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2014年7月26日 (土)

第一次大戦と中東

 今月12日の記事「潮目の第一次大戦」を皮切りに、今年開戦100年目を迎える第一次世界大戦の今日的意義をさぐるため、7回シリーズで「第一次世界大戦年表」を書いた。その後気がついたのだが、現在ますます混乱を深めている中東情勢に、第一次世界大戦の戦後処理が大きな禍根を残していることである。

 このところ、イラク、ブッシュ、小泉政権、自衛隊派遣など遠い昔の話になってしまった。激しい戦場であったシリアから、過激派が国境を越えイラク北部へ進出、一帯を占拠してシリアの一部とあわせ「イスラム国」設立を宣言した。かつてアルカイダの流れだと言われていたが、今は違うらしい。

 また、イスラエルとガザ地区の攻防がすさまじく、特にガザ地区では市民の死傷者激増が目を覆うばかりだ。この現状が第一次世界大戦に関係があることに世界はほとんど目を向けていない。アメリカの介入、西欧の思惑にもかかわらず状況は以前より悪化している。

 西欧流自由と民主主義の輸出は失敗だったということである。「イスラム国」が今後どうなるか見当がつかないが、ユダヤ教・キリスト教徒には人頭税を課すという宣言が、「信教の自由を奪う」とか「人道に反する暴挙」という非難を浴びている。

 実は、この「人頭税」、第一次世界大戦でイスラムを国境とするオスマン帝国が、英・仏・露などに敗れるまで広大な領土で実施していたものだ。そこで厳格なイスラム教義に基ずく服従を強いたのかというと、むしろ逆であった。

 帝国が大きくなり過ぎ、多民族国家になってしまった帝国は、その中でユダヤ教・キリスト教が同じ一神教の神をいただく「啓典の民」とし、税金を納めることにより優遇され、宗教による差別をまぬがれることができた。つまり優遇策だったのだ。

 砂漠の遊牧民でイスラム教徒の多い中東は、宗派や部族で激しく争うことはあっても、国境の概念はなかった。それが変わってしまったのがオスマン帝国の敗退である。英・仏・露は密約「サイクス・ピコ協定」を結び、勝手に国境線を引き領土を分割した。これとは別に、英国はユダヤ人やアラブ人に領土を保障するなど2枚舌、3枚舌と呼ばれるような外交で戦争を有利にしようとした。

 そこに生まれたのが、サウジなどの王国を除き、アメリカやソ連から武器を供給されたイラクやシリアなどの世俗国家である。近代的軍隊を持つ、つまり戦争のできる国になったのだ。これとは違うイスラムの原点回帰を主張するのが、エジプトなどに拠点を置くイスラム同胞団であり、その流れをくむガザのハマスである。

 「イスラム国」がこれらとどういう関係になるのか、中東も目の離せない転機にさしかかっているように見える。一方、欧米も「テロとの戦い」の発想から転換を迫られる時期が、いずれやってくる兆候かも知れない。

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