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2017年1月

2017年1月31日 (火)

トランプが破綻する日②

 このところ、明けても暮れてもトランプ、トランプ――。前回と同じ書き出しとは情けない。しかし「世界が破綻する日」でないことは、ひたすら信じている塾頭である。

 

トランプは、中東・アフリカ7か国からの入国を一時禁止した。イラン・イラク・シリア・イエメン・ソマリア・スーダン・リビアである。この7か国出身者がアメリカで大規模テロを起こしたなどは聞いたことがない。

 

強いて一致点を求めるとイランを除いて国内治安が定着せず反米過激派がいるということか。イランはイスラエルと妥協しないそれなりの強国だということと、米国大使館占拠事件以来の宿敵である。

 

9.11事件の首魁とされたウサマビンラディンは、サウジアラビア人でかくまわれていた場所はパキスタン国内であるがいずれも7か国に入っていない。そのほかのメンバーもUAE、エジプト、レバノン出身なのに7か国からは外されている。

 

 なぜか、タリバンの抵抗で米軍が撤兵できないでいるアフガンも入っていない。7か国に入っていないことを不満に思っている国は、北朝鮮か?。あれほどICBMで脅かしても歯牙にもかけない。いや、正恩は「脅しが利いているから入れられない」というかもしれないが……。

 

大統領令がそれほどいい加減な思い付きで、実行する上でも一部修正を施さなければならないというお粗末さだ。ヨーロッパでも、英・独の政界をはじめ公然と反対・疑問の声が上がっている。

 

これに対して、安倍首相は30日の参院予算委員会で7か国の入国規制措置について「米国政府の考え方を示したもので、コメントする立場にない」というお粗末答弁。追及する民進党は「思考停止」だと追及するが、質問をする前に反対の声明を出したということも聞いていない。

 

楽天の三木谷社長が「米国で起こっていることは寂しすぎる。特定の宗教、特定の国だけを差別的に一律排他することがあって良いのか? 許されないと思う」とツイッターで批判。その他の大手商社なども軒並み疑問視している。

 

 トランプ離れは、日本でも政界抜きで進んでいるようだ。

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2017年1月29日 (日)

トランプが破綻する日

このところ、明けても暮れてもトランプ、トランプ。ポピュリズムという言葉も聞きあきた。彼の思考原理はそんな系統だった単純化したものではない。思いつきで支離滅裂と言ってもよさそうだ。

 

ヒトラーでさえナチスを率いる彼の論理があった。地球温暖化の理由が、人類の発する排気ガスのみでないにしろ、プラス効果になっていることは科学的に証明され、世界中がそれを認めて防止に向けて協定を結んでいる。それを無視し破棄しようするのだ。

 

人種差別の禁止、信仰の自由、拷問の禁止なども人類の長い歴史の中で幾多の危険を乗り越えて手に入れた貴重な財産だ。それをそのまま政策化しないにしても発想は生かして人気のかてにしようというのがトランプ流だ。

 

一時流行した唯物史観とか、発展段階説などは、最近あまり聞かれなくなった。しかし、それが生まれた哲学的、論理学的背景や人類の進化発展を否定するわけにはいかない。もちろん一歩前進二歩後退という現象はあるが、得られた経験や知識をないがしろにして歴史を逆流させるほど人類はおろかではない。

 

そう古くはないアメリカの歴史でもそうだ。出身地の違う多くの人々が集まって国(州)とし、そのまま合衆国として実力世界一の座を勝ちえたのだ。モンロー主義という時代はあったが、ヨーロッパなどの干渉を拒否する政策で、排他的、攻撃的なトランプ流とは角度が違う。

 

各国は今のところ決定的な対立を避け、様子をうかがっているように見える。一番同調が得られやすいと思われたイギリスでさえ、対ロシア政策など簡単に歩調を合わせることができない問題が多い。

 

一時的なフィーバーの時期が過ぎれば、経済は逆効果が表面化し、支持者の期待を裏切って物価高におそわれたり、安全保障は、より多くの「敵」をつくることになり、軍事費が増大する。また、イスラム教原理主義やアラブ強硬派などによるテロにより多くの口実を与える。かつて大使館爆破事件など多発したことがあるので鎖国しても防ぎようがない。

 

こうして、アメリカの国内からまず弾劾の声がたかまるのではないか。塾頭はそんな気がしてならない。

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2017年1月27日 (金)

『帝国の慰安婦』裁判

韓国の世宗(セジョン)大学・朴裕河(パクユハ)教授は、『帝国の慰安婦』の著者として有名である。日韓の間で解決の糸口が見えないような中で、彼女の綿密な調査と問題点を絞り込む努力が高く評価され、邦訳のある日本をはじめ、東亜日報等韓国マスコミでも注目されていた。

 

しかし、元慰安婦の名誉を傷つけたとして、名誉毀損(きそん)罪で在宅起訴され、25日にウル東部地裁では無罪の判決が言い渡された。判事は世論を無視できず、今の雰囲気では有罪だろう」(日韓関係専門家)との見方が強かったが、塾頭も、対馬の盗難仏像関連裁判のように、司法の独立が懸念される日本も顔負けするほど危なっかしい決定をすると感じていた。

 

最高裁でひっくり返されるかもしれないが、とにかく名判決だ。塾頭の考えとすっかりと言っていいほど似通っているからだ。韓国を代表する通信社聯合通信が短い文章で判決全体のニューワンスを要領よく伝えている。

「被告の見解に関する判断は学問の場や社会の場で専門家や市民が相互検証しながら論駁する過程で行われなければならない」として、「慰安婦の真実を明らかにし、(結論に)到達できる十分な能力がある」と述べた。

 地裁は検察が名誉を毀損する表現だと主張した35カ所中、「朝鮮人の慰安婦の中、自発的な意思があった慰安婦がいた」「(旧)日本軍は公式的には誘拐や強制連行により慰安婦にしてはいなかった」などとした5カ所は事実の摘示であり、30カ所は意見表明だと指摘した。

 この5か所のうち、著書にある「元慰安婦は根本的に『売春』のくくりにいた女性たち」「朝鮮人慰安婦は日本軍と同志的関係にあった」とある点が、名誉棄損だとされる。

 あくまでも一般論として述べており、被告人など個人の事情に触れたものではない。したがって「事実の適示」であり原告の名誉棄損に当たらない、という考え方を判決はとっている。

 残りの30カ所は「慰安婦の証言などを資料として引用した上で分析や評価をしたもので、具体的な事実関係を示したと見るのは難しい」、すなわち著者の「意見」と判断してもいいが、これも原告について言っていないとしている(毎日新聞)。

塾頭もかつてフィリピンかボルネオの密林で敗戦を迎え、ばらばらになって逃げる途中、一兵士が慰安婦と出会い食料を分け合ったり、ワニのいる川を背負って渡ったりして海岸にたどり着き、帰国後は結婚するに至った、という創作を見たことがある。

韓国でも年長者ほど、銅像をところかまわず世界中に設置しまくるなどの傾向を批判的に見る人の割合が多くなる傾向だという。発言しにくいことだが、性奴隷状態は一般的な実態でなかったということを知っているからだろう。

このような判決で、感情論から、もっと現実に即した史実に対する知識を深めようとする傾向が出てくれば、落ち着くところへ落ち着くはずだ。日本は言うべきことは言わなくてはならないが、報復などを考えるべきではない。

いちいち反応して、韓国の感情論をかきたてるより、黙って泰然と構えているのが最善だ。韓国民は国際的評価を気にする点で人後に落ちないはずである。

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2017年1月25日 (水)

明治と軍歌

117日付の、官営「150年祭」、同20日付の「変な歴史認識」に続く安倍内閣の底流にある明治回帰をさぐる3回目の投稿である。自民党改憲案、天皇退位問題、中韓への対立意識など日本会議の思想的背景にもつながるように思える。

 

 以下は、維新にはじまり、明治から昭和にかけて普及した軍歌2題である。兵卒が整列行進する際に斉唱し、塾頭も小学生のころ陣取り合戦などの遊びでよく歌ったものだ。だから歌詞は今でもそらんじている。

 

戦争に駆り立て鼓舞することを目的とした歌詞である。そこに共通しているのが善悪二元論、戦争の正当性(正義)、権威づけ、そして必勝を信じ込ませる楽観視である。

 

     -------------------------

 戊辰戦争で官軍が使った。明治天皇はまだ幼少で政治的・軍事的判断を下したわけではない。薩長土を主体とする東征が朝命であると権威づけたもの。「宮さん」は有栖川宮熾仁親王で東征大総督をいう。

 

宮さん宮さん お馬の前に
ひらひらするのは何じゃいな
トコトンヤレトンヤレナ
あれは朝敵征伐せよとの
錦の御旗じゃ知らないか
トコトンヤレトンヤレナ

 

 作詞されたのは日清・日露戦争より前だが、後世、日露戦争を想起して歌われることが多かった。特に第2次大戦で、放送などで日本の不利な情勢をかくす役割が大きかったとみられる。

 

敵は幾万ありとても 
すべて烏合(うごう)の勢なるぞ 
烏合の勢にあらずとも 
味方に正しき道理あり 
邪(じゃ)はそれ正に勝ちがたく 
直(ちょく)は曲(きょく)にぞ勝栗の 
堅き心の一徹は 
石に矢の立つためしあり 
石に立つ矢のためしあり  
などて恐るる事やある 
などてたゆとう事やある
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 国会答弁のペーパに「云々」と書いてあるのを「でんでん」と読み違えてしまう首相にとって、この歌詞はちょっと難しいかもしれない。

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2017年1月24日 (火)

寒桜

関東でもこの寒さ。「寒桜」とはよく言ったもの。
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2017年1月23日 (月)

19年ぶりに日本人横綱?

実現すれば19歳の人にとって、生まれて初めての日本人横綱になる。相撲が「国技」だといわれても土俵入りをするのは外国人。これまで、「なんで?」という感じだっただろう。

 

外国人力士が現れたのは1967年、ハワイ生まれの米国人・高見山の十両入りに始まる。もう50年もたったのかという気がするが、国際化は最近の相撲人気をむしろ高めている。

 

高見山が優勝した際は、大統領から祝電が届いた。明るい性格で日本人からも愛されがトランプさんのように高い税金などかけなかった。アメリカ人はいなくなったものの、横綱を独占するモンゴルをはじめ、エジプト、ロシア、ジョージア、ブルガリア、メキシコなどにぎやかだ。

 

その中で幕内下位にいた蒼国来は、内蒙古出身といっても中国に入る。今場所星をかさねて前頭筆頭まで上がりそうだ。いずれは、中国場所復活が話題になるような活躍を期待したい。

 

今回優勝した稀勢の里は、いい意味でも悪い意味でも日本人らしいところが人気のもとであったかもしれない。稀勢の里が尊敬する力士は、と問われて朝青龍と答えた。いやがらずに稽古の相手をしてくれたからだという。

 

その朝青龍。かつて同じ質問に対し魁皇と答えた。理由は、けんか相手の力士と仲直りをするよう風呂の中でこんこんと諭されたこと、だとか。いずれにしても力士の間には国境はない。

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2017年1月22日 (日)

逆シビリアンコントロール

「逆シビリアンコントロール」という言葉があることを書物で見た。日本国憲法第66条の②に、「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」という規定がある。シビリアンコントロールを日本語で「文民統制」というが、欧米ではそれが伝統になっている。

 

ところが、実態は逆で、制服組から文民がいろいろ教わって判断を下すケースがすくなくないということだ。小泉元首相が自衛隊の海外派遣に関して、国会の野党質問に対し「戦闘区域がどこか、そんなこと私にわかるわけがないでしょう」という珍答弁をした。

 

これはギャグでも何でもない。首相の答弁は真実をついている。軍事についての判断を経験のない文民がくだして、国を危険にさらすようなことがあってはならない。小泉首相が文民統制を放棄したのは、実は正しいというべきかも知れない。

 

これを書き出したのは、トランプ政権がアメリカの軍事力をどう扱うかについて、閣僚をはじめとする人事が注目されていることによる。トランプ自身は、軍に関連のある学校にいたことがあるという程度で、軍歴や従軍経験は全くなく、アメリカでは珍しいのだそうだ。

 

実際の人事ははかばかしく進んでいないようだが、国防長官やCIAその他安全保障関連では従軍経験があって「狂犬」などと呼ばれている強硬派・タカ派を、好んであてているように報じられている。

 

つまり、最も戦争をよく知っている専門家をそろえようということだ。そういったスタッフが大統領に代わって判断を任されるということになれば、軽はずみな結論は出せない。むしろ知っているだけに、慎重さが先に来るのではないか。好戦的なブッシュ政権のもとでも、ベトナムなどでの実戦経験のあるパウエル国務長官は、ハト派的な役割を担っていたといわれる。

 

日本には実戦経験のある自衛隊員はいない。かといって、売名のため政治を利用するような元隊員には利用価値がない。安倍首相も稲田防衛相も、軍事はど素人だ。逆シビアンコントロールも利かせてみようがない。

 

安倍首相は最近、絶対多数の下で自ら万能であるかのような夢を見ているきらいがある。真のシビリアンコントロール実現のため、よほど腰を入れて監視しようではないか。

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2017年1月21日 (土)

トランプ&安倍演説

ひとことでいって、双方ともこれまでの発言を控えめに反復しただけで新味がなく、取り上げることをやめようかと思った。ニューヨーク株式もより悪い発言もなかったので微騰に終わった。ただ、外交政策では日米間に思惑の違いがそのまま残されている感じだ。

 

日米安保とかTPPなどだが、日本政府に危機感のようなものは感じられない。それに比べると、これまでトランプが公言しているアメリカの外交政策は、かなりドラスチックである。

 

メキシコの国境の壁はともかくとして、ロシアとの関係改善、それに伴うシリア政権強化、イラン敵視、ユダヤ人幹部の起用強化に伴うイスラエル支持、それに対するムスリムの反発などがあり、中東和平は見通せなくなった。

 

ヨーロッパでは、英国のEC脱退を支持し、NATO離れもありそうだ。中国とは、台湾重視や貿易政策で溝が深まる可能性がある。北朝鮮に対しては、ICBM防護システム強化政策が伝えられ、日本に協力要請があると期待する向きもあるかもしれない。だが、米本土に向けた弾道は、ロシア上空に近いのでロシアと協力する方が合理的だ。

 

国連はどうするのだろう。聞こえてこないが、世界最高の負担金を減らせとは言わないのだろうか?。

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2017年1月20日 (金)

変な歴史認識

前回の「明治150年」批判に続く。

来年が明治元年から起算して150年になることはその通りだ。この年に改元されたというだけで明治維新のスタートではない。維新がいつ始まっていつ終わるのかの定説はないのだ。だいたい当時の文献をあたっても、維新という言葉はあまりでてこない。

 

幕府の大政奉還、江戸城あけ渡し、戊辰戦争、東京遷都、それら一連の変革を、大衆は「ご一新」といっていたようだ。それが漢籍からとった「維新」に置き換えられたものだろう。

 

「明治150年をきっかけとして、明治以降の歩みを次世代に遺すことや、明治の精神に学び、日本の強みを再認識することは、大変重要なこと」とする政府の施策案は、改元にことさらこだわったもので、根拠薄弱意味不明の政策だ。

「明治の精神」というのも何を指すのかわからない。明治時代の指導者は多彩にわたり、目指すところも文明開化、富国強兵、自由民権、有司専制、藩閥政治、殖産興業などと百花繚乱で活力に満ちていたことだけは想像できる。

 

それらが、時期を追って変化し続け大正・昭和につながるのだが、自民・政府が言いたいのはどうやら教育勅語の「精神」に尽きるのだろう。まさに安倍路線そのもの。衣の下が見えるような気がしてならない。

 

もう一つは、前回書いた明治維新の勤王志士をお国自慢に祭り上げることだ。吉田松陰・高杉晋作・坂本龍馬などである。かつての歴史教育は善玉、悪玉がはっきりしており、塾頭自身もそれを疑わなかった。

 

出世頭の豊臣秀吉は善玉、宮中法度を作り鎖国に閉じこもった徳川幕府は悪玉だから、尊王攘夷は正義の発露ということになる。二元論にこだわる人は、徳川傘下で開国を志向し、蘭学から科学技術の向上を急務と考える人材が残した事績が、維新後に生かされていることを知らない。

 

佐久間象山、勝海舟、緒方洪庵、榎本武揚その他、志士たちが師事し、その影響をこうむっているのだ。最後の将軍、徳川慶喜も悪者どころか維新に果たした功績は並のものではないと考える。

 

軍国主義を作り出した、教育勅語や、薩長を中心とした政治や軍部の主導が明治の精神だと思うのは、とんでもない偏った「変な歴史認識」だ。

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2017年1月17日 (火)

官営「明治150年祭」

 「明治150年」関連施策各府省庁連絡会議というのが内閣官房「明治150年」関連施策推進室にできる。

 

 平成30年(2018年)は、明治元年(1868年)から起算して満150年の年に当たります。
 明治150年をきっかけとして、明治以降の歩みを次世代に遺すことや、明治の精神に学び、日本の強みを再認識することは、大変重要なことです。
 このため、「明治150年」に向けた関連施策を推進することとなりました。

 

 だとさ。まあ、年を区切って歴史を考え研究する、大いに結構なことだ。だけどお役所がしようとしていることは、記念事業として箱ものづくりとかイベントとかを通じた選挙活動のようなことをしようとするたくらみだろう。

 

 大いにくさしてやろうと思ったが、「明治100年」に際し、歴史学者・色川大吉が自著『明治の精神』の中で、すでに講演でのべたことを書いている。まずそれを紹介しておこう。

 

私は明治維新をまず考えます場合に、のっぺらぼうに百年が連続したという考え方、これは歴史的なものではないと思います。先ごろ佐藤首相が自分の選挙地盤である山口県に遊説にまいりましたときに、選挙民に対して、

 「自分は明治百年の記念の準備をやっている責任者である。わが山口県、長州は偉大な明治の指導者を生み出し、日本の近代史の成功のために非常な恩恵をもたらした郷土である。たとえば高杉晋作は多くの明治の指導者を鍛えたではないか。しかし昔は昔、今は今、昔晋作、今栄作()、栄作の世代が晋作の世代をたたえるときがきた。土地をあげて喜ぶべきではないか」

 「今晋三」にしてもこんな程度だろう。色川は経済の発展や近代化を祝いことほぐ前に、維新は戊辰戦争をはじめ西南戦争で日本人同士が殺し殺される中で生まれ、アジアを舞台に日清・日露・第一次大戦・満州事変・支那事変・太平洋戦争と悲惨な戦争の歴史を繰り返してきた歴史がなかったような扱いにしてしまうお祭り騒ぎを嘆いているのだ。

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2017年1月15日 (日)

《危》、天皇はずし

 大統領大荒れの韓国とアメリカ、日本の首相は兆単位のおみやげをぶら下げて外遊三昧。そんな中で気が付かないような危険極まりない「天皇はずし」が進んでいる。天皇の退位に関する「有識者会議」なるものがあって近く結論を出すという。

 安倍首相は「有識者会議」を多用する。「安倍首相の独断ではないよ」という煙幕を張る道具で結論は最初から決まっている。想像通り、現・天皇一代に限った特別立法で対処し、皇室典範は附則でそれを認める、というようなことだ。

 それも、平成30年を区切りとし、2019年元旦から新元号にする。それが、天皇や皇太子の意向であるのかどうかもわからない。皇室に関する重要事項は皇族代表2名を含む「皇室会議」の議を経ることが法律で決まっており、有識者会議などとは権威が違う。

 ここでは、皇室会議を開催せず、退位問題に皇族を参画させないという意見が出ているとされる。天皇は内閣の助言に基づき、自分自身に関する法案を、何の相談もないままサインだけさせられる。その理由が、憲法に「この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」とあるから、国権の最高機関である国会が決めることで、それ以外の意見は不要、というものだ。

 皇族の意見、天皇の意向は斟酌されない。かつて前例を見ない不遜・不敬な扱いで、人権無視の極みである。国賊と言っていいほどのレベルである。さきの戦争でも、開戦・終戦の際、それぞれ複数回の御前会議が開かれた。

 旧憲法下では国の意志を決める最高機関である。しかし憲法の趣旨に従い、天皇の積極的発言を控えていた。開戦前は「戦争やむなし」の機運が支配していたが、昭和天皇の意向は「反対」だった。その気持ちは明治天皇の御製で示された。

 よもの海
 みなはらからと思ふ世に
 など波風のたちさわぐらむ

 終戦の時の御前会議は、敗戦を意味するポツダム宣言受諾派と徹底抗戦派が同数となり、天皇の裁定を求められる中で、終戦を決めたのは昭和天皇の決断だった。

 新憲法第一章は「天皇」である。それにかかわる重要事項の変更について、国会だけで決めるという。それも紛糾回避のため、特別立法とし、皇室典範は附則改訂で済ますという姑息な手段を考えている。

 そうまでして安倍首相の思うままに政治を操ろうとする。また、過半数を握っているから当然だと思っている。首相は、自らを「立法府の長」と言い間違えた。

 自民党総裁だからという錯覚からか、あるいは本気でそう思っているのかも知れない。憲法改正に向けたトレーニングだとすればあまりにも危険だ。これに対して民進党も不感症的対応しかできない。議論を避ける情けない日本になったものだ。

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2017年1月13日 (金)

パソコン、苦戦

 新パソコンに思った以上の苦労をしています。

 便利になったのでしょうが、新機能が理解できない。私にとっては古く慣れた方が便利なので、新しい方に慣れるまで古い方を処分せず、当分は両刀使いで行きます。

 テーマを探す苦労の方が楽でした。トホホo(;△;)o

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2017年1月11日 (水)

パソコン乗り換え

 本日、使用中のパソコンを別メーカーのウインドウズ10搭載の新機に乗り換えます。引っ越しなどの理由で更新が遅れるかも知れません。

 あらかじめご了承ください。m(_ _)m

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2017年1月 9日 (月)

新時代、国連は不要?

 一昨年が戦後70年だった。去年は日米開戦75年。安倍首相がハワイに出向いた。それで、時代の区切りをつけたつもりになっている。マスコミもそういう観点で大きく報道していた。

 折から、アメリカのトランプ大統領の出現やヨーロッパ政界の地殻変動気運もあって、時代の劇的変化の始まりとする論調が巾を利かす。これを、前回の「超楽観年頭所感」として取り上げ、果たしてそのような即断をしていいのかどうか、疑問を呈した。

 終戦の年は、8月15日をはさんで6月26日に「国連憲章」がサンフランシスコで調印され、10月24日に発効したが、「それから70年」という報道は大きく取り上げられなかった。同様に、国連憲章そのものもこれまで広く知られているとは言い難い。

 前回の記事の付録として、以下にその「前文」を記録する。

     ----------------------
われら連合国の人民は、
われらの一生のうち二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救い、
基本的人権と人間の尊厳及び価値と男女及び大小各国の同権とに関する信念をあらためて確認し、正義と条約その他の国際法の源泉から生ずる義務の尊重とを維持することができる条件を確立し、一層大きな自由の中で社会的進歩と生活水準の向上を促進すること、
並びに、このために、
寛容を実行し、且つ、善良な隣人として互いに平和に生活し、
国際の平和及び安全を維持するためにわれらの力を合わせ、
共同の利益の場合を除く外は武力を用いないことを原則の受諾と方法の設定によって確保し、
すべての人民の経済的及び経済的発展を促進するために国際機関を用いることを決意して、
これらめ目的を達成するために、われらの努力を結集することに決定した。
よって、われらの各自の政府は、サンフランシスコ市に会合し、全権委任状を示してそれが良好妥当であると認められた代表者を通じて、この国際連合憲章に同意したので、ここに国際連合という国際機関を設ける。
     ----------------------

 気が付かれた方も多いと思うが、「日本国憲法」の前文とどことなく似ているのである。最初に出てくる「戦争」という文字は、以後憲章全文を通じて一切出てこない。第一次大戦後に制定された不戦条約が生きているという前提に立つからである。

 その後の戦争は、もっぱら自衛という名目をつけて行われた。これは、機会を見て別にとり上げたいが、「日本国憲法」はアメリカから押し付けられたというより、このできたばかりの国連憲章を下敷きにしていると見る方が当を得ている。

 現在、加盟国は193か国に達する。安保理を中心とする国連改革などの要請は強い。しかし、常任理事国5か国の拒否権で機能不全と言われた時代も、変化のきざしがある。加盟国が地球規模に達したため、総会の3分の2以上という数の前には大国も抵抗しがたくなっているのだ。

 安保理以外の貢献も無視できないだろう。仮にトランプ新米大統領が「新時代になったから国連は不要」などとコモン・ディーセンシー(市民の良識)に逆らう発言をすれば、世界の笑いものになり、そこでアメリカも終わりであろう。

 アメリカが主導して作られた前文の否定は、即国連の否定につながるからだ。

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2017年1月 7日 (土)

超楽観年頭所感

 活字離れというが、塾頭は毎朝新聞を見るのを楽しみにしている。正月休み中は、今年の予測、抱負とか希望的観測といった「おめでたい」記事が通例となる。ところが今年は違う。まず「トランプ」の名が大津波のように紙面を覆う。

 同時にヨーロッパ、アジアでも何十年来経験したことの無い「大変化」がありそうだと不安をあおり、お屠蘇気分もすっ飛んでしまう勢いだ。

 その原因は、世界を覆う「反・グローバリズム=孤立主義」「ポピュリズム=衆愚政治、大衆迎合主義」「右傾化」などであり、それを動かしているのはマスコミを凌駕したSNSなど、無責任な過激情報だとする。

 これは、マスコミ媒体の「敗北宣言」である。そういった意味で、当初ブログに殺到した匿名、無責任、過激発言を旨とする「ネット・ウヨ」は、同じネット論陣でもブログから離れてしまったようだ。それを嘆くべきか喜ぶべきかは別として、一条の希望の光がないわけではない。

 戦後、民主主義・議会主義・自由主義、言論・討議の在り方を勉強する中で、中庸とコモン・センスが重要な位置を占めることを知った。「コモン・センス」は和製英語っぽいが、「コモン・ディーセンシー(市民の良識)の勝利」と呼ばれている状況が去年の暮れにあったのだ。

 それは、オーストリアの大統領選である。難民の排斥を訴えた極右政党の候補が46%、EUを堅持し、従来続けてきた安定への努力を訴えたファン・デア・ベレン氏の得票率は53%(いずれも出口調査)で、ヨーロッパにおける右翼大躍進の流れを僅差で破ったのだ。

 これから、フランスの大統領選があるが、極右である国民戦線のマリーヌ・ル・ペンが女性候補として浮上してきた。仮に彼女が当選すればEU瓦解に拍車をかけることになる。大戦後、ヨーロッパに恒久平和をもたらすため、叡智を集めてスタートしたのが欧州共同体だ。

 これが、国家本位のトランプ流に傾けば、これまでの努力が水泡に帰すことになる。オーストリアは小国ながら、欧州での戦争と平和に大きく影響してきた国だ。同国のコモン・ディーセンシーは、共同体の発起人であるフランスはもとより、その他の国々に波及するはずだ。安倍首相のいう「戦後レジームの脱却」などとは比較にならない重みがある。

 もちろん、トランプのように大方の予想が覆るということはあり得る。しかし、トランプ自身、大統領就任後は、コモン・ディーセンシーから大きく離れた政策はとり得ないだろう。それがなければ、与党や議会の混乱はもとより、暴動を警戒しなければならなくなる。

 そうすると、混迷を極める東アジア情勢も、ナショナリズム依存体質から脱却し、軌道修正を迫られるのではないか。塾頭の超楽観年頭所感である。

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2017年1月 6日 (金)

准高齢者

 どういう人の集まりか知らないが「日本老年学会」というのがあって、この度、高齢人口の増加に伴い、その肉体的・精神的能力を見直す必要から、高齢者を3段階に区別する提言をしたのだそうだ。

 それは、65歳から74歳までを「准老齢」、75歳から89歳を「老齢」、100歳以上を「超高齢」とするものだ。

 「後期高齢者」という言葉を当局が決めた時も、さんざん非難を浴びたものだが、今回提案した用語は、より無知・無感性というしかない。

 いつからそうなったのかわからないが、正看護士に対して准看護士、助教授は准教授になった。最初に聞いた時なんとなく耳障りな言葉だと思った。

 「准」とは「なぞらえる」というような意味で、「本当は資格がないのにそれに準じた扱いを認める」というとらえ方だ。昔の漢和辞典をひくと単語は「准后」があるだけだった。

 准后は、皇后以外の女性が皇子を生むと母親は「准后」と呼ばれた。どう見ても「正式ではない」という意味が込められており、呼ばれる方もなんとなく嬉しくないだろう。

 「超高齢者」もひどい。老齢者人口の1%ぐらいらしいが、高齢者のレベルを飛び超えた特別な存在で、「高齢者の枠外」にあると言われているような気がする。

 そういう分類は必要かも知れないが、呼ばれる人たちの気持ちもよく考えて名づけてほしい。パート・ワン、パート・スリーなどとした方がよほど気が利いていると思う。

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2017年1月 4日 (水)

宗吾霊堂

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  17世紀中ごろといえば完全な近代。それなのに真相は闇の中で、伝承だけがが独り歩きしている。その人の名が「佐倉宗吾」。

 農民の窮状を救うため将軍に直訴して目的は果たしたものの、厳しい詮議を受け刑死した義民である。その一部始終は巷間にいろいろな形で伝えられ、芝居にもなった。

 関東では、反権力の代表格で平将門がいて人気も高い。初詣では必ずマスコミで紹介される神田明神に祀られている。

 この宗吾霊堂も伝統的に庶民に愛されている。しかし、すぐ近くの成田山新勝寺などメジャーな参詣スポットがあり、そこから足をのばすにはやや遠く、至って静かなたたずまいである。

 塾頭の地元といっていい場所だが、反権力とはいえ、今回の初詣が初めて。

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2017年1月 3日 (火)

「獣の道」

 去年の最後に、不安な今年の世界の要素として、「テロ」→「イスラム」→「悪」という短絡思想を掲げておいた。もうひとつの短絡思想は、安倍首相がよく使う「共通の価値観」である。昔の「自由陣営」「共産陣営」の対立を念頭に置いて、「民主主義」→「自由主義」→「議会主義」を共通の価値観と表現したものであろう。

 ところが、この3つはそれぞれ異なる概念で、史上深刻な対立を生みながら17~18世紀頃、すでにルソーやヘーゲルなど、西欧の哲学者や思想家たちが論じてきたことである。

 北朝鮮の正式国名は、「朝鮮民主主義人民共和国」である。「民主主義」は飾りにつけているのではない。自由がないにしろ、為政者を人民投票で選び各段階の議事を経て決定していくという手続きは民主主義に沿っている。自由主義でないから民主主義でない、という理屈は成り立たない。

 民主主義は、多数を以て勝者とする。したがって少数者にとっては、自由が奪われる結果を生み、自由主義は侵される。だから、民主主義は時として独裁者の恰好な道具とされることもある。そのためのテクニックが情報操作・宣伝・教育であり、ヒトラーもその顕著な例にあげられる。

 中国では、人民や軍は党の指導を受ける対象であり、マスコミも党宣伝部が指導する。また北朝鮮のテレビ映像が日本でもよく流れるが、国民向け宣伝に向けた努力は涙ぐましいと言っていい程だ。

 そういった矛盾を解決する方法として、議会主義がとり上げられるわけだが、これも日本の現状をから見て、三者一体の価値観を構成するには程遠い。それについて、一時ヒトラーを支えたことのある法学者・カール・シュミットは、1988年に公刊された『現代議会主義の精神的状況』
(樋口陽一訳・岩波文庫)の中で議会主義の陥穽を次のように指摘している。

 やや難解だが、内閣支持率を高めながら、民主主義の破壊に余念のない安倍政治(「獣の道」)への危険信号として、年頭に打ち上げておきたい。

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 公開性と討論というこれらの二つの原理のうえに、立憲主義的思考と議会主義が、きわめて首尾一貫した包括的な一つの体系をなして基礎づけられている。それらは、一つの全時代の正義感情にとって、本質的で不可欠的なものと見られていた。公開性と討論によって保障される均衡が本来的に実現すべきはずのものは、まさに真理と正義それ自体にほかならなかった。公開性と討論によってのみ単に事実上のものである力と権力――自由主義法治国家にとって、それはそれ自体として悪であり、ロックが言ったように「獣の道」(way of beasts)である――が克服され、法のみが力を手にするのだと考えられていた。「力(forse)にかわる討論(discussion)」。これこそ、かような思考様式を特に特徴づけることばである。
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2017年1月 1日 (日)

賀詞

20172


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