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2018年6月11日 (月)

あとを引く戦争

日露戦争、第二次大戦の10万、100万単位の膨大な犠牲者に比べて、第一次大戦は戦死者の数に触れられることが少ない。日本の第一次大戦参戦は、1914年(大正3)8月23日から1918年11月11日まで4年強にわたる。

今日6月11日(1917年)は、戦争による戦死者415人(Wikipedia)の1割を越える59人を一挙に失った日である。地中海に出撃していた駆逐艦「榊」が独潜水艦と交戦した結果である。

この事実はほとんどの史書に出てこない。大戦に参画したのは、同盟国イギリスの要請で極東を往来する船舶を保護するため、ドイツ軍艦への攻撃依頼を受け入れたものである。中国への権益拡大の機会をうかがっていた日本は、好機到来とばかり、黄海に突きだした山東半島の根本にあるドイツの租借地に設けた海軍基地を攻撃、一帯を占領した。

井上馨は、「今回欧州の大禍乱は、日本国運の発展に対する大正新時代の天佑」であると述べた。この方針を知ったイギリスは、即座に参戦要請を撤回したがあとの祭り。中国に21か条要求を押しつけるなど、日本が大陸侵略の露骨な野望を隠さなくなったのは、この時に始まる。

一方、ドイツは大きな犠牲と、過酷な賠償要求を背負ってこの大戦を終結した。その後の苦難の歴史が第2次大戦を導く理由にもなった。第一次大戦の反省は国際連盟を生み、さらに第二次大戦終結に当たっては、国際連合に組み直して新たな戦争抑止を図った。

戦争犠牲者の多い少ないは次の戦争勃発に関係しない。地球より重い人の命に優先する国益などあるわけがない。戦争の教訓をどうあとに活かすか、それが最大の国益と思わなくてはならないのだ。

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