« (再)北朝鮮ミサイル | トップページ | 明治維新と植民地化決議 »

2020年3月30日 (月)

理想と政治のはざま

 『巌本善治編、勝部真長校注、新訂・海舟座談』という本が岩波書店から出ている。これは歴史書ではなく、勝海舟の発言を直接・間接に聞き及んだとされることを、彼のべらんめえ調江戸弁を交えて後世に残しておきたいという意図からまとめられたものである。

 歴史学の史料として重視はされないが、塾頭は明治時代あるいは明治維新に見られる「ある断層」を埋める文献として重視している。

 その断層とは、明治維新が革命であることに違いはないが、日本人の生活、倫理、芸術、宗教その他、基本的な価値観に、大きな変化がなかったこと、言い換えれば、封建制から議会制国家への「政体」の変化と文明開化が斬新的に進んだことぐらいで、現在右派陣営が明治時代を国粋的観点から「国体」を定着させた輝かしい時代、つまり教育勅語・軍人勅諭一色に染め上げた時代ではなく、後の軍国日本とは違う、世界の中での日本という、より客観的な考え方があったことを証明する材料と考えるからである。

 海舟は、討幕軍を率いた西郷隆盛と江戸開城で戦闘回避を交渉したことで知られているが、軍艦・咸臨丸を率いて渡米、開国への道筋をつけるなど、新政府でも海軍卿の要職につき、晩年は最後の将軍徳川慶喜と皇室の和解を実現させるなど、維新にしこりを残さないようにした、影の功績がある。

 前置きが長くなったが、明治時代を見る目に断層があることを示したく、かつて本塾で引用したことがあるという記憶からブログ内の検索を掛けたら、2006101日の「日韓近代史考」を最初に6件も出てきた。重複するものもあるが、文末にそのウエブを載せておいた。

 今回の引用は次のとおりである。

(明治31年6月30日)

 朝鮮を独立させると言って、天子から立派なお言葉が出たじゃないか、それで、今じゃァ、どうしたんだェ。

慶喜公が、「お前は何年でやるかェ」と言われたから、『さようです。先ず、あれのした事は道理があると言われるのは、十五年、もっともだと言われるのは二十五年、四十年立なければなりませぬ』と言ったら、「途方もないことを言う」と言ったよ。四十年立って御覧ナ。息子の代になれば、何でどうしたのか、忘れてしまって、その綱(すじ)ばかり残るよ。

維新の大業だって、まず五十年サ。どうしても、そう早く出来るものか。憲法などというのは、上の奴の圧政を抑える下から言い出したものサ。それを役人らが自分の都合に真似をしただけの事サ。

 ちなみに、海舟は日韓併合を見ず物故している。

http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_9a31.html

http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/11-f28f.html

http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-aa58.html

http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2019/06/post-33270e.html

http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2018/10/post-0afb.html

http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2018/07/post-aa3c.html

 

|

« (再)北朝鮮ミサイル | トップページ | 明治維新と植民地化決議 »

歴史」カテゴリの記事

コメント

玉井人ひろた さま、
男谷道場の頃、小普請組の頃の話は面白いのですが大抵は忘れました。偉くなって名乗りをどうする、という話になったとき、安房(阿呆)の守がいい、といった話など、憎めない人です。

投稿: ましま | 2020年3月31日 (火) 20時26分

そういうのがあるんですね。
江戸の言葉がよく解るものとして、私が知っている限りでは、海舟の父親が書いた「夢酔独言」というものです。

勉強が大嫌いだった小吉は文語体、つまり候文が書けないどころか、ほとんど漢字も書けない中、話し言葉をそのまま文章にしたことで、江戸の庶民が使った言葉がよく解る歴史的に貴重な資料だったと記憶します。

海舟も似た文章を残していたのは父親の影響でしょうね。

投稿: 玉井人ひろた | 2020年3月31日 (火) 15時23分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« (再)北朝鮮ミサイル | トップページ | 明治維新と植民地化決議 »