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2014年1月 5日 (日)

「戦争責任」はいつから②

 前回、明治時代が文明開化、自由民権、富国強兵などバラエティーに富んだ国論の中で、隣の朝鮮情勢の緊迫を受け日清戦争がはじまったということを書きました。この戦争が帝国主義的な侵略戦争であるかどうかがまず問題になりました。

 そういった目的で開始した戦争ではないという点では、ちどり さまと意見の一致を見ました。ただ、ちどり さまは、明治政府に「その気がなかったとはいいきれないだろう」といいます。これにも賛成します。

 折から国会で激しい攻撃にさらされていた政府は、開戦により国民の耳目を集めることで、これを乗り切ろうとしたようにも見えます。また、仕掛けたのは日本、という清国・朝鮮側の主張に無視できない点が多々あるでしょう。

 日清戦争開戦時にはなかった朝鮮植民地化の発想が、どうしてに日韓合併という結果になったのでしょうか。また、ちどり さまからは「日清戦争はともかく日露戦争は帝国主義戦争ではないか」というご指摘もあります。

 帝国主義が「後進国を軍事的圧力で支配し、鉱業権、鉄道敷設権、市場独占、植民、治外法権などで相手国の主権を侵害し利益をえよう」という意味なら、日露戦争はむしろそれを排除しようという自衛的な意味の方が強かったと思います。

 日本が明治時代列強と肩を並べたい、と思っていたにしろ、帝国主義国として他国を蹂躙支配したいと思っていたとは考えられません。台湾奪取がその第一歩と考えられなくもありませんが、当初からの目的ではなく、賠償という結果論でしょう。

 天皇を隠れ蓑として大陸から南方に至る国々を版図に入れようとする粗暴な野心を抱く人が、当時いなかったとは言えませんが、それが表面にでてくるのは、中国への12カ条要求以後のことと考えています。

 もう一度話をもとに戻しましょう。現在「戦争責任」問題で軋轢を呼んでいるのは中国・韓国が主です。彼らは日清戦争に言及しても日露戦争を問題にしていません。香港はアヘン戦争で1842年に清国がイギリスに割譲し、返還が実現したのは100年以上もたった最近のことです。

 1900年には、義和団鎮圧のため英仏露米伊日等連合8国の軍隊が北京に攻め込みました。その後各国軍は協定に基づき撤退するのですが、ロシアは満州を占領したり旅順に砲台を設けるなど、露骨な南下政策を隠すことなく、日露戦争の一因になりました。

 
 こういったことが、今になって責任を問われるなどということはありません。日露戦争後、韓国宮廷の行動に不安を持った日本政府は、外交権や財政運営などの移譲を盛り込んだ協定を強引に結ばせ、実質的に属国化しました。宮廷側は1907年のハーグ万国平和会議で、日本に抗議するために派遣した密使が門前払いになります。この地域の安定確保のためには、日本がとった方針もやむを得ないという共通認識が各国にあったようです。

 このころまで、日本は比較的行儀のいい国と見なされていたようです(朝鮮の閔妃暗殺への関与など例外もありますが)。当時朝鮮の統監になっていた伊藤博文元首相がハルビンで安重根に射殺されたのは1909年10月26日で、その後1年もたたない翌年8月22日に日韓併合が決まりました。

 その間、朝鮮は大韓帝国と国名を変えましたが、併合に至る過程で韓国側が原因を作ったようなことがないのか、併合後独立復帰の可能性なかったのかなど検討してみる価値はあると思います。日韓で議論すれば大きな差が生ずると思いますが、それは両論併記すればいいので追及とか謝罪を云々する性格のものではないと思います。

 また、尖閣諸島の問題は日清戦争後に「日本盗み取った」という中国がわの主張になっています。これも侵略の一環かどうか双方の史料で検証すべきでしょう。日本が侵略国家として変貌するのは、1914年(大正3)の第2次世界大戦後というのが塾頭の主張ですが不当でしょうか。

 帝国主義戦争が大きく反省期に向かう中で、日本は他国もやっていたことだからといって逆の方向に進み始めました。次のようなさまざまな社会現象が、国民の意識に微妙な影響を与えたことも否めません。

 ①日清、特に日露戦争における日本兵の甚大な犠牲に見合う代償が必要と考えた。
 ②三国干渉、海軍軍縮、人種差別など列強の横暴は続いていくとみた。
 ③ロシア革命や中国辛亥革命の影響と不安定化。
 ④大逆事件、大正デモクラシー、治安維持法制定などが与えた影響。
 ⑤米騒動、関東大震災、恐慌など不安の連鎖。

 そういった中で対華21カ条要求は1915年(大正4)にだされ、中国政府は一旦受入れたものの、かつてのロシア以上に過酷な条件となり、その他の国でも例を見ない理不尽なものでした。そのため、国民はそれを国恥記念日とし激しい反発を示します。1923年には中国全土で排日運動が激化し、21か条条約廃棄を通告するに至りました。

 このあとの関東軍による謀略、国際連盟脱退、満州事変から支那事変などの戦線拡大、そして連合国との大戦突入などご存知のとおりです。安倍首相の「侵略の定義は定まっていない」発言など、どこを押せばそんな言葉がでてくるのでしょうか。

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コメント

あけましておめでとうございます。
新年早々無用な御負担のタネを作ってしまったようで、恐縮至極です。

日露戦争を帝国主義戦争と捉える見解は私の独創でもなんでもなく、現在に至るまで歴史学の通説であることは御承知と存じます。「帝国主義」とは単なる「武力に基づく覇権主義」などという雑駁な罵倒用語ではなく、とりあえずは善悪判断抜きの、然るべき定義に基づいた術語であることは塾頭様も御承知と存じます(定義の内容は様々ですが、もっか通説を否定できるような学術的な定義を卑見の限り存じません)。

国際政治の側面で見れば英米と仏独の代理戦争ともとれますが、日本政府もこうした合従連衡の主体の一つとして、内外で巧妙に開戦準備に立ち回っていたことは、塾頭様が参考にされている加藤陽子氏の著作でも明らかですね。最大の焦点が朝鮮半島支配の如何にあったことも明白です。「自衛戦争」の側面を全否定しませんが(「ロシアの脅威」が本土においてどれほど切実だったかについては議論が分かれる所ですが)、そうした側面だけで捉えられる戦争ではないと思います。

塾頭様は基本的に「(欧米からみて)行儀がいい」かどうかを判断基準としておられるようですね。当時の国際法からして、韓国保護条約も併合条約も一応「合法的であった」との見解が現在の日本学界では有力ですが(もちろん異論もありますが)、そのことを以て日本の責任論を全否定できるとはいえないと思います。ネルーが「父が子に語る世界史」で語った日露戦争での日本への期待と幻滅のくだりは有名ですね。本質を言い当てていると思います。

「彼らは日清戦争に言及しても日露戦争を問題にしていません」は、韓国には当てはまりませんね。このことは前回も申し上げた通りです。

投稿: ちどり | 2014年1月 6日 (月) 01時13分

コメントありがとうございました。
簡単な感想です。

①「帝国主義」の定義は知りません。一般的には、マルクス主義から出た言葉で、その解釈のような使われ方ををしているのではないですか。

②「行儀のいい国」は、後の「行儀の悪い国・日本」と対比した意味です。なお、西欧だけでなく中・韓からも日本の軍紀を褒めた記録がこの頃まで残っています。

③『日清戦争・日露戦争』という岩波新書があのますが、日本国内だけでなく中・韓ついでにアセアン、モンゴルまで含めた議論になるといいですね。

投稿: ましま | 2014年1月 6日 (月) 10時00分

ましまさん、帝国主義の言葉はマルクス主義が積極的に『悪である』と攻撃したのは事実ですが、それ以前からある(善悪とは無関係な)政治用語です。
『帝国主義』とは世界で最初の産業革命を成し遂げたイギリスが標榜した政治用語であり、今のように『悪』の代名詞として使い出したのがマスクスですね。

投稿: 宗純 | 2014年1月 7日 (火) 09時16分

宗純 さま

ありがとうございました。またひとつ利口になりました。

投稿: ましま | 2014年1月 7日 (火) 09時50分

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