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2019年8月27日 (火)

「歴史」の本当とは?

 自著に『海と周辺国に向き合う日本人の歴史』かあり、「飛鳥の将軍阿倍比羅夫」が主体をなしていることは、すでに書いた。

 ところが、その中で歴史としては重大な疑義を生ずる書きぶりがあることに、昨日気が付いた。

 それは、大化の改新後、蝦夷平定を目指して北陸道で海路東北・北海道に向かった阿倍比羅夫と、斉明天皇の時代、朝鮮の白村江に兵を向けた阿倍引田臣比羅夫を同一人物として扱ったことである。

 直木幸次郎『日本の歴史2』中央公論、267ページに「後将軍阿倍引田臣比羅夫は、蝦夷征伐の勇将阿倍比羅夫と同一人物である」と明記されていることもあり、疑いはなかった。

 ところが、その5年あと、1978年10月に発行された司馬遼太郎『街道をゆく・韓のくに紀行』朝日新聞社、241ページを読むとこうある。

 この当時の日本における最大の海上勢力は北九州沿岸地方に住む阿曇(安曇)氏であり、その首領は阿曇比羅夫である。

 「比羅夫」

 というのは名前ではなく、軍将という当時の普通名称であろう。この当時、北方の蝦夷征伐に出ていた陸軍の大将を阿倍比羅夫とよんでいる。

 さらに安曇氏に次ぐ海上勢力が、瀬戸内海を根拠地とする阿倍引田氏である。その首領を阿倍引田比羅夫という。この二人の海の比羅夫に第一艦隊と第二艦隊を編成させた。

 以上の通り、司馬氏は全く別人として描いている。両著とも、根拠となる出典は書いてない。故人となった両文豪にこれを確かめるすべはない。

 古代とはいえ、拙著も一応歴史を書いたつもりでいる。真相究明は困難だとしても、責任上、両説のあることだけ明らかにしておくことにした。

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歴史」カテゴリの記事

コメント

ましま様 kandomonです。
>志賀島へも行きましたがあとにつながらないのです。
山口県出身の方が、そのように言われるのですから間違いないと思います。
私が当初から不思議に思って居たのは、多くの舟を何処で造っていたかです。海人一族がどこかで長い年月をかけたと思います。当然、一族の本拠地を考えます。
阿部比羅夫には海人DNAがありますから航海技術、人心掌握術、服属儀礼等は大丈夫としても大量の舟を造るとなると簡単には行きませんよね。

投稿: kandomon | 2021年3月 9日 (火) 19時47分

kandomon さま
ご指摘の通り。
かつては、そのように考えていましたがその後、纏向をたずね、箸墓ほか周辺の古墳群を逍遥するうち邪馬台国⇒大和説になってしまいました。その前に志賀島へも行きましたがあとにつながらないのです。

投稿: ましま | 2021年3月 6日 (土) 20時43分

ましま様
お世話になっておりますkandomonです。
今一度『海と周辺国に向き合う日本人の歴史』を読み直しておりますが、読んでいて気になったのが、ましま様は邪馬台国近畿説派ですか?
私は阿部の先祖は志賀島を拠点としていた安曇一族で神武東征の折に奈良盆地近くに移住してきたのでは,,,,の想定で描いているのですが?

投稿: kandomon | 2021年3月 6日 (土) 18時57分

kandmonさま
拙著の読者になっていただきありがとうございます。
お役に立てるかどうか心配ですが、当時、蝦夷征伐ルートが難波津起点の東海道に代わり越前・越中からの北陸道開拓を受け持ったのが、阿倍比羅夫です。
奈良県桜井市の遺跡、比羅夫の子孫の調査など、まだまだ不十分です

投稿: ましま | 2021年3月 1日 (月) 18時40分

ましま様
阿部比羅夫の件で海と周辺国に向き合う日本人
の歴史をざっと読まさせて頂きました。
確かに『続記』の引用文の内容からすると実在し、活躍していたことが解りました。
私は阿倍比羅夫が北進する拠点が越前市近くにあり、その集落が廃村になる前にホームページに掲載しようと取り組んでいます。ましま様の本の内容は充実していて非常に参考になります。今後とも宜しくお願い致します。
自ホームページ
http://x.gmobb.jp/t-kandomon/Nxlevel/jamp4.html

投稿: kandomon | 2021年3月 1日 (月) 14時32分

kandmonさま
拙著『海と周辺国に向き合う日本人の歴史』79ページに、『続記』の引用文があります。
阿倍比羅夫の息子の死を伝え、「後ノ岡本朝筑紫太宰ノ師大錦上比羅夫之子也」とあるので「大将」説には不賛成です。

投稿: ましま | 2021年2月10日 (水) 21時39分

私も、この事で悩んでいましたら、本記事が検索され、またまた混乱してきました。
司馬遼太郎の「比羅夫」=大将 はそうでないかと思って居ました。

安曇 比羅夫 連
阿曇山背 比羅夫 連
阿倍引田 比羅夫 臣
は同族で異なる人達ではないでしょうか。

投稿: kandomon | 2021年2月10日 (水) 20時45分

東北・北海道南部は蝦夷・アイヌ・縄文末裔様々な勢力が混在して不安定なところがあったので「平定」と書きましたがもちろん場所を指す言葉ではありません

投稿: ましま | 2019年8月27日 (火) 17時51分

東日本や東北に住んでいた先住民の「蝦夷(えみし)」の討伐でしたから、場所を意味する蝦夷平定は合わない気がしますが、どうでしょう?

投稿: 玉井人ひろた | 2019年8月27日 (火) 16時47分

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