戦中・戦後

2020年7月12日 (日)

「異国の丘」

 ロシア極東のハバロフスクで11日、プーチン政権と距離を置く知事が逮捕されたことに抗議する数万人規模のデモが行われ、長期政権に対する地方の不満の高まりを伺わせるものとなりました。

ロシア極東ハバロフスクのフルガル知事は、2004年と2005年に起きた殺人事件などに関与した疑いで今月9日捜査当局に拘束され、その後、身柄を首都モスクワに移されて、正式に逮捕されました。

フルガル知事は、野党の極右政党に所属し、おととしには、プーチン政権与党の現職を破って知事に就任したことから、政権と距離を置く人物として知られています。

ハバロフスクでは10日、支援者や野党勢力の呼びかけで、知事の逮捕に抗議するデモが行われました。【NHKニュース】

 ハバロフスクは、大陸ロシアで北海道から日本海をはさんで最も近い都市である。住民はロシア人が多いが、ロシア全土から多様な人種が集まっており、中国人・朝鮮人・日本人も住んでいるという、ロシアの中では多様性を持った都市である。

 デモの原因とか、兼職市長とプーチンの対立など詳しいことがわからないが、世界各国に中で最も安定した長期政権を維持しているように見えるロシアの内情が垣間見えるのか、続報が待たれる。

 戦後、「悲しき口笛」「湯の町エレジー」などで歌謡界をリードした演歌歌手・近江敏郎は、「ハバロフスク小唄」でその知名度を高めた。

 また、NHKのど自慢の人気度を一挙に高めたのが無名のハバロフスク抑留者の作詞作曲による「異国の丘」である。出演者の悲痛な叫び声に似たメロディーが全国民を圧倒し、知らない人がいないくらい口ずさまれるようになった。

 ハバロフスクで思い出したことだが、戦争の語り部が少なくなる中、戦後を語るこういった歌も残してほしい。

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2020年7月 9日 (木)

安全器

 玉井人ひろたさんのブログに「安心・安全」というこどぱに関連し記事があり、コメントした。徳用マッチの大箱に「安全燐寸」と書いてあったことを思い出してのことである。

 そのあとで、日常の中の「安全」を考えてみたら、戦争直後の「安全器」を思い出した。今日ある家庭内の「配電盤」にあたる。陶器の刃型開閉器があって、そこを鉛製ひも線状のヒューズがつないでいた。

 電気器具やコードなどのショート、落雷などで大電流が流れるとヒューズが溶け(「飛ぶ」という)電流を遮断する。

 戦後の食糧難は史書に書かれるが、炊事や暖房の一環をになった囲炉などに使われる木炭も材木が軍事資源として優先されため、木炭の配給が途絶えがちになり家庭生活を圧迫したことは、あまり触れられない。

 そんな時活躍したのが電気である。軍需工場で使われなくなったため、有り余る電力は家庭用に振り向けられた。炭火の代わりをしたのが赤熱した螺旋状のニクロム線である。

 その便利さが、ちょっとした使い過ぎを招き、安全器のヒューズを飛ばすことがよく起きた。

 脚立を持ってきて安全器を引きおこし、ヒューズを取り換える作業は、男の仕事だ。買い置きのヒューズがない時は、荷札についている細い針金を1本抜き出し、これを代用した。

 もちろん違反である。コメの買い出しも違反だ。すべて法を守っているだけでは生きていけない時代の話である。

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2020年6月21日 (日)

オスト アン デル

 終戦前後の頃、中学生と小学生の会話。

「俺、英語(ドイツ語?)しゃべれるよ!」

「オスト アン デル クット マイン」

「?」

「押すと餡でる食うとうまい、だろ」

 他愛もない駄洒落。外国語といえば敵性語である英語より、ドイツ語の方が巾をきかせていた時期もあったということ……。

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2020年5月10日 (日)

コロナと人口問題

 『日本と世界の今がわかる現代史』朝日新聞出版、という本をパラパラとめくっていたら、次のような表が目についた。コロナで侵された脳みそは「感染者数や発生率の推移……?」と反応してしまった。

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 よく見ると、「なぜ、日本は少子化がこんなにこんなに進んでしまったのか?」というタイトルのページである。去年の2月に出版された本だからコロナが出ているはずがない。

 見方によれば、人口問題はコロナより深刻な問題ともいえる。そこでは、コロナで取り上げられた「実効再生産数」と似た数値が示されていた。

(前略)日本が人口を維持していくためには、合計特殊出生率(以下・出生率)2.07以上であることが目安とされています。出生率は1973年には2.14でしたが、75年には2を切って1.91を記録し、2005年にはついに1.26にまで落ち込みました。ただしその後はやや持ち直し、近年は1.4台前半が続いています。とはいえ出産が可能な女性の人口が減っているため、生まれてくる子どもの数は増えていません。17年の出生数は、国の調査開始以来最少の約946000人となりました。

そのため日本は、すでに08年をピークに人口減少社会に突入しています。(以下略)

 さらに、働く女性が増えている国は出生率も増えている統計を示し、対策のひとつとして掲げているが、戦時中の「産めよ増やせよ」のキャッチフレーズにはならないよう、注意が必要だ。

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2020年5月 1日 (金)

地震雷火事泥棒

 昔、怖いものの代表格として「地震、雷、火事、おやじ」という言い回しがあった。それを戦時歌謡の「隣組」の歌詞で「地震、雷、火事、どろぼう」と変えた。前ふたつは、天災でうしろふたつが人災である。

 では、コロナはどっちに入るのだろう。どっちに入るにしろ「隣組」は密接に協力しあうことにより、被害や恐怖を緩和できるという趣旨である。

 コロナは天災的人災であり、世界中がどっちか決めかねているうちに、猛威が限りなく拡大した。

 こうなっては、隣組で解決できるわけがない。政治が天災部分と人災部分をかっちりと区別し、対処の方法を示さなくてはならない。

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2019年12月 9日 (月)

地久節

 今日は皇后陛下誕生日。昔は休日ではないが「地久節」といった。天皇誕生日は「天長節」。いずれも天地とともに永久に存続することを寿(ことほ)ぐ願いを込めた名称だ。

 地球温暖化や核拡散など、天地の永久が危惧される当節のことなど想像もしなかった時代だったと思う。

 記憶が定かではないが、地久節は幼稚園で菓子のお土産もらってお祝いしたような気がする。

 天皇神格視が教育上深化したのは、大戦前年の紀元2600年奉祝国民運動以降ではないか。紀元節(2月11日)、天長節(4月29)、明治節(10月3日)には登校し、校長の教育勅語朗読があって、教室では「神聖にしておかすべからず」の意味を繰り返し教わった。

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2019年11月24日 (日)

ソフトランディング

 戦中、中学生になった時の部活は、柔道班、剣道班、滑空班の3つだけだったように記憶する。もちろん、いずれかに属していなければならない。

 小生は滑空班を選んだ。プライマリーとセカンダリー(なぜか英語のまま)の2機があり、プライマリーは文部省型といった。

 最初は体力づくりの駆け足。機体での訓練は、V字型の太いゴム製の綱を16人ほどが目標方向を定め掛け声を上げながら、跳ね返されないよう全力で引っ張る。

 機上で操縦桿を握るのが1人、機を水平に保つため翼端を支える1人、もう1人は最後尾につけた短い綱を、地中に打ち込んだ棒杭に絡めて支える。

 「離せ」の教官の号令でそれを離すと飛び立つという仕掛けだ。

 最初は地上滑走。左右に傾かないよう主翼にある補助翼と尾翼を同時操作する訓練だ。

 次が5m直線滑空。高度5mを飛ぶ。このとき怖いのが空中失速である。それを防ぐため、操縦桿は教官から手を添えて教えられたとおりに握り、動かさないようにするのがコツだ。

 そこでソフトランディングのコツを覚えると、次に進む。ところがここで終戦、機体は校庭で焼却処分された。

 今日、混乱が続く香港で、区議会議員選挙の投が行われる。抗議活動を支持する民主派がどれだけ議席を伸ばすかが焦点となるが、民主派勝利でソフトランディングができれば最高。

 日韓関係もそのように行けばいいが、それは無理。それぞれ無茶苦茶に引っ張れば機体は破損、飛ぶことはおろか、ソフトランディングに程遠い。

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2019年9月27日 (金)

昭和天皇と沖縄

 1947年(昭和22)9月中旬、宮内府御用掛寺崎英成は、天皇が沖縄の長期占領を希望しているとのメッセージをGHQ側に伝達している。

 その内容は「日本国天皇は沖縄に対する米国の軍事占領が25年ないし50年あるいはそれ以上にわたって続くことを希望する。それが日本の防衛に役立ち、かつアメリカの利益になるだろう」というものである。

 これが、辺野古移転問題などについて沖縄県差別の根源にある、という俗論につながっている。

 この極秘文書は、1979年に筑波大学の進藤榮一氏が発見したのものである。ただ、メッセージの動機・天皇の真意を明らかにする材料は、寺崎の『昭和天皇独白録』に事実を間接的に伝えるほか、5年前に発表された「昭和天皇実録」を含めて出てこなかった。

 先月、初代宮内庁長官の故・田島道治氏が残した「拝謁記」をNHKが入手、発表した。そこに、何らかの手掛かりがないかと思ったが、直接的なものはない。

 ただ天皇は日頃、戦争への悔恨と対外発言に「反省」の文言を使うことに強くこだわっていた、ということが明らかになり、政権が発言の公表を認めなかったため、実現しなかったという内容が各所にある。

 そこで、メッセージがGHQに伝えられた年に何が起きていたか、確かめたい。敗戦後2年目で、左派勢力が躍進する年である。

1/1 吉田首相が年頭の辞で労働運動指導者を「不逞の輩」と非難(あとで撤回)。

1/31 GHQ、2・1ゼネスト中止を命令、全共闘これに従う。

5/6 天皇、マッカーサーとの会談で「日本の安全につきマッカーサーに期待」と発言。塾頭は、これが「沖縄メッセージ」の伏線と見る。

5/3 新憲法施行

6/1 吉田茂首相から、社会党・片山哲首相に交代。

7月 中国人民解放軍、反攻に転ずる。

7/20 沖縄人民党結成。

 以上などから天皇メッセージの真意は、俗説とは反対で、本土国民以上に沖縄県民の安寧に不安を持ち、その安定をマッカーサー司令部にゆだねたい、という考えがあったと想像するのが妥当であろう。

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2019年9月 7日 (土)

ご飯の炊き方

 家電の宣伝で季節に関係なく多いのが電気釜である。機能はますます高度化しているらしい。そこで恒例の昔語り。

「隣組」という戦時歌謡があった。その二番

♪とん とん とんからりと 隣組

あれこれ面倒 味噌・醤油

ご飯の炊(た)き方 垣根越し

教えられたり教えたり

 どこの家にもふちのついた鉄製のお釜があり、重たい木のふたが乗っていた。

 昭和19年には、中学の正規授業がなくなり勤労動員と体操か教練。教室は陸軍の軍用物資保管倉庫になった。戦後、持ち主がなくなった物資の中から飯盒を持ち出し先生の主導で自炊遠足。ご飯の炊き方を体験する。

 帰校すると先生が飯盒の回収を命じたが、生徒は猛烈に抗議、ついに家へのおみやげにした。先生や職員が衣料や靴などを少しづつ横領していたことを知っており、これも民主主義的行動初体験だ。以上は、余談。

最初チョロチョロ 中ぱっぱ
子供泣くとも ふた取るな

 この火加減がご飯の炊き方に必須のコツである。

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2019年8月20日 (火)

再軍備OKの時代

 初代宮内庁長官・田島道治が終戦後に昭和天皇とやり取りした記録、「拝謁記」の存在が明らかになり、その内容がつぎつぎに発表されている。

 昭和27年(1952)分に、憲法と再軍備に関して以下のような発言がある。

2月11日 「私は憲法改正二便乗して外のいろいろの事が出てくると思つて否定的二考へてたが今となつては他の改正ハ一切ふれずに軍備の点だけ公明正大に堂々と改正してやつた方がいゝ様二思ふ」 

3月11日 「警察も医者も病院もない世の中が理想的だが、病気がある以上警察も必要だし、乱暴者がある以上警察も必要だ。侵略者のない世の中二なれば武備ハ入らぬが侵略者が人間社会二ある以上軍隊ハ不得已必要だといふ事ハ残念ながら道理がある」

 以上について、「私ハどうしても反省といふ字を入れねばと思ふ」ということにこだわった昭和天皇の戦争責任感と矛盾し、意外に思う人がいるのではないか。

 これが世論を構成したとまではいかないが、ある程度常識だったのである。25年に勃発した朝鮮戦争が続く中で、9月に、サンフランシスコ講和会議が開催され、日本の占領が解かれることになった。27年の情勢を年表(『20世紀年表』・小学館、参照)から拾ってみよう。

3/6 吉田首相、参院予算委で「自衛のための戦力は合憲」と答弁、3/10野党の批判で訂正。
4/26 海上警備隊発足。
4/28 講和条約・日米安全保障条約(旧)発効。
8/4 吉田首相、保安庁幹部に軍隊再建の意思を表示。
10/15 警察予備隊は「保安隊」に。

 塾頭はこの年、所属した労働組合青年部で決議された「徴兵制復活反対」運動のため、折から兜町のストでピケを張る人ちーたちに署名を求めに行った記憶がある。なぜか「再軍備反対」でも「改憲反対」でもなかった。

 この傾向は、冷戦激化にしたがい、自然になくなったような感じがする。

 

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