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2015年12月 2日 (水)

誰も知らない戦争のかげ

 「戦争遺跡に冷淡な行政」で始め、3回連続のシリーズにしたが、今回で一応締めくくることにした。最初に紹介した赤レンガ建築物が建造されたのは、明治23年に帝国憲法が発布される前である。

 近代国家建設を急ぐ国が、帝国大学その他の教育機関建設するためこの地を買収していたが、都心から川を隔てた遠さと水利の便が良くなかったなどから、陸軍が肩代わりすることになって、下士養成機関である「陸軍教導団」が誘致された。

 赤レンガの倉庫のほか、弘法寺境内に仮病舎もこの時期に設置された。病舎は後の陸軍病院となり、今の国立病院に続く。その後、野砲聯隊が3聯隊集まり、軍馬にあふれる街になった。さらに野戦重砲兵聯隊が編成され近代化される。その間、日清・日露戦争の中核をなす兵士を送りだし、最後は沖縄で全滅した部隊が含まれるなど、各戦争で大きな役割を果たした。

 国家のために尊い命を捧げた英霊に感謝する意味で遺跡を保存し、記録を展示するだけでは、靖国神社の修猷館と同じになってしまう。将来に向けては、その陰にあるもの、あったものをしっかり後世に伝えなければならない。

 前回の「兵隊になれない兵隊」では、すでに明らかにされた研究資料からいくつかを抜粋したが、「入りたくない病院」「入ったら出られなくなる病院」とは、一体何だったのだろう。

 前回の記事でもわかるように、健常者であっても脱走を試みたり命令に服さず規律を乱す者、PTSDにかかるような「帝国軍事人にあるまじき」軟弱者、反戦思想を持つ者など、原隊に置いておくと迷惑な者を「痴愚」とか「愚鈍」などの病名で送り込んだ可能性がある。

 こういった兵隊を除隊にすれば、兵役免除の近道とばかり、その手を使う者が激増するだろう。だから退院させず、厳重に有刺鉄線を張り巡らした病院に置いておくしかないのだ。外部との連絡も簡単ではないだろう。病院と言っても軍事施設だ。軍事機密保護を理由に通信の自由は無い。

 そして、軍人の身分である限り、一般の法秩序が適用されず犯罪は軍事法廷で裁かれる。以上は、実例に基ずくものでなく塾頭の想像だ。しかし、これらもやがて調査が進めばわかってくるかも知れない。

 それが、忘却の彼方に追いやられないようにするためには、今、どうすべきかを考えるなくてはならない。残された時間はあまりない。戦争遺跡保存がそのきっかけになれば喜ばしいことだが、残念ながら森田健作県知事で安倍首相では無理かも知れない。(この項の主な参考図書、『放置と崩壊の危機にある市川国府台の赤レンガ建築物――その保存と活用を求めて――』赤レンガをいかす会)

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コメント

私も、今年8月に東京新聞に出ていた国府台陸軍病院について書かれた記事をアップしてました。
このシリーズの参考資料の一つになればと、トラックバック送りました。m(_ _)m

投稿: 金木犀 | 2015年12月 2日 (水) 22時38分

金木犀 さま
トラックバックありがとうございました。

前々回の「戦争遺跡に冷淡な行政」のコメントに東京新聞の名をあげておいたので、助かります。

そこに国府台病院の現在の写真も載せておきました。場所は変わったものの、当時の片りんを全く感じさせない堂々とした近代的建物です。

戦中にあった、周囲を囲んでいた有刺鉄線は、コンクリの柱が何本かと、「開かずの便所」というのがあったという伝承が残っている程度です。

投稿: ましま | 2015年12月 3日 (木) 09時07分

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