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2019年5月 1日 (水)

沖縄差別の歴史変造

 令和最初の日、沖縄の県紙2社の社説は、他マスコミ同様に歓迎ムードだった。ところが2日前のに琉球新報ではこうある。

 沖縄に関する限り昭和天皇には「戦争責任」と「戦後責任」がある。それらをあいまいにはできない。二度と同じ悲劇を繰り返してはならないからだ。昭和天皇が米軍による沖縄の長期占領を望むと米側に伝えた47年9月の「天皇メッセージ」も、沖縄の米統治に影響を与えた可能性がある。新憲法下での政治的行為だった。

 そうすると、先代、先々代の天皇の間に断層があることになるが、この書き方は、昭和史を歴史として扱う上で昭和天皇を誤解させる恐れがある。

 占領中のマッカーサー総司令官と昭和天皇は、直接の面会を通じて深い信頼関係があったことは、前回書いているが、昭和史としても通説化している。

 だが、引用中の「47年9月の天皇メッセージ」という表現が大きな誤解を与えるもとになっている。「メッセージ」は、「伝言」という軽い意味もあるが、アメリカの大統領教書のような重みのある伝達にも使われる。

 この場合のメッセージは、日常天皇の非公式発言や気持ちを察することのできる位置にいる寺崎宮内庁御用掛が、シーボルト連合国最高司令官政治顧問に伝えられた天皇の見解とされている(『寺崎英成御用掛日記』)。そのメモが、米国国立公文書館から公開されて、動かぬ証拠のように扱われるようになった。

 しかし、日米講和条約調印の4年前のことである。この年の5月6日、マッカーサーと昭和天皇が会見しており、ここで天皇は「もしアメリカが日本より撤退したら、誰が日本を保護するのか」と問うたとされる(前掲書)。

 ここからわかることは、昭和天皇が「メッセージ」で、沖縄を差別し復帰を遅らせたという解釈にはならないということだ。この年はすでに新憲法下にある。天皇の政治的発言はできないことになっていることは、双方承知しているはずで、本土と沖縄は同列に置かれていた。

 この年は6月に片山哲社会党首班内閣が成立し、7月に沖縄人民党が結成された。かりに、天皇発言がなかったとしても、本土にしても沖縄にしても革新勢力の進出で外国の干渉を受け、国内が混乱状態になることを内心恐れていたことは、十分にあり得る。

 それを、現在の辺野古基地に対する本土の差別意思などに関連させる思考があるとすれば、それこそ歴史の変造になる。

 諸資料から見て、昭和天皇は、全く逆の観点から差別なく国民の安寧を願っていたことがうかがえる。メディアも学者もこの変造を一刻も早く是正する任務がある。

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コメント

玉井人ひろた さま
そんな見当でしょう。天皇の(公式)メッセージであるとの証明ができません。「沖縄を心配していた」という、逆の心証はつかめるのですが長期占領を望んでいたという傍証は見当たらないのです。
ことによると、日本側にも陰謀に加担した人がいるかも。

投稿: ましま | 2019年5月 2日 (木) 16時56分

史観を変えたのはアメリカ側(ダレス?)で、天皇のメッセージをうまく利用し、恒久支配も「天皇が言った」として、天皇を沖縄の人々の反感を避ける計略(陰謀)の道具につかったようですね。

投稿: 玉井人ひろた | 2019年5月 2日 (木) 15時01分

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