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2015年5月16日 (土)

ジャーナリズムの死滅

  言葉としての「ジャーナリズム」には、マスコミとかマスメディアに存在する報道機関としての物理的・総体的機能を言う場合と、その取り上げ方や解釈の仕方、さらには評価・批判に至るまでの、指導的役割、すなわち精神的・個別的な姿勢をさす二面がある。

 本棚の中に他の辞書類と共に『現代用語の基礎知識』自由国民社1992年版というのがあった。古くてもかつては、重宝して使ったものだが、ネット検索全盛時代になると、本棚スペース確保には、その分厚さで廃棄の最有力候補となる。

 とり出して、なんとなくパラッと開いたまん中あたりのページで目に入ったのが、「◆ジャーナリズム」だった。以下、その記事の後半部分である。

 ジャーナリズムは、無数に生起した出来事の中から、民衆の次の行動決定のために必要な事実をピックアップして、できるだけ早く、できるだけ広く伝えることが要求される。また、民衆が自らの置かれている状況を十分かつ的確に認識できる条件が、国民全員に与えられている必要がある。この点からジャーナリズムは権力の言動を厳しく監視することが第一の責務であり、その行使を行う者がジャーナリストと言い得る。

 そこで言い換えるならば、ジャーナリズムとは民衆ののために「いま伝えねばならないことと、いま言わねばならないことを、いま、一刻も早く広めること」ということができる。

 辞書を見て感激してしまったのは、これが初めてである。安保法制が生煮えのまま議会にかけられ、政府自民党のNHK、民放等への干渉・圧力が云々される今日、23年前の常識が常識でなくなったのである。ちなみに、ネットの辞書、早わかりの類を見渡してみたが、「人それぞれ」的な記述だけでジャーナリズムの神髄を突くようなものは、さらに見当たらなかった。

 茶色に変色しかかった同書、捨てていいものかどうか、急に迷ってしまった塾頭である。

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