戦中・戦後

2018年7月10日 (火)

無為無策水害

戦中・昭和17~8年の頃の話。10~20軒程度の単位で隣組が組織された。銃後の住民組織として、政府はあらゆる手だてを使って普及につとめた。相互扶助を目的としたが、これに頼らないと衣料、食料などの配給にも支障を生じた。

 中でも、戦災を防ぐ防空訓練は徹底していた。各戸ではコンクリート製の防火用水が各戸の門前に備えられており、火叩き(2mほどの竹棒の先に450Cmの縄を束ねて結わえたもの)をお手製で作った。

 これを水に浸して、焼夷弾などを叩こうというわけだ。火災が生じたらバケツリレーで対処し火元にかける。爆弾の破片を受けないように、布団を入れる押入の下段を空け、そこにうずくまる。学校へは綿入れの防空頭巾持参で通った。

 米軍と戦う竹槍訓練もあった。これは愛国婦人会が在郷軍人会などの指導で行う。

 こんな非科学的で阿呆なまねは2度としたくないが、今回の西日本水害を見ると、政府は比較にならないほど無為無策だったというしかない。異常気象戦争はすでに始まっている。

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2018年7月 7日 (土)

天皇命令を断った大将

 そういった人がいるのだ。1937年(昭和12)、1月25日、陸軍大将・宇垣一成に天皇から、首相として内閣を編成するように命令があったのに、これを断った(歴史上は「辞退」と表現するが同じこと……塾頭)。

帝国軍人が、天皇の命令に公然と背き、その通りになったという例はその前もあともないのではないか。そのいきさつは次の通りである。

4日前の21日、衆院の質問演説をした政友会の浜田国松代議士の発言に、「軍を侮辱した」と陸相が反発した。これに対し、浜田は「議事録を確かめ、侮辱の言葉があれば割腹して謝る。なかったら君が割腹せよ」と迫った。

互いに譲歩する余地がなく、進退窮まった広田弘毅首相は総辞職に追い込まれた。当時の首相後任選定は次のようにして決まる。

明治以来、側近として天皇を支えてきた長老がいわゆる「重臣」として、天皇に候補を示す。もちろん経験・識見・地位・政治的立場などより条件に叶う人を選ぶ。その結果宇垣大将に、冒頭書いた大命降下があった。

ただし、陸軍大臣は陸軍が推薦した人になる。もし誰も推薦しなかったら内閣が成立しないことになる。

宇垣はかつて軍縮の気運に乗り、軍予算の拡大を制止したことがあった。このため陸軍内の嫌われ者になっていたのだ。だからといって、あからさまにボイコットすれば「天皇の大権を干犯」、つまり一旦天皇の意志が示されたのに、背くことになる。

そこで陸軍側は、「仮に宇垣大将が(首相として)陸相就任を交渉しても、それに応じるものは陸軍内にいないだろうという事実を申し上げただけ」と開き直った。こんな常識はずれの口実がまかり通るようになったらおしまいだ。

その機運を招いたのが、前年の2・26、クーデター未遂事件に由来するとされる。そして81年前の今日、廬溝橋事件が勃発、日中戦争が始まった。

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2018年6月13日 (水)

人民服と国民服

昨日の米朝首脳会談に金正恩は人民服で臨みました。それは「体制変更は絶対許さない」という意思表示かも知れません。

日本が戦争に突入する1年前の昭和15年11月2日、国民服令というのが公布されました。神戸の洋服屋が舞台の小説、妹尾河童『少年H』には同令についてこう書いてあります。

「我が国の服装文化はあまりにも欧米を模倣し、自主性に乏しいことを反省しなければならない。世界の興亡の歴史をたずねても、民族の発展には必ず建設的な服装文化がともなっている。日本も独自の新服装文化を確立すべきである。従ってこの度制定された国民服の生産に各位の技術を活かし協力されんことを望む」とあり、国民服を仕立てるための製図と完成図が添えてあった。

制定された「国民服」は、軍隊と同じカーキ色が多く、帽子は兵隊が被っている戦闘帽によく似た「国民帽」であった。国民服を着て帽子をかぶっているときは、一般人も軍隊式の挙手の礼をすることになっていた。

中学生は旧来の黒の制服、制帽でもよかったが、大抵先輩から譲り受けたり古着の活用で、外出時はゲートルを巻かなければならない決まりでした。ただし、新調する時はカーキ色の国民服しかなく、校内がまちまち。とても北朝鮮のようにはいきませんでした。

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2018年2月 7日 (水)

カストリ雑誌

 「敗戦」の空気が残っている頃、『リーダースダイジェスト』とか『知性』という雑誌で啓蒙された、といったことを近頃書いた。あまり反知性が横行する世の中になったので、思い出した誌名だ。

 もちろん、そんな雑誌だけではない。エロ、グロ、ナンセンス専門の「カストリ雑誌」と呼ぶものもあった。電車の中で公然と読めるような雑誌ではない。

 「カストリ」とは戦後はやった密造焼酎のことだ。その系譜を引く雑誌は今でもあるが、文春、講談社、新潮といった大手出版社は、その歴史的権威を損ねるような編集はしなかった。

 ところが、今や週刊誌を中心に、総カストリ化した。政治記事、相撲記事、宮中記事に至るまで、「ジャーナリズム」というには、あまりにも縁遠い「カストリ」的内容である。

 特に、相撲で文春・新潮の貴乃花タニマチぶりが目に余る。とてもバランスがとれているとはいいがたい。

 かつてのカストリ焼酎は、配給だけでは不足する酒を補うため、メチルアルコールなどを含めて密造され、すくなからぬ害毒をもたらした。もちろん違法だが厳しく取り締まれない点では似ている。読者の志向でリテラシー(選別)するしかない。

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2017年12月12日 (火)

雪下ろし汚職?

清水建設は11日、環境省や市町村から受注した福島県内の除染工事を統括する執行役員(60)が、同県西会津町にある実家の雪下ろしなどを1次下請け業者に無償で作業させていたと発表した。執行役員は費用33万2000円を業者へ支払い、8日辞職した。同社は「除染費用に関する不正はなかった」としている。(以下略・毎日新聞12月/12東京朝刊)

終戦の年をはさんで雪国の田舎に住んだ塾頭は、「えっ、これが執行役員の職を辞すほど重い犯罪?」と思ってしまった。或いはそうで、塾頭の頭が古いのかも知れない。

その当時、この地方でもまれに見る豪雪に見舞われた。男手のない自宅は、中学低学年の塾頭ひとりで「雪落とし」(そういう言葉だった)をした。それをしないと家中の戸障子が動かなくなる。

学校では、古い体育館の雪落としをクラス全員でやった。高さは軒先でも民家の2階以上ある。今なら児童虐待かも知れない。白米のおにぎり食べ放題で農家の田植えもやった。山林の開墾、暗渠排水工事でも報酬をもらった経験がない。

雪落としや、道路の除雪など、人が困っていること助けるのは、中学生にもなればあたりまえのことだった。清水建設の場合も、地位を利用して強制したのなら論外。下請け業者が自発的にやって、謝礼も断った、昔ならそんなこともありうる。

そうだ。「勤労奉仕」という言葉があったのだ。

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2017年12月 8日 (金)

大詔奉戴日

12月8日と来れば、「大詔奉戴日」がピンとくるのは、後期高齢者だけになってしまった。昨日は「大雪」。反射的にカレンダーを見たが、そんなことは書いてない。その代わり「成道会」となっていた。

後期高齢者でもそれは知らない。(じょうどうえ)と読み、釈迦の降魔成道(悟りを開いた事)を記念して行われる法要(行事)のことだそうである。 日本では、釈迦は臘月(旧暦12月)の8日に降魔成道したと伝承されていると辞書にある。

この日は、日本が大戦に突入し、ハワイ真珠湾を奇襲した日である。終戦記念日はマスコミであれほど大騒ぎするのに、開戦記念日である今日の新聞には1行も載っていなかった。当日午前6時、「帝国陸海軍は本8日未明、西太平洋において米英軍と戦闘状態入れり」という大本営発表が放送され、その後開戦の詔勅も知らされた。以後毎月の8日にも繰り返され、神社に戦勝祈願をした。

真珠湾攻撃は、宣戦布告が届く前の奇襲攻撃である。戦果は、戦艦5隻撃沈、3隻撃破のほか多数の艦艇を撃沈撃破。航空機188機を失わせ、291機が使用不能に。戦死者2400余名。日本側の損害は殊潜行艇5隻が体当たり、航空機29機、戦死者100名以内という軽微なものだった。

現今、右翼は相当高名な先生まで「アメリカの陰謀で日本は開戦に誘導されもので正しい戦争だった」などという。仮にそうだったにしろ、上の事実にアメリカ人が激憤するのは、当たり前。

 

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2017年11月29日 (水)

ICBMと回虫

輪っぱが何十もついたトレーラーに積んでぞろぞろ列をなす北朝鮮のミサイル群。その最新型を日本の経済水域に打ち込んできた。

板門店の境界を突破して韓国に必死の亡命をした北朝鮮兵は、体内から無数の回虫が発見され、最大のものは27センチもあったという。気持ちの悪い点でこの二つは似通っている

回虫が日本で話題にならなくなったのは戦後まもなくである。戦中から小学校では「マクニン」と称する煎じ薬を定期的に飲まされた。だから大型のウジ虫のような形とは聞くが、実際には見たことはない。

人糞肥料が回虫伝染の元とだということとは分かっていたが、戦後の食糧難で絶滅はせず続いていた。GHQの新施策もあって化学肥料の輸入・開発が進み、DDT普及による毛シラミの駆逐同様、急速に改善が進んだ。

糞尿を柄杓で汲んで桶に入れ、天秤の前後に担いで、黒い荷車に集める。それを郊外の農家まで運んでいる。そんな風景は、テレビもない遠い過去の話だ。

大型ミサイルや水爆を開発し、サイバー攻撃をする技術を持つ国のエリート兵士が、体内に回虫を飼っていたとは、「本当だろうか」とにわかに信じられない。だけど韓国当局がウソの話をでっち上げるとも考えられない。

朝鮮半島の奇怪な話だ。アメリカの尻馬に乗ってさらなる「制裁強化」をオウム返しにいうだけではなく、こういった半島が抱える矛盾にどう対処するのか。隣国としてもうすこし親身に考えてもいいのではないか。

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2017年11月22日 (水)

昭和の歌

民放の素人参加番組で、昭和の歌特集というのをやっていた。恐らく昭和末期の歌だろう。塾頭の知らない歌ばかりである。昭和は64年間もあり長い。その中で戦前、戦中、戦後、高度成長期と四つの顔を持つ。

その転換点として2・26事件があった昭和11年が考えられる。阿部定事件もこの年である。彼氏を殺害、下腹部を切り取って逃亡するという、前代未聞の猟奇事件が、この年に起きた。何となく昨今と似ている点がある。

昭和10年には、美濃部達吉教授の天皇機関説が右翼の猛攻を受けて政治問題化し、政府は国体明徴声明を発するなど軍部に沿った国論誘導に向かっていた。そして12年、日中戦争が始まった。

一般国民はどれほどの危機感を持っていたかというと、至って「ノンポリ」だったような気がする。過酷だった日露戦争の体験からすでに30余年を経ている。昭和10年と11年の流行歌をそれぞれあげてみよう。

♪あなたと呼べば あなたと答える
  山のこだまの うれしさよ
  あなた なんだい 空は青空
  ふたりは 若い

♪空にゃ今日も アドバルン
  さぞかし会社で今頃は お忙しいと思ったに
  ああ それなのに それなのに ねえ
  怒るのは 怒るのは あったり前でしょう

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2017年11月18日 (土)

鉄拳制裁

総選挙後の臨時国会に世間は関心薄。それに引き替え力士のけんかが大ニュースだ。当事者は、横綱日馬富士と貴乃花部屋の東前頭8枚目の貴ノ岩だが、けんか当日の現場目撃証言や被害届の遅滞や診断書をめぐる疑問の続出に、マスコミの関心もモリ・カケ疑惑を押しのける勢い。

謎の張本人は、どうやら貴乃花親方。塾頭はそんな気がしてきた。部屋を持った当時、稽古場で竹刀を手にした親方の鋭い目つきをテレビの映像で見た。その前から兄弟の不仲が噂され、いい印象を持たなかったが、体罰本位の彼を見てすっかり嫌いになった。

その前に「戸塚ヨットスクール事件」というのがあって社会問題になったが、塾頭の体験は、中学生当時の戦中・戦後までさかのぼる。

同じ方向から通学する上級生が、下級生を集め、鉄拳制裁をする。整列させて、「1年生何某。一歩前」「前傾姿勢で歯を食いしばれ」「貴様はどこどこで敬礼をしなかった」。「バン、バン」。

話に聞く軍隊のしきたりとそっくりだ。先生の中にも鉄拳制裁常習者がいて恐れられた。戦後には自然消滅するはずだったが、新手が現れた。予科練などからの軍隊復学組である。

彼らは、すでに練習する飛行機もなかったはずだが、生きて復学することなど夢にも思わなかった。死を背負って帰ってきたのだ。そして彼らが鉄拳制裁の表にたつようになった。

搭乗訓練はできなかったが、こういったことならプロ仕込みだ。「にらまれない」よう、下級生は逃げて回った。そして、彼らを「ヨガラ」と呼んだ。「予科練ガエリ」と「ガラの悪い」の両方の意味が込められていたのだろう。

貴乃花親方は、自らの権限?を他人(日馬富士)に行使されて怒っているのだ

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2017年7月12日 (水)

地震・雷・火事・?

戦前、巷間では「こわいもの4つ」を、地震・雷・火事・おやじ、といった。戦中には、戦時歌謡「隣組」の歌詞で最後の「おやじ」を「どろぼう」に変えた。戦後は平和が続いたせいかそんなランキングは聞かなくなった。

日々のテレビを見ていると、記録的集中豪雨、熱中症の報道がない日はなく、繰り返し注意を呼びかけている。

すると、いまどきの「こわいもの4つ」には、当然、地球温暖化がランクインされる。

「うん?」、トランプさんが首を横に振っている。

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