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2019年5月31日 (金)

議会の死んだ日

 82年前の今日、その年のはじめ以来陸軍の政治関与により、国会はマヒ状態に陥る。2度の政変を経て就任した陸軍出身の林銑十郎首相も、職を投げ出した。この後を継いだのが華族出身の近衛秀麿である。

 そして、7月7日、中国・盧溝橋で偶発的軍事衝突をきっかけに日中戦争が始まった。ここから8年間「さきの戦争」が続いたのだ。その年の5か月間に何が起きていたかを略記しておく。

1937年(昭和12
1/21
 第70回帝国議会において立憲政友会の浜田国松衆議院議員が反軍演説。

「近年のわが国情は特殊の事情により、国民の有する言論の自由に圧迫を加えられ、国民はその言わんとする所を言い得ず、わずかに不満を洩らす状態に置かれている。軍部は近年自ら誇称して(中略)独裁強化の政治的イデオロギーは常に滔々として軍の底を流れ、時に文武恪循の堤防を破壊せんとする危険がある(後略)」

 これを軍人に対する侮蔑とする陸軍大臣との間で腹を切れという応酬に発展、議場が大混乱におちいった。このため、広田内閣は事態収拾不能で総辞職。その後以下の経過をたどり、軍部専横が決定的になる。

1/25 宇垣一成(陸軍大将)に大命降下。陸軍が陸相候補を推薦せず組閣失敗で4日目に組閣辞退。

/2 林銑十郎(陸軍大将)内閣成立。閣内、政党出身者ゼロ。

3/31 議会刷新を理由に抜き打ち解散。 4/30 総選挙。

5/31 林内閣、軍部・政党の支持を失い総辞職。

/4 第一次近衛文麿内閣成立。

 

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