歴代天皇と戦争
大御心、「おおみこころ」と読む。戦後なくなった死語のひとつだ。戦争が終わるまで、天皇の肉声を国民が聞くことはできなかった。終戦の詔勅は国民が生の声を聞く珍しい機会だったが、「よく聞き取れなかった」という回想は、録音技術だけではなく、口語には縁のない「勅語」で、その後のアナウンサーの解説があってやっと理解できたというのが偽りのないところ。
大御心は、もっぱら下賜品に対する感謝や、御製(和歌)など、天皇の国民に対する思いやりをおしはかるための用語であった。昭和天皇に関しては、寺崎英成『昭和天皇独白録』をはじめ、側近による証言がいろいろあり、昨年には「昭和天皇実録」の公刊もあった。
昭和天皇の戦争責任は免れ得ない。ただ、開戦に関連する御前会議の最後によみあげられた
よもの海 みなはらからの 思ふ世に
など波風のちたちさわぐらむ
が有名であり、天皇の平和願望のあかしとされている。これに対し、詩人・松村正直氏は、平山周吉著『昭和天皇「よもの海」の謎』を引いて、明治天皇がやはり同時期によまれた
こらは皆 軍のにはにいではてゝ
翁やひとり山田まもるらむ
ちはやぶる 神の心にかなふらむ
わが国民のつくすまことは
をあげ、平和愛好を意味したはずの歌が軍部によって「戦争容認」と読み替えられてしまったという推測を紹介している。(2/27毎日新聞・東京、「歌壇月評」)
今上(きんじょう=これも死語か?)天皇は、塾頭よりわずかに若いが、終戦時学童疎開のようなかたちで那須に疎開中であった。少年とはいえ、開戦から敗戦に至る経緯はつぶさに見てきている。昭和天皇の退廃位、天皇制の行方や自身の身の上にどのような災難が降りかかってくるか、見当もつかなかっただろう。
新憲法でようやく「象徴天皇」という、天皇の居場所が定められる。それでも、昭和天皇は自らのあるべき姿を模索し続けた。天皇制存続を保障するのは2600年の万世一系の皇統ではなく、国民の総意をうたう新憲法と平和を希求し祈る役割だった。それを共通体験の中から目の当たりにした今上天皇の献身的な日常は、国民すべての知るところだ。
そして、昨22日は皇太子の55回目の誕生日。戦後70年の感想について皇太子の感想全文(下記)を伝えたのは、読売新聞(電子版)であった。安倍首相の「戦後レジームの脱却」とはま反対。まるで首相の70周年談話をけん制するような内容である。
ネット右翼諸君は何というだろうか。天皇一族はダサヨで反日か。他社は要約なのに貴重な紙面を割いた読売新聞もそうか。オットドッコイ残念でした。渡邉恒雄読売会長は元一兵卒の反戦主義者で首相の靖国参拝大反対の旗頭だ。安倍君の孤立は覆うべくもないのだ。
先の大戦において日本を含む世界の各国で多くの尊い人命が失われ、多くの方々が苦しい、また、大変悲しい思いをされたことを大変痛ましく思います。広島や長崎での原爆投下、東京を始め各都市での爆撃、沖縄における地上戦などで多くの方々が亡くなりました。亡くなられた方々のことを決して忘れず、多くの犠牲の上に今日の日本が築かれてきたことを心に刻み、戦争の惨禍を再び繰り返すことのないよう過去の歴史に対する認識を深め、平和を愛する心を育んでいくことが大切ではないかと思います。そしてより良い日本をつくる努力を続け、それを次の世代に引き継いでいくことが重要であると感じています。
両陛下には、これまで様々な機会に、戦争によって亡くなられた人々を慰霊し、平和を祈念されており、今年は、戦後70年に当たり、4月にパラオ国を御訪問になります。戦後60年にはサイパン島を御訪問になりましたが、お心を込めて慰霊されるお姿に心を打たれました。また、両陛下には、今年戦後70年を迎えることから、昨年には広島、長崎、沖縄で戦没者を慰霊なさいました。私は、子供の頃から、沖縄慰霊の日、広島や長崎への原爆投下の日、そして、終戦記念日には両陛下と御一緒に黙とうをしており、その折に、原爆や戦争の痛ましさについてのお話を伺ってきました。また、毎年、沖縄の豆記者や本土から沖縄に派遣される豆記者の人たちと会う際に、沖縄の文化と共に、沖縄での地上戦の激しさについても伺ったことを記憶しています。
私自身もこれまで広島、長崎、沖縄を訪れ、多くの方々の苦難を心に刻んでまいりました。また、平成19年にモンゴルを訪問した際に、モンゴルで抑留中に亡くなられた方々の慰霊碑にお参りをし、シベリア抑留の辛苦に思いをはせました。
私自身、戦後生まれであり、戦争を体験しておりませんが、戦争の記憶が薄れようとしている今日、謙虚に過去を振り返るとともに、戦争を体験した世代から戦争を知らない世代に、悲惨な体験や日本がたどった歴史が正しく伝えられていくことが大切であると考えています。両陛下からは、愛子も先の大戦について直接お話を聞かせていただいておりますし、私も両陛下から伺ったことや自分自身が知っていることについて愛子に話をしております。
我が国は、戦争の惨禍を経て、戦後、日本国憲法を基礎として築き上げられ、平和と繁栄を享受しています。戦後70年を迎える本年が、日本の発展の礎を築いた人々の労苦に深く思いを致し、平和の尊さを心に刻み、平和への思いを新たにする機会になればと思っています。
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コメント
宗純 さま
コメントありがとうございました。
慰安婦問題は、こんなことに深入りしても解決方法はないし、誰もプラスにはならないということが、日韓双方ともわかっている人は分かるようになってきたということではないかと思います。
警戒しなければならないのは、ナショナリズムの政治利用で、レイシズム、宗教、歴史問題などそのネタは限りなく存在します。世界中それで振り回されいるわけですが、日本の政治のお粗末さも下から数えた方が早そうです。
明治天皇の御製の辛辣さが安倍首相にどれだけ通用するでしょうか。
投稿: ましま | 2015年2月25日 (水) 18時24分
権威と伝統の権化である天皇家が日本で一番左翼的など、右傾化した日本を象徴するような話なのですが、
敗戦から70年が経過して、何故かナショナリズムが高揚し、危険なレベルに達している。
危険なナショナリズムですが、お隣の韓国も同じで、従軍慰安婦は色々問題が大きい。
1965年当時の日韓条約の韓国側の金鍾泌元首相夫人が亡くなった関係で、
朝鮮日報に談話が載っているのですが、
記事によると、
『金元首相は「かつて相手をした(日本の)政治家たちはそれでも度量があったが、(慰安婦の存在を否定する)菅官房長官は本当に理解に苦しむ」と述べた。
1965年の韓日請求権協定締結の際、元慰安婦に対する賠償問題を正面から取り上げなかったことについて金元首相は「当時は(元慰安婦たちが)ようやく祖国に帰り、配偶者との間に子どもを産み、懸命に生きていたときだったからだ。
ところが、(元慰安婦たちを)引っ張り出し、難しい問題を作り出してしまった。誰の発想なのかは知らないが、胸が痛む」と話した。』
と書いてある。暗に第三者(多分アメリカ)の介入を示唆しているのです。
投稿: 宗純 | 2015年2月25日 (水) 16時22分