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2020年5月26日 (火)

中国革命を予言した男

 以下、大正十四年(1925)十二月に書かれた宇垣一成の日記にある。

「然り支那の四億の国民が理解の下に赤化する様の事は勿論あるまい。乍併四億民衆の内に力あるもの一万内外の赤化主義にかぶれ来たら夫れで支那全土の赤化は成立すると考へられることは露国の覆轍を見れば明瞭である。即ち露国の赤化は弐億余の民衆の自覚より起りたるにあらずして、数万内外の有力なる猶太系露人の先導によりて出来上りたのである。思ひを茲に致せば支那は赤化する心配なしとは頗る暴断である。而して数万有力者の共産化は一躍支那全土を赤化せしむるに至ることは露国の例に徴すれば有り得べきこと覚悟して居らねばならぬ。」(『政治家の文章』岩波新書)

 この年のはじめ、日本は革命後のソ連と国交を樹立し、422日に共産主義運動取締のため治安維持法を公布した。一方、陸軍大臣であった宇垣は、5月1日に陸軍4個師団を廃止、軍の近代化を図る、いわゆる「宇垣軍縮」を断行している。

 頭書の中国革命預言は「お見事」としか言いようがないが、大正から昭和にかけての歴史に度々登場する「宇垣 一成」の人物像はあまり知られていない。

 陸軍大臣として顔を出すのが大正13(1924)の清浦圭吾内閣、それから4代連続し1代飛んで浜口雄幸内閣の1931年まで続く。

 軍を侮辱したという衆院の質問、いわゆる「腹切り事件」が起きて広田弘毅内閣が総辞職した1937年の後継首班として宇垣に組閣の大命降下が下るが、陸軍が抵抗して陸軍大臣の指名を拒み不成立となる。

 この年、近衛文麿内閣のもとで盧溝橋事件が起き、日中戦争がはじまる。宇垣は外務大臣として入閣するが3か月あまりで交代する。

 宇垣は陸軍現役の大物だったが、岡山出身で伝統的に受け継がれた長州閥ではなかった。日記で見られるように漢籍に造詣が深いものの、徳富蘇峰や吉野作造のような文人でもなかった。

 昭和6年(1931)三月に起きた三月事件というのは、宇垣を手っ取り早く首相に据えるためには、軍事クーデターに頼るのがいいとする、参謀本部・ロシア班長の橋本欽五郎中佐らの計画である。民間右翼の大川周明などを抱き込み、宇垣が首謀者の位置にいたが、そのようなことをしなくても、政権奪取の芽が見えてきたとして、宇垣がストップをかけた。これは以後秘密とされ、表に出たのは戦後になってからである。参議院議員となって政界に復帰したものの在職中に死去した。

 昭和史の闇の部分を知っていた男だと思う。

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