神話と歴史の重なる古墳
以下は9月29日付の毎日新聞である。
福岡県苅田町教委は28日、古墳時代前期の前方後円墳、石塚山古墳(同町富久町、国史跡)が墳丘の6カ所を掘り返される被害に遭ったと発表した。行橋署が文化財保護法違反の疑いで捜査している。
町教委によると、9日午前9時ごろ、後円部の墳頂に直径10センチ~1メートル、深さ10~25センチの穴が六つあるのを、管理のため訪れた町職員が発見し、行橋署に通報した。
石塚山古墳は3世紀末~4世紀初頭の築造で、全長約130メートル。前方後円墳としては九州最大・最古級で、1985年に国の史跡に指定された。出土品には三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)(重要文化財)などがある。(後略)
とんでもない行政の失態である。先ずこの古墳の位置づけをしておこう。
古代遺跡といえば、奈良県をはじめ近畿に目が向く。しかし、九州にはこれに劣らない重要な遺跡がある。
すでに何度か論じているが、古代、或いは前史時代の事柄を「歴史」とするためには、複数の物証、文献と照らし合わせて矛盾しないという確認がなくてはならない。
日本には、『日本書紀』と『古事記』という貴重な古代の文献があり、日本書紀執筆には中国人専門家も加わるなど、中国古代史編纂の手法も取り込まれている。したがって、「一書に曰く」という当時現存したと思われる文献の引用が多く、史実かどうかある程度の吟味はしているようだ。
ただ、その一書が言い伝えをまとめたもののような「書」であれば、物証がない限り史実とするわけにはいかない。
その物証を支えるのが考古学であり、古墳の存在は大きい。日本書紀は神話で始まっている。考古学は神話を否定もするが、史実である証明になることも多い。
石塚山古墳は、神話と史実を探るうえでその境目にある貴重な存在だ。特に天孫降臨伝説の宮崎県と神武東遷の経路に当たり、前方後円墳や三角縁神獣鏡の存在など大和朝廷との深い関連をどう解くか、鍵が隠されている可能性が高い。
現在、政府は「天皇陵」かそれに準ずる古墳を調査のための立ち入りを禁止している。石塚山古墳は、国の「史跡」に指定されているが、「特別史跡」にはなっていない。その手入れ、現状維持はおそらく自治体の町教育委員会にゆだねられているのだろう。立ち入り禁止、そのための監視まではしていないはずだ。
盗掘は当然あり得た。なぜ、防犯灯、監視カメラの常設ぐらいはしておかなかったのだろう。それぞれの部署が、いずれも自分の仕事ではないと思っていたのに違いない。
文科省は、利権につながるような予算獲得には熱心だが、こういったことには無関心としか思えない。
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