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2019年10月 2日 (水)

韓国は植民地だったのか

 3回前に『反日種族主義』というタイトルで、日韓の衝突は、両国内の学者・研究者が互いに歴史の発掘につとめ、史実を明らかにするとともに、「歴史に学ぶ」という方向に進まなければならないと主張した。

 最初に指摘しておきたいことは、明治維新と李氏朝鮮の時代、日韓併合から3・1独立運動までの時代、日本の同化促進政策と大戦の時代、戦後の南北独立時代など、それぞれの歴史背景が大きく異なるので画一の評価でくくることなく、区別が必要だということである。

 そのひとつに、日本の戦後教育で、日韓併合で日本が朝鮮半島を「植民地」として支配が続いた、としていることである。

 塾頭と多くの点で見解を異にする渡部昇一(上智大名誉教授)であるが、次のように言っている。

 英語の文献では、日韓合邦のことを「アネクセイション」(annexation)と表現しています。これは「植民地化」を意味する「コロナイゼーション」(colonization)とはイメージがまったく違う。歴史を公平に客観的に見るには、言葉が当時どのように使われていたかを知ることも重要です。

 これまでも幾度か書いてきたように、当時の政権には、アジア諸国に対する西欧やロシアからの植民地化を防がなければ日本も危ない、という考えが強かったように思う。

 反対に、明治初頭に盛んになった征韓論など、日本軍の進出を期待する意見も少なくはなかったが、植民地化などミイラ取りがミイラになるような愚策は取らないというのが、「併合」という形になったのではないか。

 関東大震災当時の朝鮮人殺害という民族蔑視や差別が、現在でも存続していることは確かである。しかし、過去の長い歴史を振り返って、両民族が永遠に克服できないほどの問題とも思えない。

 まず、各段階を通じて「植民地化はなかった」という立証ができるかどうか、である。

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コメント


>えいこさん
>
>>
>>併合した当初は日本にもあまり余裕がなく総督も軍人でした。おっしゃるようなことは、3・1事件後総督を変えて力を入れるようになりました。いずれにしてもアメリカなどから全体として高く評価されています。
>>慰安婦問題や徴用工問題は差別を厳しく取り締まっていた戦中時代と思われ、日韓併合が不当という教育はされていなかつったはずです。
>>

投稿: ましま | 2019年10月 3日 (木) 22時06分

>玉井人ひろたさん

それは知らなかった。昭和12年というのは微妙な年で、欧米帝国主義が反省期に入っているのに、日本は中国の利権伸長の機会をねらって行動するなど、幣原外交を完全に転換します。第2次大戦の下地ごしらえが進むのを阻止する人がいなくなったようです。議会では軍を侮辱した発言をしたから腹を切れ、などという物騒なことを平気で言うようになりました。

投稿: ましま | 2019年10月 3日 (木) 20時45分

欧米の植民地の考え方と日本の場合の統治は、確かに違いますね。

ただオンライン上には興味ある公文書が公開されていました。

それは、昭和12年の第71回帝国議会に日本銀行調査局から提案されたもので、題名は「植民地一般会計」となっていて、書き出しは

朝鮮、台湾、關東(中国)、樺太、南洋等の各植民地における・・・

と記載がありましたので、少なくとも議会では植民地としていたようです。

投稿: 玉井人ひろた | 2019年10月 3日 (木) 18時53分

学校を作って、識字率を上げたり、ダムを作ったり、植樹をしたり…
日本が併合時代にした事と、イギリスやフランスの植民地支配とをまったくの同列に並べて語るのは、納得いきませんね。
例え、韓国が、ロシアに対する防波堤だったとしても……。
しかし、インターネットの時代になって、戦後教育の我々世代にもじんわりと、教科書には書かれていなかった過去の真実が広まっている気がします。

投稿: えいこ | 2019年10月 2日 (水) 20時02分

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