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2015年10月18日 (日)

戦前右翼考

 右傾化とか「ネットウヨ」などの言葉が飛び交う現世である。5.51事件や2.26事件など、軍部によるテロやクーデターに陰に陽に関与した戦前右翼のことは、当塾として当然研究対象である。しかし、現在の右翼とは相当違うということに、もっと目を向けてもいいのではないか。

 Yjimage12・26事件で刑死した北一輝は、彼の境遇や眼疾といった不遇、学歴の不足などにもかかわらず、彼独特の発想や世間離れした特異な行動と著述が目を引いた。また当局の監視のもとに置かれ、言論が封殺されるようなこともあった。

 しかし、そのそのカリスマ性と過激さが軍内部の不満分子の共感を呼び、連携を探るようになる。そこに超国家主義という共通点を見出し、引き付けられた若手軍人の現状打破への原動力となる。

 彼が中国を愛し、大アジア主義に立って『支那革命外史』などの大著があることも知られている。その後、法華経に傾倒し『日本改造法案大綱』を執筆するが、それは現在の右翼が想像するようなものでは全くなく、今なら「サヨ」といわれるような内容であった。

 彼の歴史認識を、日露戦争直後に北が出版した『国体論』の中から『人物・日本の歴史14』読売新聞、が解説した部分を引用しておこう。なお、同著はその後直ちに西園寺内閣により発禁処分を受けている。

(前略)維新後の明治国家の本質をいわゆる「公民国家」としてとらえている。彼のいう「公民国家」というのは、天皇が家長君主として統治した「民主国家」時代(古代)から、複数の家長君主=貴族の統治が行われた「貴族国家」時代(中世)をへて、君主も国民も、ともに全体としての国家の生存のために行動する「機関」に進化した現代国家を意味している。したがって、従来の『国体論』が「天皇の臣民」を強調し、そのために日本歴史の解釈をことごとく「万世一系」「忠孝一致」「君臣一家」の証明のために歪曲したのに対し、北は逐一歴史的事実をあげて反証につとめている。この点においては、北は優に明治期における在野史家のひとりと称されうる歴史知識を示している(以下略)

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コメント

現在の右翼の方々の幹部のほとんどが「在日」と言う方がで占められているという話を聞きます。
その点でも、(笹川良一のころとは)違うのでしょう(たぶん?)

投稿: 玉井人ひろた | 2015年10月19日 (月) 18時42分

笹川良一や児玉誉士夫など大物になると右翼というより政商・怪物といった感じでした。一時新左翼があり、昔の系譜を主張する新右翼もありました。

そうして、街宣右翼や総会屋右翼があり、同和左翼も活発でしたがこのところあまり聞きません。

宗教団体がからんでいたり、在日がからんでいたり、戦前右翼と全く異質のように思います。

投稿: ましま | 2015年10月19日 (月) 20時31分

「児玉誉士夫」、懐かしい名ですね。
私の村の隣町の旧本宮町(もとみやまち→現在は本宮市)の人物です。

投稿: 玉井人ひろた | 2015年10月20日 (火) 22時14分

へぇーっ!、そうなんですか。知りませんでした。東京はこれほど人口が多くても「大物」は育ちませんね。

投稿: ましま | 2015年10月21日 (水) 07時59分

児玉の資料には、政界の闇のドンとしてのことばかり記載ですが、
本宮の歴史写真の中では当時激しい選挙戦が多かった本宮町で、選挙のたびにそこに(食べ物がもらえるから)現れる子どもとして、候補者や運動員の大勢の大人の中にちょこんと混ざって写っている幼い児玉の写真が残されています。

投稿: 玉井人ひろた | 2015年10月22日 (木) 13時51分

なるほど、その頃から政商の素質があったんだ。

でも子供なら可愛かったでしょうね。

投稿: ましま | 2015年10月22日 (木) 17時26分

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