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2014年1月

2014年1月30日 (木)

韓国憲法と安重根

 前回書いた記事のひとつに、毎日新聞専門編集委員・金子秀敏氏によるコラム「木語」のコラムに伊藤博文暗殺犯人・安重根の中・韓による顕彰問題があり、その結語が「この論争に深入りするとまた孤立する」というものだった。そのため、塾頭は「金子氏の結論は、歴史を抹殺しようとするジャーナリストにあるまじき暴言」と書いてしまった。

 今日の木曜日、金子氏は再び「北朝鮮の人重安根」を取り上げられた。あえて論争に深入する材料を提供されたわけだ。このブログを見てのことであるはずないと思うが、前回記事で失礼な断定をしたことをお詫び申し上げ、連載されたことに敬意を払いたい。

 毎日新聞はリンクを張るだけでは全文を読めなくなったが、要旨は、日韓併合後の1919年、最大の3・1抗日独立運動から派生した上海の亡命政権大韓民国臨時政府が現・韓国憲法の法統の根源としているということだ。これは、北朝鮮の金日成の抗日パルチザン[伝説]に全くそぐわない。

 また、3・1事件の源流を安重根としているのでは、という推論であるが、その間日韓併合を挟んで10年を経ており、ちょっと無理な気がする。塾頭は、韓国憲法を読んだことがなかったがこのコラムで確かめてみる必要を感じた。以下に韓国憲法前文を記しておくが、われわれは年表的な一行ですむ歴史は知っていても、その詳細・背景などまで知る機会はなかなかない。

 日中とちがって日韓は複雑だ。この際「国家」の枠をはずし、自国内の史料発掘も含めて歴史の検証を進めてみるべきではないか。そんなことにマスコミも一役買ってほしい。

悠久な歴史と伝統に輝く我々大韓国民は3・1運動で成立した大韓民国臨時政府の法統と、不義に抗拒した4・19民主理念を継承し、祖国の民主改革と平和的統一の使命に即して正義、人道と同胞愛を基礎に民族の団結を強固にし、全ての社会的弊習と不義を打破し、自律と調和を土台とした自由民主的基本秩序をより確固にし、政治・経済・社会・文化のすべての領域に於いて各人の機会を均等にし、能力を最高に発揮なされ、自由と権利による責任と義務を果すようにし、国内では国民生活の均等な向上を期し、外交では恒久的な世界平和と人類共栄に貢献することで我々と我々の子孫の安全と自由と幸福を永遠に確保することを確認しつつ、1948年7月12日に制定され8次に亘り改正された憲法を再度国会の議決を経って国民投票によって改正する。(Wikipedia)

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2014年1月27日 (月)

反戦塾乗14/1/27

世界の反政府デモ
昨日の記事のカットに使えばよかった……。(乞・画面クリック)

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 国際面は、シリア、ウクライナ、タイ、エジプト、ウイグル自治区のデモや衝突の記事で、その他の記事は下段に1割あるかないか。

  驚くことなかれ、ブラジルでは、13都市で抗議集会サンパウロでは暴徒化も。理由はサッカーのW杯開催反対で「そんなカネがあるのならこっちへよこせ」だってさ。日本では、オリンピック返上などというとブーイング。

自虐史観転じて卑屈史観

 ちょっと古いが先週23日、金子秀敏毎日新聞専門編集委員が同紙「木語」のコラムで伊藤博文を暗殺した安重根について次のように書いている。

 暗殺事件の直後、国際社会はどう反応したか。当時、鉄道やハルビン駅を管理していた帝政ロシアは蔵相を派遣して伊藤の遺体に告別の礼を尽くした。英、独、仏の新聞は伊藤を「東洋のビスマルク」「穏健な植民地政策で知られる政治家」と高く評価した。植民地を支配する帝国主義国として日本と同じ立場だったからだ。(市川正明「安重根と日韓関係史」原書房)

 そして最後に結語として

英、仏、独は帝国主義の看板を下ろしたので、いまさら「東洋のビスマルク」をたたえる国はないだろう。この論争に深入りするとまた孤立する。

とした。

 孤立しているのは、靖国参拝だけである。従軍慰安婦問題なども、証拠をもとに正しい史実を冷静に発信し続けることでアメリカなどでも日本の言い分を認識する人がでているようだ。

 「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」と喝破したのはビスマルクだ。この点、金子氏の結論は、歴史を抹殺しようとするジャーナリストにあるまじき暴言といえないか。

 右翼論者が言う「自虐史観」を通りこして「卑屈史観」と言わざるを得ない。これも当塾がいう「2世紀前の事をいうのはやめよう」という歴史の”けじめ”をあいまいにしているからだ。

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2014年1月26日 (日)

世界の反政府デモ

 世界に今いくつ反政府デモがあるだろう。タイ、エジプト、ウクライナからは目を離せない。デモを通り越して内戦状態なのがシリア、南スーダン。そしてテロで死者の絶えないイラク、パキスタン、アフガニスタン。リマなどのアフリカ、南米・コロンビアなどではどうか。人命を損なうような政情不安は枚挙にいとまない。

 多民族国家・アメリカ、ロシアそしてヨーロッパは、それらの国々の動向を絶えず注視し、心をいためている。それに引きかえ、日本は平和で気楽な国だ。東西冷戦ではアメリカの防波堤として存在する米軍基地を頼りにし、いまだにその惰性から抜け切れていない。

 シリアでは、化学兵器の使用が明るみにでても、アメリカがアサド政権に武力行使をせず、ロシアと協議して国連とともに化学兵器廃棄の道を選ばせた。エジプトでも情勢を見極める慎重な態度をとり続けている。

 今までのアメリカなら、イスラエルのためにアサド崩壊を目指して反政府勢力を援助したり、エジプトでは、シナイ半島でガザ地区の反イスラエル勢力を支えるムスリム同胞団を壊滅させるためエジプト軍部を支援したいところだが、アメリカが歓迎した民主主義=アラブの春は、同胞団を選んでしまった。

 デモの主体は軍部支持の守旧派だが、アメリカは下手に手出しできない。イラクはともかく、オバマは、アフガンだけは名誉ある順調な撤退をしたかったはずだ。それが無人機攻撃による被害拡大などで報復テロを活発化し、引くに引けない状況に陥っている。

  安倍首相が追求する「集団的自衛権」、アメリカはそれどころではないのだ。外交儀礼上「迷惑だ」とは言えないものの、アジアで余計なトラブルを起こしてほしくないのが本音だろう。日本版NSCがそういった結論を総理に進言できるならともかく、靖国参拝ですらストップをかけられないようでは意味がない。

  南スーダンは、和解の方向で政府、反政府派の話し合いが進んでいるという。韓国軍PKOに銃弾1万発を融通したといって問題視された日本の自衛隊にとって、「本当によかった」と言いたい。韓国軍の緊急要請を断るような恥を曝さないでよかった。

 また、戦闘激化で内戦状態になれば、それこそアメリカのアフガン同様、引くに引けなかったかっただろう。戦争の現場とはそのようなものだ。自衛隊の海外派遣はよほど慎重でなくてはならない。集団的自衛権とは、こういったことに歯止めを無くすることを意味する。

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2014年1月24日 (金)

2世紀前の事をいうのはやめよう

 はじめにこれを見ていただきたい。(jijiドットコム

島根県は1日、日本と韓国が領有権を争う竹島を日本領と初めて記載したとみられる日本地図2枚を発見したと発表した。いずれも江戸時代中期の1760年代作成で、県は「歴史的にもわが国の領土という主張を補強するものだ」としている。

 中国は、尖閣について、台湾と同じ色で塗られた林子平の地図があるとか、明の時代に島名を期した文書があると主張している。竹島は現在あるそれを指しているという証明はなく、幕末には幕府が朝鮮領と記した文書があるなど、この時代の実効支配を示すものは何もない。

 まだ、国民国家が成立しておらず、国境の概念もない時代だ。互いにそんなことを競い、遠い過去にさかのぼって抗争の種にしても、得るものは何もない。不毛なレイシズムや幼稚なナショナリズムを掻き立てるだけだ。

 今年は第一次世界大戦開始100年目である。安倍首相もダボス会議の演説で、日中の現状をふまえ、大戦前の英独関係にふれた。やや的外れのきらいはあるが、近代史をよく勉強するのはいいことだ。

 100年前(大正3年)に世界で何が起き、どう変化したのか。ゆっくりした変化なのでありまともに取り上げられたことがない。日本も参戦したが、なぜ、どこで、誰とどう戦っていたのか。その結果どうなったのか、ほとんど知られていない。

 塾頭は、その翌年の対華12カ条要求をもって、日本の大陸侵略の第一歩とすべきだという主張を持っていた。それを、第一次大戦開始に改めたい。この問題は、かねて鋭いコメントを戴いていた「ちどりさま」との議論で、日清・日露戦争および富国強兵を目標とした明治政権が、”帝国主義的侵略”の意図を持っていたかどうかなどを記事にした。

2014年1月 5日 (日)
「戦争責任」はいつから②
http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2014/01/post-551a.html

2014年1月 2日 (木)
「戦争責任」はいつから①
http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2014/01/post-c3d2.html

2013年12月30日 (月)
日清戦争と日韓併合
http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/post-2bec.html

 塾頭の意見は、明治維新がアヘン戦争やアメリカをはじめ西欧列強の東亜進出・侵略に危機感を抱いたことから始まり、日清戦争は、不安定な朝鮮半島情勢を解消させたいということで始められ、すくなくとも東洋平和を願っても、侵略とか併合とかの目的はなかったということだ。

 「ちどりさま」から、日露戦争について質問され、改めて勉強し直してみた。その結果、外交、安全保障面では、依然としてロシアの南進、満州・朝鮮への野望には露骨なものがあり、気長な交渉で回避できた可能性はあるが、朝鮮内部も固まっておらず「自衛」の面が少なからずあった。

 しかし、日本政府、マスコミ、国民世論の中に、両戦争で多くの犠牲者を出しながら勝利したことや、依然として列強の利権・領土への野望が続いていることなどから、帝国主義的侵略への抵抗感が次第に麻痺し、列強に仲間入りする資格要件のような発想が巾を利かしはじめたのも事実だ。

 第一次大戦は、日英同盟の、それこそ「集団的自衛権」による英・艦船の保護という要請で始まった。日本は、清国が局外中立を宣言しており、英国が参戦要請を撤回したにもかかわらず山東半島に上陸、青島などドイツ租借地や利権の及ぶ範囲を占領する。

 駐英国大使出身で大隈重信内閣の外務大臣となった加藤孝明や長老の井上馨など、明らかに大陸進出の好機ととらえていたことが、諸史料に残っている。21カ条要求はこの線からでてきたことが明らかだ。

 戦争は4年後に終わり、パリ講和会議開催、国際連盟設立決定、ベルサイユ講和条約調印と続く。この間、西欧列強は国民を巻き込んだ戦争被害の大きさに愕然とし、植民地侵略競争への反省機運が高まる。

 軍縮、不戦への模索は昭和になっても続くが、日本は全く逆の方向へ走った。このあたりを後にA級戦犯として刑死した松岡洋介が、若き日の外交官として感じ取ったことは何だったのか。その発言は過去たびたび取り上げているが、そのひとつを改めて紹介しておきたい。

 
2013年10月29日 (火)「日本外交は野暮で間抜け?」
http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2013/10/post-2ac7.html

 日本はこの頃から道を誤まったのだ。そのことを無視して「美しい日本」とか「取り戻そう」などという権力者がのさばっている。この点の歴史認識は中国・韓国の言い分が正しい。また日本の中にでもそういった修正主義を批判する勢力が多かった。

 これが今危機的状況に陥っているのは、それぞれの国家権力に100%の責任がある。お互いに2世紀以上も前のことをほじくり合うことをやめ、「善隣国宝」の実をあげる為政者を、民衆の力で実現させようではないか。

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2014年1月22日 (水)

元祖「勝手連」

 都知事選は明日23日の公示を控え、今日注目の細川陣営公約発表会見があるという。その全容は、すでにマスコミに渡っているようだ。報道で見る限り、原発に加え五輪、防災・景観、都市基盤整備、子供と高齢者にやさしい都市モデルの5項目としている。

 当塾はこれまでに、名護市長選の前なら、米軍基地(都内にも8か所14市区町村に存在)問題と地方自治体首長権限、議会や民意との整合性などを争点に、自公が推薦する舛添候補と大きな争点が作れる、と書いた。

 上記の5項目では、他候補との差を際立たせることが困難である。そして、よほどのハプニングが起きない限り、与党の意を受けたネガティブ・キャンペーンなどで苦戦は免れないとも述べた。そのハプニングのひとつが「勝手連」の活躍である。

 政治家では、菅直人元首相が、すでに街頭に立つなど大活躍している。彼のブログには、こうある。

今から30年前の1983年、北海道知事選で盤石といわれた自民党知事候補を破ったのは「横路孝弘と勝手に連帯する若者連合」、つまり「横路勝手連」だ。
 自民、公明、連合の支援を受け、資金的にも組織的にも盤石な舛添氏を打ち破るためには「細川勝手連」が必要。横路勝手連は札幌の夜の繁華街すすき野にも勝手連を立ち上げた。細川勝手連も新宿、銀座、池袋、渋谷といった繁華街に「勝手連」を立ち上げたい。いろいろなデザインの細川勝手連シールを作り、飲みに行った店に貼ってもらうことから始めよう。これなら呑み助も参加できる。

 そう、元祖「勝手連」の活躍は、元衆院議長・横路孝弘氏の応援団だった。政権交代で議長を降り、自由に動ける身だ。彼の掲げる政策は、  1.原発ゼロ社会へ、2.平和憲法9条を守る、3.子育て支援と教育の充実、4.安定した雇用の創出、5.女性の社会進出を促進、6.医療、年金、介護の充実、 7.TPP参加より国内産業を守る、と原発がトップだ。

 彼が議長時代、福島第一原発国会事故調査委員会の報告をまとめた実績がバックにある。細川氏にとっては力強い「勝手連」だ。塾頭が「勝手願望」するハプニングは、小泉純一郎、菅直人のほかに村山富市、福田康夫、鳩山由紀夫の総理経験者の登場だ。

 鳩山氏は、平沼赳夫氏主宰の地下式原子力発電所政策推進議員連盟などに名を連ねていたことや、普天間移転先などの失政の自己批判が前提になるが、まだ知名度は低くない。ほかには、森喜朗、麻生太郎、羽田孜などの各氏がいるが自民党現役か健康上の問題がある人には望めない。

 前段に上げた首相経験者は、いずれも安倍首相独走態勢の現状に危惧の念を持っているに違いない、と塾頭は思っている。なんとかお灸をすえる側に立ってもらえないものか。これだけそろい踏みをすれば、ちょっと舛添氏では歯が立たない。

 オット忘れていた。前首相・野田佳彦氏である。彼は、長浜博行参院議員などとともに細川氏の日本新党創設当時親身な精神的、資金的応援を受けてめざす政治家になることが実現した。何があっても応援に駆けつけなければならない恩義がある。

 彼のブログでも「足手まといにならぬように勝手連として全力で応援するつもりです」と書いている。しかし、細川氏の悲願であった政権交代の可能な保守2大政党の実現を、小沢一郎氏とともに、支持率一けた政党に凋落させる原動力になってしまった。

 ここは、小沢氏同様、「足手まといにならぬように」 心の隅で応援するのが賢明であろう。

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2014年1月19日 (日)

「やっぱりね」、2題

岩見隆夫氏逝去
 毎日新聞顧問の岩見隆夫さんが亡くなった。塾頭より若いが、戦争を知る世代である。その岩見さん、毎日新聞のコラム欄、『サンデー毎日』などでつい最近まで健筆を振るっていた。憲法改正とか徴兵制賛成とか脱原発消極論など、自民党寄り、筆が滑るとそれをこえる保守派論客ぶりだった。

 最近、反安倍を鮮明にしてきた毎日新聞だが、同氏の逝去を1面、2面で報ずるなか、同紙の社論にそぐわない岩見氏の論調については、一切触れていない。毎日の紙面が記者により一様でないのは、塾頭の評価する点でもある。

 しかし、反戦塾を名乗るからには見逃すことはできない。過去、「再び岩見隆夫氏に駁す」ほか7回も同氏のことを取り上げている。死者に鞭打つようなことをしないのが日本の美風である。しかし、腫れ物に触るようなことでも困る。右だ、左だと選別し、摩擦を避けようとすることは、「やっぱり」ジャーナリズムの美風とは言えないのではないか。

 祈・ご冥福。 塾頭

猪瀬資金の仲介料

 猪瀬前都知事が徳洲会側から5000万円を受け取った際、仲介者として立ち会った新右翼一水会の木村三浩代表に、その1割にあたる500万円が猪瀬氏側から渡っていることがわかった。猪瀬氏が徳洲会に捜査が入る直前、返却した際には4500万しかなく、不足分を木村氏が補ったという。

 
 木村氏が、「借りたものを返しただけ」と言っているが、それは口裏を合わせた猪瀬氏が使った口実と全く同じ。検察でそんなことが通るわけがない。5000万には一切手を付けていないということもウソだとわかった。表にできない資金の授受に大物右翼が立ち会い、活動資金として仲介料を手にすることは、半ば公然の秘密だった。

 当塾が「猪瀬知事の古典的手口」と題してこのことを指摘したのは、昨11月25日である。「やっぱりね」ではすまされない。アマチュアでないから、この古い政界のしきたりに従って猪瀬は払ったのではないか。

 新右翼というのは、街宣右翼ではないということで、もちろんネットウヨには真似できない。その体質には戦前右翼に通ずる古典的なものがあるのだろう。

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2014年1月18日 (土)

東京より名護

 明19日は、沖縄名護市長選挙投票日である。在京マスコミは劇場型都知事選挙を前にしてお祭り騒ぎだが、名護市長選の方が日本の将来に与える影響は大きいはずだ。TVも「殿ご乱心」だとか「進次郎がそっぽ」などの報道に明け暮れし、沖縄など意識の外においているように見える。

 都知事選が混沌としてきたのは、細川氏が政策発表しない(できない)せいでもある。「原発ゼロ」が都の職権に属さないことと、舛添氏が脱原発の段階を明示すれば、争点としてもぼやけたものになりそうだ。

 細川氏は、名護市長選を迎える前に、米軍基地問題、知事権限、議会の意向や民意の反映などを争点に上げ、明らかな自民と対立軸が作れたのだ。名護のように、公明が自主投票を選ぶようなら大成功だったはずだ。

 もうその時期は失した。細川陣営がよほどのハプニングとなる次の手を打たない限り、当初の目論見と違って乱戦となるだろう。一方の沖縄。仲井間知事が「普天間返還を5年以内に実現し、基地機能は一部を辺野古へ移すが、沖合埋め立ては反対運動もあるほか工期が間に合わず、第3の道を進むしかない」という、ウルトラC発言でもすれば別だが、反対派の現職有利は動かないようだ。

 アメリカの変化について今日(18日)の琉球新報社説は、保守系シンクタンクの代表格で対日政策に強い影響力を持つCSISのトップ・ジョン・ハムレ所長が、「違う方向性がないか再考の必要がある」と述べ、ブッシュ時代の有名なタカ派だったアーミテージ元国務副長官は、かつて「プランB(代替案)を持つべきだ」といい、鳩山はずしを画策したキャンベル前国務次官補らも「異なる方向の模索が必要」などと述べていることを書いている。

 右側を猪突(猛)進する安倍首相が君臨するかぎり、その意向に反する発言ができない党内事情がある。それに協調しているように見える「石頭」ではない石破幹事長。その石破幹事長は、「基地の場所は政府が決める」とか、「中国の脅威に対し、抑止力として沖縄に米軍基地があることが必要」という趣旨の発言をしている。

 これは、「沖縄の民意は無視していい」とか「中国の攻撃目標となってもいい」というのと同然で、沖縄県民を激怒させている。この発言、沖縄の反対をより高度なものにしようという高等戦術ではないか、と塾頭は思ってしまうのだ。

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2014年1月17日 (金)

春な忘れそ

Dscf4083  関東は南部ほど雲がひろがりやすく、雪や雨の降るところも。体にこたえる寒さ。(あす18日の天気予報)

 去年は、桜の開花が平年より10日も早く、梅と花を競ったように覚えている。梅はこの寒さにめげずもう1輪、2輪と花をつけた。

 塾頭にとっての春はまだ遠そうだ。しかし花は正直。やがて来る春を、早くも告げてくれる。 Dscf4086

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2014年1月16日 (木)

煮ても焼いても

 「箸にも棒にもかからぬ人」はいなくても、「煮ても焼いても食えないやつ」。いますねえ、都知事候補の中にも一、二.……。だれがとは言いませんが。煮る、焼くのほかに調理方法はたくさんあります。しかしどうしても駄目な場合は、要するに「食えないやつ」なのです。選りすぐって敬遠するに越したことはありません。

『薬用食品事典』三省堂、の定義より

[煮る]食品に煮汁(水、だし汁)を加えて加熱する操作です。沸騰による煮汁の対流で食品が過熱され、煮物になります。過熱しながら味付けができ、煮汁の成分と食品の成分の交流で味わいが増します。

[焼く]加熱調理の中で、最も古くから行われている方法です。直接火の上で焼く方法と、天火、鉄板、鍋、フライパン、石、砂、灰などを使って間接的に焼く方法があります。材料の形や組織の崩れ方が少なく、香りや持ち味が保てます。

[炒める]鉄板や鍋を使い、少量の油を使って高温で炭塵化に過熱する調理法です。油は食費なの味を引き立て、こげつきを防ぎます。肉、魚、野菜、米飯、麺類など広い範囲の食品に利用できます。

[ゆでる]食品を水の中に入れ高温で加熱する操作です。組織をやわらかくし、あくや苦味を取り去ります。ゆで汁はあくや苦味が溶けだしているので、煮物のようには使いません。野菜、魚介類、卵、麺類、豆類、くりなどの下調理として用いる方法です。

[炊く]最初に煮て、途中から蒸す調理操作で、米をごはんにする調理法です。他の調理法に比べ最高に持ち味が生かせます。

[蒸す]水蒸気を熱の媒体として熱する調理法です。煮たり焼いたりより型崩れがなく、葉菜類以外は香りや色の変化はあまりありません。

[揚げる]多量の油を熱の媒体として食品を加熱するもので、”煮る”と”焼く”の、それぞれの操作の長所を兼ね備えた調理法です。高温、短時間で調理するので、ビタミンなどの損失も僅かです。 

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「炒る」と「炙る」もその次に加えてください。

投稿: 玉井人ひろた | 2014年1月16日 (木) 19時15分

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ありましたねえ。辞書にはなかったのが。

[炒る]ゴマを炒る。豆を炒る。パチパチ。
[炙る]ノリを炙る。スルメを炙る。

エアコンやファンヒーターではそうはいきません。

世界文化遺産ものです。炭火のある光景ですね。

投稿: ましま | 2014年1月16日 (木) 20時22分

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2014年1月14日 (火)

オレ、ボク、ワタシ、自分

 先週、女優の淡路恵子さんが亡くなった。80歳だった。処女作が65年前、1949年の「野良犬」だ。三船敏郎扮する新米刑事村上が「自分は」という口癖に、上司から「自分は、自分は、て言うのはやめてほしいな。ここは軍隊じゃろないんだ」といわれるくだりを、毎日の玉木研二編集委員がコラム欄で紹介している。

 塾頭は、戦中だったその5年前に全く逆の経験をしている。このブログは9年ほど続けているがそのことはこれまで何度か紹介した。

都会で入学し、すぐ田舎の中学に転校する。その町には連隊があり、軍事教練も厳しかった。整列した生徒の前を、検閲する将校がひとりひとりなめまわすように点検していく。悪い予感のとおり、用意のない私の前でピタッと止まった。

 「キサマはなぜ脚絆をしとらんか」。「ボクは・・・」。「なにい~、ボクう~。自分といえ、自分と」

 「自分」というのは長野県方面で使う地方語で、陸士などに長野出身者が多いため、いつしか軍隊用語になったようだ。最近、この「自分」をTVインタビューでスポーツ選手が使うことが多いような気がする。

 柔道界のビンタのような、旧軍隊の悪習がスポーツ界の遺伝子として残っているとは想像したくない。この前、エジプト出身の力士大砂嵐がTVで記者の質問に対し「オレが……」と言ったことに、隣にいた親方が「オレじゃないだろ、ワタシだろ」と言い直させていた。

 英語は「I」一語で済むが、日本語にはすくなくとも10通りはある。多様性よりは差別、自主性より強制力、普遍性より特殊性、そんなアベノミクスならごめんだ。冬季オリンピックを控え、東京オリンピックを目標に金メダルが増えるのは嬉しいが、「自分は」が増えるのは気色が悪い塾頭である。

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2014年1月10日 (金)

細川と小泉

 細川元総理が小泉元総理の支持が得られれば、東京都知事選に出馬するかも、という報道が流れている。ふたりにはどういう関係とか共通点があるのだろう。「小泉があればその先に細川が流れる」というのは駄洒落。総理になった順は逆である。

 ふたりのよりどころは、脱原発だというが、民主党が申し出た細川出馬はキッパリことわった。自公は舛添支持しか選択肢がなく、民主も次々と要請を断られて、舛添相乗りを検討していた。

 当塾は旧臘、「舛添要一、フウー」と題する記事を書いているが、こんなことで自公民相乗りの舛添が有利とされるようなら、宇都宮候補が当選は無理でも大接戦に持ちこんでほしいと思っていた。

 そこで、細川ならどうかということになる。塾頭は、細川、小泉ともに政界を完全に引退、権力の座が恋しくなったと思えない。原発にしろ、外交にしろ、秘密保護法にしろ現在の安倍内閣の世論無視の大独走に、じっとしていられない危険を感じたのではないか。

 安倍は小泉の弟分である。そして、靖国参拝で波乱を巻き起こしたのも小泉が先輩格である。その小泉が安倍に見切りをつけ、細川と新たな風を巻き起こそうとしている可能性はあるだろうか。

 塾頭は、同じ靖国問題でも安倍、小泉では全く異なる印象を持つ。安倍は前首相の時代靖国参拝をしなかったのは「痛恨の極み」といっているが、小泉からはそんな執念のようなものを感じない。

 政界引退後も毎年せっせと参拝を重ねている様子はないし、首相在任中も皇室典範改訂による女性天皇を考えたり、靖国から離れた戦没者慰霊施設を検討させたこともあった。

 昨日、こんなニュースも入ってきた。

 米ワシントンを訪問中の日米国会議連の中曽根弘文会長らは8日、アーミテージ元国務副長官と会談した。安倍首相の靖国神社参拝について、中曽根氏らは首相の談話を渡して説明。アーミテージ氏は「首相が選挙の公約を果たしたということだ。もう終わったことだ」と述べた。

 アーミテージは、ブッシュ大統領時代のタカ派ブレーンとして知られている。当時、小泉が訪米した際アメリカに弁明し、アメリカもそれを了としたことを思い出したのではないか。つまり、小泉の思想信条から出たものではないということで、中国の説得もできるふんでいたのだ。

 そんなことから、安倍路線に危険を感ずれば、細川の都知事擁立に手を貸し、国政を間接的にコントロールしようとする意図が働いてもおかしくない。その辺の思惑が細川と一致するなら、外交にも影響力を持つ細川都知事の誕生も悪くない。

 かりに宇都宮が立候補辞退でもすれば、浮動票は細川にこぞってなだれを打つことになるだろう。その結果、自公だけでなく民主も面目を失うことなにり、次の国政選挙に大きな転機をもたらす可能性が出てくる。

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2014年1月 9日 (木)

飛行艇輸出

 インドに飛行艇を輸出するという話が昨年来ある。これについて毎日新聞(1/7東京朝刊)は次のように報じた。

 US2のインドへの輸出については、中国中央テレビが5日、「インドに輸出できれば、武器輸出三原則の突破を模索する日本が初めて防衛装備を輸出することになる」と報道した。

 日本の飛行艇は、さきの大戦以来その優れた技術を引き継いでいる。軍国少年だった塾頭は『航空少年』『飛行少年』などの雑誌を愛読し、戦闘機は「隼」から「ゼロ戦」、双発の「新指偵」など名機は、すぐ絵に描けるほどそらんじていた。

 2式飛行艇は、近くの川西航空機(戦後・新明和工業)で製造していた。工場近くは防諜でとても近寄れない。しかし空を飛ぶ姿はよく目にした。日本に出現した唯一の4発大型機である。

 目撃したのは多分試験飛行で、墜落してパイロットがどうしたなどというような話も聞いたことがある。波静かな瀬戸内でも、安定した離着陸(水)の技術を確保することはかなり難事だっただろう。戦後は海上自衛隊で、世界一、二といわれる潜水艦哨戒能力の、それこそ一翼をになってきた。また、海難救助にも実績をあげている。

 ミサイル全盛時代、攻撃用武器として使うことはちょっと考えられないが、自衛隊に配属されて着る限り「武器ではない」とはいいきれない。しかし塾頭は、山火事や難民救済にも使える点で原発輸出よりよほどましだと思う。

 防衛相ではないが、武器輸出で世界のベストテンに入る日本だが、ナンバーワンの中国からは言われたくないね(笑)。MD(ミサイル防衛)計画の共同研究では、アメリカ経由で武器輸出が可能になるなどという議論があるが、これも殺傷兵器、攻撃兵器ではない。

 このまえ、韓国のPKO部隊に小銃の弾1万発を緊急融通したが、これが内戦状態の一方に流れるような相手先であるとすれば、この方が大問題である。国連議長の出身国である韓国が、まさかそんなことはしまい。

 武器輸出3原則は、時の政権の承認事項などでなく、憲法9条のもとで以上のようなさまざまなケースに適応できる合理性を持った法律にすべきである。こんなところに、特定秘密保護法を暗躍させてはならない。

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2014年1月 7日 (火)

安倍首相→幼稚園生

毎日新聞 1/7 東京朝刊

 安倍晋三首相は6日夜、東京都渋谷区のイタリア料理店で俳優の津川雅彦さんら友人と会食した。出席者によると、靖国神社参拝が話題となり、首相は新たな無宗教の国立追悼施設を作る構想について「別の施設を作ったとしても、赤紙1枚で戦争にかり出され亡くなった方の家族は行かないだろう。『靖国(神社)で会おう』という一言でみんな死んでいった。その魂が靖国にある」と述べ、否定的な見解を示した。【村尾哲】 

 塾頭の叔父が出征して間もない昭和19年初夏、留守宅に1日の賜暇で帰ってきた。軍服と銃剣をつけた叔父を迎えたのは、叔母と2歳から6歳までの幼児、そして前年父を失い、留守宅で同居をはじめた中1の塾頭と母の6人である。

 一夜だけの帰宅の理由は分かっている。海外の前線に向かうのだ。交わす言葉も少ない中、所在ない塾頭は銃剣を抜いてみたりしていた。電力会社の変電所で技師をつとめ、3人の幼児をかかえた40近い叔父が「とられる」ことはまずないだろう、というのは楽観に過ぎた。

 翌朝、家族6人は駅まで見送りに行った。SLのもの悲しい汽笛でゆっくり動き出した列車の窓、叔父は最後尾のデッキまでにかけより、体を乗り出して懸命に手を振った。これが最後の別れになるかもしれない、ということは誰も口にしないが叔父、叔母、そして母と塾頭の頭にはあった。

 それから1年余、敗戦の日を迎えた。内地から始まった復員は最後のソ連抑留兵帰還まで何年もかかった。復員には事前通告などなく、突然自宅の玄関に表れるという風景は各地で見られた。

 叔母は、今日は、明日はという気持ちで玄関のあく音を気にしながら、日々を送っていただろう。叔父の派遣先が南方だということはうすうすわかっていたが情報は何もない。近所のおばさんの慰めの言葉が聞こえた。「お亡くなりになっても靖国神社に祭られ、天皇陛下がお参りになるんだすけ、あきらめんばならんこてね」。

 そのうち、戦死の公報があったというが塾頭は見てない。フィリピン方面というだけで原因も証拠もなにもない。もちろん遺骨などあるわけがない。公報が届いた後でひょっこり帰ってきたという例もある。叔母はあきらめきれなかった。

 塾頭が東京に出たのち、叔母がひょっこりやってきて靖国に参りたいという。「死んでいるか生きているかわからないけど、どこへ行けば父さんに会えるんだかねえ。もしかしてここにいればさあ」。もちろんこの時は葬式も墓もないままだ。それから、一度も靖国を訪れることなく99歳で3年ほど前に故人となった。

 冒頭に戻る。安倍首相の想像力は、この程度しかないのだ。これが日本のトップにいると思うと情けなくなる。表題に書いてしまった。「幼稚園生、ごめんなさいね!!」。

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2014年1月 5日 (日)

「戦争責任」はいつから②

 前回、明治時代が文明開化、自由民権、富国強兵などバラエティーに富んだ国論の中で、隣の朝鮮情勢の緊迫を受け日清戦争がはじまったということを書きました。この戦争が帝国主義的な侵略戦争であるかどうかがまず問題になりました。

 そういった目的で開始した戦争ではないという点では、ちどり さまと意見の一致を見ました。ただ、ちどり さまは、明治政府に「その気がなかったとはいいきれないだろう」といいます。これにも賛成します。

 折から国会で激しい攻撃にさらされていた政府は、開戦により国民の耳目を集めることで、これを乗り切ろうとしたようにも見えます。また、仕掛けたのは日本、という清国・朝鮮側の主張に無視できない点が多々あるでしょう。

 日清戦争開戦時にはなかった朝鮮植民地化の発想が、どうしてに日韓合併という結果になったのでしょうか。また、ちどり さまからは「日清戦争はともかく日露戦争は帝国主義戦争ではないか」というご指摘もあります。

 帝国主義が「後進国を軍事的圧力で支配し、鉱業権、鉄道敷設権、市場独占、植民、治外法権などで相手国の主権を侵害し利益をえよう」という意味なら、日露戦争はむしろそれを排除しようという自衛的な意味の方が強かったと思います。

 日本が明治時代列強と肩を並べたい、と思っていたにしろ、帝国主義国として他国を蹂躙支配したいと思っていたとは考えられません。台湾奪取がその第一歩と考えられなくもありませんが、当初からの目的ではなく、賠償という結果論でしょう。

 天皇を隠れ蓑として大陸から南方に至る国々を版図に入れようとする粗暴な野心を抱く人が、当時いなかったとは言えませんが、それが表面にでてくるのは、中国への12カ条要求以後のことと考えています。

 もう一度話をもとに戻しましょう。現在「戦争責任」問題で軋轢を呼んでいるのは中国・韓国が主です。彼らは日清戦争に言及しても日露戦争を問題にしていません。香港はアヘン戦争で1842年に清国がイギリスに割譲し、返還が実現したのは100年以上もたった最近のことです。

 1900年には、義和団鎮圧のため英仏露米伊日等連合8国の軍隊が北京に攻め込みました。その後各国軍は協定に基づき撤退するのですが、ロシアは満州を占領したり旅順に砲台を設けるなど、露骨な南下政策を隠すことなく、日露戦争の一因になりました。

 
 こういったことが、今になって責任を問われるなどということはありません。日露戦争後、韓国宮廷の行動に不安を持った日本政府は、外交権や財政運営などの移譲を盛り込んだ協定を強引に結ばせ、実質的に属国化しました。宮廷側は1907年のハーグ万国平和会議で、日本に抗議するために派遣した密使が門前払いになります。この地域の安定確保のためには、日本がとった方針もやむを得ないという共通認識が各国にあったようです。

 このころまで、日本は比較的行儀のいい国と見なされていたようです(朝鮮の閔妃暗殺への関与など例外もありますが)。当時朝鮮の統監になっていた伊藤博文元首相がハルビンで安重根に射殺されたのは1909年10月26日で、その後1年もたたない翌年8月22日に日韓併合が決まりました。

 その間、朝鮮は大韓帝国と国名を変えましたが、併合に至る過程で韓国側が原因を作ったようなことがないのか、併合後独立復帰の可能性なかったのかなど検討してみる価値はあると思います。日韓で議論すれば大きな差が生ずると思いますが、それは両論併記すればいいので追及とか謝罪を云々する性格のものではないと思います。

 また、尖閣諸島の問題は日清戦争後に「日本盗み取った」という中国がわの主張になっています。これも侵略の一環かどうか双方の史料で検証すべきでしょう。日本が侵略国家として変貌するのは、1914年(大正3)の第2次世界大戦後というのが塾頭の主張ですが不当でしょうか。

 帝国主義戦争が大きく反省期に向かう中で、日本は他国もやっていたことだからといって逆の方向に進み始めました。次のようなさまざまな社会現象が、国民の意識に微妙な影響を与えたことも否めません。

 ①日清、特に日露戦争における日本兵の甚大な犠牲に見合う代償が必要と考えた。
 ②三国干渉、海軍軍縮、人種差別など列強の横暴は続いていくとみた。
 ③ロシア革命や中国辛亥革命の影響と不安定化。
 ④大逆事件、大正デモクラシー、治安維持法制定などが与えた影響。
 ⑤米騒動、関東大震災、恐慌など不安の連鎖。

 そういった中で対華21カ条要求は1915年(大正4)にだされ、中国政府は一旦受入れたものの、かつてのロシア以上に過酷な条件となり、その他の国でも例を見ない理不尽なものでした。そのため、国民はそれを国恥記念日とし激しい反発を示します。1923年には中国全土で排日運動が激化し、21か条条約廃棄を通告するに至りました。

 このあとの関東軍による謀略、国際連盟脱退、満州事変から支那事変などの戦線拡大、そして連合国との大戦突入などご存知のとおりです。安倍首相の「侵略の定義は定まっていない」発言など、どこを押せばそんな言葉がでてくるのでしょうか。

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2014年1月 3日 (金)

初詣の穴場

伝通院寿経寺

Dscf4072 [通称]小石川でんづういん。 

[交通]JR水道橋駅から徒歩範囲内。地下鉄後楽園・春日駅から近く、子供連れなら後楽園遊園地で楽しめる。

[家康の母、於大の方の菩提寺]江戸時代なら「この紋どころが目に入らぬかぬか!」の大寺。度重なる火事と、明治新政府の廃仏毀釈で過去の栄光を失う。

[エピソード]京都守護を目的とした浪人募集で200人ほどがここに結集。清川八郎指揮のもとここから中山道に向かった。後の新撰組近藤勇は、まだ無名の平隊員。

[推薦理由]写真は昨日2日正午頃。とにかくすいており、本尊や東都何番目かの札所になっている観音像もゆっくり拝観、焼香できる。都心に近い山王日枝神社や靖国神社は順番待ちで長蛇の行列。要所要所に警備員が監視「そこは通れません」とか「入れません」などと言われることも覚悟要。

[参拝動機]塾頭の自著『浪士石油を掘る』に登場する寺だが、まだ行っていなかったから。

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2014年1月 2日 (木)

「戦争責任」はいつから①

 2014年最初の反戦塾のテーマは、大変荷が重いものになりそうです。そうです。ちどり さまの去年最後にいただいたコメントの宿題を果すことなんです。それに、本文でレスする方法はやや公正を欠く気がしますが、本文の編集に参加してもらうという方法では、本旨からはずれるおそれもあり、このままの形で進めます。

 大みそかのちどり さまの書き出しは「毎度のことながら論点がずれてしまいますね」でした。塾頭は、そうずれていないどころか史的認識には共通する点が多いな、と安心したぐらいです。「日清戦争を帝国主義戦争とはいえない、植民地化を目的としたものでない、等の御指摘は私も全く異論がありません」などとする点です。

 そのあとの「ただそのことをもって明治政府に覇権主義的な願望なり意図がなかった、というのは首肯できません」ということも「その通り!」です。山縣有朋など相当きわどい発言をしていますよね。ただだ、塾頭の「言いたいこと」を急いだため、個々の考証記述を端折ったことは否めません。

 とぢり さまは、明治時代について山縣有朋のほか西郷隆盛、福沢諭吉などの名を上げましたが、板垣退助、中江兆民、陸奥宗光その他多士済々、韓国関係では、砲艦外交による日韓修好条規締結や閔妃暗殺などという恥ずべき事件もありました。一連の塾頭の記述が一回の投稿で「おおざっぱ」になっていることはその通りです。

 塾頭の言いたいことは、中・韓との軋轢のもとになっているさきの戦争の責任や処理について果てしない口論(史的検証のないまま、抗争激化をもとめるような風潮にあえて「口論」と言います)を終結させたい、それには、議論の対象となる時期を特定しなければならないということなのです。

 そこで国際的議論に入る前に、日本国内で「自虐史観」「皇国史観」などという言葉が、時代背景・時代認識を越えて一人歩きをしていることに留意したいと思います。日本が反省しなければならない戦争責任は、一体いつからなのかをはっきりさせなければ、内外ともに話が進まず、果てしない口論が続くでしょう。

 中国が明の時代の文献を持ち出すことはともかく、幕末、明治の琉球処分を帝国主義的侵略(それに違いはないが)とすれば、中国に宗主権を返還すべし、ということにもなりかねません。こういったトンデモ論が右翼に「反日分子」という口実を与え、論拠になることを塾頭は憂いています。

 以下は次回にさせてください。

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2014年1月 1日 (水)

2014・年頭

 Dscf4053   今年は年金生活者や低所得者層の暮らし向きが確実に悪化しそう。その一方、明るいニュースもきっとあることでしょう。引き続き「反戦塾」ご披見のほど、ひとえにお願い申し上げます。

   楽観主義の塾頭より。

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