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2015年6月

2015年6月30日 (火)

マスコミは抗議より反撃を

 自民党の若手議員の勉強会とやらで飛び出したとんでも発言で、マスコミは一斉に抗議の声をあげている(そうでもない社もあるが)。しかし、それで謝ったふりをしても心底反省するような政府自民党ではない。

 それは、事態発生以来の首相の言動や顔に現れている。つまり、マスコミの抗議などは「蛙の面に小便」、いずれほとぼりがさめれば元どおり。残念ながらきっとそうなのだ。

 スポンサー企業には刃物はいらぬ。広告代理店の担当者あたりが「政府与党関係先が出稿回数・金額のリストを作っているらしいですよ」。そうつぶやくだけで、骨のない宣伝部長あたりは、へなへなとなってしまう。

 もし、何かあれば左遷はあり、出世は絶望疑いなしだからだ。そこでマスコミは、抗議だけで終わらせるのではなく、次のような公告をしてみたらどうか。

【社告】本紙(局)は、報道内容により出演予定者や広告主への不当な圧力が加えられたことが判明した場合、その要請者・被害者などの、一切を公表します。

 そこまで行かないのは、なんとなくえげつなく、証拠をつかめないこともあるのだろう。それなら、実際には公表しなくてもいい。公告だけで双方への抑止力にはなる。マスコミ各社こそ「集団的自衛権」を確立し、反撃できるようにすることを考える時期に来ているのではないだろうか。

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2015年6月29日 (月)

薊(アザミ)

花言葉=厳格

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昭和22年(終戦の翌々年)公開の映画『誰か夢なき』主題歌
作詞:佐伯孝夫、作曲:清水保雄
唄:竹山逸郎・藤原亮子

♪ 想いあふれて 花摘めば
  白い指先 入日がにじむ
  あざみなぜなぜ 刺(とげ)持つ花か
  たとえささりょと ああ 誰(たれ)か夢なき

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2015年6月28日 (日)

自衛隊機が沖縄爆撃?

 真夏の夜の怪談にしてはちょっと早いが、これは36年ほど前の話だ。すこし長いのを我慢して読んでいただきたい。プロの軍人の証言である。アマチュアの安倍首相とは違う。

 (前略)遅退作戦がこうなると、かなり難しくなるが、理屈どおりにいかないのが現実なのである。作戦上のペースより、住民の下がる速度に、遅退行動の時期を合わせざるをえない。住民がまだ残っているのに、その住民を見殺しにして、自衛隊だけが作戦上の都合で、勝手に後退することはできない。

 もし、住民の引揚げが予定の遅退行動に間に合わない場合は、自衛隊は住民とともにそこにとどまる。そして玉砕することも考えられる。

 ついでにひと言つけ加えると、これと逆のケースも考えられる。つまり、勝ち目がないなら「ムダな抵抗はやめてほしい」と住民が求めるのではないか、というケース。自衛隊が抵抗するからソ連軍に爆撃され、破壊され、殺される危険が増すというわけだ。

 たしかに北海道は米、野菜、牛肉など食料を自給自足することは可能であろう。”北海道独立”ということになる。しかし、工業地帯がほとんどないから本州と離れたら細々と生活する以外にない。石油なども東欧諸国のようにソ連などから配給してもらうということになるだろう。生活水準が、一気に下がることも覚悟しなければならない。(中略)

 ただし、五百万の道民が多数決でそう決めるなら自衛隊としても認めざるを得ない。そうなったら、北海道はそれまで日本の領土であっても、それ以後は違うということになる。逆に、本州からの米軍や自衛隊の爆撃にさらされることもありうる。無抵抗をいうなら、そうした事態まで考えていわねばならない。

 栗栖弘臣『仮想敵国ソ連ーわれらこう迎え撃つ』に書かれていることだ。話を、北海道は沖縄、ソ連を中国に置き換えてみてほしい。沖縄県知事選や名護市を含む自治体選で一致した普天間基地辺野古移転反対の民意が示されも一顧だにされていない。このままでは「独立だ」という声まである。

 また、全島民の付託を受けた知事側が妥協する道もふさがれている。最後はどうなるのか。安倍政権が続く限り、自衛隊と米軍による沖縄爆撃が絶対ないとは言い切れないのだ。「自衛」とか「集団的自衛権」の屁理屈でいけばいい。ばかげていると人は言うだろう。

 しかし、あり得ない、あってはいけないばかげた戦争に、突っ込んだいったことが現にあったのだ。それを忘れている人が多すぎはしないか。今の安保法制化の議論を聞いていると、つくづくそれを思う。戦争の口実はすべてといっていいほど、存亡の危機をかけた「自衛」なのだ。

 満州事変は、日本経営の鉄道を日本軍が爆破し、相手のせいにして始まった。イラク戦争は存在しない大量破壊兵器があるというにせ情報が開戦の理由だ。その理由・きっかけは謀略で簡単に作れる。力を過信するあまりその誘惑に乗りやすいのが権力だ。

 辺野古の膠着が続くと政府は実力を使いたがる。百田の沖縄の新聞をつぶせ発言は、そのきっかけを作るための挑発かもしれない。県民はよくよくそれを警戒し挑発に乗らず、息の長い堂々とした主張・行動で反対運動を続けてはしい。

 沖縄基金はすでに3億円を超えた。ヤマトンチュウの熱い声援はこれからも決して衰えない。

【塾頭注】故・栗栖弘臣氏は、帝国海軍出身で自衛隊制服組トップの統幕議長を務めていた。「第一線部隊指揮官が超法規的行動に出ることはありえる」などの発言が問題視され解任されだが、これは戦前の軍人の心得で、栗栖氏にしてみれば当然のことを言ったまでと思うだろう。

 ソ連の膨張主義を過大視する偏見が過大なのではないかと思うが、国民の自衛意識のなさや、非武装中立が拡張主義国の野望に火をつけたり、周辺国から不安要素として警戒されるという観点は、塾頭と認識が合う部分もある。

 また、当時すでにアメリカの力が相対的に落ちてきているので、日米安保があっても、アメリカが国益を最優先し、北海道を見捨てる可能性がある、ということを同書で明言している。

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2015年6月27日 (土)

言論統制体質

 自民党の若手議員が作家・百田尚樹を招いた勉強会とやらで、マスコミの言論を広告費で締め上げろといったり、百田氏が沖縄県紙2紙がつぶれるといいなどと言ったことが国会で追及された。

 読売新聞が社説でとりあげるなど、産経新聞を除く各マスコミは一斉に強く反発し、また自民党内からも批判が続出している。本来であれば、首相が真っ先に立って批判の先頭に立たなければならないのに、そういった姿勢が取れない。

 百田氏の著作に感激したり、同氏との対談が出版されたということは知られている。首相の「お友達」に数えられるひとりだ。どうしても歯切れが悪くなる。正直と言えば正直、悪いけど底が見えてしまうのである。今は閣僚になった稲田朋美議員が、かつて「靖国」をテーマにした映画を試写、事前検閲だと騒がれたのを思い出した。この件で、予定していた上映を自主的にやめたところが出てきたのである。

 自民党では、会を主催した木原稔青年局長を更迭するという。木原議員に何の罪もない。やることなすこと、すべてこの調子、すなわち直情径行型なのだ。だから、安保法案で「歯止めがある」といっても疑いの目で見られる。日本国民もさることながら、海外からも疑いの目で見られている。早く首相に降りてもらうしかない。

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2015年6月25日 (木)

猫「亡くなりました」→NHK

 NHKTVの25日19時台のニュースで、駅長の帽子をかぶせたアイドルの猫が「亡くなりました」と伝えた。日本語の乱れ、ここに極まれり。愛犬家、愛猫家には異論があるかもしれないが、犬、猫は動物、つまり「物」である。

 亡くなるは、人間の死に対する尊称である。たしかに昨今のペットブームが、NHKに異様な影響をもたらしたのだろう。そのうち、水族館で大勢のマグロが亡くなりました、などと言うようになるかもしれない。

 一方で、アフリカや中東の難民を中心に人命軽視が進む。犬公方・綱吉の時代でもあるまいし、そんな世は見たくない。ちなみに、TBSのニュースでは「死にました」と言っていた。

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日韓、仲良くなれるか③

 当塾では、テーマによって、「ある、である調」と「です、ます調」を使い分けている。しかしシリーズの途中で変えたことはない。ここへきて急に本シリーズに「です、ます調」を使いたくなった。深い意味はなく、塾頭のわがままということでお許しをいただきたい。
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 前回朝鮮通信使のことを紹介しましたが、外交などで周辺事態が急迫してきたことなどで、やめることにし、その最後の回は1811年だったと書きました。文化8年のことです。10数年まえからロシアが国後・択捉などをたびたび侵犯するようになり、イギリス船・アメリカ船なども交易を求めてさかんにやってきます。

 「日本橋の下を流れる水はヨーロッパに通ず」と本に書き、著書が発禁となると「親なし子なし版木なし、金も無けれど死にたくも無し」という狂歌を詠んだ林子平のことは、御存知だと思いますが、この頃すでに獄死していました。

 儒教・朱子学、そして鎖国だけではこのさき国を守りきれないし、諸外国におくれをとるという危機感は、このころから民間に芽生え始めていたのです。朝鮮も全く同じ環境にあったのですが、日本とは大きな点で2つの違いがありました。

 ひとつは、朝鮮・中国ともに昔ながらの王朝支配で伝統・しきたりが王朝の交代があっても大きく変わることがありませんでした。日本は、政治は武家が行う幕藩体制で形式を整える時だけ朝廷が利用されました。

 もうひとつは、国の安全について。朝鮮は国境を接する大陸の強国とどう付き合うかを決めることしか念頭になかったのです。太古から大陸や日本からの侵攻に悩まされてきた朝鮮ですが、この頃は大陸を支配する強い王朝に従う、つまり中華思想の中で朝貢国として存在するのが最も無難というものです。これを事大主義といい、日韓併合の直前まで事大党というのがありました。

 もちろん、朝鮮にも特権官僚階級の身分を意味する両班(りゃんばん)以外の民間から、実学思想という現実から学び取ろう動きもでましたが、両班による飽くなき党派抗争の前で影が薄かったり弾圧されたりしました。

 明治維新により、日本は近代化に一歩先へ行くことなり、朝鮮へはアメリカのペルーから受けたのと同様に日本から砲艦でおどして開国させます。ここから先は当塾で「朝鮮・韓国1~23」、のシリーズがありますから関心があれば参考にしてください(カテゴリのINDEXからリンク)。

 ただ、ひとつ付け加えておきたいことがあります。砲艦外交で結んだ条約は「日韓修好条規」といいますが、いくつかの港の開港と、居留民の治外法権を認めさせたことです。これは、相手国の主権を無視した「帝国主義的侵犯」で不平等条約に違いありませんが、当時はそれほど罪悪視されていないようです。

 日本が開国させなくとも、欧米列強が先を争って乗り込み日本以上の悪法を押し付けたかもしれません。日本が前例となって各国が乗り込みますがこの頃の帝国主義は、先進国として当然、という意識しかなかったでしょう。

 日清戦争当時になって、日本は日英通商航海条約改正で不平等条約の解消を実現します。しかし、この時も「こんなとこまで外国人がきて商売を邪魔されたら困る」という「内地雑居反対」という国民運動がおきたことも付け加えておきましょう。

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2015年6月24日 (水)

日韓、仲良くなれるか②

 前回、豊臣秀吉の朝鮮出兵から、和解に至った背景を書いたが、もちろんすんなりと進んだわけではない。中を取り持って両国政権の意地が立つように工作したのが対馬藩主・宗義智である。

 家康の強い要請を受け、折衝に当たったが、先方の俘虜送還や、先王の陵墓破壊犯人の要求と和平要請の国書を求めてきた。義智は偽物の俘虜や犯人を仕立てて送り返した。このウソは朝鮮側に見破られてしまう。
 
 しかし、義智は朝鮮側の使者を連れて伏見にいて家康に引き合わせ、家康は3000人の俘虜送還を決めたことで、交渉は進展する。朝鮮の要求する国書は日本最大の難関となるが、義智は国書の偽物を作ってこれを突破する。

 ただし、この返書が来たら幕府にばれてしまうので、またニセ返書を作ってこれを乗り切る。こういった対馬藩の努力を両政権とも見て見ぬふりをしていたということだ。朝鮮では、進駐してきてそのまま居続け、横暴の限りをつくす明軍を退去させたいところだった。そのため、一刻も早く国交回復を実現したかったという事情があった。

 以後、朝鮮通信使、あるいは招聘使と称される友好使が、将軍代替わりなどの慶事を機会に来日するようななる。これは、日朝共通の大イベントで、経費節減で縮小されることはあっても、内政・外交の急迫を受けて取りやめとなる1811年まで約200年続いた。

 通例では、正使以下一行5~600人で、第一の止宿先壱岐にはじまり海路次々に寄港各藩の接遇を受け、最後は淀川をにぎにぎしく旗印や音楽を奏でてのぼる。淀から京都に泊り陸路をたどり江戸へ向かう。

 各藩の儒者などは、一行に含まれる学者から最新の朱子学についての知識を得たく接触に精魂をつくした。また朝鮮の方でも同国にない工業技術などに目を見張って、その導入を試みるなど、日本では「朝貢」と解釈、朝鮮では「招聘」と見るようなナショナリズムや国粋主義をのりこえて、メリットを得ようとする民間の力が存在した。

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日韓、仲良くなれるか①

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 22日、東京、ソウルで日韓基本条約締結50周年の記念式典が行われ、両国の首脳が出席して挨拶した。隣国同士で国交正常化にそんな準備体操が必要とは、まどろこしい話だ。そもそも関係がこわれたのは、ささいな感情問題の行き違いからきている。そんな大層な話しではない。

 とはいえ、新聞に載った両首脳の顔を見ると、なにかそう簡単に解け合えそうにも見えない。歴史認識や慰安婦問題に、謝れ、謝らないの応酬だ。中国との間は、さきの侵略戦争そのもので単純だが、韓国は戦争の相手国ではなく、複雑な要素が混在している。

 朝鮮に対する露骨な侵略戦争は、豊臣秀吉による文禄・慶長の役だつた。「明(中国)を征服するからその道案内をせよ」という要求に応じなかったということを理由にしている。権力抗争に明け暮れする李朝はたちまち全土を蹂躙され、軍政を敷いた秀吉軍から収奪を受ける。

 しかし、李舜臣の水軍が制海権を握ることにより、後方支援の道を絶たれた日本軍は撤退を余儀なくされる。この際に奪い取った文物や、陶芸などは日本に根付き、論功行賞の証拠として首のかわりにそぎ取って持ち帰った耳や鼻、2万人分が耳塚として京都に残っている。

 講和は、秀吉が死んだ翌々年から小西行長によって交渉が始まるが、成立するのは関ヶ原の戦いを挟んで徳川家康が実権をにぎった8年後になった。今年はその409年目にあたる。この間、謝罪がどうのこうのという話は聞いたことがない。

 交渉相手が、豊臣家配下の小西ではなく、残忍非道の豊臣秀吉を敵として戦い、天下を奪い取った徳川家に敬意を払ったということもあるだろう。また、歴史にはあまり出てこないが、関ヶ原の翌年から家康が精力的に始めた東南アジアとの平和外交がものを言ったのかも知れない。

・1601年 アンナンに軍備品貸与
・1602年 漂着したルソン船送還
・1603年 カンボジアに国書
・1604年 シャム・カンボジア貿易に朱印船
・1605年 アンナン渡航の朱印許可

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2015年6月22日 (月)

「今、でしょ!!」

 第九条を支持する国民こそ、私のいう政治的白血病を防ぐ国の力である。
 さらに日本人のこの平和への意志が、もっと強烈に燃え盛り、より積極的に世界に働きかけていったならば、今日の世界の悲観的な状況を改善するうえで、少なからぬ寄与をなしうるであろう。

 私達日本人はいま、この二つの可能性の間に立っている。

 憲法学者の警告である。小林博士といっても、あの小林節先生ではない。大正生まれで従軍経験があり、友人、知人の多く失った大先輩・小林直樹先生が、なんと33年も前に指摘されたことである。(『憲法第九条』岩波新書)

 直樹先生の「政治的白血病」とは、政・財・官そして軍が歯止めをなくし、国民の望まぬ方向へ自己増殖(エスカレート)させてしまう現象を指す。これが現在起きていることだとしても、何ら違和感がない。この33年間、国民は何もしてこなかったということだ。

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2015年6月20日 (土)

安倍路線のあせり

 久々に毎日新聞のベタ記事から材料をいただく。(6/20・東京朝刊)

 自民党の稲田朋美政調会長は18日の記者会見で、現行憲法の制定過程や、連合国総司令部(GHQ)による日本の占領政策を検証する党内組織を今夏にも発足させる意向を表明した。

 安倍晋三首相は3月の衆議院予算委員会で、現行憲法の草案はGHQにより短期間で作成されたとの認識を明言。組織設置には、憲法制定に「押し付け」の側面があったとすることで、首相が目指す改憲の実現へ向けて機運を盛り上げたいとの思惑があるとみられる。

 18日の会見を2日遅れで報道するというのもどうかと思うが、産経以外の他紙はあまり触れていないようだ。ニュース価値がそれほど低いということか。しかし、塾頭はその結果に大いに関心がある。どうか結果を「没」にしないでほしい。

 この問題は、当塾でも過去さんざん記事(↓)にし、議論にものせた。簡単に言うと、憲法が押し付けられたことは知っているが、その中身を国民が議論し、結果としてできた憲法を多くの国民が歓迎したことを、塾頭が体験として持っていること伝えたかっただけだ。
http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-0d99.html

 安倍首相は「素人がたった8日で作った原案」などと発言しているが、とてもそんなものではないことが、その後のいろいろな史料開示や当事者発言などでわかり、押し付け論は下火になったと観察していた。

 上述の記事を見て「安倍ちゃんもそうとう焦っているな」と感じた。こう書くと「反戦の家づくり」さんなどから「楽観論にすぎる」とお叱りを受けそうだが、当塾は意識して「潮目が変わった」とか「かげりが見えた」などと発言し続けている。

 戦時中の言論統制は、子供用「いろはがるた」に、[カ]カベに耳あり、とあったのを覚えており「日本は負けるらしい」などと言えば、特高の逮捕も覚悟しなければならなかった。

 それが、本土決戦が言われ始めるころから井戸端会議などで声を殺してささやかれるようになった。国内の諜報をにぎる内務省はこれを知らないわけがない。これも一因となって、絶対的権力をほしいままにしていた軍部にひびを入れ、終戦工作へ向かわせたのではないかという想像をしている。

 つまり、世論の潜在的流れだ。そんなことを思いながらこの記事を書いている。

【追い書き】

「逝きし世の面影」さまからいただいた前回記事コメントの転記です。

6月19日、衆議院の安保法制の特別委員会で政府の憲法解釈を担当する内閣法制局長官である横畠裕介が、今回の安全保障関連法案にかんして、国際法上の集団的自衛権と、安倍内閣が主張する『限定的』な集団的自衛権の違いを『フグ』に例えて説明している。

なんと、
『毒があるから全部食べたらそれはあたる(死ぬ)が、肝を外せば食べられる。』
と真面目な顔で答弁した。

フグですが、素人が勝手に手料理で食べれば命が幾ら有っても足りません。

これはもう。駄目ですね。

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2015年6月19日 (金)

集団的自衛権想定、あり得ない

 安倍首相が例示する集団的自衛権発動の想定、ばかばかしくて取り上げる気にもなれない。だけど「その通り」と思う人が公明党や維新あたりにいるとすれば、書いても無駄にならないだろう。

 まず、朝鮮半島あたりで戦争が起き、韓国にいる多数の邦人救出を救出することができなくて米艦船にこれを依頼する場合、自衛隊がこれを護衛できるようにするという。パネルまで用意しての説明だ。

 米艦?、まず断られるね。そうなったら邦人だけでなくアメリカ人をはじめ、台湾・中国その他膨大な避難民がでてくる。大体、軍艦はそんな人を載せるようにはできていないし、艦内は人がすれ違えないほど狭いのだ。

 軍艦が軍事行動を放棄して、そんなバカな任務に就くわけがない。仮に避難民を収容したとしても他国民、それも日本人に限ってなどということはありえない。艦内は軍事機密も多く一般人をのせる場所などない。

 攻撃してくるのは、北朝鮮、といいたいのだろう。北朝鮮なら当然ミサイル利用だ。金正恩ご自慢の地対艦、または艦対艦が使われる。護衛するならイージス艦と護衛艦ということになる。MDシステムで空中爆破または発射元攻撃が護衛になる。まさかインド洋の海賊退治と同じと思ってはいないだろうね。

 避難民の保護、送り出しは一義的に韓国の責任である。イージス艦はアメリカ産だし、韓国にもその用意がある。自衛隊が集団的自衛権をかざして韓国領海にまで出張れば、韓国は猛反発する。事と次第によれば、北朝鮮より日本に攻撃の矛先を向けることさえあるかも知れない。

 次にホルムズ海峡の機雷封鎖だ。

 この方がむしろ心配だ。ただし安倍首相のようなのんきな想定ではない。

 かりに機雷投下があるとすれば、ペルシャ湾だけでなく、紅海の出口にあたるイエメン沖にも機雷がまかれる。イスラムシーア派のイランとスンニ派のサウジアラビアの大戦争だ。

 これはスエズ運河封鎖と同じで、日本の存続云々どころか、明治の初めに戻ってしまい、イスラム社会と世界中の大混乱につながる。

 もう、日米同盟などと言っておれない。どっちの肩も持てない事態だ。ホルムズ海峡の封鎖とはそれほど大層なことに繋がるはずで、とうていあり得ない想定なのだ。だれが考えたのだろう。多分安倍首相ご本人ではないか?。

 「後方支援は戦闘区域にならない安全な所で行い、その位置は日本政府が指定する」という政府の弁明に、「戦闘区域は、ワシントンの国防総省がウサマビンラディンに襲われたように、相手が決めること」と前に言ったので、あえてまた繰り返さない。

 一番安全で国民の生命を守れるのは、現行憲法の9条の存在を世界に掲げ、他国の思惑にに左右されないという決意を持つことにつきる。

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2015年6月18日 (木)

紫陽花

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2015年6月17日 (水)

いつから大人?

 今日、有権者年齢を20歳以上から18歳以上に改正する公職選挙法改正案が成立する。選挙には全く関係ないが、「いつから大人?」を考えさせる挿話を、ひとつ紹介しておこう。

 正徳二年(1712)、陸奥二本松藩士丹羽又八の十四歳の息子六之介が、岡田長兵衛の屋敷前で切腹して死んだ。

 自殺の原因は実にとるにたらないものだった。六之介は、長兵衛の息子で一歳年下の翁介とそれこそ遊び半分に蝉の抜けがらのとりあいをしていたが、翁介が奪い取って自分の家に逃げこんだので、やらじと追いかけた。ところが翁介の従者が屋敷の門をしめてしまい、六之介は門の前にたたずんでいるしかなかった。

 原因といえばこれだけである。蝉の抜けがらをとられたうえ従者に行手を阻まれた六之介は、「大いに憤り、扉に打掛り、自腹を切て死してけり」――どうしようもない憤りを自らの命にぶつけて、わずか十数年の人生にピリオドを打ってしまったのである。(松藩廃家録、氏家幹人『江戸藩邸物語』所載)

 本人には、すでに武士という意識がある。恥をかかされてこのまま黙過すれば、分が立たない、という一心であろう。世間はどう見たか。岡田長兵衛は、この事件がもとで知行を没収された。見事、六之介は幼い命に換えて仇を討ったのである。

 「選挙権が与えられも多分行かないだろう。1人ぐらいの投票では何も変わらない」とでは、相当な落差がある。

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2015年6月16日 (火)

泥舟・安保法制

 衆院憲法審査会で、自民党推薦を含む憲法学者3人全員が法案を「憲法違反」と発言したことにより、このところこの議論が高まった。品よく言っても「牽強付会」、俗に言えば「屁理屈」で塗り固められた政府与党の主張が明らかになりつつある。

 ブログのアクセス分析というのはにわかに信じられないのだが、本塾では最近若い人のアクセスが急増している。かつて数%程度だった10代がほぼ20%、20代を加えると過半数を超える。

 ネットを見渡しても、安保法制反対デモでデモに初めて参加したという人のレポートに、「会場で話した相手もそうだった」などというのが結構多い。もし、本当なら反戦塾冥利につきるのだが――。

 最近、自民党高村さんなどは「砂川最高裁判決」を持ち出した。これは、チャンスだと思った。というのは、これでまた「ボロ続出」になるな、と思ったからだ。高村さんは、ある程度承知の上の苦し紛れかな?と思うのだが、安倍首相は「アンポ反対」とシュプレーコールの真似をして、祖父・岸信介さんなどにたしなめられていた頃だ。

 砂川事件判決が出たのが1959年末、岸首相により新・日米安保条約が調印されたのはその翌年。塾頭は20代半ば過ぎ、社会人として世間を見、また法律関係の仕事もしていた。

 安倍さんはよく「一国だけで国の安全は保てない」とか「国際環境の変化」などという。そこには、具体例と「なぜ」かの説明がなく、歴史的検証もない。砂川事件判決当時の国際環境がどうだったか、また、そういった環境の下で安保改定が進み、それが憲法とどう折り合いを付けたかが議論から全く抜けている。

 当時は冷戦の真っただ中にあったのだ。朝鮮戦争があり、ベトナム戦争がこのあと続く。アメリカは頼まれなくとも共産主義の防波堤として日本に駐留し、日本を守らなければならなかったのだ。今とは違う。

 日米安保条約も日本国憲法を強く意識している。「極東の平和」「日本の施政下にある地域」「事前協議」「双方の憲法尊重」「10年の有効期限」などなど。ネットで検索すれば条文がすぐ出てくる。

 野党、そしてマスコミも含め、歴史的経緯を徹底的に洗い出し、別の意味での政府自民党の「歴史認識」のなさと、空中楼閣のような低次元かつ危険な安保法制案を天下にさらせば、泥舟が沈むのもそう遠くないだろう。

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2015年6月15日 (月)

続・前方後円墳のなぞ

 「前方後円墳のなぞ」を書いたのは4年前になる。検索でおいでになるお客様の多いページのひとつになっている。「なぜ四角と丸の組合せになったのか」、「四角を前とするのはなぜか」「向きがばらばらなのは何故か」などを考えてみたのがその内容である。

 2003年発行の古い新書(変な言い回し?)『日本考古学の通説を疑う』をめくっていたらこんなことが書いてあった。

 大山古墳(だいせん=仁徳陵)や誉田山古墳(こんだやま=応神陵)などの圧倒的なボリュウムを眼前にしたとき、名もなきおびただしい数の民衆の奴隷的労働を自在に酷使した専制君主の姿を背後に思い浮かべてもなんら不思議ではないし、そうした迫力をも感じさせてくれる。

 <階級闘争史観>が広く歴史学を覆っていた1967年、甘粕健氏は、先進的な技術を先取することによって、王権の経済的基盤を確立した大王が」、古墳の造営を「専制君主の権威誇示の大土木工事へと転化」させ、「応神陵・仁徳陵の陪塚」の「中小の古墳を従えることによって、大首長の墳墓は一段と荘厳化され、専制君主としての絶大な権威を誇示する機能が強化された」と述べ、大方の支持を得ていた。

 著者の広瀬和雄氏は必ずしもこの説を支持しているわけではないが、それに対抗する新設を展開しているわけでもない。前回の本塾の記事は「どうしてこんな巨大な……」という点には触れていないので、今回はそれを考えたい。

 塾頭も前述の説に特段の異論を持つものではないが、同説には文献とか証拠があるわけではない。むしろ唯一の文献では逆である。『日本書紀』崇神紀には、最初の巨大前方後円墳・箸墓を「昼は人が造り夜は神が造った。大坂山の石を運んで造った。山から墓に至るまで人民が連なって手渡しにして運んだ」とある。

 また、仁徳天皇が、高台(たかどの)に登って、見下ろしたところ煙が見えない。それは百姓(おおみたから)が貧しくて炊事もできないのだろう、と仰せられ、3年間課役をやめ、宮殿の補修もしないため雨漏りするにまかせた、という記事がある。

 戦中の小学生は、神武天皇、仁徳天皇、明治天皇の3柱の名だけは、しっかりと叩き込まれた。『書紀』が史実を反映していないにしても、そこから何も得られないとは考えられない。塾頭は、同書を何度か読み返したが、階級闘争史観より牧歌的な史観の方にひかれている。

 前回の記事で、こういった古墳は、海や川、または平地や街道を見渡らせる、または見上げる位置にあると書いた。安土城にはじまり、江戸時代の巨城はすべてそうである。内外に対するデモンストレーション効果を狙っていることは疑う余地がない。

 巨大であればあるほど外敵侵入への「抑止力効果」になるだろう。しかし、人民が平和を招来した指導者の記念物を協同して作ったと考えれば、平和のシンボルだ。また、「夜は神が造った」というのは、日頃見かけない、遠くから来た人々を指すのだろう。

 古墳づくりには、遠くからも器材や意匠、テクニックがもたらされている。それは、発掘遺物などでも証明される。これは徴発ではなく手土産持参の協力かも知れない。労働力提供が課役であったにしても、官費によるイベント参加や旅行という楽しみもあったのできないか。

 前回答えを出せなかった、前方後円の向きがばらばら、というのも、人里や街道から古墳に達するのに最もいい位置に、環濠の渡り路または礼拝所を作ったから、という単純な解釈はどうだろう。古典はそのまま読めばいいので、難しく解釈するのが正しいとは思わない。

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2015年6月12日 (金)

イラクのサッカー選手と国歌

 昨日、イラクと日本のサッカー戦が横浜であった。ちょうど夕食時でこれから始まるというところをテレビが放映していた。恒例の国歌が始まる。イラクはお国の方が存亡の危機に瀕した内戦状態。こんな時、よく出てこれるなあ、と思った。

 当塾には2月6日付で「旧・イラク国歌」という記事がある。歌詞の最初はこうだ。
 
 ♪バース党の戦士よ  
 堅固なるすみかのライオンよ
 輝かしき勝利のために前進せよ
 我らが大地に
 カリフ=ハルン・アル・ラシッドの
 御世を復し給え……

 イラク選手は、どんな歌を歌ったのだろう。熱心に歌っていたことはたしかだが、サダム・フセインと共にほろんだ「バース党の戦士」ではないだろう。大変気になる事柄なのでスポーツ紙iに何かないかとネットをさがした。

 見た限りそんな記事はない。日本人には関心の外の事ということか。ただ、サンケイスポーツにこんなのがあった。観戦した三浦知良の印象、もちろん「君が代」のことだろう。

ピッチで聞く国歌は「欧州チャンピオンズリーグのアンセム(試合前に流れる賛美歌)を聞いたときよりも興奮しました」

 イラク選手は泣きたい気持ちだったに違いない。彼らにとっての母国は、なきにも等しい状況になっているからだ。国家・国民を背負っているなとどと思わないで、トレーニングのように精出すしかない。

 それなのに、ネットの試合評では、4-0で勝った日本選手の健闘には触れず、相手の手抜きだとか、観客を愚弄しているとか、弱い相手を選んだ主催者の落ち度だといった酷評が巾を利かせていた。

 イラク選手はどういう人たちかわからない。アメリカが大量破壊兵器を隠しているというニセ情報で攻め込んだイラクは、かつてフセインの独裁国ながら、ムスリム・シーア派、同スンニ派そしてクルド人を何とかまとめてきた。そして中東では近代化が進み、豊かな国でもあった。

 同国を支配下に置いたアメリカは、早速戦争目的を民主化に変えた。投票で選ばれた首脳は、当然多数を占めるシーア派から出ることになる。シーア派を国教とするイランは、イスラエルにとって最大の敵対国だが、イラクが傀儡政権ならアメリカも何とかなると踏んでいた。

 そこで、オバマは公約の米兵撤退を実現させることに成功した。しかし、非力な傀儡政権では後が続かない。スンニ派の巻き返し、最過激派のIS国(イスラム国)が隣のシリアも含めて一定領域を確保し、世界に広げる勢いとなる。

 アメリカは、「あとは知らんよ」といって手を引きたいところだが、中東に手出しして多くの米兵を失い、正義の味方でありつづけて世界の頂点に立った手前、国際的にも国内的にも逃げが利かない。そこでやむを得ず、イラク政権に軍事指導という名目でテコ入れをはかることになった。

 指導を受けるのは、シーア派義勇軍だという。多分金で動く民兵に近いのだろう。米軍司令官が、もともと戦意がなく逃げるばかりだと苦情をもらし、手にした最新式武器は、IS側に奪われるというお粗末さだ。愛国心があって鍛えた体を持つサッカー選手が、日本にくる理由がないのだ。

 今の日本人は、イラクというと荒れた砂漠が多く緑の少ない不毛の地というイメージが強いかもしれない。しかし、チグリス・ユーフラテスの大河にはさまれた豊穣のメソポタミア、そこにバビロンという世界最古の文明が発生し、東西交通の要衝として栄枯盛衰の歴史があったことは知られている。
 
 その一方、エジプト、ペルシャ(今のイラン)、ローマ帝国、トルコ、イギリスそしてアメリカの侵攻に蹂躙された生々しい歴史もある。日本のように神代から定住し続け、追い出されたことのない日本民族とは相当違うのだ。アメリカの後方支援だけでなく、彼らの事をもっと親身に考え、思いやらなければならないのではなかろうか。

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2015年6月11日 (木)

美しい国思想回路

  記事を書こうと思って安倍さんの『美しい国へ』を見たくなった。たしかこのあたりに置いた、と思ったところをいくら探しても見当たらない。今月初め頃から書き始めた安倍1強現象の潮目がかわりつつあるのを、本棚の方で先取りしたわけでもあるまい(笑)。

 そのきっかけとなったのが、またもや毎日新聞の記事だ。

「勝負どころだ。(合憲派の学者が)こーんなにいる、と示せなければ、法案は撤回した方がいい」。10日の特別委で、民主党の辻元清美議員が菅氏に迫った。この場面で菅氏が実名を挙げた学者は、長尾一紘・中央大名誉教授▽百地章・日本大教授▽西修・駒沢大名誉教授??の3人。

 長尾氏は10日、取材に「霞が関の官僚から『国会で名前を出してもよろしいですか』と9日に連絡を受けた。以前からやり取りがあり、了承した」と語った。菅氏の答弁は毎日新聞の電話取材で知ったという。

 長尾氏は、安保法制を合憲とする根拠として、国連憲章が個別的自衛権も集団的自衛権も認めていることなどを挙げ、「戦後70年、まだ米国の洗脳工作にどっぷりつかった方々が憲法を教えているのかと驚く。一般庶民の方が国家の独立とはどういうことか気づいている」と熱弁をふるった。

 テーマを「続々・安保法制の廃案は可能になった」にしようと思ったがやめた。上の中央大教授のコメントを見て、GHQ洗脳論をいうあたり、「これは、前後レジーム脱却」をいう安倍思想回路にいる人だな、と感じた。

 安倍首相のいうことは、謝罪とか、反省とか後ろ向きのダサイことではではなく、単純でわかりやすく、時にはかっこいいので支持率も劇的に下がらない。ただし、単純なだけに論理に齟齬をきたしやすく、逃げのテクニックがどこまで利くかということにかかっている。

 安倍さんがそうだとは言わないが、一連の思想回路とは、次のようなことで、これに天皇制ファシズムが加われば、完全に戦前回帰へとつながる。

・現行憲法や東京裁判は押しつけであり、それを受け入れたのは、GHQに洗脳された人。
・日教組に嫌悪感を持っている。(国会野次その他)
・中国・韓国は日本より劣った国で一貫して反日国であり、中国を軍事的脅威とする。
・左翼は容共反日の売国奴であり、愛国心がなく、まともに議論する相手ではない。
・明治時代や教育勅語を日本の伝統文化だと思っている。
・侵略戦争に対する反省やアジア解放を認めないのは自虐史観だと思ってる。
・国民より国家を優先する(権威・権力主義)。

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2015年6月10日 (水)

続・安保法制の廃案は可能になった

 前回の記事でいただいたコメントにこうお答えした。

NHKでもフジテレビでもどこでもいいけど「私は合憲だと思います」と名乗り出る憲法学者がいないのが、かえって不気味ですね。

その方が民主主義国のあかしになるのに。

 早速、それに応えるような報道がでてきた。テレビ番組「報ステ」では、憲法学者へのアンケートの中間報告として、98人中50人から返事があり、安保法制は違憲でないとする回答が1人だけだったとしている。また、毎日新聞、6/10東京朝刊には、こんな記事もあった。

(前略)同法案を巡っては3日、小沢隆一・東京慈恵医大教授らが廃案を求める声明を発表。賛同する憲法学者は当初の171人から9日現在、212人に増えている。日本を代表する憲法学者の佐藤幸治・京都大名誉教授も、6日の講演で「いつまでぐだぐだ(憲法の根幹を揺るがすようなことを)言うのか」といらだちを表明した。

 これに対し、集団的自衛権の行使容認を昨年提言した首相の私的懇談会「安保法制懇」のメンバーで、憲法学者の西修・駒沢大名誉教授は9日、取材に「国連憲章上、集団的自衛権は固有の権利で、国家存立のための自然権と位置づけられている。憲法は自衛権の行使を否定していない。国連加盟時に何の条件もついていない」と合憲論を展開。違憲論が強まっている現状については「合憲派は少なからずいる。憲法論議は多数決ではない」と話した。

 合憲派が少数であっても、是非賛否の議論を聞きたいと思ったのだが、ただ一人だけでは、議論にならない。西先生に是非質問してみたいことは次のようなことだ。

①戦争の口実に「自衛」が使われることが常態化したことに対し、国連憲章では当初原案になかった自衛権、集団的自衛権の文言を後で挿入したいきさつを教えてください。

②集団的(collective)というのは、NATOのようなケースなら分かるのですが、かつての2国間の攻守同盟のような条約をどうしてそういうようになったのでしょうか。また、戦後はアメリカによるベトナム戦争やソ連のアフガン侵攻の口実に使われたことが正しかったのでしょうか。

③現安保条約にも集団的自衛権の文言があります。それが、双方の憲法の制約を受け、地理的条件をつけ、さらに重要な駐留米軍の行動に関し事前協議制を設けていますが、それを逸脱する集団的自衛権発動には、別の条約が必要になるのではないでしょうか。

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2015年6月 9日 (火)

安保法制の廃案は可能になった

 塾頭は、国会上程中の集団的自衛権法制化各法案は、野党が政府のペースにはまって枝葉末節の法文いじりに終始し、結局多数の論理で通してしまうことになると想定していた。それが、4日の衆院憲法審査会で、自民党推薦を含む憲法学者3人全員が法案を「憲法違反」と発言したことにより、様相に大きな変化が生じてきた。

 政府・与党は、集団的自衛権の行使容認を含む安全保障関連法案の今国会会期末(24日)までの衆院通過を断念する方針を固めたようだ。中谷防衛大臣は、言うことがすでにメロメロ、首相留守中の官房長官や幹事長など、公明党も含めて「しっかりやったつもり」というだけで答えになっていない。

 野党は、残った国会審議を憲法問題に集中させるべきだ。つまり、ホルムズ海峡がどうまこうのという架空で些末の論議から、日本のこれからのあるべき姿、国際社会で日本がとるべき安全保障の最善の道は、といった大局の議論に移すべきだ。

 自民党は、新法案が合憲であるという説明をし、憲法の法文やこれまで国家や国民がどうこれに対応し解釈してきたかを明白にしなければならなくなる。それは、現憲法が正しいということを強調する過程につながり、安倍首相の改憲志向の野望とは相反する。

 首相は、ミュンヘンでの記者会見で、最高裁の砂川判決を持ち出し、固有の自衛権の存在を主張したが、在日米軍の存在に対して争われた裁判で、地理的概念を除いた今回の集団的自衛権や、自衛隊の行動について触れたものではない。

 これで、野党はかえって攻めやすくなった。政府与党内部でもこんな粗雑な論理は通るまい。自衛隊の皆さんは、現憲法を信じて応募し、また守る義務を背負って任務を全うされている。これだけ疑問の広がった憲法のもと、今後どう行動するのか、さぞかし迷っておられることと思う。

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2015年6月 7日 (日)

70年前の《今》⑨

 沖縄失陥が時間の問題となり、対ソ交渉が打診されていた六月初め、陸軍および迫水内閣書記官長・秋永月三総合計画局長らの手によって「今後採るべき戦争指導の基本大綱」が作成され、本土決戦機運を急速に高めた。

 この案は、方針として「七生尽忠の信念を源力とし、地の利人の和を以て飽く迄戦争を完遂し、以て国体を維持し、皇土を保衛し、征戦目的の達成を期す」と、高い調子で本土決戦を歌うものであった。(外務省編『終戦史録』、『日本の歴史』中公文庫・所載)

 戦争指導方針は、6月8日の御前会議で決定されたが、そう打ち出しておいて対ソ、対支交渉を有利に進めようとする下心があったらしい。前回述べたように、天皇はすでに前月、講和やむを得ずと考えており、次の22日の御前会議では、時局収集に向けた御前会議が開催されるのである。

6.5(高見順『敗戦日記』)
 ○ 萬緑
 もう緑が珍しくない。
 つまり、――食料にならんからさ。

 ○ 食料品屋で
 なんにもありません。ハエ叩きならありますが。

6.6 ブラジル、対日宣戦

6.23 義勇兵役法公布。本土決戦に備え、男15~60歳、女17~40歳の者を国民義勇戦闘隊に編成。

6.25(高見順『敗戦日記』)
 ラジオの大本営発表で沖縄の玉砕を知る。玉砕――もはやこの言葉は使わないのである。(注=「玉砕」のかわりに「最後の攻撃を実施せり」)

7.6 ノルウェー、対日宣戦

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2015年6月 6日 (土)

気になる安倍好み

 次回のG7開催地が伊勢志摩の賢島に決まった。安倍首相が「おれが決めたんだ」といわんばかりの演出で、外遊直前の搭乗機の前で発表した。

 賢島は、かつて塾頭が老母に喜んでもらえると思って連れ出した保養地である。首相の決定理由のひとつに、伊勢神宮が近いというのがあるようだ。ここへは行かなかったが、五十鈴川、神宮、二見浦なども昔から嫌いな所ではなかった。

 しかし、安倍首相が決めたという点がどうもひっかかる。お伊勢さまは、日本武尊をはじめ戦争に行く前に武運長久を祈る場所だった。広島の原爆ドームとは180度違う。まさか、靖国神社のかわりに他国首脳にお参りさせようという魂胆ではあるまい。

 塾頭の疑心暗鬼は、昨年来どうも付いて離れない。NHKの連続ドラマに吉田松陰が取り上げられて以来ミニブームになっている。松下村塾が近代化産業遺産のひとつとして取り上げられているのも偶然なのか。山口県は安倍首相のおひざ元である。

 吉田松陰は、水戸学の右翼行動派と同じ思想を持つ幕末の尊王テロリストであること以外は、松下村塾開設期間も短く、明治の産業革命と何のかかわりもない。集団的自衛権で平和法制を作るというのと同断である。

 明治と山口県の関連をいうなら、薩長藩閥政治、軍閥では陸の長州と海の薩摩だろう。それならば軍国日本の始まりとして理にかなう。ちなみに、塾頭の出生地は山口県である。

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2015年6月 5日 (金)

法曹界をなめていた

 以下は、朝日新聞・6/5付社説である。産経新聞が「人選の誤り」と記事にやや感情的な見出しをつけているが、ほかは与党推薦の参考人まで集団的自衛権行使を違憲と断じたことを、やや意外性を持たせながら、「さもありなん」といった感じで淡々と事実関係を報道している。

 国会で審議中の安全保障関連法案について、国会に招かれた憲法学者3人がそろって「憲法違反だ」と断じた。

 きのうの衆院憲法審査会。内閣が提出した法案の正当性に、専門家が根本的な疑義を突きつけた異例の質疑だった。

 衆院の特別委員会では、自衛隊の新たなリスクなどが論点となっている。その前に、そもそも一連の法案が憲法に照らして認められるのか、原点の議論を尽くす必要性が改めて明確になった。

 憲法審査会には、与野党の協議によって選ばれた長谷部恭男、笹田栄司の両早大教授と小林節慶大名誉教授が参考人として招かれた。もともとは違うテーマでの質疑が予定されていたが、民主党議員から「安保関連法案は憲法違反ではないか」との質問が出て、それぞれが違憲との見解を示した。

 長谷部氏が問題にしたのは、「集団的自衛権の行使は認められない」という従来の政府の憲法解釈を変更し、行使を認めた昨年7月の閣議決定だ。

 長谷部氏は「従来の政府見解の基本的な論理の枠内では説明がつかない。法的な安定性を大きく揺るがす」と批判。笹田氏もまた「自民党政権と内閣法制局がつくってきた定義を踏み越えてしまっている」との見解を示した。(以下略)

 塾頭は、以前からよほど異端なことをいう人でない限り、法曹界は違憲と判断するのが当たり前、と考えていた。安倍改憲路線への仕掛けであることがバレバレなのだから、当然といえば当然。将来違憲訴訟でもおこれば、敗訴するのを承知の上の提案ではないか、と疑っていたくらいだ。

 そうなるのを待って「それじゃあ9条を変えましょう」と言い出すのではないかと思っていた。ところが、タイミングが早すぎたというか、参考人はそこまで言わないだろうという、たかをくくった傲慢さが逆に出た。

 前回、週刊誌のことを書いたが、安倍首相が考えるほど自民党が支持されているわけではない。風向きの変わり目を自民党はまだ読み切れていないのだろう。

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2015年6月 4日 (木)

週刊文春、新潮も安倍離れ

 アフガニスタンやイラク、シリアの戦地を取材、医療・難民支援も行っているフリージャーナリスト・西谷文和さんが、毎日新聞のコラムに書いている。 

 安倍晋三首相や中谷元防衛相の国会での答弁を聞くと、「この人たちはリアルな戦争の現場を知っているのだろうか」と疑問に思えてくる。

 例えば、自衛隊による米軍や他国軍への後方支援は「現に戦闘行為が行われている現場」以外で行うとしているが、アフガニスタンやイラクでは、比較的安全とされた地域が急な情勢の変化で最も危険な地域になることがあった。その時に「日本は撤退します」と抜けることができるのか。そんなことは他の国が許さないだろう。

 こういったことは、本塾でも先月「集団的自衛権?無理だって!」で書いた。国会論議を聞いていれば、そのあほらしさが限りなく伝わってくる。

 「戦闘区域については防衛大臣がその恐れの無いところを指定する」?、冗談じゃない。どこを戦闘区域にするかは敵が決めることだ。ビンラディンが決めた戦闘区域は、ニューヨークやワシントンだった。「若し戦闘区域になりそうなら退避する」?、戦場で逃げ出すのは最も危険なことだ。それは関ヶ原の戦いを知っていれば十分。武器弾薬などは置いたまま逃げるのだろうか。

 そういったところへ行かないのなら、民間でやってくれるところがいくらでもある。日本はその金さえ出せばいいのだ。アメリカが集団的自衛権を歓迎しているととすれば、アメリカ人が失う命の代わりを日本がやってくれそうだからなのだ。

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 中・韓バッシングに精を出し、辺野古移転をサポートするような右側週刊誌が、そろって「安倍離れ」の広告を出した。写真で見にくい字の詳細を転記する。

一強政権の死角①(キャンペーンとして続けるのか?=塾頭注)
 ”上からの目線”の「安保法制」
国民不在の議論のつけは政権に帰って来る
今こそ戦死のリスクを逃げずに語ってほしい
「なんで謝らなきゃならないの」天敵辻本清美に逆切れ
 (以上文春)

心に響かない安倍法制「国会議論」の不毛地帯
幼い独演と野次と重箱の隅!(以上新潮) 

 塾頭は、週刊誌をジャーナリズムとして見ていない。売れる記事を書いているだけといえよう。その点、文春が広告面で本誌アンケートでも6割が「説明不足」と記しているのは、正直な告白かも知れない。しかし、安倍政権凋落現象の第一歩ととらえることは、可能なのではないか。

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2015年6月 3日 (水)

赤紙&マイナンバー制度

 「赤紙=あかがみ」とは、徴兵令状のこと。役人が赤い紙に印刷した令状を持って自宅にやってくる。塾頭の家にはやってこなかったから、現物を見たことはない。

 壮年に達していた父は、「尼崎人造石油株式会社」の技術社員でプラント試運転を目前にしていたため、赤紙が来る気遣いはなかった。だけど終戦を待たず病死した。塾頭は、過労からだと信じている。

 叔父は、電力会社の変電所技術員で3人の幼児がいたが応召され、フィリピンの山中で多分餓死した。当然遺骨はない。塾頭の父の遺言は、を必ず大学まで行かせろ、だったと聞いている。

 その頃は、大学生には赤紙が来なかった。昭和18/10/12に、理工系と教員養成系以外の徴兵猶予停止が決まり、神宮外苑の学徒出陣、雨中の行進の動画はおなじみだ。

 赤紙はいつやってくるかわからない。来たことを知った近所の人は「ご愁傷様」とは言わない。「おめでとうございます」である。赤飯を炊くのは赤紙だからではない。「お国のため」になるお祝いとしてである。

 役所はどういう順で赤紙を出すのだろう。多分国からいつまでに何人という割り当てが来るのだろう。明治の頃は、老舗の跡継ぎ、農家の働き手などは後回し、次三男優先というのもあった。

 健康状態、病歴、体格などは徴兵検査で分かっている。甲種合格は当然、第2乙まで、などといわれた。そのほか、思想犯とか東条首相から政治的に憎まれていたなどには優先順位が付く。

 昔の役人は、順番を決めるのさぞかしに大変だったと思う。

 マイナンバー制度があれば、それが一瞬のうちにできる。

 

 

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2015年6月 1日 (月)

邪馬台国前史が始まる

 日本史は何時から始まるのか、という課題に答えるのは難しい。少なくとも文献があって時期が特定でき、その文献を裏付ける物的証拠があれば、伝説とか神話ではなく歴史研究の対象になり得る。それに、人名や地名などが加わればもっといい。

 日本の正史『日本書紀』で、完全な歴史と認定できるのは、中国文献と符合する倭王・武(雄略天皇)のころ(477年)からで、それ以前は、『書紀』の記述と巨大前方後円墳の出土品の科学的な年代測定が凡そ合致すれば、「推定・歴史」に昇格できるという程度である。

 その微妙な位置にいるのが『魏志倭人伝』の女王・卑弥呼とその本拠・邪馬台国で、場所と人が分からないことから、戦後は研究者や素人に人気のあるテーマとなった。しかし、巨大前方後円墳古墳の始まり「箸墓」に女性を葬ったとする『書紀』の記述に加え、近くの纏向遺跡からは都の存在を証拠づけるような発掘が進んでおり、論争はやや下火になっている。

 そこに突如として九州での発掘ニュースが入った。
 福岡県春日井市の須玖遺跡で、紀元前100~200年頃の銅鏡の鋳型が見つかったことだ。卑弥呼の時代、239年より300年以上前の時代である。これがきっかけとなり、卑弥呼が魏王から賜ったとされる三角縁神獣鏡100枚の価値が劇的に下がってしまうのである。

 鋳型が発見された場所は、奴(な)国の本拠地とされている一帯の中にある。奴は『魏志倭人伝』に出てくる国名だが、それより前の時代の『後漢書』にも記事がある。

 建武中元二年 倭奴國奉貢朝賀 使人自稱大夫 倭國之極南界也 光武賜以印綬

 これは西暦57年のことだが、賜った印綬の実物が江戸時代に志賀島の畑で発見されている。「漢委奴国王」と刻まれた金印である。文献があって物的証拠もある。完璧な歴史的事実だ。手元にある河出書房版『日本史年表』の一番最初に掲げられた事績になっている。

 その奴国で卑弥呼の時代よりはるかに古くから精巧な銅鏡を作っていた証拠がでてきてのだ。邪馬台国にはない確実な歴史的証拠の金印が国宝として存在する。これまで奴国が軽視されてきたのは、国王についての情報がなく、九州の福岡市に近い一部を支配するだけで、倭国を代表する存在と見なされなかったということが大きい。

 As20150527004456_comml1_2この地域は、銅鉾、銅剣、銅鏃、さらには弥生時代近畿・山陰方面で多用された銅鐸まで生産していたことは知られていたが、銅鏡がこんな古くから作られていたというのは驚きであった。国内各地で発掘される卑弥呼以前の古い鏡は、前漢鏡とか後漢鏡あるいは朝鮮半島製など、舶載鏡が直接各地に渡っていたとされることが多かった。

 これまでの定説は「卑弥呼は銅鏡を大変好んだ。魏王に対する朝貢の見返りとして銅鏡100枚を受け取り、国内有力族長を統率するためそれをさらに分与した」というものだ。しかし同デザインの鏡は100枚以上あり、国内でコピーしたいわゆる日本で中国の鏡を真似てつくった倣製鏡説がある。また、国産の大型鏡が生産されていたことから、後の時代には呉の工人が移住してきて生産したなどとも言われている。

 実際にはそのはるか昔から鏡も国産品があり、奴から各地に頒布されている可能性が高まった。奴が倭国を広域支配していたと見なすことは無理があるとしても、通商などで大きな力を持っていたはずである。だからこそ、後漢の光武帝が倭の代表として金印を授けたのだろう。

 倭100余国のひとつに金印を下賜するというのは、やはり考えにくい。銅鏡に関しても今後新鋳型が発見されたり、古鏡の分析・分類が進むことにより、邪馬台国以前の弥生時代への関心が高まって、邪馬台国ブームにとって代わるかも知れない。

 近くに春日市奴国の丘歴史公園という施設がある。比較的近い大宰府天満宮は観光客で人波が絶えないが、塾頭が数年前資料館を訪れた時は人影まだらだった。館長が「関東からわざわざ」と言って親切に案内してもらったが、これからはもっと関心を持つ人が多くなるのではないか。

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