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2018年7月 7日 (土)

天皇命令を断った大将

 そういった人がいるのだ。1937年(昭和12)、1月25日、陸軍大将・宇垣一成に天皇から、首相として内閣を編成するように命令があったのに、これを断った(歴史上は「辞退」と表現するが同じこと……塾頭)。

帝国軍人が、天皇の命令に公然と背き、その通りになったという例はその前もあともないのではないか。そのいきさつは次の通りである。

4日前の21日、衆院の質問演説をした政友会の浜田国松代議士の発言に、「軍を侮辱した」と陸相が反発した。これに対し、浜田は「議事録を確かめ、侮辱の言葉があれば割腹して謝る。なかったら君が割腹せよ」と迫った。

互いに譲歩する余地がなく、進退窮まった広田弘毅首相は総辞職に追い込まれた。当時の首相後任選定は次のようにして決まる。

明治以来、側近として天皇を支えてきた長老がいわゆる「重臣」として、天皇に候補を示す。もちろん経験・識見・地位・政治的立場などより条件に叶う人を選ぶ。その結果宇垣大将に、冒頭書いた大命降下があった。

ただし、陸軍大臣は陸軍が推薦した人になる。もし誰も推薦しなかったら内閣が成立しないことになる。

宇垣はかつて軍縮の気運に乗り、軍予算の拡大を制止したことがあった。このため陸軍内の嫌われ者になっていたのだ。だからといって、あからさまにボイコットすれば「天皇の大権を干犯」、つまり一旦天皇の意志が示されたのに、背くことになる。

そこで陸軍側は、「仮に宇垣大将が(首相として)陸相就任を交渉しても、それに応じるものは陸軍内にいないだろうという事実を申し上げただけ」と開き直った。こんな常識はずれの口実がまかり通るようになったらおしまいだ。

その機運を招いたのが、前年の2・26、クーデター未遂事件に由来するとされる。そして81年前の今日、廬溝橋事件が勃発、日中戦争が始まった。

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