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2015年4月28日 (火)

大平洋のない日本史③

2015_0423c0003_3  琉球王朝を消滅させ、沖縄県としたのが1879年(明治12)、まだアホウドリブームはなかった。沖縄県は版図を確認する意味もあったのだろう、沖縄本島西側の尖閣諸島と東側、大東島諸島など無人島の探検をおこなった。

 尖閣諸島は、沖縄本島南端の糸満村漁民などからかねて認識されていた。県の調査では、あらためてアホウドリの数の多さに驚き、「海鳥の生息のためにあるような島々」と報告している。その結果もふまえ、県は山縣内務卿あてに「沖縄県管轄の標札」を上申した。

 それから、アホウドリブームが本格的になり、同諸島での事業を試みるものが次々に現れた。労働者の置き去り事件なども起き、その管理に手を焼いた沖縄県は1893年まで3回にわたり、「標札」建設の願書を提出している。

 これを閣議にかけたのが1894年(明治27)12月、日清戦争中で緒戦には勝利したが、まだ清国降伏が見えているとまでは言えない時期である。決定は1月に持ち越されたが、決定が延びたのは領有権が清国にあることを意識していたからで、「清国が戦争に敗れ、抗議できないような状態のもとで日本が掠め取った」とする中国側の主張は、考えられなくはないが相当無理な解釈だ。

 講和会議が下関で開かれ、台湾割譲などが決まったのが4月だが、この際も尖閣の話はでていない。清国の全権はベテランの李鴻章で日本側をうならせるほどの力量があった。話は違うが、竹島を島根県が編入した頃の外交権をほぼ失っていた韓国とは、同一視できない。

 以後、はじめて領有権を主張しはじめたのが、75年もたった1970年のことである。そればかりか、同島近辺で遭難した中国漁民の救援活動に対する在日領事館の感謝状など、日本の領土であることを示す先方の資料が豊富にある。

 戦後、どうして突然それを言いだしたか。日本では、国連による1968年の海底調査の結果、東シナ海の大陸棚に石油資源が埋蔵されている可能性があるという推定に触発されたものだとされている。

 その間、中国の当局は、清国、中華民国、中華人民共和国および台湾政権へと変化した。日本も敗戦、占領期、沖縄の復帰などの変化がある。しかし、「日本は日本、中国は中国」という主体に変化はない。

 話を戻すが、敗戦国の清は日本に抗議もできない弱体国になったのだろうか。塾頭はかねがねこれに疑問を持っていたが、やはりそんなことはない、という事実を前掲書(『アホウドリを追った日本人』)の中から見つけた。

 それは日清戦争が終わって台湾が日本領になった後の1901年のことである。南シナ海の台湾に近いブラタス島(東沙島)は、標高が低く面積も狭いので無人島のままであった。そこへも、アホウドリを求める日本人が手をのばした。

 最初に探検隊を派遣したのは、前回紹介したアホウドリ成金、玉置と水谷である。玉置は東京府知事に探検報告書を提出したものの、事業には至らなかった。そこへ出てきたのが御用商人西澤吉冶で、最初から機材や労働者をつぎ込み、西澤島と称して多角的に事業をはじめた。
 
 これを知った清国海軍は軍艦を派遣、事態は深刻化した。日本世論も過激化し、読売新聞は「理由もなく占領を放棄すべきではない」などと報道した。両国は外交交渉に入ったが、台湾に付属しない同島は古来清国領であり、西澤の事業は関知する所ではないとする清国側の主張に分があることは、動かせなかった。

 こうして、東沙島の清国領であることを認め、この事件は西澤の投資額の一部を補償するというような形で日本側が撤退することになった。孫文革命の直前にあって弱体化したとはいえ、清国にはまだこれだけの外交力がある。中国が尖閣に75年も抗議できなかったというのは、不思議な話である。

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コメント

竹島とか尖閣諸島ですが絶海の無人島であり、
そもそも『日本固有の領土である』は無理筋の論理ですよ。
同じことが韓国にも中国にも言えて、どちらもこじつけ程度なのです。
日本の竹島領有は日本アシカの絶滅に、尖閣のほうはアホウドリの絶滅につながっており、
日本国が世界に向かって、胸を張って正義云々を言えるような話ではない。
竹島が今のように韓国が専有しているのは日本の敗戦と関係いていて、マッカーサーが日本漁船の50海里の制限を設けたことに由来する。
このマッカーサーラインはサンフランシスコ講和条約に廃止されると、韓国がほぼ同じ位置に李承晩ラインを引き日本船を締め出した。
尖閣も同じで、戦争に影響されているのは確実なのです。
日清戦争ですが最初から日本が優勢であり、
120年前の日本の勝利が尖閣領有を決定付けた。
ところが70年前には大敗して沖縄もろともにアメリカが専有する。
1972年の沖縄返還で尖閣の主権も日本に帰ったはずだが、アメリカは日本に返したのは主権では無くて占有権だと主張しています。
何れにしろ、戦争の勝ったか敗けたかが領有権に大きく影響していることだけは間違いありません。

投稿: 宗純 | 2015年4月29日 (水) 16時09分

宗純さま
コメントありがとうございました。

一部異議を申し上げます。
日清戦争は本文に書いた通り緒戦から有利な戦いぶりになりましたが、開戦当時英国は清有利とみてあえて中立を保ちました。

生物の絶滅と領有権に関係はありません。今問題になっているのは海底資源とか軍事的価値です。

尖閣は、明治10年代から日本人が利用しており県の調査も報告され、先占の事実があることと、沖縄県に入れてから占領時代をのぞいて一貫して実効支配しているのに、抗議もなかったということは、中国側主張には根拠がないとしうことです。

投稿: ましま | 2015年4月29日 (水) 16時39分

イギリスが中立だったのは有る意味では当然で、みすみす中国を日本が独り占めするのを応援する筈がありません。
アジアの植民地化を目指している欧米列強としては、出来れば日清戦争が双方痛み分けで終わって、日本も中国も国力を消耗してくれるのが一番良いわけです。

竹島の尖閣も同じで、経済的に本土と遠すぎて、日本アシカとかアホウドリがいなければ、領有に至っていない可能性が高いのですよ。ですから無関係どころか密接に関係しています。

海底資源とか軍事的価値が問題となりだすのは、領有宣言当時の話では無くて、もっと時代が後の話ですよ。
まあ、しかし、日本が尖閣諸島を100年以上専有していたことは明らかな事実なので、この点では日本の言い分の有利は動かないでしょう。
ただ『中国側主張には根拠がない』と言うのは日本側の思い込みでは有るが、事実とは微妙に違う。
元々尖閣諸島の個々の島名が中国名だけが付いていて、これは日本側の研究者とかマスコミ報道でも極最近まで使われていたのです。この事実は不都合なので、全ての島に日本風の名前を付け出したのは、最近の出来事です。

投稿: 宗純 | 2015年4月30日 (木) 11時17分

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