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2015年4月29日 (水)

大平洋のない日本史④

 シリーズの最後も南シナ海の話となる。90余りの小さな島や広範囲に散在するスプラトリー諸島(南沙諸島)とパラセル諸島(西沙諸島)が、今問題になっている。ここは、太平洋ではないが、中国、ベトナム、フィリピンの中間に位置する南シナ海域の要衝を占める位置にある。

 現在、中国大陸から各国沿岸に沿って舌状に線を引き、その内側に散在する小島に中国が3000メートル級の滑走路や大型船が停泊可能な港湾も建造するなど、海域全体の制覇を目論んでいるとして警戒されている。

 G7の懸念が伝えられ、米太平洋艦隊のハリス司令官は「砂の万里の長城を築いている」と表現し、そしてASANも昨日の首脳会議で懸念の声明を出した。

 これらの島々に目をつけたのも、鳥の羽毛からリン鉱開発に鞍替えしたかつての日本の山師(海師?)どもである。ここは、サンゴ礁が多く、船が近づきにくいなどの困難はあったが、優良なリン鉱に恵まれていた。

 設立されたリン鉱会社は、島のひとつに桟橋を建設、倉庫や鉱夫宿舎を設け、1922年(大正11)年に1133トンを生産、翌23年には9790トンに増加した。しかし、肥料業界の不況などにより1929年(昭和4)の4913トンを最後に採掘を中止し、機材を置いたまま全員この海域から引き揚げた。

 その後釜を狙ったのが、ベトナムを植民地としていたフランスである。フランスは、1933年にスプラトリー諸島領有の宣言をした。これに対し日本政府は、リン鉱会社の占有を盾に強く抗議し、1939年にこの群島を台湾高雄州へ編入した。さらに日本海軍がパラセル諸島(西沙諸島)なども占領、南シナ海全域を支配した。

 こう見てくると、中国の今の行動は不法・暴挙と言いきれない面がある。元来無人で無主の島々を占有し、それを認めて法的に管理したのは、日本統治下にあったといいえ台湾の当局である。ベトナムやフィリピンには、そういった経緯がない。台湾が中国に復帰したからには、それを継承する権利がある、という考えである。

 もっとも、これは塾頭の理屈であり、中国がそう言っているわけではない。それをいうと、日本の帝国主義、侵略行為を認めてしまうことになるからだ。日本が敗戦で後始末をせずにこの地域を単に放棄してしまったことが、いまここに尾を引いているのである。

 領有権問題は、国際法で解釈するしかいい知恵がない。かつて、無人島なら誰が行ってもよくそこで得られる利益には誰も文句を言えない、いわば人類に共通な入会権であるような時代があった。それが国家の成立で、移住とか各種の利権が絡むようになると、領有権の問題が起きる。

 資源や環境の問題もある。一切無所属というわけにはいかない。しかし、それを軍事基地化してはいけない。いままで領有問題で戦争になったケースは多々あるが、話し合いで円満解決したこともまた少なくない。どちらがいいか、これからは冷静に考えた方が勝ちという時代になりつつある。

 これで、このシリーズを終了するが、日本史に太平洋の記述を、ということでここまで来てしまった。アメリカを中心とした乱獲捕鯨、アメリカ、スペインの戦争とフィリピン、ドイツと対戦して日本が得た南洋の委任統治、ビキニ環礁の水爆実験と日本漁船の被曝など、テーマはほかにも沢山ある。

 その中にある教訓が、これから役に立つ日が必ず来ると思わなければならない。

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