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2014年10月23日 (木)

戦争OKの変な若者

 TVをなんとなく見ていたら 「戦争がはじまってあなたに行け、といわれたらどうしますか」という街録に、若い男性2人が答えていた。一人は「行かない」とはっきり答え、もう一人は「みんなが行けば……」 という答えをしていた。

 「みんなが行けば……」。職場の 団体旅行であるまいし、なんと軽い主体性のない答えだろう。まあ、戦争をその程度にしか考えていないということか。また、今月8日に、”大志”はイスラム国兵、という題で、イスラム国へ兵士志願で渡航しようとした北大生が、その直前に逮捕されたことを記事にした。

 「反戦塾」だから、こういった若い人の考えが気になるのは当然だ。そういえば、”31歳フリーター。希望は、戦争”というのがあった。これもかつて記事にしたが、07年のことだ。古い話で中身はほとんど忘れていた。

 赤木(智弘)さんが投げかけた論考で、「丸山真男をひっぱたきたい」という題名でも人目を引いた。それが、家にもあったはずだが、と思ったが何に載っていたのかを忘れた。しかし便利なものだ。ネットで検索したら、朝日新聞の『論座』2007年1月号だった。

 さらに、ありがたいことにA4で5ページほどの全文が公開されているではないか。早速読み返して見た。それが8年近く前なのに、貧富の格差だとか、右傾化だとか、革新陣営(リベラル)の無為無策・冷淡さの指摘など、今書いたと言われても全く不思議ない内容だ。

 なんと、それは第1次安倍内閣の真っただ中だったのだ。衣食住の確保さえままならなかった塾頭世代から見ると、テレビゲームにも似た他愛のない戦争観だ。しかし、生活への不満、先が見とおせない閉塞感など、軍部の跳梁を招いた戦前の様相を連想させる、かなり危険なアベノミクスの始まりだったと言わざるを得ない。

 「丸山真男をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争。」(抜き書き、⇒は中略)
http://t-job.vis.ne.jp/base/maruyama.html

平和とはいったい、なんなのだろう?⇒
 北朝鮮の核の脅威程度のことはあっても、ほとんどの人は「明日、核戦争が始まるかもしれない」などとは考えていないし、会社員のほとんどが「明日、リストラされるかもしれない」とおびえているわけでもない。平和という言葉の意味は「穏やかで変わりがないこと」、すなわち「今現在の生活がまったく変わらずに続いていくこと」だそうで、多くの人が今日と明日で何ひとつ変わらない生活を続けられれば、それは「平和な社会」ということになる。⇒

安倍政権は「再チャレンジ」などと言うが、我々が欲しいのは安定した職であって、チャレンジなどというギャンブルの機会ではない。
 そして何よりもキツイのは、そうした私たちの苦境を、世間がまったく理解してくれないことだ。⇒

格差問題の是正を主張する人たちは、高齢者が家族を養えるだけの豊かな生活水準を要求する一方で、我々若者向けには、せいぜい行政による職業訓練ぐらいしか要求しない。弱者であるはずなのに、彼らが目標とする救済レベルには大きな格差が存在するように思える。
 どうしてこのような不平等が許容されるのか。それはワーキングプアの論理が「平和な社会の実現」に根ざす考え方だからだと、私は考える。平和な安定した社会を達成するためには、その人の生活レベルを維持することが最大目的となる。⇒

 会社は安直に人件費の削減を画策し、労働組合はベア要求をやめてリストラの阻止を最優先とした。そうした両者の思惑は、新規労働者の採用を極力少なくするという結論で一致した。⇒

平和な社会を目指すという、一見きわめて穏当で良識的なスローガンは、その実、社会の歪みをポストバブル世代に押しつけ、経済成長世代にのみ都合のいい社会の達成を目指しているように思えてならない。このようなどうしようもない不平等感が鬱積した結果、ポストバブル世代の弱者、若者たちが向かう先のひとつが、「右傾化」であると見ている。⇒

 また、彼らが不満や被害者意識を持っているというなら、なぜ左傾勢力は彼らに手を差し伸べないのか。若者にしてみれば、非難の対象はまさに左傾勢力が擁護する労働者だ。⇒小泉政権は改革と称して格差拡大政策を推し進めたし、安倍政権もその路線を継ぐのは間違いない。それでも若者たちは、小泉・安倍政権に好意的だ。韓国、中国、北朝鮮といったアジア諸国を見下し、日本の軍国化を支持することによって、結果的にこのネオコン・ネオリベ政権を下支えしている。⇒
 
 

戦争は悲惨だ。
 しかし、その悲惨さは「持つ者が何かを失う」から悲惨なのであって、「何も持っていない」私からすれば、戦争は悲惨でも何でもなく、むしろチャンスとなる。
 もちろん、戦時においては前線や銃後を問わず、死と隣り合わせではあるものの、それは国民のほぼすべてが同様である。国民全体に降り注ぐ生と死のギャンブルである戦争状態と、一部の弱者だけが屈辱を味わう平和。そのどちらが弱者にとって望ましいかなど、考えるまでもない。⇒

 かつて思想犯としての逮捕歴があった丸山は、陸軍二等兵として平壌へと送られた。そこで丸山は中学にも進んでいないであろう一等兵に執拗にイジメ抜かれたのだという。⇒一等兵にとっては、東大のエリートをイジメることができる機会など、戦争が起こらない限りはありえなかった。⇒一方的にイジメ抜かれる私たちにとっての戦争とは、現状をひっくり返して、「丸山眞男」の横っ面をひっぱたける立場にたてるかもしれないという、まさに希望の光なのだ(後略)。

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コメント

この青年は戦地は格差(序列)社会だという事を忘れているようですね。
丸山真男のような人をひっぱたく事が出来るのは、兵隊の中ではエリートだけで、
大部分の者は、平和な世界ではありえない位な酷い暴力にさらされる事になるでしょう。

現在の負け組みが戦地で勝ち組になる確率は、余り高くないのではないでしょうか?

投稿: 和久希世 | 2014年10月24日 (金) 11時04分

「戦争」を一口で言えば、「砂を噛む感じ」と言っておきましょう。

味もなければ栄養にもならない。感傷も感覚ない。戦場の感激や感動などは、すべて他愛のない作りものです。

残るのは後味の悪さ(体験を話したがらない理由です)と、吐き出しても傷口に触れさせたくない、人類にとって無益・無用の愚行でしかありません。

投稿: ましま | 2014年10月24日 (金) 11時27分

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