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2017年1月20日 (金)

変な歴史認識

前回の「明治150年」批判に続く。

来年が明治元年から起算して150年になることはその通りだ。この年に改元されたというだけで明治維新のスタートではない。維新がいつ始まっていつ終わるのかの定説はないのだ。だいたい当時の文献をあたっても、維新という言葉はあまりでてこない。

 

幕府の大政奉還、江戸城あけ渡し、戊辰戦争、東京遷都、それら一連の変革を、大衆は「ご一新」といっていたようだ。それが漢籍からとった「維新」に置き換えられたものだろう。

 

「明治150年をきっかけとして、明治以降の歩みを次世代に遺すことや、明治の精神に学び、日本の強みを再認識することは、大変重要なこと」とする政府の施策案は、改元にことさらこだわったもので、根拠薄弱意味不明の政策だ。

「明治の精神」というのも何を指すのかわからない。明治時代の指導者は多彩にわたり、目指すところも文明開化、富国強兵、自由民権、有司専制、藩閥政治、殖産興業などと百花繚乱で活力に満ちていたことだけは想像できる。

 

それらが、時期を追って変化し続け大正・昭和につながるのだが、自民・政府が言いたいのはどうやら教育勅語の「精神」に尽きるのだろう。まさに安倍路線そのもの。衣の下が見えるような気がしてならない。

 

もう一つは、前回書いた明治維新の勤王志士をお国自慢に祭り上げることだ。吉田松陰・高杉晋作・坂本龍馬などである。かつての歴史教育は善玉、悪玉がはっきりしており、塾頭自身もそれを疑わなかった。

 

出世頭の豊臣秀吉は善玉、宮中法度を作り鎖国に閉じこもった徳川幕府は悪玉だから、尊王攘夷は正義の発露ということになる。二元論にこだわる人は、徳川傘下で開国を志向し、蘭学から科学技術の向上を急務と考える人材が残した事績が、維新後に生かされていることを知らない。

 

佐久間象山、勝海舟、緒方洪庵、榎本武揚その他、志士たちが師事し、その影響をこうむっているのだ。最後の将軍、徳川慶喜も悪者どころか維新に果たした功績は並のものではないと考える。

 

軍国主義を作り出した、教育勅語や、薩長を中心とした政治や軍部の主導が明治の精神だと思うのは、とんでもない偏った「変な歴史認識」だ。

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コメント

明治維新と言われるころや、その前後の歴史に使われる「薩長」という言葉が昔から気になっているんです。

なぜ「土佐」を入れて「薩長土」にはらないのだろうか?

外す理由があるんですかね?

投稿: 玉井人ひろた | 2017年1月21日 (土) 14時43分

薩長を広げるときは「薩長土肥」といいますね。坂本龍馬や板垣退助・岩崎弥太郎などが土佐、大隈重信が肥前ですが、明治を操るということになるとやはり薩長で、陸軍=長州、海軍=薩摩の権勢はそのあとも続きます。

投稿: ましま | 2017年1月21日 (土) 20時40分

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