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2014年2月 3日 (月)

明治から大正へ

 日本と中・韓との間で、元寇(この場合は蒙古)や秀吉の朝鮮征伐以来の不穏な関係が続いている。3000年の歴史の中でこの時期を除けばごくまれな現象だ。ほとんどは交易・文化交流などで親善・友好を保ってきた。現在は全く異常な状態である。

 その原因は何か。日本の政治家の一部が先の戦争を合法化し、侵略で版図を広げようとしたことについて反省を拒否していることと、中国が尖閣の領有を露骨に主張し始めたことである。それらをひっくるめ、中韓は「歴史認識」としている。

 首相を含めた一部政治家、それに歴史を正視しない、またはできない右翼たちが日本にいることはまぎれのない事実だ。しかし、その歴史を中国でいえば清から明の時代まで、日本にすれば江戸時代、室町時代までさかのぼって、人の住めない岩のかたまりがどっちのものだなどとと言い争うことに何のプラスがあるのか。

 そんな時代に「先占」も「実効支配」も、「排他的経済水域」もない。領土の概念すらあってないような時代だ。名前だって見た人が勝手につけているだけ。地図もそんなことを意識して作ったものではない。

 植民地支配、他国侵略、戦争責任。なぜ日本だけ謝らなければならないのだ。英米仏露、みんなやっていたことなのに。まことにごもっとも。塾頭もそう思う。しかし謝らなければならないのだ。それなくして「積極的平和主義」を言っても、誰が信用するものか。

 だがそんなに大昔までさかのぼって、ということではない。日本の政府や軍部が大陸侵略を考え始めたのは、100年前の第一次世界大戦以降だと塾頭は考える。どうしてそうなるか。塾頭はその勘所を今年初めから重点的に書いてきたが、詳しくは近代史に興味をもってチャレンジしてもらうしかない。

 人によって時期には異論があるかもしれないが、そういった区切りがなければ果てしない憎悪の連鎖が際限なく続くだけだ。まず、時期を特定することから始め、互いに史料を交換し合い共通認識を深める。これが「積極的平和主義」の第一歩だ。

 19世紀から20世紀、明治から大正、日本にとっても世界にとっても大きな転換期だ。そこで、大正元年の年表を見ると経緯が手に取るようにわかる。『20世紀年表』(小学館)から世相も含め以下に採録してみた。(▼は塾頭注)
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1912年(明治45年・大正元年)
1.1 南京臨時政府成立、孫文、臨時大統領に就任。中華民国建国宣言。この年より太陽暦を採用し、中華民国元年とする。▼前年、辛亥革命。Dscf4097

1.5 日・英・米・独・仏、京奉(▼北京ー奉天)鉄道保護のため軍隊を沿線各地に派遣することを決定。

1.16 閣議、満州の利益分界線の延長及び内蒙古の勢力範囲分割に関し、ロシアと交渉開始を決定。▼7年前、日露戦争に勝利。その結果満州に於けるロシア鉄道・電信利権を分割取得する。

1.21 新潟県高田で最初のスキー競技会開催。

1.29 大陸浪人の川島浪速、内蒙古のカラチン王と内蒙古独立の契約。陸軍参謀本部とはかった満蒙独立工作。

1.31 女学生の身辺保護のため、鉄道院が婦人専用電車を中野・昌平橋間で運転。この月、上野駅に電気スイッチ式ベル発車報知器を設置(従来は振鈴)。

2.6 米、日本など関係諸国に対し中国権益保護のため共同行動をとることを提案。2.16 日本同意。

2.12 清の宣統帝退位、袁世凱に全権を委譲。清朝滅亡。13日に孫文が臨時大統領を辞任。

2.13 関東都督(▼満州権益保護のため旅順に置かれた)大島義昌、官・革両軍(▼清国軍・中華民国軍)に満州の中立地帯からの撤兵を要求。23日撤兵。 

2.16 マクドナルド英公使、日本の満州分離運動に対し警告。20日内田康哉外相、特殊権益以外についての内政不干渉を言明。

2.21 政府、英露両国に中国新政府承認に関し2原則(列国の権利および外債の保証、列国の協調)を提議。▼その後米、仏も同意し、日本も4国借款団に加わる。

3.30 沖縄県に衆議院議員選挙法の件公布。

4.14 タイタニック号氷山に衝突、15日沈没、乗客・乗員2224人中1513人死亡。

5.5 第5回オリンピック(ストックホルム、27か国▼日本初参加)。

5.15 第11回総選挙。政友会211で勝利。

6.26 米価高騰に怒った富山県の窮民300人が汽船の米積込を妨害。以後米騒動県下に拡大。

7.1 東京の自動車数が280台を超えたため取締り規則を改正。速度制限を16キロ。歩行者の左側通行を励行。

7.8 第3回日露協約調印。秘密協定のみ改定。内蒙古の東を日本、東をロシアの権益に分割。

7.30 明治天皇死去(59)大正と改元

▼以下は省略するが、この年からヨーロッパでは第一次バルカン戦争がはじまり、翌々年には第一次世界大戦に発展する。日本はこれが大陸侵略の好機とばかり参戦した。そのあたりについては、前後するが1月24日の記事「2世紀前の事をいうのはやめよう」にゆずる。
http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2014/01/post-0af6.html

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コメント

「区切りが必要」という塾頭様の御主張はごもっともと存じます。ただひとつだけ懸念するのは、第一次大戦を画期とする塾頭様のお考えは、中国はともかく、南北朝鮮には到底受け入れられそうもありませんね。これでは「憎悪の連鎖」は止みそうにありません。

投稿: ちどり | 2014年2月 4日 (火) 00時32分

ちどり さま
そうなんです。わたしにもいい知恵がありません。

1月30日に、韓国憲法と安重根という題で書きましたが、韓国は「義士」というだけで、特に日本を責めているわけではありません。中国を巻き込まなければどうぞご勝手にということです。

李朝時代のことは、歴史問題としてあまり取り上げたくない、ということもあるのでしょうか。

また、戦争責任については、韓国と戦争したわけでなく、靖国やA級戦犯追求もどこかちぐはぐな感がします。

そこで持ち出すのが、史実検証のしようがない慰安婦問題とか、東海呼称問題などどちらかというと感情的に優位に立とうという低次元の話だけになります。

中国と違って軍事衝突の危険はあまりありません。ただ、昭和初めのような軍国主義化は、中国同様大いに警戒しています。

韓国は1919年の南京亡命抗日政府の法統を継ぐと憲法に書いています。したがって政府間の事なら李朝のことをいう必要はないのではないでしょうか。

日韓併合のあと孫文の言う「覇道」に踏み込んだことから、戦争に巻き込まれ、負けたことにより日本人民に劣らぬ苦難を背負わされ、いまだに南北分断を脱せないという悲劇に見舞われているわけです。

したがってやはり、第一次大戦で区切って論ずる価値はあると思うのですが。

投稿: ましま | 2014年2月 5日 (水) 17時43分

「慰安婦」や「東海」問題がメディアの耳目を集めているとはいえ、日韓の歴史をめぐる齟齬の根底にあるのは、やはり韓国併合そのものの評価の問題だと思います。安重根の事件も臨時政府も「併合」(そしてその前の保護国化)あってのことですからね。そういう意味からも、日韓・日朝の関係を考える上では日露戦争期を視野に含めないとまずいのでは・・・と思います。

韓国側が現在声高に「併合」問題を取り上げないのは、何よりも村山談話や98年の日韓共同宣言(小渕・金大中)で日本政府が公式に「併合」を謝罪しているからだと思います。仮に現政権がこれらの公式見解を撤回するような挙に出れば、現在の日韓関係は完全に破綻するのでは、と危惧しています。

最近は「韓国のようないけ好かない小国との関係なんぞ破綻したって構わない」という向きもメディアやネットに少なからず見受けられますが、朝鮮問題が躓きのはじまりで、どんどん泥沼に陥っていく可能性をもう少し真剣に考えるべきでは、と感じますね。歴史上初めてのことではないのですから。

投稿: ちどり | 2014年2月 6日 (木) 00時49分

ちどり さま
お答えにならないかも知れないが、またエントリーを立ててしまいました。悪しからず。

ご高見いただければ幸甚です。

投稿: ましま | 2014年2月 7日 (金) 18時37分

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