憲法

2009年10月20日 (火)

天皇と平和

 昨日の報道であるが、広島平和公園の原爆死没者慰霊碑の献花台に置かれた花を取り去りまき散らしている右翼団体構成員が、礼拝所不敬容疑で逮捕されたようだ。この団体には、05年7月にも慰霊碑の「過ちはくり返ししませぬ」の過ちの部分をのみなどで破損、器物損壊で実刑判決を受けた男がいる。

 この時は、アメリカがやったことを「過ち」だと反省するのはおかしい、と言っていたらしいが、反米右翼なのだろうか。その前から慰霊碑をペンキで汚したり、慰霊碑のわきに共同で国旗掲揚柱を立てたり、最近では、原爆忌にぶつけて田母神講演会を開いたりする者がいる。

 正直なところ、もともと原爆忌が、左翼団体主導のような形で進められたことへの反感からではなかろうか。すなわち「いやがらせ」である。こんなことをしているから、国民から相手にされないということになる。ご忠告申し上げておきたい。

 今日は、皇后陛下の誕生日である。この日に当たって以下の感想文(抜粋)が発表された。

 (今年は)政権交代という、政治上の大きな変化のあった年でもありました。米国においても政権が代わり、着任から程なく、オバマ大統領のプラハでの演説があり、その中で核兵器廃絶に向ける大統領の強い決意が表明されました。そして今月、ノーベル財団は他の要因も含め、この大統領のとった率先的役割に対し、今年度のノーベル平和賞を贈り、この行動に対する共感と同意を表しました。核兵器の恐ろしさは、その破壊力の大きさとともに、後々までも被爆者を苦しめる放射能の影響の大きさ、悲惨さにあり、被爆国である日本は、このことに対し、国際社会により広く、より深く理解を求めていくことが必要ではないかと考えています。

 アフガニスタンで農業用水路を建設中、若い専門家がテロリストにより命を奪われてから1年が過ぎ、去る8月には故人が早くより携わっていたその工事がついに終わり、アフガン東部に24キロに及ぶ用水路が開通したとの報に接しました。水路の周辺には緑が広がっているといい、1971年、陛下とご一緒にこの国を旅した時のことも思い合わせ、やがてここで農業を営む現地の人々の喜びを思いつつ、深い感慨を覚えました。

 右翼団体が反皇室とは思えない。あるいはかつての一部の旧軍部のように「君側の奸の仕業」というのだろうか。当塾はブログ主宰者などから「護憲派ブログ」と分類されている。しかし「改憲」必ずしも悪くない。

 天皇については「国民統合の象徴」とは「平和」を意味し、天皇の機能として、平和への祈念祭祀とか、平和友好外交を国事行為として積極的に明記すべきだし、9条は3項を付け足して「公務員の国外への武器持ち込み、使用禁止」などを盛り込むべきだと思っている。

 歴代の天皇のうち、戦争に積極的にかかわった天皇は、神武・神功皇后・斉明(負け戦だったので皇民化教育にはでてこない)・後醍醐ぐらいで、あとほとんどは天照大神以来平和指向で、祭祀(まつりごと)を軸に和解や紛争の処理に当たってきた。

 明治、昭和天皇なども御製(和歌)などで見る限り平和主義者で、終戦時を混乱なく処理できたことは天皇制抜きでは考えられない。これらについてはすでに述べたこともあるが、稿を改めて考えてみることにしたい。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2009年10月 5日 (月)

9条の会大盛況!?

 たびたび書くが、ブログを始めたのが4年前、中国に反日暴動が起き、小泉首相が靖国参拝にこだわり、自民党の新憲法素案が発表された年だ。同じ年、私は多分知人の推挙なのだろう、地元で9条の会を立ち上げるので呼びかけ人・賛同人になってほしいという要請を受けた。2009_10040001

 迷わずOKの返事を出し、設立総会に出席した。参会者は、順に全員が発言したところを見ると数十人を上回らない数であった。以後、年1回の総会は必ず出席しており、ことしも澤地久枝さんの講演会を兼ねてということで、昨日、市のホールで行われた会に出席した。

 小泉元首相が政界を引退し、改憲を公約に掲げた安倍元首相のかげも薄く、自民党が歴史的大敗北を喫した。変わった民主党鳩山政権は、マニフェストどおりオバマ米大統領に歩調を合わせて、核廃絶・平和構築路線を邁進している。

 いわば、改憲ムードは4年前に比べて考えられないほど後退したのだ。一周年記念、全国大会開催記念などと銘うった過去の大会も、右翼街宣車が1台だけ来たりしたが数百人を集め、それなりに盛り上がった。

 今年は、改憲ムードも遠ざかったので、さぞかし参加者は減るだろうと思った。ところがあに計らんや全く見当外れ、かつて見ない大盛況であった。写真を見ていただきたい。開演直前、場内整理係が「はい、一名さん、ここ空いてますよ」と立ち見の人を案内しているところである。これまで目にしたことのない光景だ。

  定員1900余席はこうして全部埋まった。世話人には共産党員や革新懇といった活動家が多いようだが、組織的動員をかけてもこうは集まらないし、そういった人たちには見えない。知った顔の世話人も見あたらなかったので聞けなかったが、これはどういう現象なのだろう?。

 司会者や澤地さんの言葉のはしはしからもうかがえることだが、よく言えば「政権交代効果」、悪く言えば時流に乗った行動なのか。民主党への圧力団体誕生と見て、すなおに喜べばいいのだがやはり少しひっかかる。小泉効果の裏返しなら、また転覆することもあり得るからだ。

 スタート当時は、その名の通り「9条の会」は9条のみで結集する、という慎重な雰囲気があった。それがこのたびは、国籍法、外国人参政権、従軍慰安婦その他の問題にも話題の幅を広げて話される。拍手は起きるが、これもやや気がかりだ。

 9条を本当に根付かせるためには、どうすればいいのか、真剣に取り組むべき問題だが、まだどこからも答えはでてこない。

2009_10040002_2  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月 4日 (月)

「護憲」から「攻憲」へ

 「改憲」か「護憲」かの時代は終わった。今、世界の安全保障問題はかつてない蠢動をはじめている。それとは関係なしに自民党の改憲派が動き始めた。安倍元首相とかつての取りまきによる冷戦時代から一歩もでない低レベルのものと、オバマ新体制下の対応をさぐる防衛族の新しい動きだ。

 そのふたつは、ちょうど新型インフルエンザウイルスと似ている。発生の動機や視点・観点もそれぞれ異なるが、中国・北朝鮮脅威論などで一体化し、突然変異して猛毒をふるう可能性がある。その感染を防ぐため護憲派は何をなすべきか。それには菌を利用して予防ワクチンを完備しておくことしかない。

 「決して許せません」党や「断固反対」党だけでは、マスクほどの役にも立たない。やはり、厳重な管理の元でウイルスの科学的分析から始めなくてはならない。抽象論だけではわからないので、例えば、の話をしてみよう。まず、毎日新聞で今日から始まった特集「アメリカよ新ニッポン論・第3部 平和の未来」の中からの抜粋である。

 今年2月末、防衛省・自衛隊の化学防護・情報部門や防衛産業の専門家OBらで作るNPO(非営利組織)「NBCR対策推進機構」(東京、会長・片山虎之助元総務相)は、核問題に関する報告書を参院外交防衛委員会事務局に提出した。

 「保有直前の段階まで核開発を進めておく『寸止め』開発が日本に望ましい」として、核兵器の開発準備から量産化までの手順を具体的に説明した内容も含まれている。

 「核恫喝を受けそうになった場合、1週間程度で核兵器を完成させることができ、同時にそれまで核は保有しない。この状態が国際情勢、国内情勢から現状ではもっとも望ましい」との理由だ。

 同機構の井上忠雄理事長は、元陸上自衛隊化学学校長で核技術の専門家。「日本の核武装は非現実的だが、米国の核の傘に不安を持つ人も多い。核防護検討会のような核兵器に関する米国との対話組織が必要」と言う。

 核軍縮が始まれば、米核戦略が変わり、核の傘も変質する。核軍縮を支持しつつ、核の傘を維持するには、日本も米戦略にもっと参画すべきだ。数少ない核の専門家たちが、そう考え始めている。

 実は、この『寸止め』論に近いことを私は06年10月、すでにブログに書いている(ログに残っていないので文末に再録)。その主張が、核廃絶宣言を公約としたオバマ大統領の出現で、現実味を帯びてきたことをあげておこう。

 ただし私の主張は、自民党の発想と違う。これまでの歴史を振り返って、自衛の備えや準備のない状況は犯罪的ですらあると思う。残念ながら、抑止力を持たない自衛が成り立たないという考えもわかる。ただし、それはアメリカの核の傘を借りることでも、ブッシュが推進した世界戦略に協力することでもない。日本独自の安全保障政策を持つということである。

 話を『寸止め』論に戻すが、わが国はすでに核開発はもとより輸送手段やコントロール技術は、すでに北朝鮮などよりはるか先をいっている。実際にはなくても『寸止め』計画があるというだけで抑止力は充分である。

 しかしこれでは、中国・朝鮮にいたずらな警戒心を持たせることになるだろう。そこで憲法9条に第3項を加えて領域外への武器持ち込み及び使用を禁止し、解釈改憲の余地をなくして、他国での武力行使は一切しないという誓いをあらためて強調しておくことが必要になる。

 自民の悪性改憲ウイルスに対抗するためには、核開発議論やMD計画議論を避けるようでは予防できない。あえてその議論に乗り、アメリカとの思惑の食い違いや自民党内の自己矛盾をつく必要がある。さらに改憲論議があれば9条補強案や日米同盟改定案まで提示する。

 こうして、憲法を「護る」という消極性だけではなく、「攻める」積極性があってこそ、国民多数の支持を得られる強力なワクチンを備えたことになるはずだ。

 2006-10-19[反戦老年委員会]
核アレルギー
 わが委員会は、核兵器やミサイル技術について、研究・検討すべき事柄である、ということを10日の「極論でしょうか」の中で提唱した。これは中川政調会長、麻生外相発言より前のことである。両氏の発言について、野党はもとより与党の中からも批判があがっているという。両氏は非核三原則を否定しているわけでなく、議論すること自体問題はない、としている。

 わが委員会の提唱に表立った批判は寄せられていないが、コメントから「賛成しかねる」といった空気も感じられる。日頃タカ派発言の多い両氏の政治姿勢とは、対極に位置するわが委員会がどうして同じ結論に至ったのか、その説明をしておく必要がある。

 毎年の広島、長崎の原爆記念日には市長の宣言が読み上げられる。その一言一句をかみしめ、誓いを新たにする気持ちになる。今年も小泉首相が参列していたが、果たしてどこまで核兵器廃絶に力を注ごうとしているのか疑問を感じる。

 非人道的大量殺戮兵器、核。核といえば、原発であろうが何であろうが目にするのも耳にするのもけがらわしい。触れてはならない魔の存在である。――そんな感情がなかったわけではない。いわゆる「核アレルギー」である。

 しかし流れは変わった。「北朝鮮がミサイルと核爆発の実験をした。ミサイルが東京の中心に到達し核爆弾を破裂させると何十万人の犠牲者がでる。そうさせないためには、アメリカの核の傘で守ってもらうしかない。そのアメリカとの同盟関係を強固にするには、集団的自衛権行使のじゃまになる憲法9条を改正しなければならない」。この俗論をどう止めるか。

 北が日本に向けてミサイルを発射することはあるのか、その配置状況は、核弾頭を積むことは可能か、そして爆発の規模は、誘導システムと確度は、迎撃体制・報復体制はなどなど、核戦略、核兵器使用戦術および兵器自体の知識があって、はじめて前述の主張に反論することができる。

 核アレルギーの反戦論はもはや捨て去るべきである。日本は時代遅れの「核の傘論」から脱却(アメリカには政治的効果がある)し、核軍縮・核廃絶を真剣にアメリカに進言しなければならない立場にある。核に対する研究も議論も知識もなくて、どうしてそれができようか。

| | コメント (5) | トラックバック (1)

2009年5月 3日 (日)

おしつけ憲法論

 改憲派の中でも下火になったが、いまだに現憲法は押っつけられたものという主張をしている人がすくなくない。この論理は全く成り立たないことに気づいていない。まず言っておこう。そう、間違いなくGHQ案を押しつたものである。それは、帝国憲法の骨子を残しておきたい幣原保守内閣に対してである。

 国民もみんなそれは知っていた。しかし民主化運動は盛んに起きたが新憲法に対する抵抗運動など起きなかった。なぜならば、国民は一部戦争指導層を除いて「戦争に負けてよかった。もし勝っていたら軍部がどんなに威張り散らすかわからない」と思っていたからだ。

 GHQが言論弾圧をした?。事実、個人の信書までチェックした。これは航空便の縁に似たようなテープを貼り開封したことがわかるよにうしてあった。もちろん新聞など刊行物の検閲もある。しかし、巷の人の口までおさえられないし、言論の自由を奨励しているのに公然と取り締まることなどあり得ない。戦時中の憲兵のようにMP(ミリタリーポリス)から逮捕されたなど聞いたことがなかった。

 戦後生まれの学者の中には、政府側史料や公式記録、刊行物などだけで「おしつけ憲法論」を展開するものが多い。そして、国民も、国会議員も歯をくいしばり、声もたてず涙ながらにこの案を飲んだのだものと考える。さらに、天皇も国民も宮城前広場で挙行された新憲法発布の喜びの表明は、演出だと思っている。

 日本人はそんなに卑屈で我慢強い人種ではない。当時の国民の気分は、占領下であっても戦中よりずっと自由にものが言え、民主的に議論もでき、基本的人権も尊重されるようになった。それに、再び横暴な軍部が復活することなく、徴兵されることもなくなったのだ。これを喜ばない方が不思議だ。

 それでも、日本人の手で作り直すべきだと思えば、講和条約後独立国としていつでも改定できたはずだ。それをいままでしなかったのは、国民がそれを変える必要がない、と思っていたからではないか。それより、旧安保(吉田安保)は、占領軍撤退の空白を埋めるためと称し、講和条約締結と同日付けで発効(占領下で起案)したもので、その時に押しつけられた地位協定がいまだに生きている。

 おしつけ憲法論者は、どうしてより簡単にできるその方に手をつけないのだろうか。石原都知事ではないが東京都上空の航空管制権や沖縄海兵隊移転費用の負担、普天間基地の問題、思いやり予算等々おしつけは山ほどある。

 おしつけ改憲論者の真意はやはり別の所にあるのだ。それは、自民党改憲案そのもので、軍の復活と、大日本帝国へのノスタルジアを感じてのことだろう。これは戦中・戦後を知らない層と知っていても戦争責任を認めたくない層からなる。

 当塾は改憲反対ではない。ただし改定するなら、解釈改憲の余地をなくするよう9条補強を第一とする。また、専守防衛の自衛隊なら世界の軍縮が進むまで縮小の必要なし、と考えており、一番確実な安全保障は9条の存在だと確信している。それらの各論は本ブログのテーマであるので他稿にゆずることにする。

 憲法記念日だということで、このテーマにしたが、購読紙の毎日新聞は予想以上に憲法にスペースを割いていた。他紙はまだ確認していない。ちなみに、最終頁のラテ欄で見ると、憲法特番がNHKで3本合計4時間15分、民放はゼロだった。

 

| | コメント (10) | トラックバック (4)

2009年4月23日 (木)

自衛隊の体質と改憲

 昨年2月19日に起きた海上自衛艦・あたごと漁船の衝突事故から1年あまりたって、乗務士官2名が21日、業務上過失致死などで起訴された。艦長ほか自衛隊上層部はおとがめなしである。当時、事実の隠蔽や口裏合わせ、そして自衛隊に内在する綱紀や体質の欠陥が取りざたされ、石破防衛大臣がトマトのような顔をさらに赤くして抜本的改革に努力する、と言っていたことを思い出す。

 (参考バックナンバー「ゴーストップ事件」「あたご事件と2.26」)

 それ以後、その公約の成果が表れたのだろうか。それを検証するのはマスメディアの責任だと思うが、とんとお目にかかることがない。つい最近の北朝鮮ミサイル発射のダブル誤報もひどいものだか、人命にかかわりがないせいか、またはほかに原因があるのか、早くも忘却の彼方へ追いやられそうな気配だ。

 「防衛省担当の防衛記者会は、長年の当局からの接待攻勢と、防衛記者の“兵器オタク”化と懐柔策の成功で<防衛省広報部>と揶揄される程の<報・官>の癒着ぶり(川邊克朗「世界」2007/11)」は、今でも続いているのだろうか。

 自衛隊の不祥事は、守屋武昌元事務次官の汚職をもってその頂点をなすが、細かいことについては枚挙にいとまがない。その中でどうしても見過ごせないのが文民統制がうまく機能していない事である。これは文民といわれる人、すなわち政治家の多くが軍事(現場)に対して知識がゼロに近いことと、防衛に関する権限・任務など組織上のあいまいさが放置されているからであろう。

 田母神俊雄元空幕長のレベルの低い修正史観で、政府方針を否定する論文が公然化したのはそう古いことではない。しかし、これも今や一件落着の様相である。いや、もっと古い話で、元・イラク派遣自衛隊長が先の戦争のきっかけを作った関東軍の独断専行そのままの暴言に対して、社会的制裁を受けるどころか、自衛隊を代弁する自民党・参議院議員となってテレビのワイドショーで活躍中である。

 海外での武力行使、文民統制という2重の憲法違反を自覚しながら犯そうという言論が公的立場で堂々と行われる異状さは、エスカレートすることはあっても決してなくなってはいない。国民の安全という一刻もゆるがせにできない、また間違いが許されない問題について、不問に付してしまう政治とジャーナリズムの識見劣化は覆い隠せないようだ。

 自・公はここにきて突如憲法審議会を立ち上げる動きにでてきた。民主党内や野党憲法論議が統一されていないことをあばきたて、選挙戦術の一環とするためだという。そこで、上記の佐藤正久議員がかつて示した本音を再録し、健忘症的無関心と安易な軍国主義復活ムードに歯止めをかける警鐘としたい。(2007年8月10日、TBS「筑紫哲也ニュース23」)

 オランダ軍が攻撃を受ければ「情報収集の名目で現場に駆けつけ、あえて巻き込まれる状況を作り出して警護するつもりだった」「巻き込まれない限りは正当防衛、緊急避難の状況は作れませんから」「日本の法律で裁かれるのであれば喜んで裁かれてやろうと……」

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2009年2月20日 (金)

非武装中立の否定

 「反戦塾」は、憲法9条改正に反対しますが、自衛隊はあった方がいいと思っています。ただ現在の米軍の付属品(プラグ・アンド・プレー)のような自衛隊運用には反対です。ましてや、田母神元幹部のように国際問題を勝手に解釈し、独走するような自衛隊なら、今すぐにでも解散すべきでしょう。

 自衛隊の目的は、日本国民と国土をしっかり守ることにつきます。国外に出ていって戦争をするためではありません。その機動力を生かして災害復旧や、国際貢献に奉仕することも目的に入れていいでしょう。しかし戦争をするために出動するのではないので、武器を持っていく必要はありません。

 外国へ行くためには、その国や国連からの要請があること、その国に紛争や内戦がないこと、護身用以上の武器の必要がないことなど厳しい制約が必要でしょう。それならば、日本を守るためにどれだけの装備や兵員があればいいかということになります。

 話は飛びますが、必要な武装をした上で永世中立国を宣言し、世界もそれを認めている国にスイスがあります。スイスは徴兵制度があり国民皆兵の国です。中立を厳守するため、最近まで国連にも加入していませんでした。

 だからといって、国際貢献をしていない、などとの非難はありません。国連のいくつかの機関がスイスにあり、平和会議などもたびたびこの国を選んで開かれます。小さな国ですがその軍備は、敵国が侵略しようとしても、損害の大きさを考えると断念せざるを得ないというという水準を保つのだそうです。

 したがって、兵器産業が発達し高いレベルの装備を備えています。ただそれが輸出されているというのは感心しません。スイスの武装中立は非情に古い歴史の中から生まれてきたものです。またその伝統は、民主的な国民の意思のもとで多少の変化があってもさらに続くと思います。

 日本はなにもスイスと同じである必要はありませんが、長い戦乱の中から生まれたスイスの知恵は参考になると思います。国を守るという国民の強い意志が永世中立の保障となっているということです。私もかつて一部政党のように、段階的に自衛隊を解消するなどのことを考えていたことがありました。

 しかしこのところ考えが変わりました。それは二つの理由からです。一つは、憲法で前文でいう「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持」というのが文字通り「人間相互の関係を支配する崇高な理想」によっているということで、現在その段階に達していないということです。

 その実例は、このまえのアメリカのイラク攻撃や北朝鮮の瀬戸際恫喝外交を見ればわかることです。国連ですら「諸国民の公正」を完全に担保しているとはいいきれないのが現実です。もう一つの理由は、日清戦争以降の日本の戦争のあり方です。(バックナンバー「朝鮮・韓国」「日中関係史」等にあります)

 これを朝鮮・中国という相手のせいにしてしまうのは、大変気のひけることですが、やはり当初は両国ともに自分の国を自分で守るという一致団結した体制がなかったことは間違いありません。日本は隣の家が火事になりそうなのに知らぬ顔はできない、放って置けば火の粉をかぶる、という理屈です。

 したがって、国防に無関心または人任せというのは、隣近所にとって本当は迷惑なことなのです。世界で5,6番目といわれる自衛隊の予算が本当に必要なら維持すべきで、もし不足するなら(そんなことはないと思いますが)増額だってあり得ます。

 中国が不安を抱くのは、専守防衛の自衛隊ではなく、同盟国アメリカの攻撃能力であり、「村山談話」を否定したり憲法を改正して戦前の姿にもどそうという日本の国内勢力の存在です。そういった勢力が「日本は悪くなかった」と、主観的にいうのは勝手ですが、歴史学の上でも世界でも通用しません。

 9条を守り抜き、日米同盟のあり方を検討しなおす、そんな国の前例がないといいますが、スイスも前例があってそうしているわけではありません。軍縮とか環境とかがこれから世界の潮流となろうとしている時、周辺国や世界の大多数の国から歓迎されるような旗を掲げることこそ、最大の安全保障ではないでしょうか。

| | コメント (1) | トラックバック (2)

2009年2月 7日 (土)

自衛隊は違憲か

 答えは「極めて違憲に近い」である。ただし、某政党がいう「違憲的存在」や「違憲状態」とはタッチの差で異なる。具体的に言うと、イラクへの陸自、空自の派遣は、その時点で明らかに「違憲状態」だった。これには、昨年4月の名古屋高裁判決でも示されているとおりである。

 「違憲状態」をいう人は、世界で五指に数えられるほどの防衛費予算の規模、日米同盟が運用面で自衛の範囲をこえる恐れがあること(集団的自衛権を認めるうごき)、現職自衛官に内在する意識、それに外国人が自衛隊を「軍隊」と見ていることなどである。

 しかし、軍隊にはつきものの独自の司法権(軍法会議)がなく、装備も外国攻撃を目的とする航続距離の長い飛行機などは配備されていない。つまり軍隊としては、攻守の攻の部分が不完全で、そこを米軍がになうかたちになっている。ただし、国内の基地から米軍が出撃すればやはり憲法上の問題となる。

 つまり、ぎりぎりのところで「専守防衛の自衛隊」が守られてきたのである。それを紙一重のところまで持ってきたのが橋本内閣以来の政権で、「周辺事態法」や「武力攻撃事態法」「国民保護法」「防衛庁設置法」など次々と地ならしを進めてきた。

 私はその「紙一重」がまことに貴重だと思う。最後の一線を突破させようとしたのが小泉・安倍両首相で、抵抗していたのが目下評判を落としているが官僚だった。それがまことに幸いなことに、参院選で大敗した安倍首相が退陣して雰囲気が変わってきた。

 残念ながらこれは、社・共など護憲政党の力や護憲運動による成果ではない。その後、9条改正反対が世論調査などで過半数を占めるようになったが、これもアメリカのブッシュの失政、オバマの出現で、パワーポリティックスが見直される気運を受けてのことだろう。

 したがって、第2の安倍晋三がいつ復活してもおかしくないのである。それをどうやって防ぐのか。それには、現実を認めてそこから可能な範囲の是正を一歩ずつはかり、しっかりした安定世論に支えられるようにするしかない。その第一歩が「自衛隊は違憲状態」という主張をひとまずひっこめることである。

 そして、「国を守るためにはそれ相応の備えが必要である」、「災害復旧などに自衛隊は頼もしい存在だ」、「国際平和に貢献することは必要である」などの国民感情と真摯に向き合い答えていかなければならない。

 9条を厳守するためには、日米同盟の指針などの見直しが必要である。政治家はまずそこから手を付けなければならない。それで米軍基地の大幅縮小をすると、自衛上仮に防衛費の増大を招くなどということがあれば、一時的にそれを甘んじて受けなくてはならない。

 そして、平和憲法を持つ日本が世界の軍縮に大きく貢献し、その中でわが国が他国に率先して軍事費を削減するというビジョンを持つことである。それにより周辺国との緊張の除去、利害の共有化など平和外交に活路を見いだすことが可能になる。

 そういったプログラムを示し、政権を奪取する政治家が現れるのはいつの日のことだろうか。当塾が主張するところは、とりあえずは、自衛隊が「護身用武器をこえる武器を持って他国領域内に入らない」ということを徹底する(場合によっては憲法に加筆してでも)ことである。  

| | コメント (2) | トラックバック (2)

2009年2月 2日 (月)

「護憲は左」の卒業を

 これまで9条改正に反対すると「左」と見る人が多かった。事実、地元「9条の会」の活動は、共産党の方に多くを支えられているし、街角に見る9条の会ポスターも、志井さんの顔写真と隣り合わせに掲げられていることが多い。

 現在の政界地図を見ても、護憲を標榜している政党は歴史的背景に支えられた社共のみで、民主党では社会党から移籍した議員を中心に3~40人いるらしいというだけだ。公明党も9条を心情的には維持したいのだろうが、改正を党議決定している自民を頭からそでにするわけにいかずあいまいだ。

 だから、現状の政界は「護憲」ではない。やはり、「護憲」は「左」なのである。護憲に限らず、各種の平和運動の事務局や日常活動は、やはり護憲政党、市民運動活動家、左派の労働組合が中心である。私自身「左」だと思っているから、それが別に悪いとは思っていないし感謝している。

 毎日新聞によると、次期衆院選に立候補を予定している人は、55%が9条改正に反対という態度を明らかにしているという。これは、このところの一般の世論調査が9条維持が過半数を超え、アメリカのブッシュ敗退、小泉・安倍首相時代終焉の時勢に迎合しただけのことかも知れない。

 だから、これまでのように「護憲」は「左」のままでは、いつ先祖帰りをする人がでてきてもおかしくない。日本の、そして世界の潮流として9条を定着させるために大きく一歩を踏み出べき時期にきている。かといって、日本の政治家にオバマ以上の人材を求めるのはちょっと絶望的だ。

 ここは、どうしても一般の世論により勢いをつけるしかない。そうするためには、運動を支えてくれる人々や言論を見ていると、どうも「教条主義」的なところが気にかかるのだ。それが「護憲」を浸透定着させる障害になるのではないかと心配になる。

 「護憲」であれば「反自衛隊」、護憲であれば親中(媚中)、護憲であれば反米(反安保)、護憲であれば反与党のままでいいのか。自衛隊員も、アメリカを含む周辺各国も、自民党支持者に対しても9条改正に反対してもらわなくてはならないのだ。

 なにも自らの信条に反したことはいう必要はない。ただ、右翼の攻撃の的になるような「自虐史観」に対して知識不足、勉強不足から適切な反論ができず、むやみに観念論でスローガンを繰り返すような言論だけはやめていただきたいと思う。

 右であろうと左であろうと、国籍・人種がどうであろうと、オバマ大統領ではないが、多様性の中から一致する価値観・理念をを見いだして国民や人類の幸福を追求する、これからはそういった「護憲」でありたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月18日 (火)

反戦・護憲論の行く手10

しめくくりにかえて
 このシリーズも遂に10回を数えました。仮に1回から辛抱強く読んでいただいた方があるとすれば心から感謝します。と言うのは、護憲というと、自衛隊を肯定的に書くだけで反発される方が多いからです。地球上からあらゆる紛争がなくなり、戦争をする国がなくなれば、当然自衛隊はいりません。

 だからといって、それを夢見てるだけでは憲法を守れません。改憲の国民投票は、国会議員の3分の2で決まります。したがって3分の1を大きく上回る味方が必要です。現状で民主党を100%あてにできないとすれば、公明党はもとより自民党の一部まで味方に引き込む必要があります。

 そのためには現実を認め、そこから一歩ずつ歩を進めていかなければなりません。現実というのは世界そして日本のおかれている現実です。高い障害をもうけてそれを一挙に飛び越えろといっても無理です。私は護憲論者の結集も大事ですが、改憲論者に本当にそれが必要なのか、疑問を抱かせることが大事だと思います。

 2008_11090001 最近刊行された本で、フォーラム平和・人権・環境=編『平和基本法』というのがあります。執筆者は軍事専門家の前田哲男・平和学の児玉克哉・ピースボートの吉岡達也・憲法学の飯島滋明の各氏です。その前置きは私と全く同意見で、そのまま書き写しておきたいほどです。

 ところが後半は、そのために「平和基本法」作ろうという構成になっています。法案の内容は前置きとややちぐはぐな点があり、にわかに賛成できません。巻末に触れられていますが、構想が最初に生まれたのが1993年で、05年から執筆者4人で本格的な討論を始めたとあります。

 そのせいか、基本法に盛り込む原則としてはやや古すぎるのではないか、という点と、4人それぞれの立場を反映した主張がこなれないまま残っているように見えるからです。この「基本法」では、改憲派にとってやはり高いハードルになりはしないかと思うのです。「基本法」に盛り込む基本政策として次の8項目があげられています。

1.非核3原則 1967年 佐藤内閣
2.武器輸出3原則 1967年 佐藤内閣
3.宇宙の平和利用限定原則 1969年 国会決議
4.集団的自衛権の禁止 1972年 内閣法制局
5.攻撃的兵器と軍事戦略の不保持
6.文民統制および市民監視の徹底
7.非軍事的国際貢献の積極的推進
8.「人間の安全保障」の具体的展開

 以上、過去にとりあげられ現在につながっている護憲の精神を、これからも確固として維持・継続していくことは論を待ちません。私の立場は、自民党などの改憲提案に対しこちらも、9条補強改憲案を提案して対抗し、武器使用等の制限は別の法律で定めるというものです。

 それがあれば、安倍、小泉元首相が画策したような解釈改憲は、最小限度この先へ進めないようになり、憲法の規定に基づいて自衛隊の活動が別の立法で合法化されることになります。また、上の諸原則も時代や状況の変化にもとずき、柔軟に解釈することが許されるでしょう。

 これまでのエントリーで「武器輸出3原則」や「宇宙の平和利用」などについての私見を述べてきました。時代の変化により言葉の定義に変化が出たり、技術革新で予想外のことが起きたりすることは往々にしてあります。「基本法」にするということは、それを硬直化し、あれも駄目、これも駄目という自衛隊がもっとも嫌う法律になりがちです。

 さらに、基本法などの恒久立法を持ち出すと、改憲論者はこれを利用して解釈改憲にお墨付きを与えるような対抗案を考えるかも知れません。これならば過半数の賛成でいいことになります。また、非核3原則の「持ち込ませず」など、日米間の密約があるとかないとかで、事実上空文化している既成事実まで合法化してしまうおそれがあります。

 これからの問題として、専守防衛の範囲や国際貢献のありかたなど、個別法に関するアイディアがないわけではありません。しかし、カンボジアやチモール、イラク、アフガンなど、あまりにも事情が違いすぎます。基本法や恒久法でひとつにくくるというのは無理があります。またこれからどんな事態が起きるかも知れません。よほど叡知を絞って考える必要があります。

 護憲・反戦論の行く手を決めるためには、強い意志と柔軟性、そしてチャンスを生かす順応性が必要だということを結論に、ひとまずこのシリーズを終わらせたいと思います。最後まで見ていただきありがとうございました。また、ご意見は、明日の飼料として大いに歓迎いたします。

| | コメント (2) | トラックバック (4)

2008年11月17日 (月)

反戦・護憲論の行く手9

自衛隊員が元気になる専守防衛(その3)
 金融サミット(G20)が終わり、各新聞は、アメリカが軍事だけではなく経済・金融の面でも一極支配の転換期にきていることを大きく掲げています。もっとはっきり言うと、ネオコンといわれイラク戦争などを演出してきた新保守主義者や、市場原理主義者を取りまきにしていたブッシュの「敗北」といえるでしょう。

 このさき、たとえビンラディンが死んだとしても、アルカイダが解散しても、もはやテロとの戦いでアメリカが勝利したとはいえない状態になっています。アメリカ人の中にはそう思いたくない人もたくさんいるでしょう。日本も敗戦直後は(いや、今でもかな?)、そうでした。

 最近はあまり聞かなくなりましたが、LIC(Low-Intensity Confict)という言葉があります。「低強度紛争」と訳されていますが、テロ、ゲリラ、民族・宗教紛争などをいい、冷戦時代にもありました。これは、第2次世界大戦、東西冷戦で、国家または同盟国間の覇権争を原因とする大量破壊兵器・科学兵器を駆使した近代戦が想定されていたあとの課題として、提起されていたものです。

 ブッシュの父親の時代、すでにこういった研究はある程度進んでいました。湾岸戦争でもクエートからイラク軍を駆逐したものの、さらに攻め込んで独裁者フセインまで打倒すると、この地域が混乱して手に負えなくなるという理由から自制されたといいます(加藤朗『現代戦争論』)。

 ブッシュ息子の失敗で、こういった研究はますます厚みを増すでしょうが、ポストモダンを否定し、東西冷戦で想定した、戦車・軍艦・ミサイルなどでドンドンパチパチやる近代戦争にこだわっている軍当事者や若者か多いようです。マンガの読み過ぎでしょうか。若者ならともかく、空幕長までそうだというのでは困ります。ブッシュ息子もそのけがなかったとはいえないでしょう。

 これからの戦争は、人類の生き残りをかけた、環境・自然災害・貧困・差別との戦いになるのではないでしょうか。自衛隊の国際貢献の場は、無限に広がります。ただし、そこに人民支配または紛争助長のための武器を持ち込むことは、逆効果になるでしょう。LICを含め、日本もまっとうな軍事研究は大いに進めてもらいたいものです。

| | コメント (0) | トラックバック (3)

2008年11月15日 (土)

反戦・護憲論の行く手8

自衛隊員が元気になる専守防衛(その2)

 毎回繰り返すようですが、自衛隊は海外で軍事行動をしない、という「9条補強憲法」を作っておき専守防衛のルールを作っておけば、日本の安全保障に対してあまり窮屈に考えることはないと思います。日米同盟、つまりもとになる安保条約は、憲法の尊重をうたっているので変えなくても大丈夫です。

 ただ、自衛隊が国際貢献(実はアメリカ貢献)のために、違憲状態になったり、解釈改憲が進んだりするので、2国間の「指針」とか「協定」をしっかり見直してもらえばいいということも言いました。相当大幅な方針転換ですが、日本もこの際「Change」の機会です。吉田・岸元首相のような覚悟があればできるはずです。

 アメリカの一国支配の終焉、ポスト・ブッシュ時代の日米同盟はどうあるべきでしょうか。米軍再編でも一部取り入れられていますが、米軍基地はもっと劇的に減らしてもらいます。司令部も海軍・空軍基地も当然見直しの対象になるでしょう。

 日米の合同訓練というのがよく行われます。これも国民に迷惑がかからず他国の脅威にならないような訓練なら、大いにやるべきでしょう。なにしろ米軍は装備も経験も依然世界一です。自衛隊も大いに勉強になります。それ以外の多数国が参加する訓練など、信頼増進に役立ち大いに賛成です。

 次ぎに、兵器の共同研究・共同開発の問題があります。これは、共同開発したものをアメリカが第三国に輸出したら、武器輸出3原則に触れるという問題がありました。ちなみに、武器輸出3原則とは、佐藤首相の時代(1967年)に決めた、1、共産圏諸国向けの場合、2、国連決議により武器等の輸出が禁止されている国向けの場合、3、国際紛争の当事国又はそのおそれのある国向けの場合 、には武器を輸出しないというものです。

 どんな場合でも、武器を輸出することは「死の商人」のやることですからしない方がいいに決まっていますが、共同開発や技術供与などは、そう気にすることはないと思います。ただし、陸戦隊の代わりに、侵略用人間ロボットの開発となると問題ですね。それより、ライフルや弾薬など小型武器の輸出が、日本は世界で第9位(Wikipedia)だそうで、その方が気になります。この問題は、武器の定義が難しく、結局はケースバイケースにせざるを得ないのでしょうか。

 クラスター爆弾禁止条約の署名式がいよいよ来月3日に行われます。これは、過去当ブログで連続してとりあげたように、爆弾の使途、使用場所でさんざん物議をかもしました。防衛庁を中心に、最初は、米軍との共同作戦に支障を来すといい、後になると、これを専守防衛の爆弾とするため、沿岸線の長い日本で敵の上陸部隊を殲滅するのに効果的という理由で、廃止に反対していました。

 さらに、そうすると、多くの日本国民にも犠牲が避けられないというと、あらかじめ予告して避難してもらってから使うなど、保有の口実も支離滅裂になりました。結局福田首相の決断で、アメリカなどの廃止反対姿勢にもかかわらず、廃止決議賛成に態度を変えて、世界を驚かせました。これからの日本はこうありたいものです。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2008年11月12日 (水)

反戦・護憲論の行く手7

自衛隊員が元気になる専守防衛(その1)
 「日本の国は良い国だった、と言ったら解任されてびっくりした」、その通りです田母神さん。ただ、「日本は滅亡寸前の国になるような失敗を反省し、戦争放棄の憲法を持ってこんな立派な経済大国になった良い国です」と言えば良かったのです。

 憲法を改正しないと、自衛隊員が元気になれない、外国に出ていってそこの人を「膺懲(ようちょう=こらしめる=昭和12年8月政府声明)」してもいいように改正すると元気になる、そんな馬鹿な自衛隊員はいませんよねえ。

 これまでに、憲法9条に「法律で決めない限り、外国に行って武力行使をしたり、それで脅迫してはいけない」という、第3項を付け加える提案をしました。これを仮に「補強憲法」としておきましょう。その上で、皆さんのように北朝鮮と中国を敵と考えて「専守防衛とは」を想像します。

 あらかじめおことわりしておきますが、私は軍事問題に弱く、系統的、専門的な話はできません。もし間違っていたら教えてください。最初はミサイル防衛問題です。ご存じのように、簡単に言うと偵察衛星やイージス艦や国内にある監視基地などで、敵のミサイル発射を探知します。

 それを、別のミサイルで、打ち上げ直後、途中の大気圏外、着弾段階などで撃破するという、日米の共同作戦があります。偵察衛星はこれまでアメリカに頼っていましたが、日本独自のものが現在4基宇宙を飛んでいます。

 これは、厳密に言うと1969年の国会決議「宇宙の平和利用限定原則」に反するおそれがありますが、2003年、この打ち上げを閣議決定で実施に移しました。私は、これを専守防衛・平和衛星だと思います。なぜならば、宇宙を飛んで写真をとっているだけなら、その国民に何の危害も与えないからです。

 そう言えるのも、専守防衛の「補強憲法」があればこそです。その国の軍部にとっては面白くないことでしょうが、攻めてくるはずのない国のものなら仕方ありません。打ち落としたいところでしょうが、日本に監視されていると思えば、むやみにミサイルを配備したり照準を合わせるのを遠慮するでしょう。

 一方、日本に現在配備されている弾道ミサイル防衛システムのことですが、これも日本の領域内で迎撃するなら専守防衛の範囲内と解釈できそうです。ただ問題は日本のミサイル攻撃能力です。たくさん作れば当然相手もそれだけの軍備を拡張するはずです。

 ミサイルによる先制攻撃は、論外としても、打ち込まれたあとその発射基地を反撃爆破することすらできないのか、というと悩ましいことになります。日本が長距離ミサイルを作る必要はなく、作るべきではないと思いますが、当然作る能力はあります。わざわざ「将来にわたって絶対作らない」などという必要はないでしょう。これは核兵器についても言えます。その方が専守防衛や軍縮交渉に役立つと思うからです。

 このほか、核弾頭をつけないが化学兵器などをつけた、中・短距離ミサイルなどは防ぎようがないとか、中国からアメリカへ飛んでいく大陸間弾道ミサイルを日本が打ち落とせるか、などの問題がありますが、ミサイルに限らず、兵器を通じて先端技術の研究・開発に当たることは必要で、日米同盟改定の大きな宿題となるでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2008年11月 9日 (日)

反戦・護憲論の行く手6

日米枢軸の終焉
 日本では、安倍・福田・麻生と元宰相の2世、3世の首相が3代続きました。アメリカでも、ブッシュ・ジュニアが8年間大統領の職にあり、まもなくチェンジを叫ぶオバマ氏に取って代わります。世襲というと北朝鮮を思い出しますが、これとは違った意味で日米に於ける民主主義の劣化を痛感します。

 別に先祖が誰であろうと、政治家になってはいけない、宰相になってはいけないというわけはありませんが、とりまきの影響を受けやすい、空気が読めない、芯が細く挫折するともろい、など、失政の原因に共通点があるように感ずるのです。

 ブッシュの政策の裏には、軍事を優先するネオコンの存在があり、新自由主義という経済支配の世界戦略がありました。こういった気運を生んだのは、私の独断ですが冷戦時代の発想が底流があるからではないでしょうか。

 つまり「悪の帝国ソ連」のかわりに「凶悪なテロリスト」を持ってきて、共産主義、社会主義の対極に市場原理万能の「新自由主義」を置き、それでアメリカ国民の心情をつかまえることに成功したということです。しかしその反面、「愛国者法」などで国民の自由・人権が制限され、金融商品や原油価格対策に手をつけないことで、自国民だけでなく世界の経済を破綻させました。

 日本でも、中国、北朝鮮、ロシアが共産国だと信じ、あるいは信じていなくても異質なものとしてとらえる気運があります。しかし、これはアメリカ政府の考えの中からも消えつつあります。麻生首相が以前から唱える「価値観外交」というのも、上記3国を排除するものだ、と批判的に見る人はすくなくありません。

 ただ、小泉・安倍首相時代から郵政民営化、規制緩和が加速し、教育基本法、有事立法などで国民の権利や自由を制限する方向に向いたのは、憲法軽視のあらわれでありやはり民主主義政治の劣化といえるでしょう。アメリカのブッシュ政治に連動した動きです。

 こんどオバマに変わると、外交政策はどうなるのでしょうか。変わるという人もいれば、結局大きく変えられない、日本にとってはむしろ厳しい姿勢をとるなどという人もいます。私もすぐには変えられないと思いますが、ブッシュとは明らかに違います。

 それは、ブッシュが「テロリスト・テロ支援国家とは交渉しない」としていることに対し、オバマは「話し合いをする」という方向を向いているからです。たとえば、イラクからは早期に撤兵して、アフガンに増派するといっていますが、これは、パキスタン、アフガン政権と話し合えば、すくなくとも、実戦部隊の増強については、考え直すと思うからです。選挙戦中は「弱腰」という批判を避けるためだったのではないでしょうか。

 いずれにしても、ブッシュ以降も日米枢軸が続き、何でもアメリカの言うとおりにしていればいいのだという「楽な」外交の時代はもう終わりです。仮にそれに変わる新方針が立てられないことにれば、日本は経済の面でも途上国以下で甘んじなければならないでしょう。

 日米同盟を洗いなおし、日本の新たな針路を打ち出してそれを実現できる政治家が出現すれば、世襲であろうと自民党であろうとまっさきにその人を応援します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月 8日 (土)

反戦・護憲論の行く手5

 前回、「非武装中立論」を否定しました。非武装の構想は、米ソの厳しい対立という冷戦の二極構造の中で生まれたものです。その後米国の一極支配体制tが世界を覆ったものの、軍事・経済の両面からあっという間に崩れ去って、オバマ民主党政権のもとで「チェンジ」が計られようとしています。

 その間隙を縫って、ロシアは復権をねらい新しい動きをしはじめています。複雑な多極化時代が来そうな気配です。それを過去の冷戦時代から一歩も出ないような神経で、「価値観を共にする」とひとりよがりの旗をかかげ、「日米同盟があるから守ってもらえる」などと、のんきなことを言っていていいんでしょうか。

 私は、日本の安全は、現憲法を厳守・補強することと、専守防衛と国際協力を任務とする自衛隊の存在で守れると主張してきました。もちろん解釈改憲も集団的自衛権もダメです。そして世界の軍縮の先頭に立つことを望みました。そのための第一歩は何か、これが前回の宿題です。

日米同盟見直し、今がチャンス

 そうです。日米同盟です(このブログ右サイドバーのインデックスから「漂流する安保」シリーズや、「日米同盟年表」の記事も参考にしてください)。基本になる安保条約は、1960年以降一度も改定していません。その中には「憲法上の規定に従うことを条件に」というしばりもあります。

 裁判を起こされるほどのきわどい条約ですが、条約そのものはまだ憲法への配慮がありました。それが1997年9月の「日米防衛協力のための指針」による見直し、さらには2005年から2006年にかけて立てられた日米共通戦略目標や基地再編最終合意(ロードマップ)で、条約本体はおいてけぽりにされ、自衛隊と米軍の一体化が進みました。

 それでも今ならまだ間に合います。「日米安保条約解消」などというのではなく、できるところまでバックさせ、指針や協定や目標の見直しから始めてください。しかしこれは、アメリカが築き上げてきた既得権や世界基準をゆるがせたくないということで、困難な交渉となるでしょう。

 たまたま、今日11月8日付毎日新聞で、伊藤智永外信部記者がこういっいいます。

 米国民の多くは、今やブッシュ時代を「間違っていた」と考え、オバマ氏を選んだ。日本以外の同盟国も、それぞれブッシュ路線と確執を抱え、オバマ氏の「変革」に期待を寄せる。
 同じ時期の日米関係を、外務省は「戦後最良」と自賛してきた。(略)今、日本だけ反省もなく「誰が大統領でも同盟は不変」なわけはなかろう。(略)

 保守合同で自民党を結成した岸信介は、自ら政権を担うや、及び腰の外務官僚を尻目に敢然とこれに挑む。米側が一転して交渉に応じたのは、岸を指導者として高く評価していたのが理由の一つだ。

 第一次安保条約の締結交渉に当たった吉田茂首相も、折から起こった朝鮮戦争と東西対決が深刻さを増す中で、アメリカからの再軍備要請を警察予備隊新設などで巧にかわし、また、憲法改正の要求も当時の情勢を逆手にとって拒みつづけました。

 いま考えると、アメリカにとって、英国仕込みの外交手腕のある扱いづらい、また土性骨のすわった政治家だと思われたことでしょう。それぞれ昨今の首相のお爺さまがたは、歴史に残る立派な政治家だったと思います。

 新しい日米関係をうち立てるのは、今の時期をおいて当分来ません。それによって日本の将来の世界での地位も定まってくるでしょう。そういったことのできる大政治家は、求める方が無理なのでしょうか。それもこれも、戦後教育が悪かったせいでしょうか。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2008年11月 7日 (金)

反戦・護憲論の行く手4

 私はこれまで護憲派は、9条に「③公務員は、法律に定めがある場合をのぞき、武器を携行し、または利用して外国または日本国領土以外の地域で行動してはならない」という、改憲案の対案を持つべきではないかと主張してきました。

 こうしておけば、この条項の精神に反する立法が困難となり、恒久法を作るにしても厳しい制限が課せられることになるでしょう。ただ、この改正案で3分の2の議員の賛成を得るというのは困難かも知れません。あくまでも自民党が意図するような改憲案と、二者択一で国民に意見を聞けるというところがミソです。

 自衛隊をどうする

 次ぎに自衛隊の存在についての考えです。自衛隊の現状が違憲的存在であることは肯定できます。田母神前航空幕僚長の懸賞論文が、はしなくも内部からそれを証明しました。政府与党はこのことをよほど深刻に考えなくてはならなくなるでしょう。このような自衛隊ならば即刻解散が必要です。

 社民党は、自衛隊を改編・解消して非武装を目指しています。共産党も3段階に分けていますが最終的には解消です。自衛力は持たなくてもいい、そのような理想郷が近い将来実現するでしょうか。私も昔、社会党の非武装中立論を支持していた時代がありました。

 しかし、アメリカのイラク進攻、北朝鮮の核・ミサイル実験などを見るに及んで考えが変わりました。核や武力を公然と脅迫に用いる国があるからです。また、領海・領空侵犯や工作船などということもあります。憲法前文の「平和を愛する諸国民の公正」を信頼して自衛の決意をする時代には、まだほど遠いと感じたのです。

 私は、日本が攻撃を受ける危険性を大きくいって二つ考えています。一つは日本にある米軍基地が標的になることです。日本側に攻撃を受ける理由がなくても米軍にあれば、必然的に交戦状態になります。もう一つは、日本に自衛力がなく、日本人にも一致団結して国を守る意思がない時です。

 日本が厳格に憲法を守り、強い専守防衛の自衛隊を持っていれば、なにも犠牲をおかしてまで計算の合わない攻撃をしてくるはずがありません。その場合米軍基地があることは、マイナスにこそなれプラスにはならないと思います。

 昔、防衛力に対して「戸締まり論」というのがありました。自衛隊で戸締まりをし、泥棒を防ぐというわけです。朝鮮や中国の歴史を見ていると、戸締まりのないことが周辺勢力の侵略を奨励する結果になったり、内部分裂で侵略者を導き入れたりするケースがいかに多かったかを知りました。

 前回、自衛隊は必要だ、といったのはこういう事からです。では強い防衛力とは、専守防衛とはとは何かということになりますが、それは別の機会にゆずることにし、この防衛力を梃子に日本は、世界の軍縮の先頭に立てるということを言っておきましょう。その第一歩を何から踏み出すかは、宿題にしておきたいと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2008年11月 5日 (水)

反戦・護憲論の行く手3

9条が2章にあるわけ
 今回は、将来のことからはなれて、私の憲法観を話したいと思います。まず、改憲論者がいう現憲法の批判について、それから前回に述べた9条に3項を設けて補強する意味考えてみます。

【占領軍から押しつけられた】
 政府案を作る段階でGHQから相当厳しい注文がついたのは間違いありません。できるだけ旧憲法の微調整ですませたい政府から見て、押しつけられてという表現を使っても間違いではないでしょう。

 また、最近大きく取り上げられるようになった、森戸辰男や鈴木安蔵など民間学者による「憲法草案」がGHQ素案に影響を与えたことや、幣原首相の戦争放棄に関する意見とか、国会審議の中での提案が主要な部分で採用されていることなど、日本人が大きくかかわっていることも事実です。

 この憲法はGHQの案を翻訳したもので、日本語の表現になっていないから、それだけでも作り直すことが必要だ、という人もいます。しかし、直訳ではありません。日本の法文に関してはプロ中のプロである当時の法制局第一部長佐藤達夫氏が、GHQと激しいやりとりをしながら草案をつくりあげたものです。

【しかし国民は反対しなかった】
 総選挙で選ばれた議員による第90帝国議会でこれが審議され、一部訂正の上1946年(終戦の翌年)11月3日に公布するに至りました。この日、宮城前で祝賀都民大会が開かれ、約10万人の市民がソフト帽を振る天皇に歓呼の声をあげました。

 当時中学生だった私も、占領軍に押しつけられたものであることは薄々知っていました。しかし戦時中から見ると、言論であろうと市民の日常生活であろうとはるかに自由になったことを体感しています。また、新憲法がそれを保証するものだという感覚でした。

 しかし、私と同年輩の改憲派はけっこういます。そう言った人たちは当時、敗戦でその地位を失った戦争指導者の子弟だったのでしょうか。私の周りにはあまりいませんでした。押しつけられて不満がある憲法なら、5年後に占領終結・講和発効後直ちに改正の声があかってもいいはずなのに、そのような動きはありませんでした。憲法は年を経るごとに国民生活の中に根をはり、いつしか空気のような存在になったのです。

【前文・第1章・第2章は一体】
 現行憲法は、旧帝国憲法の改正手続きにより成立したものです。つまり、土台に明治憲法があり、それを改正したような形になっています。中味はともかく章の順序などはほとんど同じです。明治憲法では、上諭(天皇の名による序文)が最初にあります。そして第一章が天皇、以下「臣民権利義務」にはじまり立法、行政、司法、会計と続きます。

 現行憲法では、前文、第一章天皇の次が第二章戦争放棄となっており、そのあとの順序は旧憲法と同じです。ではなぜここに「戦争放棄」が入ったのでしょう。それは明治憲法が、第一章天皇の中でで天皇の大権として「陸海軍ヲ統帥ス」以下軍隊に対する天皇の特権をうたっており、新憲法ではそれに代えて戦争放棄条項を持ってきたのではないでしょうか。

 前文は、国民主権と国際平和の二本柱をうたっています。第一章では、天皇の地位を「日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴」といっています。その象徴の意味は何でしょうか。制定当時からいろいろ議論がありました。

 私はそれを「平和」の象徴だとみています。というとハトみたいですが、昭和天皇でいうと開戦を阻止できなかった責任は免れないものの、それまで終始交渉による平和路線に誘導しようとしていたことに加え、捨て身で終戦の決断をしたことの平和指向は疑えません。終戦時に軍部の暴走を抑えられる人がいなかったらと思うと、ぞーっとします。

 天皇制の維持と戦争放棄が、日本政府とGHQの間で交換条件のような関係になっていたというようなことがよく言われますが、イラクやアフガンの現状を見ればわかるように、占領がうまくいくかどうかは、報復と反乱を防止し、円滑な武装解除と治安維持ができるかどうかにかかっていました。

 米軍がどんなに兵力を投入しても、天皇一人の力には遠く及ばなかったでしょう。天皇の存在はまさに国内の平和を象徴するものだったのです。卑弥呼が天皇家の先祖だったかどうかわかりませんが、卑弥呼擁立で国内の紛争をおさめるなど、日本の長い歴史の中で天皇が平和の媒介を果たし、また祈願する立場にいたことは大筋で否定できないでしょう。

 それを受けての第二章「戦争放棄」です。したがって自民党改憲案のようにタイトルを「安全保障」に変え、軍の保持をうたったのではこの位置にこの条文を入れる意味が全くなくなるわけです。もし自衛軍の存在や役割をうたうのなら行政組織としてもっとあとの章にこなければおかしいことになりますが、警察や海上保安庁にも憲法上にそんな条項はありません。

【自衛隊に憲法上の地位をあたえるためには】
 前回提案したように、9条強化の条文を加える中で例えば海外派遣の恒久法を作るとか、基本法を作るとかしなければなりません。現行憲法を生かすためにそれは有効に働くはずです。茶化しているように思う人がいるかも知れませんが、私は、憲法を生かすために必要があれば自衛隊を強化することもあり得ると考えているものです。

 それらについては、次回以降にまわしたいと思います。  
 

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2008年11月 3日 (月)

反戦・護憲論の行く手2

対案のない護憲のひ弱さ
 「護憲」とは、憲法の改正をさせず守っていこうということです。いわゆる「護憲勢力」というのは、ずーとこの考えできました。自民党はすでに改憲案を持っており、改憲勢力は力を蓄えてきました。このところ、9条の会を標的にしながら草の根レベルでの勢力拡大をねらって攻勢をかけてきています。

 スポーツでもそうですが、「守る」だけで「攻め」の決め手を持たなければ決して勝てません。残念ながら、現在「護憲」を標榜している政党も、安全保障に関する政府の提案に反対するだけで、具体的な対案など見たことがありません。

 「平和基本法」などという構想を聞いたことがありますが、これに関してはいずれ触れる機会があるでしょう。しかし基本的には「自衛隊の段階的に縮小」などというだけで、政党の伝統的な政策を変更する気配が感じられません。社民党などは、手紙やメールで何度政策提言や問い合わせをしても、これまで一度も返事がいただけませんでした。

 かりに、そのような官僚的な体質で市民を無視し続けるようなら、政策への影響力はおろか、改憲阻止にどこまで本気なのかを疑われてもやむを得ないのではないでしょうか。「絶対に許せません!」といっても「許してくれなくてもいいよ」と言われるだけのことです。

 ただし、最近「平和憲法を生かす」といった傾向が定着してきたことは、最近の世界の動向を先取りするものとして大賛成です。政府の解釈改憲や集団的自衛権行使(米軍と一体になった軍事行動)を阻止する意味で「平和基本法」や「恒久法」を考えるのも一つの方法でしょう。

 しかし、その内容が現状を否認する内容となれば過半数獲得がむつかしく、また時の政権が簡単に内容を改正できるようなものでは、解釈改憲にお墨付きを与えたようなものになるので不安が解消されません。そこで、当塾がすでに提案してきた事ですが、憲法第2章「戦争放棄」に第3項をもうけ、次の文言を入れたらどうでしょうか。これは解釈改憲を封ずるための大前提で、自衛隊の任務や行動はこれをもとに必要な法整備すればいいのです。

  ③公務員は、法律に定めがある場合をのぞき、武器を携行し、または利用して外国または日本国領土以外の地域で行動してはならない。

 これで、改憲提案への“対抗軸”ができます。ただ「守る」だけではなく、「攻め」の道具として国民にもかりやすい説明ができます。日米同盟も両国の憲法を尊重するという取りきめが最初からあり、変な方向に曲がりかけた協定を粘り強く是正すればいいのです。

 前回とりあげた、田母神航空幕僚長が懸賞論文でいった「侵略戦争は濡れ衣だ」といった弁解も、外国の地に軍隊が長く居座り(たとえ合法的で経済的にプラスがあったとしても)、現地人が侵略だといっているのだから侵略でしょう。こんなはっきりしたことはありません。

| | コメント (0)

2008年11月 1日 (土)

反戦・護憲論の行く手 1

 「反戦老年委員会」の名で2年半、それを閉鎖してこの名で約1年、「反戦」を標榜したブログを既に3年半続けてきました。終りを決めたわけではないので、これからも続けようと思いますが、この間新たな見聞も増え、自分の考えも微妙に変化してきています。

 ここらで、一旦考えを整理しておくことも必要なのではないかという気がして、新シリーズをスタートさせました。しかし日々書き下ろすことになるのであくまでも結論ではなく、留め書きということにしておきたいと思います。

 最初のテーマは、
愛国心なくして反戦・護憲をいう資格なし

です。戦争論でよく見るのですが、国家があるから戦争が起きるという考え方があります。つまり国の体裁として軍隊があるのが当たり前(普通の国)で、それが動きやすいように(緊急事態を想定した)特別の法律を作り予算もつける、いわば公認の暴力装置を持つことから話は始まります。

 軍隊は、常に仮想敵国を決めておき、それに負けないよう人員や装備を調えます。そして新兵器(究極は核兵器)を開発し、日々訓練につとめます。こういった仕組みを作ると、その存在を無駄にすることはできません。機会があればいつか試してみたい、という気持ちがおきることは、かつて内部にいた人も告白しています。

 原爆やミサイルといった物騒なものは、国家がなければ作ることができません。国や国境がなくても小競り合いや殺し合いはあるでしょう。だけと非戦闘員が大量に意味もなく殺される近代戦のようなことは、文明が発達するにつれなくなるはずです。

 だから国をなくしてしまえ、というのが、戦前徹底的に取り締まられた無政府主義です。だけど人間は集団を作らないと生きていけません。村があり都市がありお互いに協力し合える単位としてやはり国は必要です。改憲派は「国民を守るために軍隊は必要だ」といいます。

 だから「自衛隊は違憲」などというと、「売国奴」呼ばわりする人がでてきます。美しい日本の伝統や文化を敵国に売り渡すつもりか、というわけです。日本の文化や伝統は長い歴史につちかわれてきたものです。これを守る上で、歴史を知り日本の良さに誇りを持つ、つまり改憲派以上の愛国心が必要なのではないでしょうか。

 改憲の自民党政権やアメリカべったりの政府は認めたくないという人はいるでしょう。しかしそれは誤りです。世界の中では誰がトップにいようと国は国です。また、国連決議があれば(どっかで聞いたことがありますね)という人がいます。国連だって国家の集まりで、決して公正無比の神様ではありません。

 最近は、NGOの活躍が目立つようになりました。その役割は高まりつつありますが、まだ補助的な役割が与えられているだけで、権限はあくまでも国単位です。しかし、国の枠組みを少しずつはずす試みは進められています。国境の壁をなくし、同じ通貨を使い、お互いの争いの種をなくしようという努力、そうですEUのような共同体です。

 昔は互いに憎しみ会ったフランスとドイツが戦争になることなど考えられなくなりました。なぜならば戦争の原因になるようなことを少しずつ取りのぞいていったからです。これを見て東南アジア(ASEAN諸国)。南米大陸、アフリカ、湾岸諸国などこれを見習おうという地域がどんどん増えています。

 しかし、それらの共同体も国家を解消しようということにはなってません。むしろそれぞれの国の特徴を守り抜こうという方向に行っているように見えます。愛国心ですね。英語でいうとパトリオティズム、つまり愛郷心に近く、ナショナリズム=国家主義という感じとチョット違うように思います。

 昨日(10/31)、田母神航空幕僚長が懸賞論文で「侵略戦争はなかった」などという見解を公表し、現職から更迭されるようです。今の憲法では自衛隊の身動きがとれないなど、上の観察そのままの発想です。しかも、その審査委員長が右翼雑誌の花形、渡部昇一上智大名誉教授、勧進元が安倍元総理との怪しい関係が取り沙汰された、安晋会の黒幕・アパグループだというから何をかいわんやです。

 新聞では同幕僚長が特殊であるような書き方をしていますが、そうは思いません。現場自衛官、警察官それに街角ネット右翼など、耳当たりのいい新国粋主義を支持する人は少なくありません。また、軍事評論家などの肩書きで、軍事雑誌にそういった意見を投稿している人も、多くは元自衛官でしょう。

 田母神論文の要旨は今までもよく聞く内容が繰り返され、驚くようなものはありません。しかし、そういったトレンド(小泉・安倍路線のような)を復活させないために、まっとうな歴史認識と愛国心は大いに磨こうではありませんか。

 

| | コメント (2) | トラックバック (3)

2008年10月18日 (土)

即位礼20年を祝日に?

 「毎日新聞(08/10/17)」のベタ記事である。

 超党派の「天皇陛下御即位二十年奉祝国会議員連盟」(会長・森喜朗元首相)の設立総会が16日、開かれた。来年11月12日に天皇陛下が「即位の礼」から20年を迎えることを記念し、その日を1年限りの祝日とする法案を今国会に議員立法で提出することを決めた。顧問に民主党の小沢一郎代表、公明党の太田昭宏代表、国民新党の綿貫民輔代表らが就任した。

 共産党と社民党は、呼ばれなかったのか、断ったのか参加していない。念のため「即位の礼」で天皇がどう宣明されたかたしかめておこう。

 さきに、日本国憲法及び皇室典範の定めるところによって皇位を継承しましたが、ここに即位礼正殿の儀を行い、即位を内外に宣明いたします。
 このときに当り、改めて、御父昭和天皇の六十余年にわたる御在位の間、いかなるときも、国民と苦楽を共にされた御心を心として、常に国民の幸福を願いつつ、日本国憲法を遵守し、日本国及び日本国民統合の象徴としてのつとめを果たすことを誓い、国民の叡智とたゆみない努力によって、我が国が一層の発展を遂げ、国際社会の友好と平和、人類の福祉と繁栄に寄与することを切に希望いたします。

 憲法遵守を誓われたのである。この限りにおいて社・共は反対する余地がない。ただし、何のために1日だけ国民の休日にするのだろう。皇室儀式の何年目に当たるから国をあげて奉祝の休日にしようなんという前例は聞いたためしがない。

 いや、そういえばありました。太平洋戦争開戦の前年、昭和15年の「紀元2600年奉祝」である。休みがあったかどうかまで覚えていないが、臨時の物資特配(北朝鮮のようだね)があり「祝ひ終わった、さあ働こう」といって戦争遂行にハッパをかけたのだから多分休みもあったのだろう。

 上記の奉祝計画は「9条の会」を目の敵にする右派連合の「国民会議」が提唱していたし、「日本は天皇中心の神の国」の問題発言で有名な森元首相が会長の議連であれば、そのねらいはだいたい察しがつく。やはり改憲して戦前のレベルまで引きもどす準備として、休日を設け国民を引き込みたといういことであろう。

 そもそも、実際の即位から2年近くもたって行われた即位の礼は、10日あとに行われた神事の大嘗祭とセットになっており、天皇家の私的儀式である。このような宗教的な色合いの強いものを国家・国民の休日にすることにはもともと批判があったし、政教分離の憲法の精神にも反する。

 タイトルに?をつけたのは、今上天皇が護憲宣言をされた日を、改憲派の人が主導して奉祝しようという逆転の発想と、こんな前例無視の突飛な意図にやすやす乗ってしまう民主党代表の無原則ぶり、戦時中天皇の名のもとで弾圧を受けた創価学会をバックにする公明党の健忘症ぶりである。

 いずれにしても、こんな根拠薄弱で問題含みの公休法案は党議拘束などかけず、議員の良識をもって葬ってほしい。なお、今上天皇が遵守を誓われた現行憲法の前文、第一章天皇、第二章戦争放棄まで、日本の歴史や伝統に照らして最高のものと信じているが、これについてはいずれ稿を改めよう。 

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2008年7月19日 (土)

折り込み拒否の読売

 「かものはし」さんは、長くブログ上でおつきあいいただいている方である。お目にかかったことはないが、単独で地域の「9条の会」を呼びかけられ、数人の会員ではじめた本当の草の根組織をやっておられるらしい。多分ふだんは「市民運動」などとは縁のない方だと拝察している。以下、寄せられたコメントをコピペさせていただく。

ご無沙汰しております。伝言。九条の会で講演会のビラを 新聞折り込みにするため 個別配布も 怠け者の私は おこずかいで 新聞配達所へ持参 折込広告の依頼をしたら 読売新聞は許可しないという。
地方新聞の神戸新聞はOK 朝日もOK 渡辺恒雄は大バカ野郎だと 反戦塾さんに またブログ書いていただこうと思った次第です。わたし当分休んでいますどうか 出来ればついでの論評にでも入れて 読売の姑息な言論封殺を批判してください。たった500枚のビラでも お触れが出ているのでしょう。わたしのような よちよちの活動開始のものには 新鮮なおどろきであります。どうして護憲や九条の会のビラぐらいが そんな扱いをされなければならないのか。ほとほと ナベの馬鹿さかげんがわかりました。知らないひとが ほとんどではないでしょうか。

 マンションのポストに入れると、警察につかまる。つい最近も被害届を出した(出させられた?)管理人がいたようだが、誰かから「そんなバカなことはよせ」とさとされたためか、届けを撤回したようだ。かものはしさんが、「ナベツネ大バカ野郎」と叫びたくなる気持ちはよくわかる。

 よくも悪くも読売の大きな顔なのだから。そこで読売の言い分も載せておこう。

 多くの犠牲者を生んだあの戦争は一体、何だったのか。だれが、いつ、どのようにして判断を誤ったのか――どうしてもそこを知りたい。日本人自らがあの戦争を総括することではじめて、その「解」が出てくるのではないか。そうした私たちの思いは、読者の真摯で切実な訴えと重なった。(渡邉恒雄主筆の提唱により設置されたプロジェクトチーム「戦争責任検討委員会」、『検証・戦争責任』あとがきより)

 販売店の「9条の会」チラシ折り込み禁止――大連立の黒幕までしようというナベツネさんが、まさかそこまで落ちぶれた指示をしたとは考えられないが、新聞で唯一憲法改正を社是にかかげた読売である。末端で次元の低いレベルでの追従なら大いにありそうだ。

 すなわち、「新憲法制定議員同盟(中曽根康弘会長)」を立ち上げた幹部は、全国の9条の会が7000近くになったことに危機感をいだき、対抗する地方組織設立を急がなければならないという動機を語ったといわれる。

 そういった一環で、読売の販売店(組織)なら協力しそうだ、などと手をまわしたお節介やがいるに違いない。地方自治体の施設の使用、活動を妨害する動きも顕著になっているようだ。いずれにしろ、こういった言論封殺行動には全く正当性がないのだから、きちんと反撃した方がいい。

 ただし、新聞販売店にむりやり従わせる手はない。そんなら、こういった会話になるということだ。

主婦A ○○さんの講演会が近くであるんですってね。
主婦B アラ、どこで?。
主婦A 今朝の新聞のチラシ見なかった?。
主婦B 読売には入っていなかったわ。お宅何新聞?。
主婦A 朝日よ。
主婦C ウチ、神戸だけど入っていたよ。
主婦B あら、読売だけないの。なぜ?。不便ねえ、洗剤なんかいらないからウチも朝日か神戸にしようかしら。

(追記)5月に国分寺市のマンションで、共産党市議の議会報告を郵便受けに投函、書類送検された件の被害届提出者は、同市の自民党市議でマンションの住民だそうです。(7/21「毎日」)

| | コメント (4) | トラックバック (1)

2008年5月14日 (水)

自衛権ということ

 憲法9条を考える上で、いつも自衛権という言葉が気にかかります。どこから考えたらいいのか、いつも迷ってしまいます。「自衛権は人間誰しもがもっている自然権だから国がそれを持っているのはあたりまえだ」という考えがあります。個人と国を一緒にしてしまうのは乱暴な話ですが、それはひとまずおいておきましょう。

 個人が持っている自然権というのは、正当防衛のことだと思います。いきなり乱暴されたりおそわれたりしてそれを防ぐのは当然です。そのため相手がけがをしたとしても、過剰防衛でない限りはしかたのないことです。それが武器を持つとどうでしょう。アメリカ人のピストルにしても日本の武士の刀にしても、正当防衛のため使われたということはむしろ少ないのではないでしょうか。

 次に先制攻撃の問題です。相手が明らかにおそってくることがわかっているばあい、先手をとって先に一発やってしまうのはどうでしょう。ピストルでも日本刀でも一瞬の早業で勝負がきまります。これは「自衛権」ではないですね。不意打ちではなく決闘の場面だからです。

 泥棒など悪漢をせぐため、防犯カメラを置き防犯ベルや二重鍵を設ける、これは攻撃兵器ではないが自衛のための当然な行為です。そういったことをを全くしない聖人君子もいるかも知れませんが、それならば何を盗ってもいいのだ、またそうすることが正しいのだとさえ思わせてしまいます。「泥棒にも3分の理」というわけですね。

 こういった悪漢をふやす手助けになるようなことはことは、やはり避けなければなりません。むかし再軍備の議論があったとき「戸締まり論」というのがありました。これにも、国と個人を一緒にした暴論という批判がありました。

 しかし残念ながら、ニセ情報で弱小国に攻め込んだり、核を公然と脅迫の材料にする国が現存します。軍縮も思うに任せません。過去には自衛の努力をせず、強大国の保護をあてにして国が滅んだ例もあります。戸締まりは必要ないとはいえません。

 また、悪漢の家まで押し掛けていき、そこに居座って見張ることまで自衛といえるでしょうか。どんな家でも武器をもった他人があがりこみ、「守ってやるから」といって居座られ「飯ぐらいはだせ」と言われたらどうでしょう。だれだっていい気がしませんね。一刻も早く出ていってほしいと思うのが人情でしょう。

 その気はなかったのに、すっかりたとえ話になってしまいました。別にアメリカのことをいっているのではありません。日本が出ていっても同じことになります。おせっかいをやいて大失敗した過去の経験を無にしないことが大切なのではないでしょうか。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2008年5月13日 (火)

護憲的改憲論にひそむ危険

 「護憲的改憲論」、あるジャーナリストが使っていた言葉だ。わがブログもなにかそれに入りそうだが、まず憲法に対するいろいろな姿勢を私なりに分類してみた。

 1.占領下に押しつけられた憲法だから自主憲法を作り、自衛隊を正規軍として認める。(自民党のほとんどと民主党の極右)
 2.自衛隊の存在を憲法上認知する(自民党および民主党の過半)
 3.9条をそのままとし、時代の変化等で必要になった事項を付け加える。(加憲論=主に公明党)
 4.憲法に不具合なところはない。自衛隊は段階的に縮小する。(主に社民党、共産党)

 ここで言えば2.と3.だ。私も9条を守るという前提で、漠然とそう考えていた。しかし、安倍改憲指向内閣の崩壊、海自のインド洋給油活動の継続や自・民で恒久法の実現ををさぐる動きなどの中から、第5の考えを抱くに至った。それはすでに申し上げたことがあるが、9条に次の第3項を加えるほかは全く手つかずでいいということだ。

 ③公務員は、法律に定めがある場合をのぞき、武器を携行し、または利用して外国または日本国領土以外の地域で行動してはならない。

 なぜそうなるかを説明したい。現行憲法は、前文、第1章 天皇、第2章 戦争放棄、第3章 国民の権利と義務、第4章 国会、第5章 内閣、第6章 司法、第7章 財政、第9章 改正、第10章 最高法規、第11章 補足となっている。明治憲法もほぼ同じ構成だ。

 これをさらに整理すると、前文から第2章までが、日本のアイデンティティおよび国民統合の象徴としての憲法理念をうたっている部分だ。それが主権在民であり、天皇であり、平和であるという密接不可分の関係にある。その次から憲法の中味に入っていき、最も重要な部分である「国民の権利義務」、三権分立の「立法」「行政」「司法」といった国家の機関、7章以下は、手続きと補足で、大きく言って3つのブロックから成り立っている。

 自民党の改憲案を見てみよう。第2章を「安全保障」と題を変え、第1項の戦争放棄条文を残したまま、それとは全く異質の「自衛軍」条項を盛り込んだ。そのため、最初の憲法理念はずたずたになり、国民の権利義務など、最も基本的な条項の前に自衛軍の任務や行動規範をもってくるなど、法文としての体裁が全く狂ってきた。

 かりに、後ろの方の章に持ってくるにしても、憲法には他省の所管業務である警察や海上保安庁や消防などの組織について触れている部分などない。新憲法を作るといいながら、現憲法をいじくり回したあげくの奇怪な案が自民党案だ。

 民主党の方も、小沢理論により、国連の決議があれば自衛隊の海外派遣をする、そのためには現9条1、2項のあとに3項を付け足して、などという案が聞こえてくる。これも上と同じような矛盾を抱え込む危険があり、依然として解釈改憲に道をひらく可能性も残している。

 国連は見ての通り、いつも公正公平な神の決断を下すわけではない。またそれが我が国の国益や憲法の精神に合致するとは限らない。国際情勢や国際環境はこれからも激変する可能性がある。そのような予見不能なことを憲法にうたっておく必要はない。より改廃しやすい一般法にゆだねる方が現実的だ。

 9条により厳密なしばりを加えて、自衛隊は専守防衛に徹すること、その上で、国際貢献などに武力行使あるいは武力による威圧を排除して何かできるかを検討する、というけじめを明確にしておくことが必要だ。それには、憲法違反状態をつくりだした日米安保の運用方針を改めることからはじめなくてはならない。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2008年5月 3日 (土)

憲法記念日の新聞

 いつもは、社説チェックを中央3紙、広げても日経・産経、ブロック紙(道新・中日・西日本)どまりだが、今回は有力県紙まで拾い読みした。県紙にはごくわずかだが憲法にふれていない紙があり、もう午前を回ろうとしている時間だが昨日の分までしかネットに載っていないところもある。

 各紙に共通するのは、去年にくらべて議論が低調だということに加え、先月17日に名古屋高裁がイラク派遣で9条問題で判断を下したことを、肯定的に触れているものが多かった。さらに、所得格差・ワーキングプアーといった憲法第25条、生存権関係、それに立川反戦ビラ判決、プリンスホテルのサービス拒否や映画・靖国上映自粛といった、表現や言論の自由の軽視に関する懸念を示す論説も目立った。

 そういったことにはあまり触れず、現在の国会の衆参ねじれ減少に特化し、参院制度の見直しを主張するのが読売新聞である。これと似た社説を展開したのは、見た限りでは北国新聞(石川県)だけだった。産経新聞は、相変わらず中国と北朝鮮の軍事的危機感をあおり、建軍改憲一本槍だ。

 おまけに、先ほど起きたイエメン沖の海賊によるタンカー被弾事件まで持ち出し、「9条があるからこうなる」などという論法まで展開する。海賊の取り締まりは海上保安庁の仕事で、軍隊を出動させ海賊と戦争をする国がどこにあるだろうか。国民の中で護憲派がふえたことに、よほどいらだっているのか、見当はずれの意見としかいいようがない。

 ちなみに、産経のような社説を掲げた一般紙は、さすがにひとつも見かけなかった。戦前から気骨のある新聞として知られる信濃毎日は、昨日、今日、明日の上・中・下の三部作で憲法に関する社説を載せる。自前の社説すら書けない県紙がある中で「さすがは」である。

 最後に、ブログなどネット世論にふれた新潟日報と、護憲を真剣に考えるとどうしてもこういった考えに至る例として沖縄タイムス社説を部分的に紹介しておこう。 
 
●新潟日報
ネットの一部では自主規制の反動のように、内向きで陰湿な感情がむき出しである。生身の人間同士のような気遣いや責任感はない。特定の個人や団体を標的に中傷や悪口が殺到する。
 ネットは、法律が及ばない聖域のようだ。そのため政治の側が有害サイト規制に乗り出す動きもある。表現の自由は他人を傷付けたり、おとしめたりすることまで保障するものではないことを自覚すべきだ。

●沖縄タイムス
護憲という言葉に付着する古びたイメージを払拭するには、護憲自体の自己改革が必要である。九条を国際公共財として位置づけ、非軍事分野の役割を積極的に担っていくことが重要だ。

| | コメント (3) | トラックバック (8)

2008年4月18日 (金)

落書き帳

 名古屋高裁、空自イラク派遣判決にあたって手抜きエントリーです!。
 トラックバックいただいた「王様の耳はロバの耳」さまの軽妙なフレーズから一部を拝借しました。事後承諾お願い!。

☆社説の評価まっ二つ。重く受け止める派【朝・毎・有力各地方紙】、傍論(軽く見る)派または暴論派【読・産経】

★命がけで仕事をする自衛隊員がかわいそう。「憲法違反とまで言われたけど、今日晴れて出発の日を」【インド洋に再出発する日の自衛官挨拶】

☆名古屋高裁の言い放し、国の聞き流し。【王様の耳はロバの耳】

★青山裁判長が3月末で依願退職したのはその辺りの「圧力」を回避するため……。【王様の耳はロバの耳】

☆小泉元総理のブッシュに対する義理は済みました。「一寸 タイム」と言って一息入れるのは知恵ある行動。【王様の耳はロバの耳】

★負けた方が泣いて喜び、勝った方は悔しさかみしめ。【テレビ採録画面】

☆「だから言ったでしょ、早く憲法を変えとかなくっちゃって」(それなら、名古屋の判決は正しい?)「そう、……そういったことになりますね」【安倍元総理=勝手想像】

★人ごとのようなつめたい、つれないお言葉。「それは日本が決めることです」【アメリカの高官】

| | コメント (2) | トラックバック (6)

2008年4月17日 (木)

空自イラク派遣は違憲

 今日17日、名古屋高裁は空自のイラク派遣について、慰謝料や差し止め請求は却下したものの、憲法9条1項に違反する旨の判断を示した。

 常識的に憲法を読み、常識的に現状を考えれば当たり前のことなのに、政治も司法もこの判断を避けてきた。

それだけに画期的で意義深い判断だ。しかし、各裁判所が同じ判断をするとは限らない。

 政治家がこれにどういう反応をするか、これからしっかりと見届け、9条を日の当たるところへ出さなければならない。

 法的な解釈などは「津久井進の弁護士ノート」を参照されたい。

| | コメント (2) | トラックバック (5)

2008年3月19日 (水)

プラグ&プレー

 書斎の主にもたまには写真を↓。USBプラグ4個は、12008_03190002カ所デジカメ用に空けてあるが、残り3カ所は使い勝手のよさから、このようにキーボード、マウス、プリンターにつなぎっぱなしである。このようなことを“Plug and play”というらしい。

 そして軍隊用語にもなっているようだ。Rim Peace のウエブサイト「追跡!在日米軍」の引用を、前田哲男『自衛隊変容のゆくえ』から紹介させていただく。

    米太平洋艦隊のホームページに、秋田に
        入港直前の駆逐艦ステゼムから発進され
    たニュースが載っていた。“Stethem,
    JMSDF‘Plug and Play’with Abraham
     Lincoln”という題だった(引用者注・JMS
    DF=JapanMaritime Self-Defense Force、
    海上自衛隊のこと)。“Plug and Play”とは、
   「ややこしい調整をせずにすぐ実働状態に
   移れる」という意味だ。演習名はPASSEX
    (passing exercise)、日本近海で空母の
    護衛を行ったのはステゼムと海自の護衛
    艦「きりしま」「はたかぜ」「はるさめ」だっ
     たとのこと。まさに空母の作戦行動と一
     体となっ動きをしていたことがわかる。

 要するに海上自衛隊は、周辺機器扱いなのである。別にそうだからと言って怒ることではない。空母など主体的攻撃戦力を持たないから、付属品としての役割を背負わされているだけのことである。問題は、軍事作戦上不可分一体の行動にならざるを得ない、ということである。

 インド洋での給油はたびたびTVの画像に映し出された通り、そのままプラグ&プレーの図柄だ。給油された軍艦が対イラクやイラン作戦であるとかないとかという議論は、やはりナンセンスだと言わざるを得ない。実戦がないから、訓練だからといって見過ごすわけにはいかない。いつ憲法違反が起きても不思議がないような実態を、もっと明らかにする必要がある。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2008年2月26日 (火)

あたご事件と2.26

 昨日ゴーストップ事件をとりあげ、「その後の軍専横を許すきっかけを作った」という結末を書いた。昭和11年(1936)の今日は、2.26事件の起きた日である。結果として軍の横暴をより決定的なものにしたのがこの事件であったことも、定説化している。

 本記事の前に、おわびしておきたいことがある。昨日の記事で、自衛隊員のプライド問題をとりあげたことなどて「怒りの主婦」さまから、「あたご乗員などの傲慢は決して許せない」という趣旨のコメントをいただいた。

 プライドを保つために免責すべき、などとは一言も書いていないが、憲法と日米同盟の「ねじれ」を追求するのに急で、そのように取られかねない文章となったことをお詫びし、この記事をもって訂正しておきたい。

 2.26事件を総括してみよう。
①反乱軍を指揮した青年将校は、周到な準備と真崎前教育総監など一部の軍幹部の支持を得て、君側の奸をのぞき国体を護持する、という趣旨をかかげて決起した。
②報告を受けた陸軍大臣の告示も、趣旨には賛成で天皇に伝えた、という日和見な態度だった。
③天皇は、その行為に怒り、自分が指揮してでも鎮圧するという態度を示した。軍幹部も不法行為と認め懐柔した。
④軍法会議で、実行部隊指揮者の尉官クラス17名と右翼2名に死刑にし、首謀者といってもいい真崎は無罪になった。
⑤その後、軍部は事件の責任を政財界に押しつけるような態度に終始して反省がなく、またマスコミ、国民の中にも青年将校に対する同情があり、軍を正面から糾弾する勇気に欠けた。

 いかに純真で、憂国の情があろうとも、法を犯したり自分たちの判断で「暴力装置」を勝手に使うことは許されない。どんな些細なことでも厳罰に処すべきである。なぜならば、先の大戦までの軍の勝手な行動のつみかさねを不問に付したことが、日本を滅亡の危機におとしいれた元凶だからである。

 あたご自衛官の傲慢な行動、守屋前次官の汚職、秘密漏洩、文書破棄、それに佐藤元イラク派遣隊長の違法発言、そういった一連の現象は、文民支配の原則軽視、さらに憲法擁護義務の軽視にもつながってくる。自衛隊員のプライドは、それらに裏打ちされたものでなければならない。

 こういった現象を生み出した根本原因が、安倍内閣までの思慮を欠いた右傾化、そして憲法の軽視にあるといってもいいだろう。決して石破大臣ひとりの首で解決する問題ではない。

| | コメント (2) | トラックバック (3)

2008年1月31日 (木)

やはり政治だっ!!

 最初は題を「拝啓自衛隊員殿」としよう思った。このまえ、横須賀から洋上給油のため海上自衛隊員出発するセレモニーのTV映像を見ていたら、よく聞き取れなかったが「憲法違反という声がある中……」というような、うわずった声の自衛官の答辞をマイクが拾っていた。

 今のガソリン税問題にしてもそうだが、日本の安全保障についての本格的な国会論議がないまま、テロ新法が成立した。そうした中で、いわゆる「国際貢献としての軍事行動継続」について、現場の自衛隊員はどう感じているのだろうかということが気になっていた。

 現場は違うが、かつてイラクのサマーワで勤務した佐藤正久隊長が、昨年8月参院議員に当選した際の発言が問題になったことがある(下記注参照)。これも社民党福島党首がとりあげて質問したが、議論が深まるでもなく、適当にかわされてしまった。

 『軍事研究』としう雑誌がある。この2月号に防衛問題研究家・賀谷眞悟という人の「海外派遣部隊の苦悩 もし戦わば」という論述があり、一読した。賀谷氏に関する知識はないが、自衛隊制服組出身者と思われ、かなりの部分で現今の隊員の心情代弁しているものと察せられる。

 その内容は想像以上に過激で、仮に日本国民がこういった自衛隊員を抱えこんでいるとすると、戦前の2.26事件前の日本を彷彿とさせるような危険な状態を感じさせるものさえある。それは佐藤正久隊長と同様、制服組の憲法軽視、法の無視といった傾向である。

 筆者は自衛隊を「軍隊」ととらえており(外見的にはそのとおりだが)、米軍との共同作戦、共同訓練や海外の多国籍軍などとの交流の中で、自衛隊が「軍隊」の常識からかけはなれており、外国の軍隊なみの機能を果たせないことについて力説している。

 筆者の視点に立てば、その内容は正論であろう。ただし、文民統制を軽んじたり専守防衛を否認するなど、国民の視点とは相容れない内容を、町の本屋で売っているような雑誌で公言することについては、大いに問題視しなければならない。

 このような見解を堂々と述べるようになつた下地は、やはり小泉・安倍路線を支えた和製ネオコン支配と、安倍内閣の改憲促進路線にあったといえるだろう。これには、筆者の指摘にもあるように、政治家の軍事に関する不勉強が、自衛隊員のストレスを高めているという面がある。

 しかし、その前に日本国憲法をないがしろにするような発言がまかり通る現状に問題がある。その一半の責任は、国の安全と自衛隊について、国民的立場に立った視点を示せない野党にもある。自衛隊員は、日米同盟という檻の中で、すべての軍事知識を米軍に仰ぐしかないのだ。以下は、同論の雰囲気を知っていただく意味で引用した。詳細は同誌によっていただきたい。(太字は管理人による)

     九八年北朝鮮のミサイル発射事件は我
       が国にとって、国民や政治家を覚醒させる
   意味で逆説的に言えば格好の事案であっ
   た。この一点においてではあるが「よくぞ撃
   ってくれた」
と言わねばなるまい。(中略)
    平成一七年三月号本誌において、専守防
   衛の誤謬、BMD整備よりも先に対地攻撃ミ
   サイルの研究開発、装備の必要性について
   小論を述べた、さらに戦略や軍令等に関す
   る分野は国会において軍人たる幹部自衛
   官が説明や答弁する仕組みにすべきであ
   ると述べた(中略)
    先の北朝鮮のミサイル発射事案がなけれ
   ば、また何年も議論も無く、研究の必要性さ
   えも取り上げられなかったかもしれない。
   正日将軍閣下には重ね重ねお礼を申し上
   げておこう。

   (前略)現状は一般市民でも保有している正
   当防衛・緊急避難等の原則でしか行動でき
   ない。自衛隊の部隊はこの種任務の場合、
   敵襲、攻撃された際に任務遂行のため生存
   しなければならないが、そのために部隊とし
   て武力の行使はできないのか?。
    シビリアンコントロールが原則の民主主
   義国家日本はいつまでこのようなことを
   放置しているのか
?国家の基本的な政治
   の怠慢である。(中略)そもそも、後方支援
   であろうとなかろうと、部隊が任務遂行上、
   敵に遭遇した際には、武力の行使が伴
   うものである。これは軍事組織の常識で
   ある

   (前略)今、政府の責務としてなさねばなら
   ないことは、武力行使を国際貢献の場合
   でも認めることである
。憲法がこれを認め
   ていないという解釈なら憲法を変える必然
   性がある。

    自衛隊には我が国防衛だけでなく、国際
   貢献の任務が正規の任務
として与えられ
   た。

 以上抜き書きしたように、現行憲法は守られるべきものではない、という考えと、自衛隊法や防衛省設置法案の改正点を憲法より上位に置き、シビリアンコントロールを軽視しようとする点など、アメリカですら考えられないような暴論が散りばめられている。

 安倍首相時代によく口にされた、アメリカと価値観を同じくするという「価値観」には、「法の支配」が入っている。日本の憲法を軽視する自衛官は、すでにその点で日本の自衛官ではない。もう一度いう。このような事態を招き容認してきた安倍前首相の責任は重い。同時にこれを座視してきた野党は、この風潮をどう是正するのか、ただちに緊急の課題としてほしい。

(注)佐藤正久発言
2007年8月、佐藤はJNNの取材に対して、以下のとおり発言した。この発言は、2007年8月10日付のTBS系列ニュース番組で放映された。

「自衛隊とオランダ軍が近くの地域で活動していたら、何らかの対応をやらなかったら、自衛隊に対する批判というものは、ものすごく出ると思います。」

また佐藤は、もしオランダ軍が攻撃を受ければ、「情報収集の名目で現場に駆けつけ、あえて巻き込まれる」という状況を作り出すことで、憲法に違反しない形で警護するつもりだった、として、続けて次のとおり発言した。

「巻き込まれない限りは正当防衛・緊急避難の状況は作れませんから。目の前で苦しんでいる仲間がいる。普通に考えて手をさしのべるべきだという時は(警護に)行ったと思うんですけどね。その代わり、日本の法律で裁かれるのであれば喜んで裁かれてやろうと。」

以上Wikipediaより
 

| | コメント (14) | トラックバック (7)

2008年1月23日 (水)

憲法改正と恒久法

 自民党、民主党が自衛隊の海外派遣についての恒久法制定に積極的になっている。平和を旗印とする創価学会の意向が強く、改憲や恒久法制定に消極的であった公明党も、この流れに乗り遅れないよう検討を開始するようだ。

 公明党はともかく、自衛軍創設を念頭に置く自民、国連至上主義で自衛隊海外派遣に道を開こうとする民主、いずれも現行の自衛隊を合憲とみなし、さらに、恒久法をてこにして拡張解釈を既成事実化しようとする動きであるとすれば、大変危険である。

 去年の参院選の結果と、改憲積極派を集めた安倍内閣瓦解で、改憲の機運が遠のいたものの、その手続きを経ない実質改憲が議員の過半数で進められる危険性に、9条擁護派がどれほど気づいているだろうか。社共はもとより、たとえ、公明党が全員反対しても阻止することはできないのだ。

 昨年秋まで続いた安倍首相の「集団的自衛権合憲解釈」への策動は、民主党内にも同調者がいる。それを封じるために、どうしても憲法上の歯止めが必要である。そこで、「ごまめの歯ぎしり」ながら、議員に踏み絵を迫る意味を持つ次の改憲案を提唱する。ご賛同の方、ご意見のある方はどうか声を上げていただきたい。

日本国憲法 第2章 戦争放棄 第9条に追加
 
③公務員は法律に定めがある場合をのぞき、武器を携行しまたは利用して外国または日本国領土以外の地域で行動してはならない。

| | コメント (2) | トラックバック (4)

2007年12月21日 (金)

蘆溝橋と民主党案

 北京の近くに、日中戦争の発火点となった有名な橋、蘆溝橋がある。夜間演習中の日本軍に何者かが銃弾を撃ち込んだのがもとで、天皇の反対にもかかわらず戦線拡大の方向に進んだ。そのことは誰でも知っているが、なぜ日本軍がそんなところにいたのかはあまり知られていない。

 それには37年前、明治33年(1900)の北清事変まで時計の針を戻さなければならない。義和団と称する宗教組織が土民(窮乏した一般民衆)を結集し、「西教排斥・扶清仇教(清を助け邪教をこらす)」というスローガンで暴動をおこした。

 清国に治安維持能力がないため、北京、天津にいる各国の居留民はみな殺しにされるという風説が立った。そのため、日・英・露・独などが連合軍をつくり居留民保護を名目に上陸した。ところが、清国はやがて義和団を応援するようになり苦戦する。援軍の間に合わない各国はあわてた。

 そこで、現場に一番近い日本が各国の了承をとり、1個師団を向けて勇猛果敢にこれを鎮圧した。『小村外交史』にはこうある。「その鎮圧に際して最も強力な先鋒となり、更に最も忠実に列強の方針に随従することによって、日本ははじめて列国と対等の立場を獲得し世界の舞台に登場するに到り、愈々極東の憲兵としての実力を買われたのである」

 このときの清国との講和条件として、北京と海岸線を結ぶ鉄道沿線のいくつかの地点に軍が駐留する権利を得たのだが、その始まりである。しかし兵数の決めもなく、その地点に蘆溝橋は含まれていないのに演習をするなど、かなりわがもの顔でふるまっていたことは覆えない。

 治安維持を目的に、国際的手続きにのっとって有志国の一員として合法的に国際貢献を果たした。それで国際的地位を高めたが、反面、その後の内政干渉や満州国独立で中国の反日感情を決定的にした。外国の土地に軍隊が駐留している、というだけで何が起こるか。

 民主党がテロ対策の対案をだすという。本塾は以前から「対案はいらない」という主張をしてきたし、同党内にも慎重意見があったと聞いていた。今日の各紙によると、ここへ来て急遽(どろ縄式まがいの)法案をだすことになったらしい。多分、小沢代表の指示によるものだろう。

 同法案の中身は不明なので、まだ逐条検討はできない(末尾「追記」参照)。また、要旨も各紙で微妙に違うが、産経紙では「復興支援のために、自衛隊や文民をアフガン本土へ派遣し、武装解除や医療、物資の輸送、配布に従事する。自衛隊部隊に、活動への抵抗を抑止するため武器使用も認める。自衛隊派遣は国連決議を前提とし、派遣の基本計画は国会の事前承認を義務付ける」としている。

 また、これまで発表された同党の政策要項や、小沢氏が雑誌『世界』11月号で発表した「今こそ国際安全保障の原則確率を」などを見る限り、国連憲章や憲法解釈の合理的整合性と現状認識にそぐわない、つまり批判に耐えられないものである可能性が強い。

 もとより、本塾はアフガンであろうがどこであろうが復興支援、人道支援などに、たとえ血を流そうが汗を流そうが、国際的な協力は必要だと思う。問題は、その国の国民から「日本が軍隊を派遣してきた」と認識される点である。

 たとえ目的が何であれ、「暴力的権力」を持つ軍隊には来てほしくないというのが本音だろう。たとえその国の政府から要請があったにしろ、外国軍隊の存在が国内抗争の激化につながったり、民族の尊厳(たとえば異教徒に支配されるなど)にも関わりが生ずる。 

 民主党は、全段に書いた歴史の教訓を反芻してほしい。義和団がアルカイダ、暴動がテロ、日英露独が国連、居留民保護が治安回復などといっているのではない。駐留部隊に佐藤正久隊長のような人がいたり、防衛省次官が政府・議会の目の届かないところでやりたい放題ののことをやっているようでは、蘆溝橋が遠い昔のことといえないといいたいのだ。

追記

民主党公式ホームページで「民主党テロ根絶法案」を閲覧できるようになりました。またこれについて早速、飯大蔵さんが論評されています。是非参考にしてください。なお、このブログの内容を変更する必要はないものと思います。

| | コメント (2) | トラックバック (6)

2007年12月20日 (木)

小学生の検索1位「戦争」

 アクセス解析を見ていたら、小学生用のトップページ、キッズgooというのを発見しました。子供をネット被害から守ろう、という趣旨もあるようですが、そこから当塾の「戦争とは」というタイトルにヒットしたわけです。

 この中にある情報で、「戦争」がここ2週連続で検索語の第1位になっていることがわかりました。どのような運用方針になってるのかわかりませんが、戦争を美化したりあおったりするページに行かないとも限りません。

 これまで、高校卒なら理解できるような文面を心がけてきましたが、改憲発議が今の小学生が選挙権を得るころになるかも知れません。この「塾」もときどき小学生コースを設けなければという思いを痛感したわけです。

 また、このブログを訪問してくださる皆様にも、なにかいい知恵を考えていただき、協力していただければ効果もあがると思います。

 このページhttp://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2008/08/post_d53a.html

にヒントがあります。クリックしてください。

| | コメント (4) | トラックバック (6)

2007年11月27日 (火)

政局皮算用

 衆院全小選挙区への候補者擁立を目標にしていた共産党が、得票率8%以下でその都道府県に1人も立候補者がいなくなる場合をのぞき、空白区を置いてもいいという方針に変えるようだ。そうなったら共産党票が民主党に行く可能性が高く、毎日新聞(11/26)は、反自公勢力が過半数をとれるかどうか次のような試算をしている。

①共産票が全部民主党に行った場合
 民主255+共社日15=270=過半数240+30
②共産票の半分が民主党に行った場合
 民主238+共社日15=253=過半数240+13
③共産票が民主に行かない場合
 民主221+共社日15=236=過半数240-4

 ただしこれは、民主党圧勝の前回参院選の各党得票率を算定の材料にしており、03年、05年の衆院選データを使った場合には、最善のケースでも過半数には達しない。まさに「皮算用」となる可能性大と言わざるを得ない。しかしまた、結果として絶無のケースであるとも言えない。

 共産党支持者の投票行動を考えた場合、反自公意識が強い一方政策意識も高いので、民社党候補の中から改憲積極派、消費税増税派などを見極めて選別するに違いない。そのため、よくても上記②だろう。民・共の政策協定は考えられず、民主の選挙公約や戦い方次第では、過半数スレスレでも「善戦」ということになる。

 さてそうなった場合の政局である。各党猛烈な多数派工作で何が起こるかわからない。不気味なのが公明党である。参院選に続いて自党議員を減らすとか、自民の減退傾向止まらずと見れば、連立維持にこれまで以上の注文をつけるだろう。

 自民内には、それに反発する勢力が顕在化したり、冷やめし組が新党旗揚げの機会と見るかも知れない。民主党内でも、共産党などとの妥協を快く思わない不満分子がそれに同調することもあり得る。そうなると、政界再編の戦国時代を迎えることになる。
 
 皮算用に憶測を加え、政治評論家のようなことを言ってしまったが、私が気になるのは国会の「ねじれ現象」ではなく、自民、民主両党の中にある「ねじれ現象」である。私は今年の参院選を「護憲派の勝利」と見ていない。結果として改憲は遠のいたように見えるが、実は9条擁護議員はふえていないのだ。

 そういった意味で、これからの国会、政治の動きには、細心の注意を向けていきたいと思っている。

| | コメント (0) | トラックバック (5)

2007年11月14日 (水)

ガンダム

 防衛省が人気アニメ「機動戦士ガンダム」の装備をモデルに、自衛隊員が陸上戦闘で装備する“未来”のシステムを研究しているという(毎日新聞)。ハイテクはいいが、新聞報道で見る感じではなんともグロテスクな感じだ。Photo

 「国際協力」「国連決議」「復興支援」「治安維持」「民生援助」などなどいろいろいうが、こんな格好で自衛隊が、たとえばアフガニスタンに派遣されたら現地人はどう思うだろう。現在、アフガンにしろイラクにしろ、正直、外国軍隊に来てもらいたくないのだ。

 もし、当該国の要請に基づいて自衛隊を派遣するなら、迷彩服などミリタリールックは一切やめて、派遣国の民衆や子供にも親しまれるよう明るくて目立つ、消防のレスキュー隊のようなものをデザイナーに研究してもらうべきだ。

 装備も、強盗に襲われない程度の最低限の防具か携帯用火器に限ることとし、車両は防弾仕様であっても戦車まがいのものは持たない、塗装もパトカーや国連車のように白基調にするとか、消防車のような目立つ色がいい。

 それで武装勢力に襲われ、犠牲者が出たとすれば、それは甘んじて受けなければならない。そのような紛争国へ自衛隊を派遣したのが、そもそも憲法の精神に反しているからである。命が惜しいから、血を流すのがいやだというのではない。すぐにでも撤退し、外交努力や問題解決の方策をさぐるべきである。

 これからも参院で国際協力論議が続く。その中で、どうしてこういう提案が政治家の中からでてこないのだろう。もっとも基本的なことだと、私は思うのだが。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2007年11月 2日 (金)

恒久法は危険だ

 福田首相と小沢民主党代表の会談実現により、自衛隊の海外派遣を規定する「国際平和協力法」といった、時限立法ではない恒久立法を、両党で検討立案するという動きが出始めた。これは、国際平和活動のあり方について、各国の考え方がこのところ流動的であるということと、国内の議論が成熟していないということから、現時点での法制化は反対である。

 私はかねてから、憲法9条(第2章)はそのまま温存し、自衛隊による拡張解釈(解釈改憲)をふせぐため、章をあらためて自衛隊の役割と任務を定める改憲を主張していた。その限りにおいては、自衛隊が海外で国際貢献をする場合の歯止めとなるルールをしっかり決めておくことに反対の理由がない。

 ただ、自民党の頭の中には、小泉政権下の昨年8月30日に起草した「国際平和協力法案」というベースがある。これは、有事法制3法案にはじまり、自衛隊法改正案、防衛省設置法案とつなげてきた、自民党の憲法9条の改正案、つまり戦争のできる軍隊を公認しようという構想の一里塚をなすものである。

 安倍前首相は、官房長官時代からこの路線をひた走ってきた。それが参院選でストップがかかり、公明党の抵抗もあるのでもと通りにはいかないだろうが、民主党内には小沢流の国連信奉主義や自民党以上の軍国主義者もいることから、油断ができない。

 両党が総選挙も視野に入れて、テロ特措法の落としどころにこの法案を考えているとすれば、物のはずみで共同提案されないとも限らない。つまり究極の「解釈改憲法案」だ。この動きはアメリカにとって洋上給油に代えられない贈り物となるだろう。

 わが国の真の国際貢献、つまり宗教対立や民族対立などの地域紛争解消への寄与、社会基盤、医療、環境問題に関する支援、核を含む軍縮、武器輸出の制限などに効果ある貢献をするのか、軍事力行使優先・拡大に寄与するのかを国民が選ばなくてはならない局面にさしかかている。

 この法案は3分の2ではなく、過半数で決められてしまう。よほど腰を据えてこの法案の行方を監視しないととり返しのつかないことになりかねない。安倍退陣を機に「反戦老年委員会」を解散した当ブログだが、ここて改めて警鐘をならしたい。

| | コメント (2) | トラックバック (5)

2007年10月31日 (水)

なにが憲法違反か

 地元の「9条の会」の活動記録の中に、「洋上給油がどうして憲法違反なのか」ということをわかりやすく説明しにくい、という活動家の声がありました。そこで当塾なりの答えをして見ました。ずばりいえば戦争や武力行使を目的として、自衛隊が海外に行くことはすべて憲法違反です。

 アメリカのアフガン侵攻は明らかに武力行使です。従ってこの目的で活動する艦船に給油することは疑問がありますが、後方支援(間接的なお手伝い)ならばいいという解釈がありました。また、日米同盟があるのだから、9.11のテロに対する自衛権発動でアフガン攻撃をはじめたアメリカに、この程度のお手伝いをするのは当然だという発想もあります。

 ここで問題が3つあります。最初は、アメリカの侵攻が国連決議を経ていないことです。国連はあらゆる武力行使を禁止しています。唯一の例外として、緊急事態がおきて国連による問題解決まで待てない場合、その間の自衛のための武力行使は認めています。しかしこれはもう賞味期間切れですね。

 2番目は、日本がアメリカに手伝う根拠です。日米同盟は軍事同盟ですから一方の自衛にもう一方も協力する、これを「集団的自衛権」といい国連憲章でも認めています。しかし日本政府は、権利そのものはあっても、憲法上それを行使することはできない、という立場をとってきました。

 安倍前首相は、これを緩和変更しようとして準備しましたが、内閣が変わって立ち消えになりました。しかし、憲法改正をせずにいわゆる解釈改憲で他国並みの軍隊に仕立てようという勢力は、まだまだ健在です。

 最後は「後方支援」です。洋上給油などの場合、これが戦争協力に当たらないとする解釈は相当無理があるようです。いわば弾運びをしているのとあまり変わらないということです。アメリカの敵から見て「日本も敵だ」と思われるようなら、明らかに戦争に参加していることになるでしょう。

 以上が民主党などがいう違憲性ですが、国連はその後もいろいろな決議をだしており、その決議も国によって微妙に解釈が違うとか、必ずしも忠実に守られていないとか、なかなか一筋縄ではいかない面がたくさんあります。

 また、小沢民主党代表がアフガンのISAF(国際治安支援部隊)への参加ならいい、といっていますが、自民党からは「それこそもっとひどい憲法違反」という声がでるなど、政治家の議論も混乱気味です。しかし、今こそ地についた本格的な議論をしてほしいですね。

 今回はこれ以上深く立ち入ることはしませんが、その国の人にたとえ一部でも他国軍の進駐を好まず、重装備がなければいけないような所に自衛隊は行くべきではないと思います。それが日本国憲法だと思います。本当の国際貢献は、紛争が起きないようにすること、紛争の解決に協力することで、武力行使に協力することではないはずです。 
 

| | コメント (0) | トラックバック (6)

2007年10月14日 (日)

小沢主義の変遷

 5日前のエントリー「小沢原理主義」で、小沢さんは15年前と変わっていない、といいました。ところが文献をよく見ると、国連信奉の精神は同じでも、中身が微妙に変わってきているのです。

 たとえば下の文献1では、国連憲章43条にスポットを当てていますが、この条文は国連への兵力提供などのための特別協定手続きを定めたもので、国連軍への参加に言及したものです。この提言は、社共の反対はもとより、自、民内も賛否両論で、「勇み足」提言とも評されていました(奥宮正武『PKOと憲法』PHP、下の引用も同じ)。

 文献2は、昨年民主党代表として書かれたもので、『日本改造計画』以来13年ぶりの意志表明です。ここでは、さすがに国連軍を非現実的なものとしていますが、彼がいう国連「御親兵説」も、ひとりよがりの絵に描いた餅、以上ではないと思います。

 文献3は、『世界』11月号(文献4)でも言及(2カ月余の党内議論の末決定)している同党の既定方針だといいますが、文献1または文献2の延長線上にあるものだと思っていました。だから、同党の菅さんは「原理主義」だといい、野田さんや前原さんも別の立場から賛成できないでいるのではないでしょうか。

 文献4は、具体的に現実に存在し、犠牲者の増大などから参加各国がその活動に疑問を持ち始めているISAFへの参加に踏みこんだ問題発言で、これまでの各発言とは違った波紋を各方面に投げかけました。これにより自民党首脳陣が憲法擁護発言をするようになったことが、怪我の功名かも知れません。

 その論理が独善的で普遍性をもたないのは、党内はもとより国民に対する説明もしてないことによるものです。私が出した個人的な質問を無視してもいいです。しかし、これから議会で審議中の「テロ対策特措法」にも関連する参院第一党の代表の真意が明らかにならないというのは、政権交代の意図を捨てたと見られても仕方がないのではないでしょうか。

文献11992年(平成4)「国際社会における日本の役割に関する特別委員会」(通称小沢調査会)による「安全保障に関する日本の果たすべき役割」
 ①日本が協力しやすいのは、武器輸出の厳格な管理と武器製造の抑制であり、まず日本自身が武器輸出の原則的禁止を貫くとともに、他の武器輸出国にも呼びかけるべきである。
 ②1日も早く自衛隊を含めて平和維持活動に参加できるよう準備を整えなければならない。
 ③国連におけるわが国の地位の強化と国連自身の体制強化をはかるべきである。
 ④国連軍に対して、積極的な助力さらには参加を検討する必要がある。憲法全文の精神を実現させるために、国連憲章第43条の既定を誠実に履行する必要があるからである。現在の政府の憲法第9条の解釈においては、自衛以外の実力行使、集団的自衛権に基づく実力行使は認められていない。しかし、集団的自衛権とは別概念、すなわち国連が国際社会の平和秩序の維持のために、実力行使を含めた措置を担当する集団的安全保障(国際的安全保障)という概念に従えば、憲法第9条に関して新たな解釈を行うことにより、国連軍への参加は可能と考える。また、多国籍軍に対して、どのような協力を行うかも検討しておかなければならない。

文献22006年9月5日、小沢一郎著『小沢主義』
(前略)今の国連には残念ながら、平和のための実力行使を行う自前の警察力、軍事力がない。現在の国連の枠組みでは、国連が平和活動を行うときには各国からの軍隊がそれに参加することになっているわけだが、それではしょせん「借り物」にすぎない。
 国連が本当の機能を果たすためには、やはり常設の警察軍を自前で持つのが理想である。
 しかし、国連がみずから独自の警察軍を創設することは、今の世界情勢ではほぼ絶望的であろう。
 そこで僕がかねてから理想として提唱しているのが、日本が世界に先駆けて、国連にその力を提供するということである。
 (中略)といっても、現在の自衛隊をそのまま国連に差し出すのは内外から誤解を受ける恐れがある。だから自衛隊とはまったく別に国連専用の組織を編成し、これを提供するわけである。もちろん、その場合、その部隊は国連事務総長の指揮下に入る。(中略)自衛隊はあくまでも国家防衛に専念する、専守防衛の兵力としておけば、そうした摩擦はなくせる。

文献32006年12月民主党政権政策の基本方針抜粋
7.自衛権の行使は専守防衛に限定
 日本国憲法の理念に基づき、日本及び世界の平和を確保するために積極的な役割を果たす。自衛権は、これまでの個別的・集団的といった概念上の議論の経緯に拘泥せず、専守防衛の原則に基づき、わが国の平和と安全を直接的に脅かす急迫不正の侵害を受けた場合に限って、憲法第9条に則り、行使する。それ以外では武力を行使しない。
8.国連平和活動への積極参加
 国連は二度に亘る大戦の反省に基づき創設された人類の大いなる財産であり、これを中心に世界の平和を築いていかなければならない。
国連の平和活動は、国際社会における積極的な役割を求める憲法の理念に合致し、また主権国家の自衛権行使とは性格を異にしていることから、国連憲章第41条及び42条に拠るものも含めて、国連の要請に基づいて、わが国の主体的判断と民主的統制の下に、積極的に参加する。

文献4】「今こそ国際安全保障の原則確率を」『世界11月号
 (前略)私がアフガンのISAF(国際治安支援部隊)への参加の可能性を示唆していると書いていますが、私の主張はそんなあいまいな話ではありません。国連の決議でオーソライズされた国連の平和活動に日本が参加することは、ISAFであれ何であれ、何ら憲法に抵触しないと言っているのです。もちろん、具体的にどんな分野にどんな形でどれだけ参加するかは、その時の政府が政治判断をして決めることです。
(中略)もちろん、今日のアフガンについては、私が政権を取って外交・安保政策を決定する立場になれば、ISAFへの参加を実現したいと思っています。

| | コメント (5) | トラックバック (3)

2007年10月11日 (木)

続・小沢原理主義

 前々回のエントリーの補足です。小沢代表は昨年末に発表した「政権政策の基本方針」を以てアフガンのISAF参加が党の方針として決定済みだといっています(『世界』11月号)。また、党内にいろいろ異論のあることについて「党の方針に従えない人は出ていってほしい」とまで言っています。

 これは、かつての小泉首相以上の独裁者的な発言ではないでしょうか。民主党内の反対者は左右双方に及ぶと思います。国民の支持もうけておらず、このままかたくなな姿勢をつづければ、出て行かざるを得ないのは代表の方になるかも知れません。

 ご参考までに、私が昨年同党に宛てた下記の質問書の内容をご覧にいれます。なお、これは完全に黙殺され、「着いた、見た」という返事さえありませんでした。

【民主党への質問事項(06/12/22付)】
1.安倍首相は任期中に改憲を実現するといっています。「政権政策の基本方針」マグナカルタ(以下「同方針」という)を拝見する限り、選出参院議員の任期中は、第9条に関する改憲をしないと読みとれますが、それなら憲法問題が最大の争点になるはずなのに、明記されていないのはなぜですか。

2.憲法前文の「国際社会において、名誉ある地位」というのが国連憲章への協力を指すことは認めます。しかし国連憲章の精神は、ご高承のとおり、あくまでも平和の構築と維持であって、軍事力の行使ではありません。国連憲章第42条への積極参加が、名誉ある地位獲得であるという解釈は、憲法の曲解になりませんか。

3.現在の自衛隊は、専守防衛の装備と配置で構成されています。国連憲章第42条に参加するためには、実戦参加の装備と配置が必要になると思います。防衛省や自衛隊でこの双方が任務となると、外見的には現在以上に憲法9条を形骸化することになります。二重基準でなくする方法はありますか。

4.「我が国の主体的判断と民主的統制」というのは、具体的な基準を定める立法が必要だと思いますが、参院選までにその骨子を提示する意図はありますか。もしその構想があるなら教えてください。

 もう一つ付け足しておきます。小沢代表が主張するように、テロ対策特措法は、アメリカの自衛のための戦争に荷担することになり、集団的自衛権を行使できないわが国にとって違法なものである――という主張は、やぶへびになりませんか。

 仮に当時はそうであっても、その後この「不朽の自由作戦(OEF)」は、国連の1746決議(07/03/23)などで追認されていることから、小沢代表のいう「積極的参加」をしてもいいことになります。この主張が、与党の用意する新法にどう対抗できるのかさっぱりわかりません。

 昔あった1学説の法理論に固執し、世界情勢の変化を無視するするだけでは、参議院の数の力を誇示できたにしても、国民に対して納得のいく説明にはならないと思うのですが。

| | コメント (2) | トラックバック (9)

2007年10月 9日 (火)

小沢原理主義

 これは私の命名ではない。小沢民主党代表がアフガンのISAF(国際治安支援部隊)に参加する意思を表明したことについて、菅代表代行がTV番組で「原理主義」と感想を述べたことによる。そもそもは、雑誌『世界』11月号上に「公開書簡」という形で所見を述べたことに端を発している。

 民主党・小沢さん。惑わされてはいけません。国連教狂信者のようなチョット気になるところはあるけど、目をつぶりましょう。「憲法違反だ!!」でがんばってください。応援してます。

というのは、1週間前に「新語候補大賞」という題で書いた記事の最後のくだりである。そしてそのすぐあとに『世界』への投稿が報道された。これは由々しきことを言っているな、と思ったが報道内容だけで論評するわけにいかない。

 そこで発売日の今日、大枚780円をたたいて『世界』を買ってきた。全文を見て行間からなにか読みとれるものはないかと思ったからだ。しかしどうやら、それは無駄だった。「前言撤回」と言いたいところだ。

 「国連の平和活動は、たとえそれが武力の行使を含むものであっても、日本国憲法に抵触しない、というのが私の憲法解釈です」という信条を繰り返し、「私の主張はそんなあいまいな話ではありません」とISAF参加に踏み込んだ内容である。

 「私の解釈」「私の主張」という「私」が、安倍前首相の口ぐせ「私の内閣」を思い出させたが、全く逆の意味で、民主党のオーソライズを受けていないという意味か、選挙に勝っても首相にはならない、という意味かとも思った。ところが、昨年末に作った「政権政策の基本方針」で既定の方針だと、同文中できっぱり言い切っており、ここにきて同党の公式サイトのトップにもかかげている。本気なのだ。

【民主党政権政策の基本方針】
7.自衛権の行使は専守防衛に限定
 
日本国憲法の理念に基づき、日本及び世界の平和を確保するために積極的な役割を果たす。自衛権は、これまでの個別的・集団的といった概念上の議論の経緯に拘泥せず、専守防衛の原則に基づき、わが国の平和と安全を直接的に脅かす急迫不正の侵害を受けた場合に限って、憲法第9条に則り、行使する。それ以外では武力を行使しない。
8.国連平和活動への積極参加
 国連は二度に亘る大戦の反省に基づき創設された人類の大いなる財産であり、これを中心に世界の平和を築いていかなければならない。
国連の平和活動は、国際社会における積極的な役割を求める憲法の理念に合致し、また主権国家の自衛権行使とは性格を異にしていることから、国連憲章第41条及び42条に拠るものも含めて、国連の要請に基づいて、わが国の主体的判断と民主的統制の下に、積極的に参加する。

 問題は8.にある。国連憲章第42条は、空軍、海軍、又は陸軍による軍事的措置を定めたものだ。しかしわが国には自衛隊はあっても、陸海空軍は憲法上持たないこと(実体はどうあろうとも)になっている。

 だから、上の7.と8.は二律背反する概念なのだが、かつて民主党議員から「国連改革が実現した暁には」とか「国連総長指揮下の国連軍が創設されたら」といった解説を聞いたことがある。これは15年以上も前、自民党内からも異論がでてお蔵入りになった小沢調査会の結論にそっている。

 「私は変わる」とおっしゃった小沢さん、世界も日本も変わったのにあなたは何も変わっていない。菅さんだけではない。枝野憲法調査会長まで首をかしげている。どうか「ヤキが回った」などと言われないようにしていただきたい。あなたの首相の芽はどうもこれであやしくなった。

  テロ特措法について憲法がどうの国連決議がどうのという解釈論争は、国民にとって難解だ。いくら国会で議論をつくしても、それを理解し判断するというのは無理だろう。だから国民は現実をもって判断せざるを得ない。

 それは、国連決議なしにアメリカがはじめたOEF(不屈の自由作戦)と国連決議のあるNATO主体のISAFの区別などアフガン人にわかるはずがなく、双方ともタリバン等の攻撃目標になっていること、そして次のアフガニスタンで武装解除日本政府特別代表を務めた、伊勢崎賢治氏の発言である。

 そこで強調したいのは日本の役割です。これまでアフガニスタンの「治安分野改革」で成功したのは、日本の武装解除だけです。なぜか。現場の私たちは「美しい誤解」という言葉を使いました。アフガン人はテロ特措法など知りません。日本は軍事行動をしていないという「美しい誤解」が、疑心暗鬼の武将たちに信頼醸成させた。

 「美しい誤解」については、すでに「洋上給油は終結せよ」で既述したが、上記の『世界』11月号でも「日本は『美しい誤解』を生かせ」というインタビュー記事を収録している。小沢原理主義が国際主義を指向しているようで、実は党内や国会内の論争の具でしかないことががわかる。

| | コメント (0) | トラックバック (6)

2007年10月 1日 (月)

9条と天皇制

 安倍晋三内閣の壊滅で改憲機運が遠のいた。これからは、ないがしろにされがちだった現行憲法の精神を再構築することと、9条を生かした外交方針を、国論としてもり立てるよう努力しなれけばならない。

 いま、右翼陣営は体勢建て直しに必死だが、もともとその論拠が浅いだけでなく、一貫性にも欠けていたので、勢いを取り戻すのは容易でないだろう。また、護憲陣営からは、改憲、論憲を言うだけで対立勢力と見なされる、そんな呪縛も解けてきた。

 そこで今日は開塾記念に、「とんでも改憲論」をひとつご披露する。それは「第一章天皇」である。全くの(形骸的で意味のない)象徴天皇に、平和に関する限定的な大権を付与しようという、相当思い切った改正案である。

 内容は、自衛隊の海外派遣に対する拒否権と海外派遣中の自衛隊帰還命令権の二つである。なにをねぼけたことを、とおっしゃる方は、憲法の前文、第一章天皇、第二章戦争放棄までをじっくり読んでいただきたい。

 ここまでがワンセットで、以後国民の権利義務など具体的な条項が続くことがわかる。明治憲法は、陸海軍の統帥など軍の関係は、第一章天皇の中の一部分であった。スタイルとして、現行憲法が明治憲法を踏襲していることはよく知られている。

 前文でわかるとおり現行憲法の骨子は、国民主権と平和である。制定当時、占領軍が天皇制維持と戦争放棄をバーター取引したとか言われている。もしそうなら、日本国民の総意に基づく「日本国の象徴」と「日本国民統合の象徴」とはなんぞや。まさか手を振るお姿や宮城ではあるまい。

 ずばり9条を含めた「平和」そのものである。占領政策を円滑に進めるのも平和、連合国との戦争を防ぐのも平和、天皇はその平和を担保するために置かれたのである。そうすれば、昔の統帥権相当の権限を保持していても何らおかしくはない。

 「和をもって貴しとなす」……例外はあっても、庶民を「おおみたから」とよんだ昔からの皇室の伝統であろう。もし、これからさきの戦争のようなことがことが起き、終戦の「ご聖断」をくだすような人が存在しない現在を思うと、ゾッとするのである。

 ビルマとタイ、軍の力の強いのは同様であるが、国勢や国情の違いは何か、タイには軍の上に王がいるがビルマには軍の上になにもない、ということがあるそうだ。シビリアン・コントロールといっても何となくお寒い感じがする日本の昨今である。

| | コメント (6) | トラックバック (5)