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2016年5月 1日 (日)

前方後円墳のなぞ(その3)

 当塾に、「前方後円墳の向き」という検索が頻繁に来訪する。古墳の形状や埋葬方法、副葬品など、共通点を探る研究は多い。また、拝所があり、鳥居が向いている”方”を”前”となし、円墳の”後”あたるという説が有力である。

 しかし、それがどっちを向いているかについては、360度好き勝手で、同じ場所にあってもばらばらなのである。古墳マニアの塾頭も以前から不思議に思っていたことだが、これに納得のいく”説明をした研究はなぜか目にしたことがない。2011年に「前方後円墳のなぞ」と題した記事を書いたが、去年にもその続編を書いた。
http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-999a.html
http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2015/06/post-2219.html

 塾頭の想像は、墳丘に必要な土盛りをするため周辺の土を掘る。その後は環濠のようになるが、墳丘の傾斜部分が雨で流されるのを防ぐため大量の石を張る。日本書紀には、それを大勢の人を動員してリレー式に運んだということも書いてある。

 すると、環濠の1か所はつないでおかなければならい。また祭祀や礼拝などに行くためにもつながっていた方が便利だ。だから、一番墳丘に近い通りやすい位置に向けて前方部が残ったのではないかと考えた。

 今でもこの考えは変わらないが、最近、被葬者の生誕日時に合わせて、今の「九星気学」的発想で向きを決めた、というのを見た。しかし、これは否定できる。なぜならば、弥生時代に続く前期古墳時代は、そもそもそういった暦などなかったからだ。

 その頃の古墳が集中する、奈良県大大和、柳本、纏向地区の古墳も向きはばらばらだ。その図をみているうちに、改めて別の事に気が付いた。

 最古の巨大古墳・箸墓は隣に大きな池はあるが環濠はない。また、全くない古墳もある。渋谷向山古墳は、自然の岡を円墳として利用しており、ことさら環濠を掘って土を積む必要がない。しかし現状では水面の高さを区切った形の濠が存在する。事実、後の灌漑用水利や調整池の役割を持たせるために改修したという記録もある。

 どうやら、今見る形は、造成当時と同じ景観とはいいきれないようだ。今はなくても創建当初はあったという古墳もあるだろう。そして、後方部は、円墳と同じ高さとし、縁者を葬ったり副葬品を埋葬するなど通路とは違う役割を持たせているところもある。

 それから、3重の濠をめぐらした大山古墳(現仁徳陵)のような最大規模の古墳は、応神朝の頃朝鮮から多くの土木技術者が渡来して築造を可能にした、などの説がある。しかし日本の弥生時代、すでに吉野ケ里や唐古遺跡のような集落全体を囲む巨大な防護用環濠を作る技術を持っていたのだ。

 その際の外部とのつながりや方向をどうやって決めたのか、作った人に聞いてみないと分からない。

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