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2018年5月18日 (金)

赤レンガ保存へ方向転換

 

 今日は久々に地方版(毎日新聞)からである。赤レンガ建物の写真や経緯については「陸軍遺跡崩壊」を見ていただきたい。

市川市、県有地取得し赤レンガ保存の意向

(前略)大久保前市長が県と協議の結果、県有地の取得を断念した経緯がある。

 赤レンガは旧陸軍の駐屯地だった国府台に唯一残る当時の建物。戦後、駐屯地の一部は県血清研究所)(2002年閉鎖)に変わり、赤レンガは倉庫に使用された。県の依頼で千葉大大学院の研究室が12年にまとめた調査報告では、「明治30年代(その後の研究でもっと古い可能性が出てきた=塾頭注)のレンガ造りの技術を示す貴重な建造物」と評価し、「国の登録有形文化財とし、行政や市民が利用するのがふさわしい」と提言している。(中略)

 大久保前市長は赤レンガ以外の土地は民間売却する案で県と協議していたが、研究棟の解体費などに10億円以上かかる見通しとなり断念した。(中略)村越市長は「公共施設(整備)の全体の計画の中で活用を考えたい」と述べ、解体費などの負担については明言を避けた。(後略)

 赤レンガ建物は陸軍士官学校の前身とされる「陸軍教導團」以来のものとされ、維新のモットーとなった「富国強兵」で、士族以外の農・商からも徴兵されることになった。そこで不足するのは職業軍人養成である。

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 この一帯に戦後放置されたままになってた軍関係者の墓碑を集め、改葬したものが近くの竺園寺にある(写真上)。大部分は風化して墓碑の判読は困難だが、所属を「(陸軍)教導團」、没年を「明治一九年」「廿年」、出身地を「石見(鳥取県)」「鹿児島県」としたものがかろうじて読める。

 ここから、日清・日露そして大陸で活躍した下士官などが多く出征しただろう。同時に陸軍病院が併設されていた。太平洋戦争では、この地から東京空襲にやってきた米軍機を砲兵隊がねらって撃ったが一発もそこまで届かなかったという話も聞く。

 この地は、万葉集で名高い葛飾の真間や下総国分寺、里見・北条の古戦場などがそばにあり、戦前は軍都としてにぎわっていた。

 また、赤レンガのあたりは緑が多く、江戸川河畔でスカイツリーや富士山が望めるなど観光資源に恵まれている。村越新市長は「鎌倉のような」町作りを公約に掲げていたが、保存にあわせて「帝国陸軍記念館」を近くに設けるのもいい。陸軍病院は埼玉大学名誉教授・清水寛埼玉大学名誉教授編『日本帝国陸軍と精神障害兵士』という貴重な史料もある。

 県所有の研究所解体に金がかかる?。負担軽減のいいお手本がある。「瑞穂の国小学校用地」だ。ついでに、明治150年記念行事に補助金制度ができれば、それもゲット。

 ちょっとはしゃぎすかな\(^O^)

 

 

 

 

 

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コメント

我が村から海までの道路上の距離は約100kmにもなりますが、なぜか村の山奥には日本海軍が居ました。
その痕跡は無くなりましたが、朝鮮の方々による強制労働で作られた池はあります。

その池は、村の上水道の水源となっていますが、文化的保存は経緯が経緯ですから無いでしょうね

投稿: 玉井人ひろた | 2018年5月18日 (金) 17時06分

玉井人ひろた さま
韓国から得意技の「銅像」が贈られたら、建ててあげましょう。

投稿: ましま | 2018年5月18日 (金) 17時24分

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