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2020年1月23日 (木)

あいまいな天皇論

 去年から今年、令和という代替わりに当たって、様々な立場から様々な「天皇論」が出、また皇室一家の動静についての報道もあふれた。

 1990年に発刊された司馬遼太郎『手掘り日本史』文春文庫がある。その中にこういう一文がある。

日本の天皇さんというのは、これは私の持論なんですが、大神主なんですね。日本人の精神的秩序の中心であって、地上の皇帝ではないわけです。中国の、あるいはヨーロッパの皇帝のようなものではない。

 ここまでは、塾頭も同じ考えである。しかし、その先は、明治維新を神道復活と見る安倍首相を取り巻く保守系政治家に、共通する史観になっていると思われるので、続けて転載する。

それを強引に皇帝にすることによって、水戸学はその尊王攘夷史観を打ち立てる。そしてこの場合、夷というのは幕府になる。(中略)明治維新という変革、私は維新を、一応革命だと思っているんですが、そのとき、日本を統一国家にするのに、天皇さまを皇帝にすればいい、京都の御所の中で、その垣一重のなかでは日常神事をやっておられる人を、ここで皇帝にもってくればいい、ということになるわけです。

 この考えは、前回書いた伊藤博文らが起草にたずさわった大日本帝国憲法の「立憲主義」と、あきらかに相反する発想であることを、もう一度はっきりさせておく必要がある。

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