬毛島に移転するため、防衛省は160億円を島所有者に払うという紹介記事の中にあった。

きっそくサイトを訂正・追加しておいた。新聞記事で( )内に和訳があれば不自由はしないが、必ずそうなっているとは限らず、またあればあったで略号を覚えようとしない。本塾への検索項目で最も多いのが「EUECの違い」や「NATOとの違い」である。

今やあらゆる分野で略号の氾濫。すこしは規制してほしいものだ。慣例になってしまったが毎日新聞コラム「金言」から拾った略号。この程度知っていれば国際経済記事が読みこなせるようになるのか?。

EU・欧州連合
EPA
・経済連携協定
TPP
・環太平洋パートナーシップ
FTA
・メガ自由貿易協定
WTO
・世界貿易機関

 

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2018年2月 3日 (土)

核兵器関連年表

2018_02030001_22/8夕刊トップである。これは、冷戦解消後米大統領が取った初の変節といっていい。専門語ではNPR=核態勢見直しである。核問題は絶えず緊張にさらされながらも、年を追って抑制の方向を取ってきた。

そこで大ざっぱな年表を作ってみた。トランプが方向転換を試みようとしていることが分かる。(色字は文末に解説)

1945.7 米国がアラモゴルジで世界初の核実験
    8 広島・長崎に原爆投下
 1949.8 ソ連が最初の核実験
 1952.10 英国が最初の核実験
    11米国が最初の水爆実験

1954.3 ビキニ環礁水爆実験で第五福竜丸被爆
1960.2
 フランスが最初の核実験
1962.10
 キューバー危機
1963.8
 部分的核実験禁止条約(PTBT)採
    択

1964.10 中国が最初の核実験
1967.2
 ラテンアメリカ非核地帯条約
    (SALTⅠ)署名
1968.
7 核不拡散条約(NPT
)署名
1972.5
 米ソ、第一次戦略兵器制限条約、
    弾道ミサイル迎撃システム制限条約
    (ABM)条約署名

1974.5 インドか地下核実験
1979.6
 米ソ、SALTⅡ署名
1985.8
 南太平洋非核地帯条約署名
1987.12
 米ソ、中距離核戦力(INF)全廃
     条約署名

1992.1 朝鮮半島非核化共同宣言署名
1995.5
 NPT無期限延長決定
1985.12
 東南アジア非核地帯条約署名
1996.4
 アフリカ非核地帯条約署名

1996.9 包括的核実験禁止条約(CTBT)署
    名開始
1998.5
 インド・パキスタン続いて地下核実験
1998.6
 新アジェンダ連合(核兵器廃絶の実現
    をめざして共同行動をとっていスウェ
    ーデン、アイルランド、ブラジル、メ
    キシコ、ニュージーランド、エジプト
    南アフリカの非核保有国七カ国
)発足
1999.10
 米上院、CTBT批准拒否

2001.12 米国、ABM条約脱退通告
2002.1
 米国防省、核態勢見直し(NPR)公
    表。米大統領、北朝鮮、イラン、イラ
    クを「悪の枢軸」と批判

2002.9 日朝平城宣言
2003.1
 北朝鮮、NPT脱退宣言
2003.8
 北朝鮮の核問題をめぐる6カ国協議
2006.10
 北朝鮮核実験。以後2009.5、
    
2013.2、2016.12016.92017.9
    
と続く。
    国連安保理の非難決議、制裁決議等も 
    その都度内容を強化しながら繰り返さ
    れる

1993.5 北朝鮮ミサイル発射実験。
 以後
1998.8、2006.72009.4
 2012.42012.122013.5
 2016.22017.8など。国連決
 議などは上に同じ
 

2011.10 核兵器禁止条約

2015.7 イランは米英仏独中露6か国協議
P5プラス1(核保有5大国とドイツ)
との間で、核開発施設の縮小 や条件付き
軍事施設査察などの履行を含む最終合意
を締結

 【解説】

NPT

条約では、全加盟国を196711日の時点で(=196612月までに)既に核兵器を保有している国(保持を許された核兵器国)であると定められたアメリカ、ロシア、イギリス、1992年批准のフランスと中国の5か国と、それ以外の加盟国(保持しておらず、また許されない非核兵器国)とに分けられる(第9条第3項)。

旧ソビエト社会主義共和国連邦(核兵器国)の構成共和国であったベラルーシ、ウクライナ、カザフスタンは核兵器をロシアに移転し、非核兵器国として加盟。核兵器国ではなかったが核兵器を保有していた南アフリカ共和国は条約加盟前に核兵器を放棄し、1991年に非核兵器国として加盟。

核兵器国については、核兵器の他国への譲渡を禁止し(第1条)、核軍縮のために「誠実に核軍縮交渉を行う義務」が規定されている(第6条)。しかしアメリカ、ソ連は核開発競争により「誠実に核軍縮交渉を行う義務」の実行どころか核兵器保有数を大幅に増加させた。

非核兵器国については、核兵器の製造、取得を禁止し(第2条)、国際原子力機関(IAEA)による保障措置を受け入れることが義務付けられ、平和のための原子力については条約締結国の権利として認めること(第4条)、などを定めている。 

また5年毎に会議を開き条約の運営状況を検討すること(第8条第3項)を定めている。

IAEA

国際原子力機関は、国際連合傘下の自治機関である。

本部はオーストリアのウィーンにある。またトロントと東京の2ヶ所に地域事所と、ニューヨークとジュネーヴに連絡室がある。

 核兵器禁止条約

20111026日〜31日、国連総会で軍縮・国際安全保障問題を扱う第一委員会が52の決議を採択した。このうちマレーシアなどが提出した核兵器禁止条約の交渉開始を求めた決議が127ヵ国(昨年より6ヵ国多い)の賛成で採択された。

20161028日(日本時間)、国連総会第一委員会(軍縮)において、多国間の核武装撤廃交渉を来年から開始する決議案が、賛成123、反対38、棄権16で可決された。アメリカ、イギリス、フランス、ロシア、日本は反対票を投じ、北朝鮮は賛成、中国は棄権した。

201777日に122か国・地域の賛成多数により採択されたが、全核保有国は不参加、アメリカの核の傘の下にあるカナダやドイツなどNATO加盟国や日本、オーストラリア、韓国なども不参加となった。また、当初は条約に賛成だった北朝鮮も核兵器の開発に成功後、不参加に転じた。

なお、核兵器禁止条約の国連総会への採択を含め、条約の推進には2007年に核戦争防止国際医師会議から独立して結成された核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)の貢献が大きいとされ、同団体は2017106日にノーベル平和賞を受賞した。

この条約は、50ヵ国が批准して90日後に発効する。2017920日にガイアナ、タイ王国、バチカン市国の3か国が[13]2018116日にはメキシコがこの条約に批准した

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2017年5月12日 (金)

平均寿命記録

(年) (平均寿命)   (備考)

    (男) (女)

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1931           満州事変勃発

1935  46.9  49.6

1937           日中戦争勃発

1941           太平洋戦争勃発

1920  23.9  37.5   敗戦

1921  42.6  51.1

1951  60.8  64.9   対日講和条約

2015  80.75 86.99   一昨年

--------------------------------------

     厚生省調べ(生活白書)を抜粋

◆「人生50年」と謡ったのが織田信長。その後、戦争の時代を経て超高齢者社会に至るまでの劇的変化を見てください。塾頭

 

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2014年7月28日 (月)

第一次世界大戦開戦、今日が100年目

  当塾では、7月12日の「潮目の第一次大戦」から「第一次世界大戦年表①~⑥」を経て前回の「第一次大戦と中東」まで8回、ほぼ連続して掲載してきた。そのしめくくりに恰好な社説を、毎日新聞が「歴史の教訓に学びたい」という題で掲げている。以下、その前半部分をお借りする。

100年前のきょう7月28日、第一次世界大戦が始まった。当時のオーストリア・ハンガリー帝国が隣国セルビアに宣戦布告したのがこの日だ。1週間後にはオーストリア、ドイツの同盟国側と、ロシア、フランス、英国の連合国側との間で全欧州を巻き込む大戦に発展した。英国の戦史家リデル・ハートは、大著「第一次世界大戦」の冒頭で「欧州を爆発寸前の状態にもってくるのには50年を要したが、いざ爆発させるには5日で十分だった」と書いている。

 引き金は1カ月前の6月28日、セルビア人青年がオーストリア皇太子夫妻を射殺した「サラエボ事件」だった。それが大戦に拡大したのは、台頭するドイツと、これを警戒する英国やフランス、ロシアなどの対立が複雑に絡み合い、欧州が「爆発寸前の状態」にあったからだ。しかも各国が自国の安全保障のために結んでいた同盟関係が、逆に連鎖的な戦争拡大を招く結果になった。

 人類はこの100年に大戦の時代、冷戦時代、そして今、内戦の時代を経験している。北朝鮮の最近の弾道ミサイル発射は、韓国をにらむけん制であり、リビアでも各国大使館が退避するなど内戦再来の様相を深めている。

 大国は、武器輸出を競いあい、武器近代化などの軍拡に狂奔し、過去の経験はうとんじられている。「霊長類」が聞いてあきれる。第一次世界大戦後に巻き起こったウイルソン体制、大量殺傷根絶のため自衛戦争すら否定しようとした発想、そういった経験をどう生かしていけるかどうか。それによって、これから100年の世界の姿は随分違ってくるだろう。

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2014年7月26日 (土)

第一次大戦と中東

 今月12日の記事「潮目の第一次大戦」を皮切りに、今年開戦100年目を迎える第一次世界大戦の今日的意義をさぐるため、7回シリーズで「第一次世界大戦年表」を書いた。その後気がついたのだが、現在ますます混乱を深めている中東情勢に、第一次世界大戦の戦後処理が大きな禍根を残していることである。

 このところ、イラク、ブッシュ、小泉政権、自衛隊派遣など遠い昔の話になってしまった。激しい戦場であったシリアから、過激派が国境を越えイラク北部へ進出、一帯を占拠してシリアの一部とあわせ「イスラム国」設立を宣言した。かつてアルカイダの流れだと言われていたが、今は違うらしい。

 また、イスラエルとガザ地区の攻防がすさまじく、特にガザ地区では市民の死傷者激増が目を覆うばかりだ。この現状が第一次世界大戦に関係があることに世界はほとんど目を向けていない。アメリカの介入、西欧の思惑にもかかわらず状況は以前より悪化している。

 西欧流自由と民主主義の輸出は失敗だったということである。「イスラム国」が今後どうなるか見当がつかないが、ユダヤ教・キリスト教徒には人頭税を課すという宣言が、「信教の自由を奪う」とか「人道に反する暴挙」という非難を浴びている。

 実は、この「人頭税」、第一次世界大戦でイスラムを国境とするオスマン帝国が、英・仏・露などに敗れるまで広大な領土で実施していたものだ。そこで厳格なイスラム教義に基ずく服従を強いたのかというと、むしろ逆であった。

 帝国が大きくなり過ぎ、多民族国家になってしまった帝国は、その中でユダヤ教・キリスト教が同じ一神教の神をいただく「啓典の民」とし、税金を納めることにより優遇され、宗教による差別をまぬがれることができた。つまり優遇策だったのだ。

 砂漠の遊牧民でイスラム教徒の多い中東は、宗派や部族で激しく争うことはあっても、国境の概念はなかった。それが変わってしまったのがオスマン帝国の敗退である。英・仏・露は密約「サイクス・ピコ協定」を結び、勝手に国境線を引き領土を分割した。これとは別に、英国はユダヤ人やアラブ人に領土を保障するなど2枚舌、3枚舌と呼ばれるような外交で戦争を有利にしようとした。

 そこに生まれたのが、サウジなどの王国を除き、アメリカやソ連から武器を供給されたイラクやシリアなどの世俗国家である。近代的軍隊を持つ、つまり戦争のできる国になったのだ。これとは違うイスラムの原点回帰を主張するのが、エジプトなどに拠点を置くイスラム同胞団であり、その流れをくむガザのハマスである。

 「イスラム国」がこれらとどういう関係になるのか、中東も目の離せない転機にさしかかっているように見える。一方、欧米も「テロとの戦い」の発想から転換を迫られる時期が、いずれやってくる兆候かも知れない。

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