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2015年6月 3日 (水)

赤紙&マイナンバー制度

 「赤紙=あかがみ」とは、徴兵令状のこと。役人が赤い紙に印刷した令状を持って自宅にやってくる。塾頭の家にはやってこなかったから、現物を見たことはない。

 壮年に達していた父は、「尼崎人造石油株式会社」の技術社員でプラント試運転を目前にしていたため、赤紙が来る気遣いはなかった。だけど終戦を待たず病死した。塾頭は、過労からだと信じている。

 叔父は、電力会社の変電所技術員で3人の幼児がいたが応召され、フィリピンの山中で多分餓死した。当然遺骨はない。塾頭の父の遺言は、を必ず大学まで行かせろ、だったと聞いている。

 その頃は、大学生には赤紙が来なかった。昭和18/10/12に、理工系と教員養成系以外の徴兵猶予停止が決まり、神宮外苑の学徒出陣、雨中の行進の動画はおなじみだ。

 赤紙はいつやってくるかわからない。来たことを知った近所の人は「ご愁傷様」とは言わない。「おめでとうございます」である。赤飯を炊くのは赤紙だからではない。「お国のため」になるお祝いとしてである。

 役所はどういう順で赤紙を出すのだろう。多分国からいつまでに何人という割り当てが来るのだろう。明治の頃は、老舗の跡継ぎ、農家の働き手などは後回し、次三男優先というのもあった。

 健康状態、病歴、体格などは徴兵検査で分かっている。甲種合格は当然、第2乙まで、などといわれた。そのほか、思想犯とか東条首相から政治的に憎まれていたなどには優先順位が付く。

 昔の役人は、順番を決めるのさぞかしに大変だったと思う。

 マイナンバー制度があれば、それが一瞬のうちにできる。

 

 

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コメント

私の身内の場合、伯父二人出征し二人とも死亡、軍事工場に居た父も赤紙が来たが、出征寸前に終戦になり、生き残りました。

母方の祖父はすでに40過ぎの退役軍人でしたが、終戦近くに徴兵年齢拡大の憂き目に遭い出兵し南方の島で餓死したらしいです。

其の40過ぎの祖父を選定した村の担当者の息子は当時20代だったそうですが赤紙は来ていませんことは・・・(不正を)勘繰りたくなります

投稿: 玉井人ひろた | 2015年6月 4日 (木) 19時03分

玉井人ひろた さま

赤紙は本文に「徴兵令状」と書きましたが、当時「召集令状」と言っていたのが正しいようです。

赤というより、桃色の薄い紙だったようです。駅までバンザイで勇ましく送り出されたものの、途中で逃げ出し、自殺した人がいるというのは、小説「少年H」の筋書です。

投稿: ましま | 2015年6月 4日 (木) 20時50分

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» 赤紙が来た村ー泣いて出て行った人は帰ってこない [飯大蔵の言いたい事]
 俗に赤紙といわれたものを多くの人は知っているだろう。正式には召集令状という。その種類が多くあり、充員召集と臨時召集について赤い紙で印刷された。多く出されたのが臨時召集令状だったので召集令状は赤紙といわれるようになった。  青紙は防衛召集(本土防衛)、白紙は演習召集(演習)、教育召集(軍隊教育)、国民兵招集(第二国民兵の召集)、簡閲点呼(確認の為)に使われた。    徴兵検査は20歳で行われ、検査の結果5種類に振り分けられた。  甲は兵士に適任、乙、丙は甲に準じ、丁は不合格、戊は判...... [続きを読む]

受信: 2015年6月11日 (木) 23時40分

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