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2017年3月17日 (金)

欧州は右傾化しない

今年の「ブログはじめ」1月7日付は、年の初めにあたり、世界の右傾化に歯止めがかかるという、超楽観論を書いた。それは、12月24日にあったオーストリアの大統領選で、EUを堅持し、従来続けてきた安定への努力を訴えたファン・デア・ベレン氏が、難民の排斥を訴えていた極右政党の候補を、僅差ながら破ったからだ。

 

続く注目の選挙は、この15日に行われたオランダの下院選である。世論調査では一時首位を占めた極右・自由党は与党に遠く及ばず、ルッテ首相は「今夜オランダは誤ったポピュリズム(大衆迎合主義)にノーを突きつけた」と宣言した。

 

これから、フランスとドイツの国政選挙が続く。イギリスは去年の国民投票でEU脱退を決め近く実行する。アメリカでは、トランプがグローバリズムを排除し自国第一主義に転じた。

 

難民流入に悩むヨーロッパ諸国がこの潮流を受け、EUが崩壊するのではないかという観測が当然のように広がった。だけど塾頭は、欧州統合のきっかけの地でもあるオーストリア選挙結果が、右翼跳梁に水をかけ、ヨーロッパ魂の存在が証明されるのではないかと期待していた。

 

EUの父とされているのが、オーストリアの元貴族R..ド・クーデンホーフ・カレルギーである。第一次大戦後の1923年、早くも主著『パン・ヨーロッパ』の中で欧州民族の結合、とくに仏独両国の和解によって、戦争の根元を絶つこと欧州統合により、ソ連の欧州征服を阻止すること共同市場を創設し、経済的競争力において、米国に対抗できる欧州を建設すること、を呼びかけた。

 

しかし、第二次大戦はこの夢を砕いた。戦後政界を退いたイギリス首相チャーチルの呼びかけにより「パン・ヨーロッパ運動」が復活、そのひな形としてベネルックス三国(ベルギー、オランダ、ルクセンブルグ)の関税同盟が誕生した。続いて1950年にフランスの有力な外相、R・シューマンの尽力で「欧州石炭鉄鋼共同体」に発展した。ここからEUの歴史は始まる。

 

冒頭に「ヨーロッパ魂」という言葉を使ったが、こういた欧州統合議論が生まれたのは、哲学者カントの弟子F.ゲンツの著書『欧州における勢力均衡:1801年』に見られ、1847年には、文豪ヴィクトル・ユーゴーが欧州合衆国の創設を提言するなど、有史以来戦争に明け暮れした欧州だからこそ生まれたもので、年季が入っている。

 

右傾化と言っても、底の浅いはしかのような右傾化は、ヨーロッパに限って定着しないと信じていた。日本・アメリカにしても、最近はどうやらこの手合いの落ち目が目につき始めている。

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