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2015年9月 8日 (火)

古墳発見発表のウソ

  本塾の記事でこんな大恥をかかされたことはない。

 今日報じられた新潟県胎内(たいない)市教育委員会の発表訂正内容である。この古墳発見の同委員会発表が、拙著『海と周辺国に向き合う日本人の歴史』の記述が補強されるものとして、12/9/9のエントリー「越後に前期古墳」で取り上げ背景説明までしてしまった。

 共同通信や毎日新聞は、同委員会が当初の発表に誤りがありそれを訂正したとしているが、仮に拙著にそのまま引用していれば、回収したくなるほどの「ウソ」発表である。前回発表は訂正ではなく、まず撤回し、お詫びすべきではなかつたか。

 前のエントリーの内容は全文削除して本文末に一部を移動する。以下に今回発表との相違点を列記しておく。なお、日本海側最北端なある前方後円墳は菖蒲塚古墳で北陸道から会津へ向かう分岐点に位置に位置し、すでに古代史上通説化しているので弊著の訂正は免れた。

【2回の発表の相違点】
項目      前回発表   今回発表
--------------------------------------
墳形     前方後円墳   円墳
全長     41m        39m
築造時期  4世紀前半   前方部と見られた
                  溝は15世紀・奈
                  良時代以降
被葬者   初期ヤマト政権  未成年者
        と同盟関係に
        あった王
---------------------------------------

【2012年9月 9日当塾記事】

越後に前期古墳

新潟県胎内(たいない)市にある「城(じょう)の山古墳」(4世紀前半)から、長大な舟形木棺や矢を入れる靫(ゆぎ)、刀剣、銅鏡などが未盗掘の状態で出土し同市教委が6日、発表した。北部日本海側では例のない、ヤマト政権期の畿内的要素を持っており、市教委は「初期ヤマト政権と同盟関係にあった王の墓」とみている。(産経新聞2012.9.6)

 ヤマトトトビモモソヒメ→卑弥呼?→ヤマト政権→大彦命→四道将軍→北陸・東海・会津地方に版図拡大……。これは、戦後古代史で「記紀による大和政権の勢力範囲誇大記述」というのが定説になっていた。

 前述の古墳は、そのほぼ一世紀前後あとのものとみられ、能登以北の日本海側にはなかったものだ。この時期は「なぞの4世紀」と呼ばれる。記紀では日本武尊の武勇伝などが主で、そこから神功皇后→朝鮮遠征→難波王朝という過程が説話としてえがかれ、そのまま史実とは見なされていない空白期間である。

 ヤマトトトビモモソヒメで始まった大型前方後円墳をベースに、その墳形の伝播が大和政権の勢力範囲を示す指標となっている。この墓は長径41メートルの楕円形というが、円墳でも方墳てもない、前方後円の形がくずれた形とも言えなくない。(中略)

【追記】

14/11/12付の新聞夕刊によると、周辺部の追加発掘で前方後円墳が確定したようです。

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コメント

こう言うのはマスコミが先走ることも有り、一概に誰が悪いとは言えないですが、困りますね

投稿: 玉井人ひろた | 2015年9月 9日 (水) 18時21分

それにしても4世紀と15世紀では違い過ぎます。埋蔵物はあとになって副葬したり廃棄したりすることもあり、時代特定の材料にはなりません。

古いことですが宮城県の上高森遺構の70万年前事件を思い出しました。

奈良、京都、大阪と違って学者や役所やマスコミが慣れていないということもありますかね。

投稿: ましま | 2015年9月 9日 (水) 18時45分

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