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2015年6月25日 (木)

日韓、仲良くなれるか③

 当塾では、テーマによって、「ある、である調」と「です、ます調」を使い分けている。しかしシリーズの途中で変えたことはない。ここへきて急に本シリーズに「です、ます調」を使いたくなった。深い意味はなく、塾頭のわがままということでお許しをいただきたい。
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 前回朝鮮通信使のことを紹介しましたが、外交などで周辺事態が急迫してきたことなどで、やめることにし、その最後の回は1811年だったと書きました。文化8年のことです。10数年まえからロシアが国後・択捉などをたびたび侵犯するようになり、イギリス船・アメリカ船なども交易を求めてさかんにやってきます。

 「日本橋の下を流れる水はヨーロッパに通ず」と本に書き、著書が発禁となると「親なし子なし版木なし、金も無けれど死にたくも無し」という狂歌を詠んだ林子平のことは、御存知だと思いますが、この頃すでに獄死していました。

 儒教・朱子学、そして鎖国だけではこのさき国を守りきれないし、諸外国におくれをとるという危機感は、このころから民間に芽生え始めていたのです。朝鮮も全く同じ環境にあったのですが、日本とは大きな点で2つの違いがありました。

 ひとつは、朝鮮・中国ともに昔ながらの王朝支配で伝統・しきたりが王朝の交代があっても大きく変わることがありませんでした。日本は、政治は武家が行う幕藩体制で形式を整える時だけ朝廷が利用されました。

 もうひとつは、国の安全について。朝鮮は国境を接する大陸の強国とどう付き合うかを決めることしか念頭になかったのです。太古から大陸や日本からの侵攻に悩まされてきた朝鮮ですが、この頃は大陸を支配する強い王朝に従う、つまり中華思想の中で朝貢国として存在するのが最も無難というものです。これを事大主義といい、日韓併合の直前まで事大党というのがありました。

 もちろん、朝鮮にも特権官僚階級の身分を意味する両班(りゃんばん)以外の民間から、実学思想という現実から学び取ろう動きもでましたが、両班による飽くなき党派抗争の前で影が薄かったり弾圧されたりしました。

 明治維新により、日本は近代化に一歩先へ行くことなり、朝鮮へはアメリカのペルーから受けたのと同様に日本から砲艦でおどして開国させます。ここから先は当塾で「朝鮮・韓国1~23」、のシリーズがありますから関心があれば参考にしてください(カテゴリのINDEXからリンク)。

 ただ、ひとつ付け加えておきたいことがあります。砲艦外交で結んだ条約は「日韓修好条規」といいますが、いくつかの港の開港と、居留民の治外法権を認めさせたことです。これは、相手国の主権を無視した「帝国主義的侵犯」で不平等条約に違いありませんが、当時はそれほど罪悪視されていないようです。

 日本が開国させなくとも、欧米列強が先を争って乗り込み日本以上の悪法を押し付けたかもしれません。日本が前例となって各国が乗り込みますがこの頃の帝国主義は、先進国として当然、という意識しかなかったでしょう。

 日清戦争当時になって、日本は日英通商航海条約改正で不平等条約の解消を実現します。しかし、この時も「こんなとこまで外国人がきて商売を邪魔されたら困る」という「内地雑居反対」という国民運動がおきたことも付け加えておきましょう。

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