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2015年8月11日 (火)

『高松宮日記』

昭和十六年八月十日 佐伯曇、南の方に出たら晴、雲は低いが視界とてもよし。
 〇九三〇「長門」にいつたら、今日は中止とか予定通とかいつてゐたが、やることになる。少しおくれて、一一三〇頃出港。第一航空戦隊の雷撃教練の時に、「長門」の真前で衝突(ソレは見なかったが)してバラバラとなり墜落するのを見た。おちて一機は黒烟と焔を海面にかなり長く残して沈む。死体四、ヂキに揚げた。あまり小さくバラバラになったので、艦上攻撃機とfc[戦闘機]かと思つた。後に「加賀」「龍驤」の艦上攻撃機がブツかつたのだとわかる。殉職六名なり。惨。
 
 高角砲射撃(一三三〇頃)、主砲射撃(一七三〇頃)、副砲(二〇〇〇頃)、予定通乙種戦闘射撃行はる。夜間雷撃(照射中)も行はる。

 高松宮は、昭和天皇の弟で当時海軍中佐。日記は太平洋戦争開戦4か月前。宮は、天皇に燃料不足などをあげて開戦に反対の旨具申。天皇は驚いて東条などを召し、事情を聴いたといわれる。

 また、サイパン陥落などで制空権を奪われても海・空軍軽視の作戦を変えず、独裁色を強める東条の暗殺計画にも関与したとされる。

 つまり、天皇の終戦判断の裏に、戦争の現実を知る身内の意見が全く影響しなかったとは、言えない感触がこの日記からうかがわれる。

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