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2016年10月20日 (木)

退位に慎重だった皇后

 今日は、皇后陛下誕生日である。休日ではなかったが昭和20年までは「地久節(ちきゅうせつ)」といった。折からの天皇退位問題で、これまでの経緯などが今日の新聞に取り上げられている。

 「毎日」によれば、その意向を最初に示されたのが2010年7月22日の宮内庁参与会議で、6年前陛下76歳の時とされる。同会議は2カ月に1回程度開かれ、参与は宮内庁長官、侍従長、最高裁長官、警察庁長官、検事総長の経験者などで構成される。

 同日は天皇・皇后を含め、深夜に至る異例の会議となった。会議では摂政制度を薦める出席者もいたが、陛下は「天皇というものは何人によっても代行することはできない」と強く否定。皇后さまは当初は退位に慎重な姿勢だったが、陛下の考えに同意する姿勢になったという。

 ということは、事前に夫婦間はもとより皇太子・秋篠宮などにも根回しのないまま切り出されたものと見られるが、塾頭は天皇の考えに強い共感を覚えるものの、「不敬罪」覚悟でいうと、やや、わがままな気がする。

 天皇は「日本国憲法の子」だからである。昭和天皇は、戦争責任などを理由に、戦後何度も退位を考えられた。しかし新憲法とGHQはそれ許さず、天寿を全うされた。今上は、「象徴天皇にふさわしくない姿や言動を国民の前にさらしたくない」という思いがあると見る。

 それは、同年輩の塾頭にもよくわかる。そう考え、自分の今後の生き方を自分で決めたいと思うことは、「基本的人権」に他ならない。日本人の多くが天皇の退位の希望を肯定したのは「基本的人権」尊重に重きを置いたからであろう。

 ところが、天皇およびその子は生まれながらに、男性の配偶者は結婚と同時に皇族となり、憲法に定められた国民の基本的人権がないのである。

 その中で代表的なのは、第2条で天皇の世襲が義務付けられていること。第13条の個人の尊重、第15条の選挙権、第22条の居住・移転・職業選択の自由、第24条の結婚を含む両性の平等などが適用されないことなどである。

 もし、そういった自由があるとすれば、天皇継承拒否の意向があれば、それも尊重しなくてはならないし、「菊のカーテン」を取っ払って言論の自由を駆使されれば、政治的な影響力持たせてしまうことになる。

 18年前に、女性天皇を認めるかどうかで議論があった時、高橋紘・所功『皇位継承』という本が発刊され、その最終章は「新『皇室典範』のディレンマ」でくくった。憲法や皇室典範にメスを入れて、国民の感覚に合ったものにするか、明治の皇室典範の遺風を固持するかの二者択一が迫られているという意味だ。

 政府は17年の通常国会に法案提出を目指すというが、これまでその作業を怠ってきたつけは重く、国民の納得が得られるような議論にはならないだろう。塾頭は9月7日付で「生前『退位』でなく『交代』」という文を書いたが、オリンピックのリレーのように考えて知恵をだしたらどうかとした。

 「象徴」はトラックを走る走者に、入賞の栄誉と尊厳はチームの全員にということだ。バトンタッチのルールをきちっと書けばいいだけ。前天皇の名称は「上皇」でいいではないか。住まいや予算は新宮家にすればいい。それで余生をゆっくり過ごしてほしい。

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コメント

今回の生前退位騒動の“仕掛け人”は(父親を思う)秋篠宮だそうで、それを手助けした侍従は突然に移動になり、事実上の更迭とか・・・一部のメディアが記事にしています。
真相は不明ですが、はやくスッキリしてもらいたいものです。

投稿: 玉井人ひろた | 2016年10月21日 (金) 17時18分

真相は分かりませんが侍従長以外の侍従はお手伝いさん的存在にすぎず、とてもそんなことを言いだせる役柄ではありません。

投稿: ましま | 2016年10月21日 (金) 17時34分

陛下は完全主義者なのです。誠実すぎるのです。
でも天皇は"職務"ではない、政治家ではない。国家国民の頂点に君臨して総攬する存在です。
自己に厳しいのはよいけど後続の天皇を縛ってはいけない。
塾頭は「日本国憲法の子」と言ったが確かに言動を見るにご本人もそう思ってる可能性が高い。
しかし現行憲法はゴミだと思ってる人には嘆かわしいとしか思えません。

投稿: ミスター珍 | 2016年10月24日 (月) 22時29分

ミスター珍 さま
 昭和天皇は終戦時、自分の身はどうなってもいい、ただ皇祖皇宗から伝わってきた天皇制だけは自分の代で終わらせたくないと真剣に考えた。

そこででてきたのが新憲法の「象徴」。これこそ、今後どんなことがあっても永続できる――と考えたのではないでしょうか。

だから、心から歓迎したはずです。今上も一時は廃嫡、民間人となることも考えたはずです。だからこそ、人一倍「象徴」の在り方を追求したのだと思います。

でも、塾頭から見ると考え過ぎ。マイペースでいいのです。

投稿: ましま | 2016年10月25日 (火) 07時56分

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