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2018年6月13日 (水)

人民服と国民服

昨日の米朝首脳会談に金正恩は人民服で臨みました。それは「体制変更は絶対許さない」という意思表示かも知れません。

日本が戦争に突入する1年前の昭和15年11月2日、国民服令というのが公布されました。神戸の洋服屋が舞台の小説、妹尾河童『少年H』には同令についてこう書いてあります。

「我が国の服装文化はあまりにも欧米を模倣し、自主性に乏しいことを反省しなければならない。世界の興亡の歴史をたずねても、民族の発展には必ず建設的な服装文化がともなっている。日本も独自の新服装文化を確立すべきである。従ってこの度制定された国民服の生産に各位の技術を活かし協力されんことを望む」とあり、国民服を仕立てるための製図と完成図が添えてあった。

制定された「国民服」は、軍隊と同じカーキ色が多く、帽子は兵隊が被っている戦闘帽によく似た「国民帽」であった。国民服を着て帽子をかぶっているときは、一般人も軍隊式の挙手の礼をすることになっていた。

中学生は旧来の黒の制服、制帽でもよかったが、大抵先輩から譲り受けたり古着の活用で、外出時はゲートルを巻かなければならない決まりでした。ただし、新調する時はカーキ色の国民服しかなく、校内がまちまち。とても北朝鮮のようにはいきませんでした。

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