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2016年2月 5日 (金)

支那事変の頃

1 父よあなたは 強かった
  兜(かぶと)も焦がす 炎熱を
  敵の屍(かばね)と ともに寝て
  泥水すすり 草を食(は)み
  荒れた山河を 幾千里
  よくこそ討って 下さった

2 夫よあなたは 強かった
  骨まで凍る 酷寒を
  背も届かぬ クリーク(濠)に
  三日も浸かって いたとやら
  十日も食べずに いたとやら
  よくこそ勝って 下さった

 昭和14年にできた歌だ。真夏の厚い頃、1番の歌詞を紹介したことがあるが、寒さ真っ盛りなので2番も紹介する。同じ頃、小学生の悪童の間では、通りがかりの洋髪の若い女性にこんな唄を浴びせかけた。

♪パーマネントに火がついて 
 見る見るうちに禿げ頭
 はげた頭に毛が3本
 ああ恥ずかしや恥ずかしや
 パーマネントはやめましょう

 政府肝いりの国民精神総動員運動が本格化した年だ。子供のマンガにも戦場が現れた。相手の支那兵は軍隊というより、馬賊・匪賊の類に扱かわれ、緑のよれよれな服装で、銃のかわりに傘を斜めに背負っていた。

 吹き出しには「××あるよ、ポコペン」などと書かれ、弱そうだった。冒頭の歌は、歩兵とか輜重兵が艱難辛苦に耐える皇軍への感謝の歌だ。この歌のせいで軟弱な塾頭などは、海軍志願に傾いたほどだ。

 さて、自民党が憲法を改正して海外派兵あり、としても、隊員は上記のような経験はせずに済む。そんな目に合うのは現地の避難民で、攻撃側は安全な場所で遠隔無人機の引き金を引くだけでいい。目標に定めた家屋に敵が隠れているという前提で火をつけ、逃げ出すものは女であろうが子どもであろうが、動くものならすかさず引き金を引かなければならない。

 すこしでも手心を加えると物陰に逃げこまれてしまう。そうするとポイントはマイナス。まるでゲームそのものだ。違うのは飛び散る肉片、残酷な死骸がいやでも目に焼き付いてしまうことである。任務が終われば、飲めや歌えの日常生活に戻っても、神経や精神を侵され、不治の心の傷に呻吟する例がどれほどあるか。

♪ああ恥ずかしや恥ずかしや
 アメリカ追随はやめましょう

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