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2018年8月 7日 (火)

戦争を開く「鍵」

1月前の7月7日、「天皇命令を断った大将」と題して昭和12年1月の衆院議会で起きた「腹切り問答」がその発端であったことを書いた。

時の首相は広田弘毅である。広田は東京裁判でA級戦犯となり、軍人以外で唯一絞首刑に処せられた。彼は外交官出身で、こじれた対外折衝を平和指向でさばき、その面での高い評価は、裁判の過程でもよく指摘されていた。

このブログで東京裁判を正しいものと位置づけている点に関し、広田判決の不当性をあげ「一方的でずさんな裁判だった」という評価が正しい、とする書き込みをいただいたこともある。

今、個々の裁判官の心証が判決にどう影響したかを判断する材料はない。広田の出自が福岡で、戦前の政界に有形無形の影響をもたらした最大の右翼組織「玄洋社」の影響を幼少時代から受けていたとする見方や、軍部大臣現役武官制を復活させ、軍部への妥協がその後の結果を招いたとする解釈など様々だ。

82年前の今日昭和11年8月7日、広田首相は外務・大蔵・陸・海軍の5相会議を開き、「国策の基準」を採択した。それにより軍事の重点を、南北併進(東南アジアとロシア)へ向けることになった。

これは、翌年7月7日の廬溝橋で始まる日支事変、4年後の大戦突入への路線がこのときに引かれたという解釈もできる。

昨今の政治の動きから見て、終戦記念日や原爆投下記念日だけではなく、昭和11年・12年にあったことを、今だからこそ精査して再発防止につなげるようにしなければならない。

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