« 反戦塾乗14/12/6 | トップページ | 野菜畑の色 »

2014年12月 9日 (火)

「名誉ある地位」今がチャンス

 日本の核武装だとか、「核の傘」などといった寝ぼけたことを言っている人がまだいる。それも「次世代」を叫んだり、それに通ずる人の間で多い。やっぱり朝に気付かず寝ぼけている人の姿にほかならない。

 今、ノーベル賞授賞式でスウェーデン・ストックホルムがにぎわっている。マスコミも受賞者を追っかけるのに余念がない。もうひとつ、ヨーロッパで重要な会議があるのだが、この方はあまり報道されない。

 オーストリア・ウイーンで8日から始まった「核兵器の人道的影響に関する国際会議」という長い名のイベントだ。この会合は初会合が去年3月ノルウェーで、2回目は今年2月のメキシコ、そして今回は3回目と矢継ぎ早に開かれている。

 毎日新聞によると、参加国は初回127か国、2回目が146か国、今回は160か国(朝日では157国)とそのたびに増えている。もはや195の全加盟国に迫っていると言っていい程だ。会合の目的は来年4月から開かれる核拡散防止条約(NTP)再検討会議(5年に1回)で、「核廃絶に向けた機運」を高めるためだ。

 この人道問題会議には、NTP上の核保有国、米・ロ・英・仏・中の5カ国は参加していなかった。核保有国は、軍事的優位を手放すことに消極的で「廃絶はまだ早すぎる」といった立場だった。それが、米・英が参加に踏み切り、中国も専門家を派遣してきた。

 あと、ロ・仏だけが残ることになるが、米・英・中もそんなに簡単に廃絶賛成にはならないだろう。これまで、日本はいつも総論賛成、各論反対で、アメリカの意向や「核の傘信仰」から脱却することができずにいたが、唯一の被爆国の立場から米・英・中などの変化をどう受け止めるのか、廃絶に向けた歯車を動かすキーポイント握っていると言えよう。

 NTPは、1968年7月に署名が開始され、1970年に発効した核兵器に関する国際法である。核保有国を当時すでに開発に成功していた5カ国に限定し、その他を非核保有国とした。非核保有国が原発など核平和利用する場合は国連の査察を受け入れ、兵器の開発を断念する。

 核保有国は、非核保有国を核攻撃せず、核兵器削減が義務付けられるという内容になっているが、すでに5か国以外にインド、パキスタン、イスラエルが核保有を実現しており、北朝鮮やイランがNTP体制に抵抗し続けているなど、規制そのものが形骸化しているといってもいい。

 こういった危機感は、上記のように国連参加国のほとんどが共有するようになってきた。また、これらの会議には、2000年には地方自治体を含め2000を超えるNGOが参加、日本からも60団体が加わって会議に大きな影響力をもたらすようになってきた。

 川崎哲氏は、その著書『核拡散』岩波新書、で11年前すでにこのように述べている。

 核抑止力への依存とは、相手を殲滅しうる物理的な力を維持することが自らの生存に不可欠だという思想の反映なのである。
 
 この地球上に単独の優位を打ち立てようとするアメリカは、それゆえに、地球を消滅させることの可能な核兵器を手放すことができず、無理にでもその存在理由を見つけ出そうとし続け、ついには宇宙戦争の次元(ミサイル防衛システムをいう→塾頭注)にまで乗り出しかけている。このような破滅的な力に政策上も思想的にも「依存」することが安全保障だというのは、前世期のうちに私たちが卒業しておかなければいけなかった時代錯誤の発想である。日本社会を束縛しているこのような幻想は、世界各地にも伝播し、生存を脅かされていると感じた「南」の国々の間では拡散の危険な歯車が加速しつつある。

 米ソ二極対立は終わり、国家、民族、宗教、歴史の多様性に向き合う時代が来たというのなら、今こそ平和共存の原則と方法論を確立すべきである。日本が核抑止力依存を脱皮できない理由の一つに、隣国が人権侵害を繰り返す戦時独裁国家であり、政治環境が成熟していないことが挙げられることが多い。しかし、戦時国家に対して核の圧力を加えることは、矛盾を激化させるだけである。逆に日本が「核の傘」からの離脱を宣言することで、北東アジアの準戦争状態の根幹を覆すことができる。軍縮イニシアティブに打って出ることによって、旧体制を地域大で転換するのだ。

|

« 反戦塾乗14/12/6 | トップページ | 野菜畑の色 »

反戦・軍縮」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/468248/58222296

この記事へのトラックバック一覧です: 「名誉ある地位」今がチャンス:

» 挑発的日本経済論 [岩下俊三のブログ]
「富」とは一体何であろうか。貨幣があてにならないから「金(きん)」だというひともいるが、あれもこれも所詮市場で決まるものであり、人間間の「信用力」できまるものであるか ... [続きを読む]

受信: 2014年12月10日 (水) 10時59分

« 反戦塾乗14/12/6 | トップページ | 野菜畑の色 »