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2014年10月13日 (月)

伊藤博文は「侵略」反対

 本塾は、いわゆる「歴史認識論争」を、第一次世界大戦以降について論ずべきだという主張を持っている。別に今年が同戦争の100年目に当たるからなどではなく、それ以前に際限なくさかのぼっても、問題の本質から遊離し論点をあいまいにするだけで益がない、と思っているからだ。

 塾頭は、明治維新からの現代史に対して、皇国史観でもなく、唯物史観でもなく、自虐史観でもないものがないかという目で史資料判断したいと心がけているつもりだ。第一次大戦以前は、国策として大陸侵略を考えていなかったということで、これには、当然反対意見がある。

 このブログでは、2014年7月12日の「潮目の第一次大戦」でそれを書き、以後「第一次世界大戦年表」をシリーズとして書いたが(カテゴリINDEX参照)、論考としてはずさんの謗りを免れ得るものではない。

 今回も、伊藤博文の事績、発想を補足として上記に付け加えることで、お許しいただくとして、内外ともにそういった論争のスタートラインを、いずれは確定されるよう願っているのである。(下記はいずれも大杉一雄『日中戦争への道』所載)

【日清戦争・山縣有朋召還事件】
第一軍司令官・山縣有朋は朝鮮における戦勝に乗じ、大本営の意向に反して、満州の山海関攻略ひいては首都北京までも陥れようとした。これに対し伊藤博文首相は戦争の長期化、列強の干渉誘発などを憂慮する高度の政治判断によりこれに反対、明治天皇に勅令を奏請し、病気静養の名目でなお粘る山縣の更迭を行った。

【日露戦争直後の満州問題】
06年(明治39年)5月「満州問題に関する協議会」において、伊藤博文韓国統監が児玉源太郎参謀総長等に「満州は決して我が国の属地ではない。純然たる清国領土の一部である。属地でもない場所に、わが主権の行わるる道理はないし、……満州行政の責任は宜しくこれを清国に負担せしめねばならぬ」とたしなめた(以下略・『外務省の百年』上巻)

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コメント

すでに再三申し上げたことですが、「第一次大戦で線引き」という塾頭様のアイディアで韓国・朝鮮の人々の支持を得ることは、おそらく無理でしょう。日露戦争と韓国の保護国化・併合は、やはり避けて通ることはできない宿題と思います。
「韓国・朝鮮との問答など不要」とお考えなら話は別ですが、おそらく日本にとって朝鮮半島を無視しての安全保障など成立し得ないものと思いますので、結局は向き合わざるを得ないでしょう。

投稿: ちどり | 2014年10月16日 (木) 00時23分

ちどり さま
コメントありがとうございました。

ご指摘ごもっともです。

ただ、歴史認識に関する議論・論争は、<韓国・朝鮮の人々の支持を得る>ために行うわけではありません。同国の人にも当然主張があるでしょう。しかし、なぜか韓国は「従軍慰安婦問題」ほど「併合問題」を取り上げません。

それだけ、日韓併合を阻止できなかった李朝末期の歴史に複雑な思いがあるのでしょうか。韓国の有名な近代史家・姜萬吉氏をはじめ、韓国側の要因を論じる人も少数とはいえ存在します。そのあたりは、
http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post-c12c.html
で書いています。

韓国とすれば、第一次大戦後の3・1事件やそれへの弾圧を問題にした方が、問題を散漫にしないで済むと思うし、前々世期の帝国主義論争に踏みこんで、イギリスやロシアはいいけど日本は悪い……の議論になってしまうのではないでしょうか。

全くの私論ですが、歴史認識問題は両論併記であっても、白か赤かの一方に決めてしまうのはよくないと思います。やはり期限を区切って妥協の道をさぐることはできないものでしょうか。

投稿: ましま | 2014年10月16日 (木) 10時35分

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