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2014年7月18日 (金)

第一次世界大戦年表⑥

▼前回の講和条約締結記事で、年表の記載は終わった。しかし、大戦を総括するうえで大切な、第2次世界大戦前の「戦後レジーム」について触れておく。

1922年(大正11)2/6 ワシントン会議
 日中両国が主要な海軍国の戦艦の総トン数を規制、米英日の主力艦保有率を5対5対3とする海軍軍備制限条約、中国の独立・領土保全および関税自主権拡大に関する9か国条約調印。(日中は2/4に、膠州湾租借地返還・日本軍撤退などを「山東懸案解決に関する条約」として合意、調印していた)。

1924年(大正13)7/16
 ロンドン賠償会議で、ドイツが賠償を支払い可能な額に減額するドーズ(委員長をつとめたアメリカの銀行家)案が決定・成立した。

1928年(昭和3)8/27
 パリでケロッグ=ブリアン条約(パリ不戦条約)、米英仏日など15か国が調印。のち63か国に。

【戦争放棄に関する条約】
第一条
 締約国ハ国際紛争解決ノ為戦争ニ訴フルコトヲ非トシ且其ノ相互関係ニ於テ国家ノ政策ノ手段トシテノ戦争ヲ抛棄スルコトヲ其ノ各自ノ人民ノ名ニ於テ厳粛ニ宣言スル

第二条
 締約国ハ相互間ニ起コルコトアルベキ一切ノ紛争又ハ紛議ハ其ノ性質又ハ起因ノ如何ヲ問ハズ平和的手段ニ依ルノ外之ガ処理又ハ解決ヲ求メザルコトヲ約ス

第三条
1 本条約ハ前文ニ掲ゲラルル締約国ニ依リ各自ノ憲法上ノ用件ニ従ヒ批准セラルベク且各国ノ批准書ガ総テ「ワシントン」ニ於テ寄託セラレタル後直ニ締約国間ニ実施セラルベシ
2 本条約ハ前項ニ定ムル所ニ依リ実施セラルトキハ世界ノ他ノ一切ノ国ノ加入ノ為必要ナル間開キ置カルベシ一国ノ加入ヲ証スル各文書ハ「ワシントン」ニ於テ寄託セラルベク本条約ハ右寄託ノ時ヨリ直ニ該加入国ト本条約ノ他ノ当事国トノ間ニ実施セラルベシ
3 亜米利加合衆国政府ハ前文ニ掲ゲラルル各国政府及ビ爾後本条約ニ加入スル各国政府ニ対シ本条約及一切ノ批准書又ハ加入書ノ認証謄本ヲ交付スルノ義務ヲ有ス亜米利加合衆国政府ハ各批准書又ハ加入書ガ同国政府ニ寄託アリタルトキハ直ニ右諸国政府ニ電報ヲ以テ通告スルノ義務ヲ有ス

 ▼第一次世界大戦の壊滅的被害を反省し、再発をさけるための最後の手立てとして終戦後10年目に成立した。日本では、議会から第一条の「各自ノ人民ノ名ニ於テ」の文言が、日本の主権者は天皇であるという理由で、その部分を除いて批准した。

 この条約は、「19世紀の国際法によれば至高の存在者である主権国家は相互に対等であるので戦争は一種の『決闘』であり国家は戦争に訴える権利や自由を有すると考えられていたが、不戦条約はこの国際法の世界観否定(Wikipedia)」したものと考えられている。

 しかし、協議の途中、「自衛のための戦争はのぞく」とか「既存の権利(植民地を含む)は域内」「侵略戦争」の定義ができなかった(「定義がない」の安倍首相発言はこの受け売り)など、各国は自国の利益優先にこだわり、批准にあたっても、日本のように条件をつけるところがあった。

 また、比較的被害の少なかった日米では、内部(国民)に力の信奉や戦争犠牲者への追悼などナショナリズムが高まる傾向もあった。そのひとつに帝国主義的植民地競争に出遅れていたという原因があるかもしれない。

 日本は調印後3年目に、「戦争」という言葉を使わない「満州事変」を起こして国際連盟を脱退。続けて「上海事変」「支那事変」を引き起こした。いずれも権益や邦人保護などが理由である。そして11年後に、第二次世界大戦が勃発した。日本は開戦の理由を「自存自衛を全うするため(開戦決定の御前会議)」とした。

  このように、戦争放棄の条約は役に立たなかったことをふまえ、アメリカは、ウイルソンの構想を生かした国際連盟に変る新しい機構の検討をはじめた。この構想は、ドイツが第2次世界大戦で無条件降伏する直前に召集されたサンフランシスコ連合国全体会議で検討され、日本敗戦後の10/24に国連憲章が発効した。

 新憲章では、「戦争」でなく「事変」ならいいなどという余地を全くなくし、「軍事行動」という言葉に統一した。また、当初の案には「自衛」という文言もなかった。ただ、常任理事国5大国に拒否権を与えたため、中南米諸国などが旧宗主国から攻撃された場合など、拒否権で自国防衛が困難な場合、集団で自衛措置がとれるようにという意見がだされた。当時成立したばかりの米州機構の盟主アメリカの賛成を得て「集団的自衛」の文言が追加され、同時に個別の自衛も条文に加わった。

 前にも書いたことがあるが、現在、集団的自衛権論議で、賛成・反対を問わずあたかもそれが権利として行使するのが当たり前、といったとらえ方がある。しかし、憲章の書き方は、行使しない方がいいが、国連の手続きが間に合わない場合などは、その権利行使を害するものではない、という表現になっている。

 また、現行憲法9条2項には、「国の交戦権はこれを認めない」という言葉があるが、これを占領軍の押しつけだとか、日本の骨抜きのためなどと自虐的に考える向きがある。すでに述べてきたように、これが第一次世界大戦後、国際連盟や不戦条約で確立した国際法の新概念である。

 たしかに、現在普通の国でないように見える。それは、アメリカなど、国連を生んできたアメリカなど、常任理事国5大国が巨大軍事国になり、国連憲章を軽視したり勝手に解釈したりして、大戦後の理想的平和至上主義をゆがめてしまうことが”普通”になったからである。

 日本国憲法は、国連憲章発効のわずか100日あまりあとにGHQ案が提示された。その平和主義・理想主義がそのまま盛られていると言っていい。今、地雷禁止など平和構築に貢献しているのは、ノルウェー・ニュージーランドなど中堅国が主である。

 日本は、唯一の原爆被爆国であり、理想的な平和憲法を守り続け70年近く戦争で一人の人命を奪っておらず、また民間の平和活動は水面下で高い評価を得ている。つまり、第一次世界大戦の反省を世界に定着させる指導的役割を担う資格が現存するのだ。

 ウクライナで旅客機が墜落し、パレスチナでイスラエルが地上戦をはじめ、イラク・シリアの火種も拡大の方向だ。アメリカも世界の警察官を買って出る環境にない。日本人が世界に雄飛する将来の夢は、解釈改憲の集団的自衛権などではないはずだ。

 戦争や平和の歴史に無頓着で、世界の中小国を歴訪さえすれば孤立から免れると信じている安倍首相の一刻も早い退陣が先決である。
 

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