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2017年1月 9日 (月)

新時代、国連は不要?

 一昨年が戦後70年だった。去年は日米開戦75年。安倍首相がハワイに出向いた。それで、時代の区切りをつけたつもりになっている。マスコミもそういう観点で大きく報道していた。

 折から、アメリカのトランプ大統領の出現やヨーロッパ政界の地殻変動気運もあって、時代の劇的変化の始まりとする論調が巾を利かす。これを、前回の「超楽観年頭所感」として取り上げ、果たしてそのような即断をしていいのかどうか、疑問を呈した。

 終戦の年は、8月15日をはさんで6月26日に「国連憲章」がサンフランシスコで調印され、10月24日に発効したが、「それから70年」という報道は大きく取り上げられなかった。同様に、国連憲章そのものもこれまで広く知られているとは言い難い。

 前回の記事の付録として、以下にその「前文」を記録する。

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われら連合国の人民は、
われらの一生のうち二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救い、
基本的人権と人間の尊厳及び価値と男女及び大小各国の同権とに関する信念をあらためて確認し、正義と条約その他の国際法の源泉から生ずる義務の尊重とを維持することができる条件を確立し、一層大きな自由の中で社会的進歩と生活水準の向上を促進すること、
並びに、このために、
寛容を実行し、且つ、善良な隣人として互いに平和に生活し、
国際の平和及び安全を維持するためにわれらの力を合わせ、
共同の利益の場合を除く外は武力を用いないことを原則の受諾と方法の設定によって確保し、
すべての人民の経済的及び経済的発展を促進するために国際機関を用いることを決意して、
これらめ目的を達成するために、われらの努力を結集することに決定した。
よって、われらの各自の政府は、サンフランシスコ市に会合し、全権委任状を示してそれが良好妥当であると認められた代表者を通じて、この国際連合憲章に同意したので、ここに国際連合という国際機関を設ける。
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 気が付かれた方も多いと思うが、「日本国憲法」の前文とどことなく似ているのである。最初に出てくる「戦争」という文字は、以後憲章全文を通じて一切出てこない。第一次大戦後に制定された不戦条約が生きているという前提に立つからである。

 その後の戦争は、もっぱら自衛という名目をつけて行われた。これは、機会を見て別にとり上げたいが、「日本国憲法」はアメリカから押し付けられたというより、このできたばかりの国連憲章を下敷きにしていると見る方が当を得ている。

 現在、加盟国は193か国に達する。安保理を中心とする国連改革などの要請は強い。しかし、常任理事国5か国の拒否権で機能不全と言われた時代も、変化のきざしがある。加盟国が地球規模に達したため、総会の3分の2以上という数の前には大国も抵抗しがたくなっているのだ。

 安保理以外の貢献も無視できないだろう。仮にトランプ新米大統領が「新時代になったから国連は不要」などとコモン・ディーセンシー(市民の良識)に逆らう発言をすれば、世界の笑いものになり、そこでアメリカも終わりであろう。

 アメリカが主導して作られた前文の否定は、即国連の否定につながるからだ。

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